Date:14/10/17

ぼくは大学生のころ、雑誌に囲まれていました。兄が雑誌編集者であったため、家には山ほどいろいろな雑誌がありました。時代の影響をもろに受け、広告研究会などにも一時在籍していたこともあり、マスメディアや広告の仕掛けには興味がありました。あのころはTVのコマーシャルや広告がものすごく輝いていたのですね。コピーライターの糸井重里さんの名前を何かと目にする時代であり、そういう環境に自分自身もいたわけです(ただ、今、糸井さんの年譜をチェックすると、ぼくの大学生の後半の生活に「不思議、大好き。」や「おいしい生活」のヒットがあったのですね。週刊文春の糸井重里の萬流コピー塾のスタートも83年です)。

コピーライターという職種についても関心がありました。が、かといって宣伝会議のコピーライター講座に通うとか、広告代理店のその職種を狙うとか、そういう熱心さはありませんでした。もともと仏文科などという俗世間と離れることを良しとするような空気のところにいたぼくとしては、就職は俗世間のど真ん中というか、いわばネクタイとスーツのビジネスの渦中に入るのが自分のバランスが取れると考えていました。それがぼくの価値になると思ったのですね。高校生のころから、「全体像を掴む」「平凡パンチと世界を同時に読むのがえらい」と本の世界から叩き込まれていたので、スーツとネクタイの世界に向かうのは必然でした。

もっと全体を掴みたいとの想いをもって自動車メーカーで働きはじめ数年した頃、その「さらに、もっと全体へ」の欲求が強まってきました。これがイタリアで仕事する原動力になったのですが、すると、それまでの自分がいかに「職務分担された自分」であるかに気が付きます。トリノで一台1億円のスーパーカーの品質管理を任されたとき、「君の目と触覚で判断することも大切なんだ。自分自身の目で見る、それがいいんだ」とボスに言われたのですね。全体とは肩ひじ張って語るものではなく、自分自身で分かったり感じたりすることをベースにするものだと理解したのです。そして同時にデザインがぼくの活動領域のなかに入ってきます。しかしながら、それをもって、ぼくはクリエイティブ領域に足を踏み入れた、とはあまり思いませんでした。

かなり前、1998年からスタートした糸井さんの会社が運営する「ほぼ日」を覗いたとき、なんとなく「原宿のクリエイティブ系的な匂い」(つまり、ぼくが社会人になるときに「向こう側」と自分で整理していたゾーン)を感じ、自分がその世界には入りにくいと思いました。全体と言いながら、随分と勝手なものです 苦笑。しかし、数年前、正確に言うならば、2009年にTwitterをはじめてから、ぼくも糸井さんの言葉を目にするようになりました。糸井さんをフォローはしていなくても、RTでバンバンと飛んできます。とても上手いことを言うなあ、と感心しながら、いやいや、こういう有名人の言葉に左右されてはいけない・・・・と気を引き締めます 笑。

時は進みます。1年半くらい前かよく覚えていませんが、ほぼ日のCFOの篠田真貴子さんとネット上のおつきあいがはじまります。ウォートンスクールでMBAをとったバリバリ感のある篠田さんのインタビューを読んでからです。ぼくのイタリア生活はバブル経済のおかげでスタートしたと思っているのですが(関与したトスカーナの日伊文化センターやスーパーカーなどのプロジェクトは、その「おかげ」であったのは否定しがたいです)、篠田さんの人生もバブル経済という風を「良く」受けていた。確か、それを篠田さんのマッキンゼーの元同僚である安宅和人さんが指摘していたのですね。その後、実際にお会いして話したりしていたのですが、「ほぼ日」という「原宿クリエイティブ系」の威力がじわじわと、やっとぼくにも分かり始めました(まあ、とっくにネクタイを外す世界に生きていましたが)。

そのうちに糸井さんともTwitterで言葉を交わすようになります。しかし初めてお会いしたのは、約1年を経た今年の8月です。その内容は現代ビジネスに3回連続で掲載されていますが、同時にぼくの「世界の伸びている中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?」の帯にも糸井さんの言葉を頂いています。まったく違う世界に生きてきて、どうしてなのだろう・・・と思うほどに、糸井さんの言葉は、ぼくの考えてきたことをとても違和感なく「向こう側」(いや、もう河は渡っているでしょう)から表現してくれます。日常生活にある言葉が、コンセプトのスペースのすみずみまで行き届くことを身体全体で考え抜いてきたクリエイティブな人の実力に心底感心したのは、ブルネッロ・クチネッリの言葉をすべて日本語として通じるように置き換えてくれた時です。敬意や尊厳を「ありがたし」と言い換えてくれたのです(このエピソードは、上記の拙著に書きました)。

