Date:17/4/2

この20-30年くらいのインテリアデザインの流れをみると、よりリラックスした空間を演出することと、その適用範囲の拡大という現象がありました。リビングルームのソファであれば足を投げ出すスタイルの一般化であり、そうしたリラックスで気の利いた空間が、寝室、浴室、台所と拡大したのです。一方、身体の自由が効かなくなってきた高齢者の寝室を、孫も気楽に遊びに来れるようなデザインにするとのイノベーションもあり、これは限定された空間利用からの解放ということになります。

このトレンドをさらに大きい文脈におくと、2つの動きのなかに入ります。1つはファッションのカジュアル化やスポーツファッションの定着が簡単に思いつくことですが、例えば、ファーストネームで呼ぶ習慣の拡大(イタリア語であれば、「あなた」を表すLeiから「君」のTuへの変化と多用)など、多くの分野とレイヤーでこうした現象は起きています。もう1つは、「ノマド新時代」という括りになるでしょう。格安航空会社やモバイルデバイスの普及により、移動することが容易になり、固定的な範囲が消失していきます。ノートブックのモレスキンは1997年に生産がスタートしましたが(モレスキンと呼ばれない、ハードなカバーにゴムのバンドがついているタイプはゴッホの時代からありました)、彼らは1990年代にあったこの兆候をみてモレスキンをスタートさせたのです。ご存知のように、今世紀になりメジャーな流れになってきました。

移動とコスモポリタンな動きはグローバル化と符牒を合わせる一方、それまでに注目されなかったローカルの価値を上げることにも貢献しています。ワインのテロワールの価値をグローバル市場が判断するのも、このケースと言えるでしょう。この事例と離れているようで近い事象が、ハイテク(最近でいえば、IoTやAI)とハンドクラフトの対比であり、どちらが相手を食うかではなく、どちらがどういうシーンでどう包括していくかというレベルで議論するタイミングなのだろうと見ています。特に、ハイテク分野は先端への希求と人間への戻しの反復が激しいので(メールの普及と、その反動としてのメッセージアプリの逆襲。文字情報に対する音声情報)、若干、マッチポンプ的なところを感じます。

複雑化とシンプル化の往復とも言えますが、こういうタイプの話のなかで欧州としての「頑固な部分は何か?」が、きっと日本では見にくい部分かと想像します。したがってミラノサローネを見る際の参考として、ぼくの印象を書いておきます。

それは次の点です。

欧州でのHuman Centered Designという概念が、米国でUser Centered Designとなったとき、日本語に訳した時の「人間中心設計」と「ユーザー中心設計」における差以上に、HumanとUserの間に差があるという認識になかなか思い至らないだろうと思います。ぼくもこのブログをはじめた頃から書いていると記憶しているのですが、国際規格を決めるミーティングの際に、「これによって人の命に影響するのか?」と欧州の参加者が問うのに対して、米国の参加者が「これによってビジネス上の損得はどうなのか?」と聞いてくる違いについて、日本語感覚における「人間」と「ユーザー」では掴み切れていないという気がして仕方がないのです。Humanの言葉が指し示す範囲と価値の優先順位が、人間より広く高いのですが、その差がなかなかみえない。

だから「リラックスへの動向」、「自由度の広がり」、「クラフツマンシップへの絶対的価値観」という話が、イマイチ、表層的なトレンドのレベルでしか把握されていないから、これらのメッセージに基づいたデザインへの理解度が浅いところに留まっているような気がします。これは人間という言葉への理解を言っているのであって、もちろん、どこの国のどの文化が、人間存在に対する理解度が高いと指摘しているわけではありません。きっと日本語における「人間」は、「人間」以外の言葉が補完されることによってHumanの範囲と深さをカバーするのでしょう。

・・・というコンテクストのなかで、今年のはじめに、サンケイビズの連載コラムに書いた「戸外に目を向けたイタリアデザインの新潮流 スタートアップが生み出す」という流れは、ミラノサローネでメインとなっているインテリアデザインの変化を読むに役に立つのではないかと考えています。スタートアップの人たちはMade in Italyの3つの基幹産業(インテリア、ファッション、食)からどう離れ、どう過去の遺産を活用するかを試行錯誤しているのです。それを前回書いた3つのキーワード、「意味のイノベーション」「メイド・イン・イタリーの存在感」「アルティジャナーレ」という視点でどのように解釈していくか、これが今年のサローネで注目しているテーマです。

