Date:15/5/28

先日、石田遼さんという20代後半の外資系コンサルティングファームに勤める方とミラノ市内のレストランで食事をしました。数年前、まだ彼が院生の頃に会ったことがあるのでずいぶんと久々の再会です。彼は大学時代、都市計画を勉強し、フランスにも留学していました。今の会社でも世界各地の都市問題の解決に文字通り飛び回っている元気な青年です。「基本的に一か月に一度は日本に戻ります」というから、ほぼホテル暮らしです。

石田さんと夕食の時に万博が話題になりました。1-2日見たようですが、ぼくとの話の後に彼は再度万博を訪れ、意見を書いてきてくれました。なかなか骨のある内容です。ぼくのもとだけではもったいないので、彼の許可を得てペーストします。ところどころにぼくのコメントを入れておきます。

今回のexpoはつまるところ、食と人類、というグローバルなテーマをローカルな食文化という切り口からどう料理するのか、というところがお題であったように思います。 ゼロでは自然との関係性、文化、技術、ロジスティクス、環境、廃棄、など多岐にわたる食にまつわるテーマが時代を追って提示されており、今回のテーマ設定は非常に巧みであったと感じられるものでした。(ゼロも展示自体の質はそこまで高くありませんでしたが。) ゼロを見た後でようやく安西さんがなぜオーストリア館とオランダ館を高く評価し、日本館に批判的であったのか理解できました。

このゼロとはパビリオンゼロのことで、ここに今回の万博のコンセプトが表現されています。

日本を含む多くのパビリオンはexpoのお題には応えきれておらず、自国の食と食文化の魅力を伝えるにとどまっていました。 その中で(ほぼ唯一?)オーストリアは環境、オランダは食の作るコミュニティーという普遍的課題にきちんと応えてようとしていたやに思います。(ちなみに、それでも私自身はオーストリア館はサステイナビリティーの観点からconsistencyが取れていないこと、オランダ館は屋台空間がスローフードエリアなどの他の類似の店舗と如何ほど異なるのか差別化しきれていないこと、から両館はそこまで好きにはなりませんでした。) この事実はexpoの難しさを浮き彫りにしているように感じました。

ぼくと夕食を共にしたとき、確か彼はオーストリア館とオランダ館を見ていなかったのだと思います。ぼくはこれらのパビリオンを高く評価していますが、それはコンセプトの作り方と表現の方向があっているからです。それも他のパビリオンと相対的にみています。彼が指摘す点はもっともだと思いますが、彼自身も言うように、そこに万博というシステムの問題が潜んでいるのとの考えには同意見です。

具体的には、 - ある程度知的に食の問題をとらえるためには批評性を伴う展示が必要だが、これが各国のプレゼンテーションの場としてのexpoのフレームにあっていない -食という、本物を味わおうとするとそれなりに時間も手間もかかるものが大人数をさばかなくてはならない万博の制約とマッチしておらず、結果として見本市的つまみぐいになってしまった -さらに枠を広げて素材までさかのぼっても、生産地の空気を感じたり、生の素材を持ってきたりすることは難しく、そのためムービーを駆使する展示が 多発した といったところです。 対比として、美樹品や技術の展示であれば本物を現地にもちこんで大人数が目にすることが可能です。万博の起源はまさにこの形式でした。

万博というシステムをとると、特に今回の食というテーマの場合、それぞれの国の文化にいわば「嘘臭い感じ」がどうしても漂ってしまうところに彼は反応しています。逆にいえば、暗い空間に美しい映像を用意するのは、不可避であるとも考えられないわけではない。この点、ぼくの意見を余談ながら追記すると、映像表現が古臭いかどうかとの問題とは別に、映像を使ったとしても、リアルなインタラクティブな関係がガイドと見学者の間にあるのが望ましく、それがないで映像に依存するのは本末転倒であると思います。ぼくは、オランダにせよオーストリアにせよ、皆、会場で気に入ってスタッフに「責任者と会わせてくれる?」と聞いたら、ディレクターの名刺を気持ちよくすぐもってきてくれたのです。この対応が、これらのパビリオンをさらに素晴らしいと思った理由です。

