Date:12/1/11

ローカリゼーションマップの勉強会をスタートしたのが2010年の3月。1年目6回、2年目6回と偶然にも同数の実施でした。昨年最後は「インフォグラフィックにみる文化差」でした。

2012年は13回目の勉強会で幕開けです。今年も6回実施を目標にスタートです。

参加希望者は、anzai.hiroyuki(アットマーク)gmail.com かt2taro(アットーマーク)tn-design.com までお知らせください。議論に積極的に参加していただける方、本研究会の今後の活動に貢献していただける方、大歓迎です。内容に一部変更になる可能性がありますが、その際は、ご了承ください。場所はいつもと同じく、六本木アクシスビル内のJIDA事務局(http://www.jida.or.jp/outline/)です。

2月25日(土)16:00-18:00 「アーカイブの時代変遷と地域差異」

かつて資料保存には努力が必要でした。とくにスペースとの戦いがあり、それだけのコストをかけて物理的に資料を保存する意味があるのかを常に自問しながら自らと人を説得していく必要がありました。が、時が経過し保存された資料の意味が「浮上」してくるものです。歴史はこうして作られてきました。つまりアーカイブの価値を知ることは、歴史に評価されることを念頭におくことにほかなりません。国によって違うジャンルの博物館があるのも、その点からみると興味深いです。

一方、多くの情報がデジタルで保存できるようになり、特にクラウド上に情報が存在するとき、今までのようなコスト計算が不要-話をシンプルにすればーになりました。アーカイブはあるシステムにのれば「意図的にではなく無意識」にできるようになりました。Tweetして失敗したと思った記述を自らのタイムラインから消去しても、アーカイブシステムがおせっかいにもデータを守ります。フェイスブックを利用してライフログを自動的に作れるようになりました。

ここにアーカイブに関する考え方の変遷や地域文化による差異を探索していく意義があります。

どこか新しい国に出かけるとスーパーに入り生活者の日常を探ることを楽しみとする人は多いでしょう。しかし、そうして世界中のミルクを買い集めてパッケージデザインなどから社会分析する人はそんなに多くありません。しかもスーパーだけでなく、郵便局や病院にも出かけてシステムを観察し、その国の文化や社会の特徴を知ろうとする人はさらに珍しいです。

その珍しい人が柳本浩市さんです。縄文時代からのー古今東西ーさまざまなアイテムをコレクター以上のコレクションをもちながら「ぼくはコレクターじゃないんです。これだけモノを集めていて、こういうのもなんだけど、ぼくはモノの周辺に興味があるんです」と語る人です。アーカイブの意味をリアルに語っていただくなら、この柳本さんをおいていないでしょう。

参加定員数:20名
参加費:1500円(18:00-20:00の懇親会参加費を含む)

講師:柳本 浩市(やなぎもと こういち)

今回のテーマにあわせ、検索で出てくる柳本さんのプロフィールを掲載します。

→Twitter での自己紹介
@metaboyana  リアル中西という次世代型飲み会主宰。過去の情報や物を貧欲に収集し、そこから見える歴史背景や社会性と心理を読み解き、将来の商品開発や教育、戦略を企てる仕事。つまり考古学や社会学のような研究を実ビジネスやリアルライフスタイルに繋げる仕事をやってます。

→「Openers」で柳本さんの連載でのインタビュアー紹介

http://openers.jp/interior_exterior/yanagimoto_kouichi/index.html

オンラインブックストアで『Design=Social』の著者紹介

歴史に名を残したデザイナー、メーカー、ブランド、デザイン形態……。エアラインや北欧ブームの仕掛け人でもあり、現在はKDDIなどのデザインアドバイザーも務める柳本浩市氏が、その成功の背景にある理由を紐解きます。そこから見えてくる未来のデザインのあり方とは!?

→ぼくが「『Design=Social』を読む」で書いた柳本さん紹介

http://milano.metrocs.jp/archives/3589

 

尚、フェイスブックのページ(下記)でもローカリゼーションマップの最新情報を提供していきますので、このページを「いいね!」に入れておいてください現在、1335人の方にフォローいただいています。

http://www.facebook.com/localizationmap

 

冒頭のドローイングについて

Image drawing for the exhibition “Winter Garden” © 2012 Satoshi Hirose All Rights Reserved.

