須賀敦子のいずれかのエッセーに、ミラノの鉄道の向こうは別の世界であるという表現があったと思います。大聖堂を中心にした同心円でいくつかの環状道路があり、その輪を外に行けばいくほど、いわば「正統的歴史資産」から遠のいていきます。トルトーナ地区もその外円にあたりますが、古い工房や街並みと大きな倉庫や工場との混在するところに新しい開発が行われています。トルトーナは中心とは違うけれど、運河も近くにあり、昔から「目をつけられていたゾーン」です。この時の変遷のなかで、外円のさまざまなゾーンにおいて、今までミラノ市内では見ることのなかった、ロンドンやベルリンにあるような建物が建ち始めています。一方、中心に近いところでは高層ビルが建築中で、風景が変わりつつあります。

前述したように、どこの地域にも比較的共通するのは、何らかの「工業的遺産」はあったところです。ボビーザにあるポリテクニコやトリエンナーレ周辺もそうです。大きな空間を支える骨格はあった場所が再生され、それと一緒に新しい骨組みができていくという具合です。昨年からトルトーナやブレラなどと並んでプロモートをスタートさせたのがランブラーテで、冒頭の言葉を使えば「線路の向こう」になります。線路の手前にはポリテクニコがあり「正統性」があったところですが、「向こう側」は中心地と直接結ぶ文脈があまりなかった場所です。だからなのか、このランブラーテ地区は「イタリアデザインの出口」ではなく、「外国デザインの入り口」という役割を、このフオーリサローネで果たしはじめました。

実際、出展のトップはオランダ勢で、英国、ベルギー・・・とあり、イタリア勢は半数以下です。オランダのグループがこれまでのフオーリサローネのオーガナイズ経験をもとに、このゾーンのキーパーソンと組んだところに端緒があるようですから、合点がいきます。オランダ人同士が「ボンジョルノ」と挨拶しあって笑っている風景が象徴的です。このゾーンが充実したため、コルソ・ガリバルディやコルソ・コモ周辺に出ていた外国勢がいなくなったのだろうと想像されます。これが新しいイタリアデザインのコンテクストを(インターナショナルデザインというタームで)形成するのか、あくまでもコンテクストと分離されたままで続くのかは注目するところです。文脈に入ればブレラあたりに「出世」するのではないかという考え方もありますが、これは個々のデザインの競争力の面だけでなく、都市計画全体の文脈にも依存するところが大きいのではないかとも思います。

ぼくなりにこのようなバックグランド理解で歩いていると、「これは入り口を通過するかな?」「これは入り口を通過することを目的としていないな」という見方をしている自分に気づきます。「いや、そういう見方ばかりじゃあつまらない」と、頭を振って別の観点で見ようとしたりします。エコロジーやサステナビリティという言葉の次の掘り下げが必要になってきたと(17)で書きましたが、オランダのように、こういう言葉に熱心なところでも、次のステップに入ってきたなという感をもちます。

ひょいと覗いてなかなか刺激的なのは、ヒットラー、毛沢東、スターリン、ニクソンという世界で物議をおこしたリーダーたちが使ったデスクの再現です。同じ部屋にそれぞれのデスクの高さを同じにしてグレーにしています。ここで重要な書類にサインされ、それで多くの命が戦場などに送られたというわけです。「ニクソン以外に米国大統領を槍玉にあげないの?」と聞くと、何人かの大統領が同じデスクを使ったことがあり、選択が難しかったと言います。こういうリーダーたちの政治と日常性を斬っており、このあたりに突っ込み方がまだあったかと、デザイナー本人の顔を見つめながら感心しました。トリエンナーレでみた便器のオブジェと通じるロジックかと思います。

今回、一つ気になっていたテーマに、ある二つのものを融合させるのではなく、二つをそのまま出すことへのロジックがありました。サテリテでドイツ人の女性がデザインした2つの様式を一つにした椅子をみて、ひっかかるものがありました。デザイナーズブロックでオランダの女性がアンティークの家具に新しいデザインを加えて一緒にするというコンセプトを披露していて、やはり気になりました。ヨーロッパの建築インテリアなどで、古い壁にコンテンポラリーなデザインを施して両立させるのは別に珍しいことではありません。しかし、この二人が望んでいるのは、「古いものを生かして」「新旧のコンビの妙」ということではなく、2つの一方を切り捨てずに常に2つの成立を目指すことのように思えました。これは思考傾向の一つの変化ー西洋では選択への判断が尊重されてきたーが、ここにはあるのではないかと想像します。”OR”から”AND”への移行の視覚化でしょうか。

