Date:14/12/10

20数年前、イタリアで生活をはじめた時に、よく耳にする気になる言葉がありました。「これはクリエイティブか?」という問いかけです。とっても多い。それも日常生活のなかのこまごましたコトについて、「クリエイティブか?」なのです。クリエイティブはデザインや広告の世界の用語に近いと思っていたぼくは、クリエイティブであることが評価の大きな軸であるとの発想にすぐついていけず、馴染むに少々時間がかかりました。

その頃、日本では個性的であるかどうかはよく会話が交わされていましたが、日常の生活で「クリエイティブ」はほとんど俎上にあがっていなかったと思います。しかし、自虐的ですが、「イタリアの(非効率な)官僚システムほどクリエイティブなものはない」という表現を耳にして、クリエイティブが何たるものかが(否定的な側面からでも)分かってきます。日経ビジネスオンラインに連載している「イタリアオヤジの趣味生活」のために多くの人にインタビューしていて気付くのは、イタリア人は危機的な状況を生き抜くに得意ということです(もちろん、生き抜いた人をインタビューしているから話が面白い、ということはあります)。

つまり、このサバイバル能力とクリエイティブ度合のあいだに相関関係がある、という考え方をするとクリエイティブの意味がもっとよく理解できます。本書で「限界ギリギリのところで発揮する力」としてのクリエイティビティが語られています。これには、時間や文化を踏まえてコンテクストに新しい視点を持ち込むとのヨーロッパ的な伝統が活きています。タイトルが「世界で最もクリエイティブな国 デンマークに学ぶ」であり、インタビューに答えたのがデンマーク人であるにせよ、語られている内容はかなりヨーロッパ的です。それだけイタリアの文脈におけるクリエイティブとも共通性がある、ということです。

解説をリ・パブリックの田村大さんが書いており、シリコンバレーのピーター・ティール『ゼロ・トゥ・ワンー君はゼロから何を生み出せるのか』において強調されている「枠組みの外で考える」と「限界ギリギリで考える」の対比を指摘しています。これは文化圏の違いだけでなく、もう一つはイメージするビジネス規模やエリアの違いにも拠っているかもしれない、とぼくは思いました。ティールはテクノロジーによって独占的な市場をとる大切さを説いています。世界の大きな面積を相手にしないと元がとれないプラットフォーム的な商売をネタにする人たちと、アプリやコンテンツのようにローカル依存度が高いネタを扱う人たちという2つの次元があります。

発想のコツとしては、「枠組みの外で考える」と「限界ギリギリで考える」の両方も使えるのですが、実際のビジネスに現場において、どちらに重心を置くかが変わってくる・・・ということだと思います。ヨーロッパのビジネスリアリティにおいては、圧倒的に「限界ギリギリで考える」が活きるだろうし、たぶん、日本でもそうです。だから『ゼロ・トゥ・ワンー君はゼロから何を生み出せるのか』をぼくは凄く面白い本だと思う一方、そう全ての人が読まなくても良い本だと考えました。でもこういう本は爽快なのです。だから大ヒット作になるわけですね。

が、ゼロから何かを生み出せない自分に嫌気がさすのも現実です。それよりも、「今、自分のやっていることをもう少しギリギリまで追いつめてみないか?」とのアドバイスの方がよっぽどやる気が出てきます。大多数の人の実感にしっくりきて、なおかつ、一歩前に踏み出してみようという気持ちになるのです。よって『ゼロ・トゥ・ワンー君はゼロから何を生み出せるのか』を読むな!とは言いませんが、口直しに本書を読むと精神的バランスがとれますよ、とは言いたいです。

イノベーションが語られ、そのなかでクリエティブがいわゆる「業界用語」から脱却した今、いよいよヨーロッパの知は面白いところにあります。

 

Date:14/12/1

この数か月、新たな本を書きたいなと考え始めています。「イタリアの食デザインの現在」に関する本です。企画書にしてどこかの出版社に打診するというレベルではまだありません。しかし沸々とそういう気になってきた、というわけです。そろそろ、いわゆる食関係者以外の人間が、食とその周囲にあるテーマを多角的につっこむタイミングにきたのではないかなと思うのです。料理本でもない、ファーストフードやマス加工品の害を告発するのではない、広い範囲からの食の捉え方があるだろう・・・と。

ローカルの活性化の話になると、観光と食が語られることが多いです。食はレストランの食と土産品の両方が取り上げられることが多いのですが、ふつうの食加工品で且つ距離のある経済圏に移動するという次元のことが割と把握されていないという気がします。サンケイビズの連載にも書いたのですが、ある日本の地方の加工品のローカライズのプロジェクトをやっていて、高級品ではない加工品を海外市場に出していくにあたり考えるべきことは沢山あります。