 

Category: ミラノサローネ2017 | Author 安西 洋之  | 
Date:17/3/26

ミラノサローネについて書き始めて10年目になりました。いやはや、という感じです。昨年、かなり熱っぽくデザインマネジメントやイタリア企業について書いたのですが、その結果(といういべきか)、1年を経てこの4月にデザインマネジメントの本が出ることになりました。ゲラのチェック段階です。立命館大学経営学部でデザインマネジメントを教えている八重樫文さんとの共著です。彼と出会ってから、ぼくは立命館大学経営学部デザインマネジメントラボの客員研究員という立場になったのですが、この立場云々というより、デザインマネジメントをアカデミックにどう語っているかをよく知るようになります。なるほどねぇ、と視界が広がりました。それでぼくは世界のデザインにおけるトップランナーであった(過去形!この理由は本を読んでください)イタリアデザインの歴史を書き、欧州委員会が進めている中小企業向けデザイン研修の背景や内容を書き、日本の中堅以下の企業がどうイノベーションを起こすか、について書いたわけです。八重樫さんは、デザインマネジメントのアカデミックな研究の動向やアートをどう経営に使うか、というパートを書いています。デザイン思考の得意な点と不得意の部分の切り分けとか、もです。

それと並行して、来年出すイタリア企業の経営の本の元ネタという前提で、月刊経営雑誌の連載原稿を数か月分書きためています。イタリア企業が規模と比較すると存在感があるのはなぜか?と言う疑問に焦点をあてています。この疑問への答えは上述のデザインマネジメントの話と深く絡んでいるので、来月出す本の「延長戦」という色合いもあります。ぼくはこれまで本は、あまりイタリアを中心にせず欧州をテーマにしてきたのですが、今回、はじめて真正面からイタリアに向き合います(『イタリアで、福島は。』という本は出していますが)。それとイタリア人の書いたデザインマネジメントの本の解説の原稿を今、書いていて、つまりは「デザインマネジメント(特に意味のイノベーション)」と「イタリア(特にメイド・イン・イタリーの存在感)」の2つのキーワードが頭の中に満ちている状況となっています。

この2つのキーワードが頭の中にあるのは昨年の4月も変わらないのですが、新たに「アルティジャナーレ」がキーワードに追加されたのが、この1年の大きな変化です。ぼくは、この言葉をずいぶんと避けてきました。簡単にいうと自分のビジネスにはなりえないことが多すぎ、しかし想いは強い人が多く、かつこの伝統は伝承すべきという、べき論が鎮座していることが、ぼくの避けるところでした。まあ精神論も強いし、と。正直にいえば、今現在も、ビジネスとしては触れないように距離をとっています。但し、それは従来の解釈におけるアルティジャナーレであり、現代のビジネスにおける新しい解釈のアルティジャナーレの意味は探るに値する、と考えるようになったのです。特に、アルティジャナーレの右翼的存在である工芸美の巨匠の世界と左翼的な街の靴修理人の世界の中間にある存在をどう量産と組み合わせるか、という点にぼくのテーマがあります。

アルティジャナーレという言葉を使っているのは、職人的というと定義がかなり違ってくるからです。職人というと、どうしても右翼的な位置が強く、聖の空間という匂いが強すぎるのです。そこからはなかなか「中間層のビジネスとの結婚」というテーマにアプローチしづらい。で、色々と本を読んでみると、少なくても欧州においてはクラフツマンシップやアルティジャナーレの定義の再考というのはかなり議論されているのですが、日本の職人論は極めて硬直した定義から脱却せず、しかもその定義の再考が論議されているように見えないのですね。とするならば、今の段階ではアルティジャナーレという言葉を使った方が多くを語れる、と思ったのです。

というわけでありまして、今年は以上の3つのキーワードから見えるミラノサローネというかミラノデザインウィークを語っていきたいなと考えています。ビジネスと文化をテーマとして記事や本を書いてきて、10年ということでもあります。その過程でローカリゼーションをテーマの中心に据えてもきたのですが、ローカルとグローバルの議論もこの10年間でずいぶんと変化してきました。この変化に関しても沢山書いてきた自覚はありますが、まだまだ突っ込みどころはあります。これもテーマの枠に入ります。