ランブラーテからボビザのトリエンナーレに行き、アンドレア・ブランツィやデ・ルッキの作品を見ました。特に好きなデザイナーではないのですが、静かな空間でデザインとアートに思いを馳せるにはちょうどよく、スケジュールをみて「アートと科学」をテーマに論じ合う日があったのを知り、そういえば今年のサローネは、デザインをまっとうに論じるようなシーンをあまり見かけなかったな・・・と思いました。センピオーネのトリエンナーレや王宮あるいはコルソ・コモ10といった、動向を鳥瞰的にみせてきた場所が、今年そういう役割を明確には演じておらず、これはやはりリーマンショック以降の「仕込み不足」がジワジワと出てきたのかと思います。1995年頃、パリのモーターショーに出かけたとき、日本車がメタメタでした。90年のバブル崩壊後の開発費の削減が、時差で見えてきたのです。あの情景を、今回のサローネを眺めていて思い起こしました。

最後に、今回みたなかで印象に残った日本人デザイナーの作品を2つ。サテリテにでていた田村(Nao Tamura) さん(http://nownao.com/)。システム全体のコンセプトを構築しながら、それを詩的に表現している。考えのプロセスがしっかりしていることがいいなと思いました。もう一人は、デザイナーズブロックに出展していた茨木千香子さんの書棚。視点が全体から迫った結果のデザインであるような気がします。インテリアデザイナーと伺って、なるほどと思いました。

さて、来週掲載する日経ビジネスオンライン『新ローカリゼーションマップ』は、このサローネをテーマにします。どのアングルから書くか?ただいま思案中!

ミラノのチャイナタウンの歴史は1920年代に遡ります。シルクの製造に中国人がこの地域で関わり始めたのが契機のようですが、この地域、もともとかなりシックな建物が並ぶ住宅地でもあります。このチャイナタウンが世界の他のそれと違うのは、店舗や人通りだけをみると住民の大半が中国人のような錯覚をうけますが、実際の居住者はあいからわずイタリア人が主流という点です。この10数年、路面店を小売りだけでなく卸業者が占めはじめ、荷物の積み下ろしのための作業で渋滞が生じる、地域住民が享受できないサービスが増加したなどが問題点として指摘されるようになりました。

このチャイナタウンが、また変化しつつあります。中国人の世代交代で一目では中国人経営とは判別しずらいイタリアのセンスに同化した店が増え、そこにはお洒落な若い世代が店番をしています。市が街の一部を歩行者専用道路にして、イタリア人も通りに戻りつつあります。最近、イタリア人の知人もこのゾーンにカフェをオープンさせました。変貌の兆しを感じ取った人たちが行動を開始させています。このチャイナタウンを写真とモノで表現した展覧会を、この地域と隣り合わせのファブリカ・デル・ヴァポーレで見ました。ファッションを学ぶ学生たちの報告です。中国で生産したモノ、イタリアでデザインされ中国で生産されたもの、純イタリアの食品・・・が並んでいます。このように客観的にチャイナタウンを分析しはじめた点から、イタリアにおける中国人社会への見る眼が違ってきていることに気がつきます。

今年のサローネを散策しながら思うのは、どこかの地域をモチーフするだけでなく、どこかの地域のマーケットを対象とすることを前面に出すデザインが大幅に減少したことです。アフリカのエスニックではなく、中国へのラブコールではなく、地域性がないというより、むしろ欧州の市場の文脈がメインストリームであることを確認させるような内容です。これは他地域での関心が薄れたということではなく(実際、アジア諸国とアフリカの市場開拓に熱心なビジネスマンは増えている)、リーマンショック後の「仕込みの減少」や「余裕のなさ」が、このような現象を招いているのではないかと感じます。

そのかわりという言葉が良いのか分かりませんが、各国デザインのプロモーションの増加です。昨年だと、ポーランドや北欧諸国などが記憶に残っていますが、今年はベルギーやドイツなどに加え、ポルトガル、タイ、台湾やクロアチアも目に入ってきたのが新鮮です。即ち、世界各国のデザインのプロモーションの場として、ミラノのサローネでの地位は上がっているのだろうと思わせる流れです。従って、先週、ミラノのアートフェアについて触れたように、アートやファッションと三位一体となったとき、ミラノのポジションはかなり圧倒的な強さをもつはずです。それはオランダや英国にはできないことでしょう。ドイツのファッションがそこまで急激にブランドをもつことは無理です。「それだけチャンスがあるのだから、ミラノよ、しっかりせい!」と声をかけたくなる場面も多いのが皮肉です。

