Date:11/4/28

実験的なプロトタイプでアイデアや考え方を示し、それを見たメーカーのプランナーなりが「君、面白い考え方するね。今、こういう企画があるんだけど、今度、デザインを考えてみないか?」というオファーを受ける、というのがサテリテの位置づけだろうと考えられてきました。したがって、大学の学生たちの量産をまったく考えていないアイデアと若手のプロのそれも、同じ場で競い合う雰囲気があり、サローネの会場と比較してアバンギャルドでさえありました。暇なときはグダグダしていて、誰か来ると、「見れば?」っていうけだるさ(?)さえ漂っていました。しかし、じょじょに「ここまで量産を考えたプロトを作ったから、これに近いカタチでそのまま現実化してくれないかな」という営業顔の出展者が増えてきました。芦沢啓治さんは、「デザイナーはその業界をもりあげるためのボランティアになりさがっているのではないかというのはここ数年よく聞く話だ」と英国紙ガーディアンの記事を引用しながら、ブログで次のように語ります

サテリテに実力のあるデザイナーがいまだに展示をするのは、ここにチャンス、このチャンスしかないのではないかという焦りの表れだ。そしてそれだけの集客 があるという事実。ジャーナリストも多い。おそらくバイヤーも多いのだろう。このイベントのヒーローたちもちらほら見かけた。スーパーデザイナーたちだ。 ジャスパーモリソンやは子連れできていた。

かつてフオーリサローネにおけるトルトーナ地区も「私を見て!」的な印象が強く、デザイナー本人と話すことが面白い場所でした。今年あたりは、ランブラーテ地区の一部にそうした「名残」があります。ただ、こういった全体的な傾向だけを捉えて、「サテリテがつまらない」と評するのは酷な気がします。今週の日経ビジネスオンラインで書いた「世界が注目するデザインイベントで東芝とパナソニック電工の評価は?ミラノサローネで失敗しないために」では、ドイツ人デザイナーの椅子を、「OR」から「AND」への移行の一つとして考えると見えてくることがあると紹介しました。これはサテリテで出会った作品です。また、田村なおさんの作品は、サテリテで目を引いた作品であったと以前書きました

実は、昨年、彼女の評判だった葉をかたちどった作品(冒頭の写真)は見逃していました。今年、田村さんのことを知らずに、蛍のイメージを使った一人一人が自分が使う照度を決められるプロトタイプにぼくは惹かれました。自然をモチーフにして、モチーフがコンセプト自身のメタファーでありコアであり、その背景にはエネルギー削減というテーマがあります。問題意識の持ち方からコンセプト構築の仕方、具体的な表現へのプロセスがしっかりしているとの印象を受けました。他の日本人デザイナーのアプローチと違うなと思いました。彼女がパーソンズを出てNYで活動しているのは、後になって知りました。

明るいサテリテの空間で、このコンセプトのメッセージを伝えるのは難しかったと思います。都会のなかで蛍が見えない苦痛が、彼女のブースにはありました。昨年の作品を作るのはさほど難しくなかったのでーいや、こう書くと語弊があり、じゅうぶんに難しかったが、今年よりはやや余裕がもてたという比較の意味でー、見せ方に注力することができた、とのこと。しかし、今年は照明器具から(「蛍」が薄いテープ線上に何処にでも止まれる)配線まで全て自ら作ったので、プレゼンテーションの練り方が不足していたと語っています。ここで注意すべきなのは、ブースで興味をもってくれたのは、(去年のように)一般の人ではなく、メーカーやデザイナーの方たちだったということです。昨年の作品は6月にイタリアのメーカーから発表されるように、もちろん昨年もプロがみて評価をもらっているわけですが、今年のプロトもプロに見られ、製品化の打診があります。つまり、コンセプト自身がしっかりしているのが如何に重要かという好例です。スピリット的色彩の濃いフィロソフィーをコンセプトであると自ら勘違いし、マーケットのことは殆ど勉強していない。そういう日本人デザイナーがサテリテに多いなかで、田村さんの事例は参照すべきではないかと思います。

 

 

Category: ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之  | 
Date:11/4/22

なるほどねぇ、と思うことがあります。なにか気になると思うデザインは、やはり何かある。どこかひっかかるものは、背景にそれを考えた本人の論理的動機や思考が強くあるケースが非常に多いのです、ぼくの場合(と、一応、他人を巻き込まないことにしましょう)。あまり深く考えないで偶然にアウトプットがでたということもあるでしょうが、そこに印象に残るものがあるなら、デザイナー本人はあまり意識していたわけではないが、常々考えることや視点が反映されているのでしょう。