そう考えると、課題やそれに対する解決策がオブジェクト型(美術品や製品)でなくシステム型(環境や食にまつまる絡み合ったテーマ)になっている中でexpoというフォーマットがそれにそぐわなくなっているのだともいえます。(愛知の展示は行きませんでしたが、同じような課題があったのではないかと推測されます。) たとえば、予算も時間的制約も無視するならば、本物の懐石のようなものを目の前で作って食べてもらい、そもそもどうやってその料理ができたのか、素材はどう作られているのか、食器はどう作っているのか、その料理を食べることには文化的にどのような意味があるのか、現在どのような課題に直面しているのか(たとえば温暖化によって原料がとれなくなっている、高齢化で跡取りがなくなっている、云々)などを食べながら説明して理解してもらうことなどはひとつの解ではないかとおみます。(イタリアやフランスはともかく、ほかの食的マイナー国でこのような展示があれば少なくとも私はもっと楽しめたように思います。)

ここのところにきて、一つのことに気が付きました。石田さんは、すべてを万博会場内に求めている、と。実は、ミラノ万博では、市内のあちらこちらで政府と関係あるなにし関わらず、この指摘する部分を補完するイベントがさまざまに実施されています。EXPO in Cittaです。サローネの時のフオーリに相当します。そういう全体的な姿が、ミラノに一時的に訪問した人たちの目には見れるような情報活動が不足しているのですね。

もう少し現実的に考えても、たとえば日本館であれば四季で区切って、日本が季節ごとに食への向かい方をどう変えているのか、といったことを食べ方、メニュー、素材、料理法、保存法、食器などの観点から見せて気象と食というよりグローバルなテーマにつなぐ、といったことはできたのではないでしょうか。(四季の要素は最後のfuture restaurantで少し出てきましたが、少なくとも日本館としてはもっと押してもよいテーマだったのではないかと思います。) 今後のexpoについてですが今後もexpoが文化的に意味を持ち続けるためには、一度根本的にフォーマットを変えたものを行う必要がありそうです。上に述べたように現状のオブジェクト型をベースにしたフォーマットではシステム型のテーマに応えられないからです。たとえば、そもそも会場という概念をなくしてしまい、会期中1週間ごとに”Japan week”のような形で都市のいたるところで日本にまつわる展示やイベントを行う、同じく会場はなくしてしまいラジオやテレビ番組のような形でバーチャルに各国のプログラムを提供する、などなど。 なにぶん時間がなかったので一面的な感想ですが、いろいろ考えるきっかけを作っていただきありがとうございました。

四季については、未来のレストランだけでなく、入口から2つ目の水田風景のスペースでも表現しています。たぶん、石田さんは、それに気づかなかったのでしょう。気づかなったということは、多くのパビリオンを歩いて疲れている人間にとって、パビリオンのディスプレイや演出をそこまで丁寧に見るのはしんどいということになるのでしょう。これから、一つのパビリオンに多くのエレメントを入れ過ぎないという教訓が出てきます。多くの企画者は、「これも考えた。あれも考えた」とよく言います。しかし、見学者は企画書の上で判断するのではなく、疲れておなかもすいているところで気もそぞろに見たりするのです。

また、日本もサテリテ的な存在で会場の内と外でジャパンウィークを開催しますが、それだけでなく、前述したようにいろいろな団体が自主的にプログラムを進めています。しかし、それらの間での連携はあまりないし、日本関連のイベントを総括的にみれるサイトもカレンダーもありません。たぶん、誰も把握していないでしょう。これが非常にもったいないところです。万博で興味をもったところをさらに掘り下げてみたいという人への受け皿が見えるカタチで用意されていないのですね。これは日本だけの問題ではないです。

ミラノに2-3日しか滞在しない人たちへの全体の見せ方は大きなテーマです。

Date:15/5/9

ミラノ万博は大きな実験でありリサーチです。EUの科学委員会が、この万博のテーマを専門の立場からアドバイスしているだけでなく、会期中の6か月の間にどういうことを我々は知るべきなのか、確認すべきなのか、これからの課題を明らかにするのか、という項目が既にディスカッションペーパーとして用意されています。実に多岐にわたる問題があらゆるアングルから遡上にのぼっています。これに基づいて、昨日、EXPO会場に近いホテルでカンフェランスが行われました。万博終了以降にやるべき課題の絞り込みの検討に入っているわけです。

