Date:11/2/13

昨晩、イタリア人宅に10人が集まり、寿司パーティをやりました。手巻き寿司です。寿司をそれなりの頻度で食べている人たちです。そこで、それぞれの具のなくなり具合を観察していて分かったこと。それは、結局のところ、寿司飯そのものがイタリア人にとっての発見であったということです。イタリアにも酢を使った白米はありますが、それだけではなく、そこに甘い砂糖の味がある。そこに新味があります。まず、具は何を用意したかを書きましょう。

まぐろ、さけ、すずき、エビ(生ではない)

きゅうり、ルーコラ、ねぎ、アボガド

ツナのマヨネーズ和え、甘辛いオイルサーディン

ハム、ウィンナー、たまご、かにかま

この上記で、まず生魚ですが、はけのよかった生魚は、さけ→まぐろです。すずきは若干遅かった。やはり白身は味が薄い。しかし、このさけ、まぐろも、ツナやオイルサーディンほどのスピードではなくなっていかないのです。即ち、生魚が好きだといいながら、手は正直に自分たちのより馴れたものをとります。だから、さけの次にまぐろです。生魚を受け入れるキャパが、これでみえてきます。そこから、逆に、冒頭でのべた、寿司とは酢飯を言うのであるという結論が出ます。その証拠に、ほとんどの人たちが、「このご飯は美味しい」と何度も語り合っていました。

ウィキペディアで寿司は次のように書かれています。

寿司(すし、鮨、鮓、寿斗[1]、寿し、壽司)と呼ばれる食品は、酢飯と主に魚介類を組み合わせた日本料理である。

そして、酢飯はこうです。

酢飯(すめし)は、主に寿司で使われる、糖分で調味されたである。独特の風味の他、保存性に優れる点が利点として挙げられる。寿司飯(すしめし)とも呼ばれる。寿司屋でシャリ(寿司用語参照)と言った場合には酢飯のことを指し、これは寿司種と同等以上に特徴や寿司職人の差が出る。

そこでもう一度、寿司の項から引用すると、寿司の海外普及について、以下の記述があります。

世界各地のスシ・レストランには中国人や韓国人など日本人以外の経営・調理によるものが増加し、日本人による寿司店の割合は10パーセント以下とまで言われるほど減少している[45]。 そのため、日本の伝統的な寿司の調理法から大きく飛躍(あるいは逸脱)した調理法の料理までもが「スシ」として販売されるようになった。酢をあわせていな い飯に魚や中国料理を乗せて「スシ」だと称するところまである

この寿司の決定打とされる酢飯を発見し、自由に自分で寿司を作っていいんだと分かった人たちが、カリフォルニア巻きにあったように、自分になじみで口に入りやすい寿司を試していくとき、写真にあるようなフルーツ寿司も、大いにアリということになります。ただし、これをもって日本料理における砂糖の使い方が全面的に指示をうけたわけではなく、おせち料理にあるような甘さを受容するには、それなりの距離があると認識すべきでしょう。

Category: イタリア料理と文化 | Author 安西 洋之  | 
Date:11/2/10

昨年の3月よりローカリゼーションマップを、いわば啓発活動として続けてきました。その間に、この実践編をどうすれば良いのかという具体的な相談を随分と受けるようになりました。色々と事情を知るにつれ、これは自分で乗り出すしかないなと思いはじめました。そこで今までの啓発活動にプラスして、「海外市場向け商品開発のサポート」に特化したビジネスを私自身の会社(モバイルクルーズ株式会社)でぼちぼちとスタートすることにしました。はい、ぼちぼちです。現在準備進行中の話ですが、どんなことを考えているか、メモしておきます。まず、全体のビジネスのフローのなかで、どういうポイントに絞るかという問題があります。それが以下です。

事業企画から販売までのプロセスでそれぞれに問題はあるが言葉で記述されたプランをクリエイティブ領域に落とし込む間に大きなギャップが生じやすい。例えば、メーカーでいえば何の商品を作ろうーケータイではなくスマートフォンでいこう。内燃機関ではなくEVでいこうと方針を決める。それをコンテンツを含めどういうカタチにもっていけばよいのか。そこに右往左往があり話の蒸し返しがある。結果、当初の事業プランで思い描いていた青写真を覆すことが往々にしてある。

これは事業プランを策定する人間の一方的な説明不足ではなく、かといってクリエイティブ側の途方にくれた理解不足でもない。両者を連携する成熟した共通言語が準備されていないからだ。この言葉による説明で、実際に次のステップに、どういうビジュアル的イメージがあるのかがお互いに見えないのだ。「よし、それではインド市場向けの商品開発をしよう!」が、デザイン言語レベルで何を意味するのかが分析的に説明できない

事業企画とクリエイティブ領域の間のブリッジ役を演じる

これが全体の位置づけです。これで何をやるか?です。日本の企業の現状を見据えて語ると、以下の方向がみえてきます。国内市場での伸びが期待できず、海外市場に活路を見出そうとしているにも関わらず、このような弱点があります。