今回、サローネを巡り、このブログでいくつかの作品を写真で紹介しました。実は正直に言うと、デザイナーの名前を確認していない作品も多いです(趣旨が作品の横にあれば、なるべく読みますが、名前を見ても記憶に残らないというのが正確かもしれませんが・・・ぼくのデザインの見方は多分に管啓次郎さんの『本は読めないものだから心配するな』の読書論と近いところがあります)。しかし、ぼくが気になっていた複数の作品が、同じデザイナーであったと後になって知ると、「なるほでねぇ」となるのです。似たジャンルのデザインであったり、それこそ誰にも分かるアイコンを残すカリム・ラシッドのようなデザイナーの作品であれば別です。カテゴリーが全く違い、アイコンのようなものが見当たらない。が、今回、ある二つの作品に「なるほどねぇ」がありました。まず一枚目の写真。これです。

「チャイナタウンを客観視」で、ファブリカ・デル・ヴァポーレにおけるミラノのチャイナタウンをテーマにした展覧会を紹介しました。イタリア国旗がウィンドウにかかっていますが、これは中国人の靴屋です。この店の前を貨物を運ぶ青年が通りかかってしまい写真では見えませんが、このイタリア国旗の下には、次の作品が置かれていました。

鳥かごの中にある赤い靴。展覧会では店の写真とは別の所に展示されていて、説明もないので意味が分かりませんでしたが、何か中国とイタリアを結ぶことを暗示しているのだろうと思いました。他の展示が純中国製品か純イタリア製品のなかで、これだけは違う匂いを感じたのです。そして後日、この赤い靴は中国を表し、イタリアという囲いに閉じ込められているというメタファーであることが分かりました。数年前、チャイナタウンで中国人とミラノ市の間で衝突がありましたが、その事件を「イタリアに支配される中国人」という構図で捉えたのが、この作品だったのです。このデザイナーの作品を、ぼくはボヴィーザのトリエンナーレでも見ました。Independent Design Secession展にあった一つです。

 

人は生み出した人工物の増殖を制御する術をもってこなかったために、大いなる災難に悩まされています。元上智大学社会学の教授、八幡さんが「この問題は、人がなぜ欲望をもつかを突き詰めないと解決できないだろう。鳥は自分の巣があれば二つ目の巣をもとうとしない。しかし、人は二軒目の家を持とうとする。これは欲望の問題であり、この欲望をもつ心性を解き明かさない限り、人工物の増殖を制御することは不可能だろう」とぼくに語ってくれたことがあります。ぼくたちは、「そんなに豊かじゃなくていいいじゃない。もっと適度なレベルってあるんじゃない?」ということを言い勝ちです。しかし、その言葉は自己増殖への慰め程度にしかならず、およそ凡人は欲に流されるます。

上の写真の作品は、こういうテーマに近いところを考えています。で、以上の作品をぼくはブログで触れたわけですが(トリエンナーレの写真は掲載しませんでしたが)、このブログを読んだ建築デザイン事務所(ラーポ・ラーニ Lapo Lani)から、ぼくが何も知らないまま、彼の作品を紹介し続けていたことを指摘されました。だから、「なるほどねぇ」と呟くわけです。五感レベルの感覚における相性もさることながら、論理的思考における相性は普通人が思う以上に記憶に残る一例といえるでしょう。

 

 

Category: ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之  | 
Date:11/4/18

須賀敦子のいずれかのエッセーに、ミラノの鉄道の向こうは別の世界であるという表現があったと思います。大聖堂を中心にした同心円でいくつかの環状道路があり、その輪を外に行けばいくほど、いわば「正統的歴史資産」から遠のいていきます。トルトーナ地区もその外円にあたりますが、古い工房や街並みと大きな倉庫や工場との混在するところに新しい開発が行われています。トルトーナは中心とは違うけれど、運河も近くにあり、昔から「目をつけられていたゾーン」です。この時の変遷のなかで、外円のさまざまなゾーンにおいて、今までミラノ市内では見ることのなかった、ロンドンやベルリンにあるような建物が建ち始めています。一方、中心に近いところでは高層ビルが建築中で、風景が変わりつつあります。

前述したように、どこの地域にも比較的共通するのは、何らかの「工業的遺産」はあったところです。ボビーザにあるポリテクニコやトリエンナーレ周辺もそうです。大きな空間を支える骨格はあった場所が再生され、それと一緒に新しい骨組みができていくという具合です。昨年からトルトーナやブレラなどと並んでプロモートをスタートさせたのがランブラーテで、冒頭の言葉を使えば「線路の向こう」になります。線路の手前にはポリテクニコがあり「正統性」があったところですが、「向こう側」は中心地と直接結ぶ文脈があまりなかった場所です。だからなのか、このランブラーテ地区は「イタリアデザインの出口」ではなく、「外国デザインの入り口」という役割を、このフオーリサローネで果たしはじめました。