ぼくも丸1日、欧州議会、米国大使、アフリカ連合の人たちの基調講演や科学者の議論を聴いたのですが、食や農業の問題に対する合意形成に如何にEUが力を注いでいるのかがよくわかりました。農産品を含めて食がEU外への最大の貿易品目である一方、同時に輸入金額においても上位です。特に水産品は輸入に頼る比率が圧倒的に高い。したがって、農業と水産業の成長はEUの政策において戦略的な位置づけになっています。

それでハッと気づいたことがあります。万博会場にあるアンゴラのパビリオンです。アフリカの国々がカカオなどの分野別のエリアにパネルや工芸品だけ展示しているだけなのに対し(前回、書いたバングラデシュのパビリオンのような様子です)、石油やダイヤモンドで稼いでいるアンゴラは自前の建築で展示の量が先進国並みです。この展示のなかで水産業の位置が高かったのを思い出しました。なるほど、陸の肉が肥満や生活習慣病と大いに関係している。そこで魚に目を向けたい・・・というのが欧州の視線ですから、アンゴラの水産品の輸出力のアピールの背景に何があるか想像できます。

また、農業と並行して林業にも熱い視線が注がれています。これはO2の確保と温暖化という環境問題にかかわることでもありますが、このテーマに絞り込んでプレゼンのすべてを一点に集中させたオーストリアは、「空気ジェネレーター」パビリオンというカタチをとっています。オーストリアのコンセプト表現は万博会場のなかでダントツです。

そして、昨日のカンフェランスに参加しながら、オーストリアの表現力はEUがもっとも感謝すべき一つなのだろうと思いを馳せました。当然ながら、オーストリアの林業は木材輸出において経済的な力を発揮し、その大切なお客さんは家具産業が盛んなイタリアです。しかも、このオーストリア館のイニシアティブをとっているのはオーストリア政府のなかで経済産業省です。そのような機関が主導するなかで、こんなセンスを発揮してプレゼンしたのは見事というしかありません。往々にして、「もの売り」への欲を抑えきれずに(各団体の要求を断り切れず)、見本市的な見せ方に走るところ、オーストリア館はカウンターバーとレストランにオーストリアカラーがあるだけです。それでも「オーストリアの空気に触れに行きたい」と旅心をくすぐります

前述したように、ミラノ万博はEUの政策判断のリサーチである実験の場であり、この食糧問題という複雑な話をふつうの人たちにどう理解してもらうかが狙いの一つになっていますが、オーストリアパビリオンの担当の「私たちは、いわゆるテクノロジーっぽいテクノロジーを使うことを極力排除しました」という説明は、傾聴に値します。

 

Date:15/5/6

万博やオリンピックは時代遅れのイベントであると言われて久しいです。サイズ自身が今の感覚に合わなくなっているなどいろいろと理由はありますが、5月1日からスタートしたミラノ万博を巡り、「万博は面白いか?」を問うてみたいと思います。つまらないならなぜつまらないのか、おもしろい点は何なのか、これを会期中の半年間、考えていきます。

さて今回の万博は、誰にも馴染みのある食がテーマであるがゆえに誰でも親近感がもてますが、カバーする範囲があまりに多岐で複雑で超巨大なので、このイベントは自分なりの視点をもたないと楽しめないのではないかと思います。世界には餓死する人たちがたくさんいる一方、飽食で病気になる人たちがたくさんいる、という現状に対する問いかけがここにあります。例えば、我々が今のように牛肉を食べつつけ、その習慣が新興国で定着していくと食糧事情はどうなるのか? それなのに多くの残飯が大量に捨てられる運命にある。このような背景から、世界の貧困や人権問題と戦う宗教団体のカリタスやバチカンが参加している。また先進国だけでなく、貧困国といわれるところからも参加している。これらが特徴です。