ローマのGalleria Maria Grazia Del Prete (1月23日から3月24日)にて作品が展示されます。9年間に作家自ら消費したペットボトルのキャップに小麦粉を流し込み島を作りました。台座の側面に小さなくぼみがあり、そこに金の豆がおかれています。ある日常的に使われるものを通じ、具体的な概念が時と文脈によって変貌していくことを可視化しています。今回の勉強会とのテーマと非常に近いと思い、ご紹介することにしました。作品の写真を1月23日以降に掲載します。

 

 

Date:12/1/10

ミラノサローネを題材としたシリーズも5年目を迎えることになりました。ミラノサローネに関心のある多くの人に読まれているようで、見学している方だけでなく参加している方からも「読んでますよ」と言われることが珍しくありません。その場合、「ちょっと辛口ですみませんね」と話すと「いや、指摘されたことは分かります。ただ、なかなか社内事情でそういかなくて、私も困っているんです」という答えが返ってきます。ぼくも社内事情がどんなものかは想像がつくので、ご本人が忸怩たる思いであるのは理解でき、どうしたものかと考えます。

そういうこともあって、昨年は日経ビジネスオンラインの連載で「世界で注目するデザインイベントで東芝とパナソニック電工の評価は?ミラノサローネで失敗しないために」を書きました。幹部の方にも日本企業の弱点がどうサローネで露呈しているか、そのサローネの位置づけはどういうことになっているのか、これら知っていただきたいと思ったからです。対策のポイントは以下です。

日本では「共感」とは五感レベルのみで語られやすいため、アート的インスタレーションや曖昧な言葉の「フィロソフィー」へと向かってしまうのだろう。し かし、「共感」を得るためのもっともユニバーサルツールは、論理的なコンセプトであることを忘れてはいけない。語る相手の頭の中が見えるようなプレゼンに 人は納得し、そこで獲得した「共感」は根強く印象に残る。枯葉のように飛んでいかない。今、ソーシャルメディアを通じて、こうしたコンセプトをあらゆるア ングルから伝えることが可能な環境がある。これを使わない手はない。

 

現在、ぼく自身は日本とイタリアの学生たちと、あるコンセプトを4月サローネ時にプレゼンテーションすることを話し合っています。学生が主体ですから裏方です。去年10月からスタートさせたプロジェクトですが、東京でのキックオフミーティングのとき、雲をつかむような話で本当に半年後にミラノで何かできるのか?と学生たちは疑心暗鬼でした。裏方にはいる社会人たちのほうが「なんとかなる」と気楽に構えていたのが対照的です。それから約3か月。まだカタチになっていませんが、紆余曲折しながら前進しています。それこそ、なんとかなるでしょう。基本は記事で書いた上述の点を外さないことだと考えています。2月か3月になったら、このブログでも進捗をチョロチョロと漏らしていきます。

この1年、強く実感していることがあります。社会的起業と別枠としてジャンル分けされてきたことが、日本でも「ヤワ」ではなくなりつつあり、じょじょにハードな経済活動のなかに組み込まれていく環境が整ってきたことです。「ヤワ」なことにイタリアに来る20年以上前から関心が強かったぼくは、できるだけその考え方を枠の中に入れながら、「ヤワ」にカテゴライズされない工夫をしてきました。ローカリゼーションマップは文化理解がビジネス的に有用である時代ーいつだって有用だったのですが、それを言い出すにはタイミングが必要だったーになってきたとの認識ではじめた活動ですが、それでも社会的活動と自ら名乗るグループとは距離をおいてきました。

しかし、そろそろこの距離を短くしてよいかなと思い始めてきました。もともと心情的には共感しながら意図的に距離をもっていたので、「短くしてもよいかな」という表現がマッチします。その「短くしてもいいかな」が社会的イノベーションを考える学生たちの活動との接点になったと言ってよいかと思います。実際、サローネを利用して社会問題を提起することは文脈としてフィットしています。よって今年の「ミラノサローネ2012」は、この領域にもスポットをあてて書いていこうと思います。