クリエイティブである意味が、ぼくの身体のなかに入り始めたと実感したのは、恥ずかしながらほんの最近なのです。生きること自身がクリエイティブの対象であると内臓文化として存在を感じ、ほぼ日のクリエイティビティの深さを理解するというより体感するようになりました。人はそれなりに長く時を経ると、分かることが増えるのですが、その喜びの一つがこの例です。クリエイティブであり続けるのは、実は可視化などという前に、日常生活の瞬間にあり、よく聞く言葉を使うなら「今をよく生きる」以上でも以下でもない、ということです。

そのほぼ日のクリエイティビティをどう長続きさせるかを、これまた身体全体で考えている(と思える)のが、実はCFOの篠田さんなのです。cakesのインタビューに動機→実行→集合を社会が取り囲むチャートがありますが、ここでは「私が欲することの社会性あるいは普遍性」が語られています。ご存知のように、ほぼ日には、ターゲット読者となるペルソナ的なものがありません。人が必ずとは言わなくても、かなり多数の人が共通してもっていることを語りかけることを目指すに、人の断片化はありえないのです。ほぼ日の社内で、ほぼ日のあのなんとなくのんびりした文章で大量なメールが行きかっている事実が語る意味は、「へーそうなんだあ」では終わらないと思います。

まあ、こういうわけで、10日22日1830から、六本木のJIDAで篠田さんと「共通語をつくる」というテーマで話し合います。「可視化だ!」「デザインだ!」と威勢よく大きな声を出しているが「どうも、うまくいかないなあ」と思っている人とか、「クリエイターと話が通じないけどどうすればいいのか?」と自信喪失している人とか、そういう人に聞いてもらいたいです。そう、そう、最終週は仙台にでかけ、東北の被災地3県の食産品を海外市場に出すためのローカリゼーションのワークショップを事業者相手に行います。このためにミラノの工科大学の先生なども駆けつけてくれるのですが、このワークショップの前に糸井さんと原子物理学者の早野龍五さんの「知ろうとすること。」を読んでおこうと思っています。

だんだん、ぼくも自分や人生のことが少し分かってきた感じがします。いや、いや、まったく牛歩のごとくで嫌になりますが・・・苦笑。

 

 

 

Date:14/9/7

日本に何人の建築家がいるか正確に知りませんが、それなりの数の建築家がいると思います。あるソースでは一級建築士は30万台という数が参考に出ています。試験の合格者の総数がそのまま現在の数にならないから、正確な数字は把握しずらいのでしょう。そして街に出れば、あのビルもこのスタジアムも建築家が設計したと調べれば分かり、「さすがだね」とか「目立ちたいだけじゃないの」とか、それは褒められたりけなされたりするわけです。そして、そういう時に、「誰々の設計した家は住めたもんじゃないってさ。雨もりはするしさ、奥さんが言ってたらしいよ」という、どこで聞いたかも知らない噂ともつかぬ都市伝説が真実味を帯びて語られ、「やっぱりね」と同意したりするのです。

しかし、一級建築士という資格をもった建築家が、それなりに本気を出したオーダーメイドの家というのは、日本のふつうの人はあまり知らないはずです。レストランのような商業建築の内装あたりまでが自分自身も建築家の思想空間を味わえるケースでしょう。それほどに多くの住宅は大量生産メーカーの製品であったり、工務店の人が定番的な間取りで建てたものである、というところでしょう。いや、一級建築士じゃないと建築家じゃないとか言うつもりもないですが、およその目安として、建築事務所を構えて一本立ちしている(もちろん大学の先生やゼネコンの中にも建築家はいるわけですが)建築家が、その腕で、そのキャラで食っていっている。このレベルの個人邸のなかに入って、ある程度の時間を過ごすという経験をもっている人は少ないんじゃないか、と言いたいのです。

建築雑誌をみればそういう「作品」がたくさん紹介されていますが、まったく生活臭さのない空間の写真と日常語とはかけ離れている難解な表現で説明されていて、生活する場として想像をするのは極めて難しいです。だいたい、「作品」はまだ使用歴が乏しく、生活者の声が全然わかりません。だから中村好文さんの「建築家のすまいぶり」は大層面白く読めました。使用歴のある家を訪ね、しかもそこで場合によっては料理を一緒に食べ、泊まったりするのですから、えらくリアル感があります。深く入り込んだうえの感想を読むと、「作品」の説得性があがります。

さて、それでは設計者の本人ではなく、その奥さんや娘さんに旦那さんやお父さんの「作品」について語ってもらったらどうか?というのが、田中元子さんの本です。36邸が紹介されています。でも、これを読んで思いました。娘であったり、息子の嫁の愛を感じる言葉にしんみりするんだ、と。奥さんの言葉は、それはそれで夫婦愛として良いのですが、既に設計者本人の気持ちを汲んでいるので、もう少し違ったアングルの言葉を聞きたいなあ、という気持ちを読者におこさせます。それが娘だったり、もっといいのは息子の嫁の言葉なんです。また設計者本人が既に他界しながら愛着をもって住んでいたりすると、「作品」の重みがずっしりときます。設計思想が時と共に生き継がれていく幸せを存分に感じられるのですね。