昨年、DIYの製品を使い、ユーザーが独自にモデルを作れるマニュアルのオープンソースの普及活動をしているグループの紹介をしましたが、その Recession Design はより活動の場を広げています。本も出版されました。これは文字通り、リーマンショックの経済恐慌後の苦境をどう乗り切るかという発想でスタートしたのですが、当然の進展ながら、災害時の応急手当的なデザインをもカバーする動きとなっています。この活動はBOPの動きとも重なっていくはずで、来年はさらに充実した実績がみれるだろうと思います。

閑話休題・・・で、そのまま、このエントリーおしまい。上は自転車屋さんでみた「消防自転車」。このお店のムードをみると、イタリアが「自転車大国」であることが分かります。かくいうぼくも、自転車で街のフオーリサローネを巡っています。

アートギャラリーの壁は普通、白です。作品の背景に色をつけない。また、白はコンセプトの骨格を見せやすい色でもあります。そういう色だと分かっているのですが、サローネを歩き回っていて、この白がどうにも「古臭く」見えてしまうのはどうしてなのだろうと思いはじめました。(17)で書いたようなカラフルなプラスチックに目が馴れているからなのか?と当初、思いました。しかし、そういう問題とは違うところに理由があるはずだと考えるに至ります。13日、サテリテで山本さんの作品を見たとき、他の多くのデザイナーたちがプロトの量産化に専念しているなかで、アイデアのプレゼンに特化しているのは、とても好感がもてました。

ただ、壁もインスタレーションのマテリアルも全て白いことが、ぼくにはひっかかりました。昨年、同じ場所でモッツァレッラチーズをイメージしたスツールを彼は発表しましたが、その時、ぼくはその白い作品がすっと目に心に入ってきました。でも、上の写真の白には違和感をもちました。山本さんは、このマテリアルを使用する制約条件もあったようですが、コンセプトをよく説明してくれる色であると説明してくれます。それは分かるのですが、どうもぼくは腑に落ちません。なぜ、そういう心境の変化がぼくの内に起こったのだろうと思います。そこで、ふとトリエンナーレでみたオブジェが想起されました。

日常にある西洋的なモノの文脈を解体し、それをインドの文化にフィットさせるオブジェです。西洋にある日常的なモノとは便器です。通常は白い便器が、色と組み合わせで全く違ったコンテクストを作っています。ぼくは、これを見たとき、ローカライズの発想のヒントになるなと思いました。文脈の解体という点に我々はもっと習練すべきではないかを気づかせてくれていると考えたのです。そのうえでの文脈の再構成ではないか、と。白い色でコンセプトを見やすくすると考えるのではなく、白い色が既にバイアスがかかっている色であるということに注視し、その文脈自身を解きほぐすことにまず意味を見出す時代になっているのではないか・・・と、そうぼくは感じ始めたようです(あえて、傍観者的な言い方をしますが)。

この数年、天から光を受けたような印象を与える、上の写真のような表現をあちこちで見ます。このようなインスタレーションが凡庸になっているところで、ここで使う白にも何か痩せ細ったコンセプトと目に映ります。膨張感のあるものに親近性を感じているときに、痩せ細ったごつごつした存在が、まるでダイエット中の禁欲性の象徴のようで、「ご立派だけど、ぼくが今欲しいのはそれじゃないし、世の中には色があるんだから、その条件でコンセプトが成立するのを見たいんだよ」と言いたくなってくるのです。「脆弱なプロトタイプでお腹一杯にしたくないんだ」とも語りたい。だから、オラ・イトのシトロエンの2つのプロトも見方が違ってきます。

これは2010年の”EVO MOBILE”です。これには、ぼくの心はあまり動かない。しかし、今年のUFO(下の写真)には唸ります。1950年代のDSのラインが如何にフューチャリスティックであったかを知らしめ、シトロエンのアイデンティティの強さに感心するのです。

これは白ではない。もちろん、色だけが判断の決定要素ではありませんが、白で表現しようとする発想プロセス自身に、ぼくが何らかの不足感を抱いてしまっていることが、だんだんとわかってきました。

吉岡徳仁が霧が充満するような空間に白い椅子をおいたことにOUT OF DATE な印象を抱いたのは、2005年の石上純也のレクサス展示と似ているからではなく、この白を巡る発想への疑問から発しているのではないかと気づいたのです。
<追記>
2003年、吉岡徳仁がサローネで霧を使ったインスタレーションを発表しているとの指摘を受けたので、そのイメージを以下にご紹介しておきます。
http://www.tokujin.com/art/clouds/