 

 

 

Date:12/1/5

この正月、日本人の友人と酒を飲みながら話題がイタリアの教育とアートのアーカイブになりました。イタリアの学校で重視されるのは口頭試問です。テーマに対して定義の設定から論理を構築していく力が試されます。どこかにある正解をなぞるのではなく、ある問題に対して自分なりの解釈をほどこすことが求められるわけです。それを書くのではなく話す。これが小学生の段階から徹底されています。一方アートの世界におけるアーカイブとは、批評空間に存在感があるという意味合いの話です。図書館でアート作品を検索すると、日本とは比較にならない桁の数で批評文が一つの作品について出てきます。よって、批評コンテクストでの位置づけを前提に作品を構想する訓練を作家は重ねることになります。

「自分の解釈を作る」という基盤があるから批評空間に存在感があると言えますが、時とともに生き残れる作品こそに価値があるという考えが強いので、批評の量と変遷にウエイトが置かれるのではないかと思います。言ってみれば、そこに石があること自身にさほど意味があるのではなく、そこになぜ石が置かれ、どのような年月をもって石が人に見られ、その石が何十年後にどのような価値をもつかが記述される・・・・マーケットを構成するシステムが「言葉が不要な感動」のみによって成立していないのです。

考えてみると人の人生も同じです。生きてきたプロセスを記録に残すことがセルフブランディングになります。年末から正月にかけ、少なからぬ人たちがフェイスブックに自分の幼少や青年時代の写真をアップさせていました。当たり障りのない話題提供や年の変わり目に過去に思いを馳せるという動機なのでしょうが、タイムラインに揺れ動く自身の姿の背景を知っておいてもらいたいとの欲求の表れなのだろうとも想像します。自分は身長が1.何メートルで体重が何十キロで過去現在の名の知れた人の顔に似ているかどうかではなく、世界で有史以来唯一である自分の生まれた瞬間からの営みの数々にしかーしか!-証がない。それは過去の誰とも同じではないし、将来、同じ人が出現することはありえない。人は「時」によってアリバイを獲得する存在なのです。

日記は自叙伝にまさり、自叙伝は作家が書いた伝記にまさるのは、その瞬間のありようは本人が一番の証言者だからです。これまで名の知れた人のライフヒストリーが評価されたのは、その人の世間的に認められた実績ゆえでありましたが、実は世間的に認められるシステムに入る「通行手形」をたまたま手にした幸運によるとの側面がなかったわけではありません。「通行手形」の入手が相対的に容易になった現在、何に対する証言者であるかがより問われます。ネットのおかげで証言者という地位はほぼ平等に与えられるのであれば、どこに証言者として立ち会うかがポイントになります。ゆえに、その点について意識をさらに高めることが自己肯定の契機になるとの理屈が幅を利かしそうです。証言者とは状況定義と解釈を開陳できる存在ですから、当然ながら、与えられた地位を十全に使いこなせるかどうかは別の問題としてあります。

やったことの結果もさることながら、どんな天気の時に、どんな道を辿っているかがセルフブランディングの肝になるわけです。ただし、初夏の暖かい日のヴェネツィアで昼寝をするのではなく、晩秋の霧の濃い海上でヴェネツィアへの足止めを食うことが証言者の生き方として重みがありそうで、実はそうではない。あまりに平凡な日常的な風景のなかで証言者であるー日曜日午後のイトーヨーカ堂の下着売り場で世界を語るーほうが存在感があるかもしれないのです。

文章の結を急ぐためにやや飛躍を許してもらえるなら、「今に生きる」ことが、かつてと比較にならないほど自己アイデンティティとブランディングのために重みを増していると考えてしかるべきです。無駄にできる時間はなにもないのですーいや、すべての時間はあなたが思う以上に価値がある。しかし、だから息苦しくなるのではない。逆に、だから開放された気持ちになるにはどうすればいいか?と考える人がー社会経済的に激しく揺さぶられるー2012年を生き残れるでしょう。

 

 

 

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