実際、出展のトップはオランダ勢で、英国、ベルギー・・・とあり、イタリア勢は半数以下です。オランダのグループがこれまでのフオーリサローネのオーガナイズ経験をもとに、このゾーンのキーパーソンと組んだところに端緒があるようですから、合点がいきます。オランダ人同士が「ボンジョルノ」と挨拶しあって笑っている風景が象徴的です。このゾーンが充実したため、コルソ・ガリバルディやコルソ・コモ周辺に出ていた外国勢がいなくなったのだろうと想像されます。これが新しいイタリアデザインのコンテクストを(インターナショナルデザインというタームで)形成するのか、あくまでもコンテクストと分離されたままで続くのかは注目するところです。文脈に入ればブレラあたりに「出世」するのではないかという考え方もありますが、これは個々のデザインの競争力の面だけでなく、都市計画全体の文脈にも依存するところが大きいのではないかとも思います。

ぼくなりにこのようなバックグランド理解で歩いていると、「これは入り口を通過するかな?」「これは入り口を通過することを目的としていないな」という見方をしている自分に気づきます。「いや、そういう見方ばかりじゃあつまらない」と、頭を振って別の観点で見ようとしたりします。エコロジーやサステナビリティという言葉の次の掘り下げが必要になってきたと(17)で書きましたが、オランダのように、こういう言葉に熱心なところでも、次のステップに入ってきたなという感をもちます。

ひょいと覗いてなかなか刺激的なのは、ヒットラー、毛沢東、スターリン、ニクソンという世界で物議をおこしたリーダーたちが使ったデスクの再現です。同じ部屋にそれぞれのデスクの高さを同じにしてグレーにしています。ここで重要な書類にサインされ、それで多くの命が戦場などに送られたというわけです。「ニクソン以外に米国大統領を槍玉にあげないの?」と聞くと、何人かの大統領が同じデスクを使ったことがあり、選択が難しかったと言います。こういうリーダーたちの政治と日常性を斬っており、このあたりに突っ込み方がまだあったかと、デザイナー本人の顔を見つめながら感心しました。トリエンナーレでみた便器のオブジェと通じるロジックかと思います。

今回、一つ気になっていたテーマに、ある二つのものを融合させるのではなく、二つをそのまま出すことへのロジックがありました。サテリテでドイツ人の女性がデザインした2つの様式を一つにした椅子をみて、ひっかかるものがありました。デザイナーズブロックでオランダの女性がアンティークの家具に新しいデザインを加えて一緒にするというコンセプトを披露していて、やはり気になりました。ヨーロッパの建築インテリアなどで、古い壁にコンテンポラリーなデザインを施して両立させるのは別に珍しいことではありません。しかし、この二人が望んでいるのは、「古いものを生かして」「新旧のコンビの妙」ということではなく、2つの一方を切り捨てずに常に2つの成立を目指すことのように思えました。これは思考傾向の一つの変化ー西洋では選択への判断が尊重されてきたーが、ここにはあるのではないかと想像します。”OR”から”AND”への移行の視覚化でしょうか。

ランブラーテからボビザのトリエンナーレに行き、アンドレア・ブランツィやデ・ルッキの作品を見ました。特に好きなデザイナーではないのですが、静かな空間でデザインとアートに思いを馳せるにはちょうどよく、スケジュールをみて「アートと科学」をテーマに論じ合う日があったのを知り、そういえば今年のサローネは、デザインをまっとうに論じるようなシーンをあまり見かけなかったな・・・と思いました。センピオーネのトリエンナーレや王宮あるいはコルソ・コモ10といった、動向を鳥瞰的にみせてきた場所が、今年そういう役割を明確には演じておらず、これはやはりリーマンショック以降の「仕込み不足」がジワジワと出てきたのかと思います。1995年頃、パリのモーターショーに出かけたとき、日本車がメタメタでした。90年のバブル崩壊後の開発費の削減が、時差で見えてきたのです。あの情景を、今回のサローネを眺めていて思い起こしました。

最後に、今回みたなかで印象に残った日本人デザイナーの作品を2つ。サテリテにでていた田村(Nao Tamura) さん(http://nownao.com/)。システム全体のコンセプトを構築しながら、それを詩的に表現している。考えのプロセスがしっかりしていることがいいなと思いました。もう一人は、デザイナーズブロックに出展していた茨木千香子さんの書棚。視点が全体から迫った結果のデザインであるような気がします。インテリアデザイナーと伺って、なるほどと思いました。

さて、来週掲載する日経ビジネスオンライン『新ローカリゼーションマップ』は、このサローネをテーマにします。どのアングルから書くか?ただいま思案中!

Category: ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之  |