一方、イタリアの経済人の動きをみていて気がつくのは、この数年、農業に投資する人が増えていることです。もともとイタリアではビジネスで成功するとワイナリーのオーナーになるというコースがあります。スポーツ選手もそうです。広い農園を散歩しながら自然を堪能し、自分のワインブランドが世界の食卓に普及するのを夢見るのです。が、ワインだけでなく、他の農産品に食指を伸ばしつつあります。オーガニック食品専門の大手スーパーの株主に誰がなっているかをみると、それははっきりとします。一人は「質の高い食こそが、現代の贅沢である」と話しています。

これは、世の中が動いている証拠です。今週、ファッションのブルネッロ・クチネッリ氏のプレス発表にでかけました。彼が使われなくなった他社工場を壊して自然の姿に戻すと語ったのですが、それがブルネッロ・クチネッリという企業ではなく、ファミリーの財団として行うことを強調しました。そして、この会場には自分の上場企業を観察しているアナリストたちがいることを何度も何度も繰り返しました。戻された自然のなかで子供たちがサッカーをする、畑でとれた野菜を自社の社食で使う・・・との説明がありましたが、この決断の肝は、風景という財産の形成にどう貢献するか?です。(←詳細は、次回のサンケイビスの連載コラムを読んでください)

ローカル、風景、農業、文化。これらを目がきく経済人たちが真剣に語っている様子を眺めていると、ビッグデータの動向を追っておくことと同じように、食とその周辺に対する人々の関心のありようを知っておかないといけないことに気がつきます。ライフスタイルのトレンドの理解において、ファッション、インテリア、クルマ、情報空間・・・を象徴的にみてきたように、食が表現する記号を読み取れないといけない時代であるとの認識が求められるのです。

来年5月からは食をテーマにしたミラノ万博がスタートします。ぼくの情報収集や思考もスピードアップできるはずなので、さて、本の下準備を考えようか、という気になるわけです。

 

 

Date:14/10/17

ぼくは大学生のころ、雑誌に囲まれていました。兄が雑誌編集者であったため、家には山ほどいろいろな雑誌がありました。時代の影響をもろに受け、広告研究会などにも一時在籍していたこともあり、マスメディアや広告の仕掛けには興味がありました。あのころはTVのコマーシャルや広告がものすごく輝いていたのですね。コピーライターの糸井重里さんの名前を何かと目にする時代であり、そういう環境に自分自身もいたわけです(ただ、今、糸井さんの年譜をチェックすると、ぼくの大学生の後半の生活に「不思議、大好き。」や「おいしい生活」のヒットがあったのですね。週刊文春の糸井重里の萬流コピー塾のスタートも83年です)。

コピーライターという職種についても関心がありました。が、かといって宣伝会議のコピーライター講座に通うとか、広告代理店のその職種を狙うとか、そういう熱心さはありませんでした。もともと仏文科などという俗世間と離れることを良しとするような空気のところにいたぼくとしては、就職は俗世間のど真ん中というか、いわばネクタイとスーツのビジネスの渦中に入るのが自分のバランスが取れると考えていました。それがぼくの価値になると思ったのですね。高校生のころから、「全体像を掴む」「平凡パンチと世界を同時に読むのがえらい」と本の世界から叩き込まれていたので、スーツとネクタイの世界に向かうのは必然でした。

もっと全体を掴みたいとの想いをもって自動車メーカーで働きはじめ数年した頃、その「さらに、もっと全体へ」の欲求が強まってきました。これがイタリアで仕事する原動力になったのですが、すると、それまでの自分がいかに「職務分担された自分」であるかに気が付きます。トリノで一台1億円のスーパーカーの品質管理を任されたとき、「君の目と触覚で判断することも大切なんだ。自分自身の目で見る、それがいいんだ」とボスに言われたのですね。全体とは肩ひじ張って語るものではなく、自分自身で分かったり感じたりすることをベースにするものだと理解したのです。そして同時にデザインがぼくの活動領域のなかに入ってきます。しかしながら、それをもって、ぼくはクリエイティブ領域に足を踏み入れた、とはあまり思いませんでした。