現在、多くの日本のメーカーは商品企画上の以下の問題を抱える。

1)国内向けに開発した商品を海外向けにどうローカリゼーションを施せば良いのか、あるいはローカリゼーションする必要があるのかないのかを自信をもって語れない。

2)ローカライズを不要とするグローバルに通用する商品を作るためのナレッジベースがない。

ローカリゼーションという言葉が翻訳やソフトウェアの領域で「業界用語」として通用するが、ハードウェアの商品企画の上流での一般的な概念となっていない。1)2)の解決が容易に図られにくい状況は、そうした概念の欠如と大いに関係があると思う。そして上段で述べた、事業計画とクリエイティブのディスコミュニケーションが背後にある要因だ。本ビジネスアイデアでは、顧客企業が海外市場で勝負していくにあたっての必須科目として、この二点に明確なロードマップを示して実行のアシストをしていく。


キーワードはローカリゼーションマップとデザイン

絞り込むと、こんなところです。で、こんな内容のフライヤーを中林さんと一緒にPDF版で作りました。

日経ビジネスオンラインで連載している「異文化市場で売るためのものづくりガイドーローカリゼーションマップ」の著者が、実際のサポートに乗り出します。

海外での会社の登記の仕方は人づてながら、それなりに何処に相談にいけば良いか勘がついたりするものです。でも、肝心の売るための商品開発をどうすれば良いのか。案外、相談相手がいないもの。現地に住んでいる知り合いの4-5人に「どう思う?」と聞いても、「いやあ、分からないなあ、その分野じゃないし」ということが多いものです。検索エンジンやSNSもイマイチ不十分。

「ローカリゼーションマップ」の執筆者はセミナーや勉強会を通じ、「こんなにも、ポイントの押さえ方が分からず、海外進出に右往左往しているんだ!」と知りました。そこで、これまでの自分たちの経験やネットワークをフル活用し、海外向け商品開発に特化したサポートを始めることにしました。市場リサーチを行う、エキスパートの意見を集める、ローカリゼーションで考えるべき点を抽出する、それらの結果に基づいて企画をたてる、そして商品レンダリングからプロトタイプまで落とし込む・・・このあたりのプロセスなら、自転車に軽快に乗るようにできます。まずは、お話を伺いましょう。そして、お手伝いできる内容について一緒に相談しましょう。

これを、またぱらぱらとメールで配布をはじめ、こういう意思があるんだよという第一声をあげました。すると、「いや、もう少しキャッチーな書き出しの方がいいんじゃない?」という意見をもらったり、「このPDFをどっかに格納しておいてくれない?」と言われたり。それで、フェイスブックのファンページを作り、そこのURLからダウンロードしてもらうということにしようと思ったり・・・。なにか、あんまり堅苦しいのも嫌だし、このソーシャルメディアの時代、ホームページを作成することに時間をかけるより、β版的取り組みで「途中経過」を表に出していったほうが都合がいいし、気分にフィットするというわけです。


Date:11/2/8

よく日本の「おもてなし」のサービスが話題になります。きめの細かいところまで神経が行き届くことを指します。一方で、タイのホスピタリティの質の高さもよく語られるところです。たとえば、マンダリン・オリエンタル・バンコクについてウィキペディに次のような記述があります。

「1人の宿泊客に対して4人のスタッフがついている」と称されている程の、タイ風のきめ細やかなサービスが世界的に高い評価を受けており、そのサービスは、インスティテューショナル・インベスター誌やコンデナスト・トラベラー誌などの権威ある雑誌による調査で常に世界のトップクラスに選ばれている。

ぼくは残念ながら、このホテルに泊まったことがありません。でも、タイに二度旅した経験から、タイ風のきめ細かいサービスがどんな点を言っているのか、なんとなく分かるような気がします。やはり、客の欲することへの想像力が優れているのでしょう。日本の「おもてなし」が独自なスタイルを伴い、そのスタイルがそれなりに評価もされているなかで、日本の「おもてなし」に欠けていることがあるとしたら、なんだろうとも思います。いや、ぼくは日本のホテルや旅館のサービスが、世界レベルの調査のなかでどう評価されているか知りませんが、ぼく自身が日本で気になることがあります。

ぼくが、日本でこの15年近く定宿にしてきたホテルは、常時ロビーに沢山のスタッフを配置していました。アシスタントマネージャーも必ずいて、ぼくはそれらの人とほぼ顔なじみであったと言って良いでしょう。そして滞在中、何度もロビーを通過します。したがって、何度も顔をあわせます。で、気がつくのは、たまに客を見なかったフリをするスタッフがいるのです。目での挨拶を避けるための本能的な動作です。彼らも、実際に話せば、まったく普通に話すサービスマンです。しかし、一瞬、怠惰になるのです。躊躇ではなく怠惰。それはきっと目で挨拶することが、DNAのなかに組み込まれていないからではないかと思うほどです。

イタリアのホテルでサービスマンが客を無視するなら、それは堂々と無視をしている。頭にくるほどに無視する。中国料理屋に入って中国人のウエイターにも無視されることがある。でも、それは日本のホテルで味わう、あの一瞬の怠惰とはどうも違うのです。挨拶すべきと任じているからこそ、怠惰になる一瞬。そこで、あれか?と思い出します。イタリアの0歳児からのあまりの人懐っこさ、です。道端で公園で出会う赤ん坊たちの何ともいえない笑顔。日本の赤ん坊と決定的に違う微妙な差が、あの人懐っこさにあると考えているとき、タイの赤ん坊はどうなんだろうか・・・と思いました。他人を目にしたとき、一瞬、腰をひくようなことが、タイの赤ん坊には少ないのだろうか・・・とするなら、マンダリン・オリエンタル・バンコクの評価の高さがよく分かります

Category: その他 | Author 安西 洋之  |