下の写真は9つのクラスターエリアの一つ、「米」に参加しているバングラデシュの農業研究機関のパビリオンです。

ミラノ万博はおなじみの国ごとのパビリオンだけでなく、「米」「カカオ」「コーヒー」などのテーマエリアがあり、ここに先に挙げたあまりお金に余裕がない国が参加しています。違った地域の国が同じ材料を相手に違った事情をプレゼンするわけです。バングラデシュはその一つなのですが、壁にパネルがはりつけられています。ブレイカーのあるスペースを使っているのは仕方ないとしても、上のパネルはちゃんと読めるように縦に貼られていますが、その下のスペースに2枚のパネルを縦に貼れないので、それらを横にして貼っています。書かれている英語を読むには、床にはりつき顔を横にしないといけません。

これを嘲笑するために紹介しているのではありません。こういうパネル展示の経験が殆どない農業機関の人も参加しているところに注目すると、ミラノ万博を読み取るヒントが得られるのではないかと考えたのです。万博というと、国際コンペで勝った建築空間の各国間の競い合いという印象がありますが、これに真っ向からNOをつきつけ、新しい道を切り開いているのがオランダ館です。大げさな建築物は一切なしで、メインスペースにはテーブルとチェアの周囲をストリートフードのバンが並び、そこで食事や音楽を楽しむ趣向になっています。

このパビリオンのデザイナーは「いろいろな展示のデザインをやってきたが、正直いうと、映像を流しているのは簡単なんだよ。まったくのリアルの世界で本当に経験を提供するほうがよっぽど難しいだいたい、暗い空間をつくり、大きな3D的な映像と音響で見る人を圧倒させようという発想はもう時代遅れだしね」と語っています。オランダ政府は3年前、一度はミラノ万博の不参加を決めたのですが、昨年の夏ごろから、食の産業集積地や世代を超えたチームが「食と農業のオランダが参加しないというのはあり得ない」との動きが出始め、政府として参加を決めたのは昨年の秋も深まった頃です。それからレイアウトや資金集めがスタートしたので、そもそも大規模な建造物を作る余裕がなかったのですが、結果的にそれが良い結果を生みました。

オランダの開放性を表現するのに、ストリートフードの世界を再現するのがベストであるとのアイデアを固め、なんとコンペなしに政府から承認を得たのです。ぼくは保守的な官僚組織を相手にクリエイターたちがどうアイデアを通過させたのかを聞いたところ、時間や資金が不足していたところが結果オーライになったこうしたプロセスを話してくれたのです。「時間も金もないからやらない」ではなく、その窮地で知恵を絞ったがゆえに面白いことができた。もちろん、「どこの国もがこういうカジュアルな演出をすべきとも思っていない」とデザイナーは説明を加えます。しかし、このチャレンジにとても満足そうです。

中東のバーレーン館も、とても静かな空間を作っています。ミニマリズム的な世界にあって小さな散歩道に小さな庭があるような感じです。そして、その庭にはレモンやオレンジの木などが植えられ、その香りはとても心地よい。文化遺産の展示が奥にあります。そのセクションの、どの説明にも白い石版(に似たプラスチック)に白い文字で書かれており、決して説明的な理解を強要しません。「我が国にとって農業は大きな産業ではない。とても文化的な結びつきが強いのです」と話すディレクターは、文化や観光が担当の省庁にいる人です。だからこそ、文化は押しつけがましくするものではなく、静かに語りかけるものであることがよく分かっています。文化には輸出はなく輸入しかない、という定理を古代からハブとして栄え、石油時代の次に金融センターを作り上げた国らしい”教養”です。「他のパビリオンがうるさい落ち着かない世界を演出しているなかで、この静けさが印象に残るはず」と戦略的デザインの背景を語ってくれます(一番奥には、万博会場で一番豪華と自負するトイレがある!)。

尚、最初に書いたように、先進国の肥満解消も万博の大きな課題ですから、会場のあちらこちらにトレーニング機器があります。プレスセンターのチェアをみれば、その意図が一目瞭然です。一筋縄ではいかないテーマに挑んでいることがよく分かるはずです。

 

 

 

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