かなり前、1998年からスタートした糸井さんの会社が運営する「ほぼ日」を覗いたとき、なんとなく「原宿のクリエイティブ系的な匂い」(つまり、ぼくが社会人になるときに「向こう側」と自分で整理していたゾーン)を感じ、自分がその世界には入りにくいと思いました。全体と言いながら、随分と勝手なものです 苦笑。しかし、数年前、正確に言うならば、2009年にTwitterをはじめてから、ぼくも糸井さんの言葉を目にするようになりました。糸井さんをフォローはしていなくても、RTでバンバンと飛んできます。とても上手いことを言うなあ、と感心しながら、いやいや、こういう有名人の言葉に左右されてはいけない・・・・と気を引き締めます 笑。

時は進みます。1年半くらい前かよく覚えていませんが、ほぼ日のCFOの篠田真貴子さんとネット上のおつきあいがはじまります。ウォートンスクールでMBAをとったバリバリ感のある篠田さんのインタビューを読んでからです。ぼくのイタリア生活はバブル経済のおかげでスタートしたと思っているのですが(関与したトスカーナの日伊文化センターやスーパーカーなどのプロジェクトは、その「おかげ」であったのは否定しがたいです)、篠田さんの人生もバブル経済という風を「良く」受けていた。確か、それを篠田さんのマッキンゼーの元同僚である安宅和人さんが指摘していたのですね。その後、実際にお会いして話したりしていたのですが、「ほぼ日」という「原宿クリエイティブ系」の威力がじわじわと、やっとぼくにも分かり始めました(まあ、とっくにネクタイを外す世界に生きていましたが)。

そのうちに糸井さんともTwitterで言葉を交わすようになります。しかし初めてお会いしたのは、約1年を経た今年の8月です。その内容は現代ビジネスに3回連続で掲載されていますが、同時にぼくの「世界の伸びている中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?」の帯にも糸井さんの言葉を頂いています。まったく違う世界に生きてきて、どうしてなのだろう・・・と思うほどに、糸井さんの言葉は、ぼくの考えてきたことをとても違和感なく「向こう側」(いや、もう河は渡っているでしょう)から表現してくれます。日常生活にある言葉が、コンセプトのスペースのすみずみまで行き届くことを身体全体で考え抜いてきたクリエイティブな人の実力に心底感心したのは、ブルネッロ・クチネッリの言葉をすべて日本語として通じるように置き換えてくれた時です。敬意や尊厳を「ありがたし」と言い換えてくれたのです(このエピソードは、上記の拙著に書きました)。

クリエイティブである意味が、ぼくの身体のなかに入り始めたと実感したのは、恥ずかしながらほんの最近なのです。生きること自身がクリエイティブの対象であると内臓文化として存在を感じ、ほぼ日のクリエイティビティの深さを理解するというより体感するようになりました。人はそれなりに長く時を経ると、分かることが増えるのですが、その喜びの一つがこの例です。クリエイティブであり続けるのは、実は可視化などという前に、日常生活の瞬間にあり、よく聞く言葉を使うなら「今をよく生きる」以上でも以下でもない、ということです。

そのほぼ日のクリエイティビティをどう長続きさせるかを、これまた身体全体で考えている(と思える)のが、実はCFOの篠田さんなのです。cakesのインタビューに動機→実行→集合を社会が取り囲むチャートがありますが、ここでは「私が欲することの社会性あるいは普遍性」が語られています。ご存知のように、ほぼ日には、ターゲット読者となるペルソナ的なものがありません。人が必ずとは言わなくても、かなり多数の人が共通してもっていることを語りかけることを目指すに、人の断片化はありえないのです。ほぼ日の社内で、ほぼ日のあのなんとなくのんびりした文章で大量なメールが行きかっている事実が語る意味は、「へーそうなんだあ」では終わらないと思います。

まあ、こういうわけで、10日22日1830から、六本木のJIDAで篠田さんと「共通語をつくる」というテーマで話し合います。「可視化だ!」「デザインだ!」と威勢よく大きな声を出しているが「どうも、うまくいかないなあ」と思っている人とか、「クリエイターと話が通じないけどどうすればいいのか?」と自信喪失している人とか、そういう人に聞いてもらいたいです。そう、そう、最終週は仙台にでかけ、東北の被災地3県の食産品を海外市場に出すためのローカリゼーションのワークショップを事業者相手に行います。このためにミラノの工科大学の先生なども駆けつけてくれるのですが、このワークショップの前に糸井さんと原子物理学者の早野龍五さんの「知ろうとすること。」を読んでおこうと思っています。

だんだん、ぼくも自分や人生のことが少し分かってきた感じがします。いや、いや、まったく牛歩のごとくで嫌になりますが・・・苦笑。

 

 

 

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