*画像はTakashi Honmaさんの展覧会にて

Category: ミラノサローネ2017 | Author 安西 洋之  | 
Date:16/7/25

大学生から社会人になりたての頃、つまりは1970年代末から1980年代半ばくらいまで、三浦半島の先端、油壺によく行きました。ヨットハーバーのシーボニアに出かけたのです。たまにクルーとしてヨットにのり、たまにデートで食事にいく、という感じです。海から眺める周辺の陸の風景が妙に神秘的で、「今度、あのあたりを散策してみたいなあ」と思っていましたが、一度も足を踏み入れたことがありませんでした。まさか、そこが関東地方で稀な源流から河口にかけて丸ごと自然が守られている「奇跡の自然」であるとは、まったく知りませんでした。

ぼくが知らなかったのは当然で、この本の著者である岸由二さんと柳瀬博一さんのお2人が保全活動をスタートされたのが1985年ですから、それまではおふたりも知らない世界だったのです。ただ、そんな近くにある自然の価値をまったく知らなかったのは残念だった、というだけでありません。ぼくが1980年代後半からやや肩入れしていたのが横浜の三菱重工の造船所やその他の跡地をどうするか?という市民運動でした。それが行政から「市民の声は聴きました、はい、おわり」という感じだったところで、敗北感があったのです。その後、あの地域は「みなとみらい」と呼ばれることになりましたが、一方、同じ時期にスタートした岸さんと柳瀬さんの活動が、こうして30年を経て実り、小網代の自然は守られ、多くの人たちが自然を学ぶ場になっている。これは凄いなあ、と心の底から思うのです。

ぼくは1990年からイタリアに生活拠点を移した後、この三浦半島の先端に出かけることは全くありませんでした。確か4-5年くらい前、フェイスブックで柳瀬さんが小網代の自然を守るために、森を暗くしてしまう木や草を刈っていく「休日労働」をしていることを知りました。同時に、岸さんという柳瀬さんの大学時代の恩師の関係にも興味をもちました。柳瀬さんが理系の研究室にいたとか、岸さんがゼミの指導教官だったというのではなく、経済学部の学生が一般教養科目の履修で知った先生と30年もつきあうが続いている。しかも、柳瀬さんの流域や自然災害だけでないさまざまなテーマのフェイスブックの投稿に、岸さんは適切なコメントを書いていらっしゃる。この師弟関係を眺めていて、とても羨ましいとも率直に思っていました。

小網代の苦労と素晴らしさについては、2年前、ほぼ日で柳瀬さんが話されたレクチャーを読んでいましたが、今回、本書を読んで今さらながらに、保全のための絶妙な戦略と着実な実践に唸ります。実は今月初めに東京で柳瀬さんとお酒を呑んだ際(柳瀬さんは喉を傷めて、まともに声が出ない状態でノンアルコールビールだったのですが)、この本をいただき、ミラノに戻ってくる機内で読みました。そこで、なんとも胸がしめつけられるような思いをしたのです。岸さんが初めて小網代を訪ねるまでの経緯です。

岸さんは、かつて関与した自然保護運動から手をひき研究活動に専念していた。どうしても政治的な動きになってしまう自然保護運動から距離をおきたいと考えていたのです。が、人に強く誘われ、やや重い足取りで(のはず)、はじめて小網代を訪ね、この自然の凄さを一目で把握した。それが、1984年11月18日であったというのです。実際の活動をスタートされる前年です。岸さんにそれまでの10年以上の流域生態系の「思索と思い入れ」があったがために、30代後半のある日、大きな実践の場を得たわけです。それを大学できっと熱い思いで語り、学生であった柳瀬さんが惹かれていったのでしょう。

安易に政治家に頼らず(どうしても、そういう誘惑が多いのです)、反対運動ではなくより包括的な提案を柱に、社会全体が合意する範囲と方向の見込みを読み間違えずに活動を続けてこれたのは、岸さんと柳瀬さんの「社会理解度」が抜群に高かったからだろう、と考えました。もちろん、「自然理解度」とセットになっているからこそですが、「自然理解度」だけではこういう「大人の成熟度」を感じるプロジェクトにならなかったでしょう。(だから、ぼくは自分の青臭い時代をフラッシュバックさせられる羽目になる・・・・)。

8月、小網代の森に行きたいと思っています。やっとのやっと、青臭さの整理もかねて 笑。

 

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