この本を読んでいてもう一つ思ったのは、首都圏に住む建築家が自邸をたてる場合、親の庭に木々のある土地があり、それをどう生かしながら二世帯住宅を設計するか、というのが1つのテーマであり、2つ目はものすごく小さい敷地に如何に開放的なスペースをつくるか、ということなんですね。いずれにせよ、多いパターンは、家族が何処からでも視線をお互いに交わせる空間構成をすることです。ぼくの実際に知っている建築家の「作品」たちもやはりそのようになっているのですが、これはあるブームで一定の時期が経過すると廃れていく傾向なのかどうかっていうのは、かなり気になるところです。オープンというコンセプトの行く末は、こういうフィールドでもよく見ていきたいなあ、と思いました。大きな社会のオープンだけでなく、ということです。

ところで、「建築家が建てた夫と息子のしあわせな家」というタイトルの本はいつ出るんでしょう?

Category: さまざまなデザイン | Author 安西 洋之  | 
Date:14/9/1

今の今、グローバル化万歳と大声で言っている人はかなりおめでたい人で、たとえ表面では肯定するフリをしながらも、裏では時代は変わったと思っている人が増えているでしょう。一部の超巨大企業にみるように、まったくそういう世界がないわけではないけれど、多数派にとってはグローバル化に遅れるなというのは戯言に近くなっている。

富山和彦『なぜローカル経済から日本は甦るのか GとLの経済成長戦略』は、そういう流れをバサリバサリと説明していて、その多数派とはローカルのサービス業であるとご指名がかかっています。

交通や医療など公共性の高い、ローカルにどうしてもなくてはならない業種は他地域と競争することがなく、これらが消滅することはありえないのです。しかし、その生産性が著しく低くてもローカルを支えていけるとは言えない。したがって、この分野をどうするか?がテーマになっています。どんなに小さいマーケットでも世界の上位に入れればいいけど、そうではなない中間的な製造業には未来がないようなことを書いています。グローバル企業が何らかのプラスの波及を多数派に及ぼすことがないことはないが、それを期待していても良いことはないよ、というわけです。

全体としての流れはそうであるとして、この論の前提にあるグローバル化は不可逆であるということを「信仰」して良いのだろうか?という疑いは残ります。以前、シンガポールでインドネシアなど他アジア市場向けのデザインを行うと、政府から助成金が出ると聞き、ふざけたことをしているものだと思いました。それぞれの国のクリエイティビティ向上を妨げることで、自国のステイタスをあげる仕組みを作っているわけです。グローバル化のモデルをとっているシンガポールの裏をみる感じです。

が、エゲツナイのはシンガポールだけでなく、ドイツもそうです。『グローバリズムが世界を滅ぼす』のなかで、フランスのマニュエル・トッドが、こう語っています。

グローバリゼーション論の決まり文句の一つによると、グローバリゼーションは労働コストの低い新興国と先進国の衝突だと考えられています。もしかすると根本のところではそうなのかもしれませんが、実際に行われていることを見ると、事態は違います。各国は、近隣国を競争相手にすることで、グローバル化した世界の中で生き延びようとしています。ドイツがどの国を相手に自国の経済や産業、金融のバランスを取ろうとしているかといえば、それは自国のパートナーに対して、つまりフランスに対して、イタリアに対してなのです。

ドイツの労働費20%の抑制策を指しています。アジアでも同じで、中国はタイ、ベトナム、インドネシアを叩き潰すことを狙っているというわけです。シンガポールの上記の例も同じです。世界で唯一最高の場所ではなく、ある広域でのボスになることが、グローバル化の現実であると示しているのです。トッドは米国のコアの人たちも自由貿易の見直しを画策しており、対外的には自由貿易の推進を図りながら、国内的には保護主義的な方向に苦心していると指摘しています。

これらの言説は、ぼくの現実感にとても近く、ああ、やっぱりそうなんだ!と膝を打ちました。大きな潮流を推進しながら、やや小さなエリアで逆の行動の成功に邁進するというのは、なかなか分裂症的な動きです。人の欲がもろにみえて分かりやすいとも言えますが、やはり世の中のふつうの人々には見えにくい現実です。最近、ぼくの見る限りでも、どこの国でもエリートの親が子供をアングロサクソン的な教育に進ませるしかないかと言う。本当は受け入れたくない現実であるが、1%に富が集まる仕組みのなかに組み入れておきたいという願望が見えます。

まさしくトッドはこの点を反省しています。即ち、ヨーロッパはアングロサクソンのグローバル化の唯一の対抗馬になる力になると考えていたが、ヨーロッパのなかで急速にアングロサクソン的なやり方の受容が定着してきたことが見込み違いだったと言っているのです。米国の可塑的な文化のほうがまだ将来をマシに見れるかもしれない、というほどに悲観的なことも語るのですが、今、ヨーロッパに住む面白さを再認識したというのも、ぼくの正直な気持ちです。

 

 

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