Date:12/7/12

先日、サンケイBIZの連載で「切れ味にこだわる日本の刃物 欧州のナイフとどこがちがうの?」というコラムを書きました。日本の刃物にある切れ味が引き算の美学を作っているのではないかとも指摘したのですが、ぼくが最近よく人前で話題にしながら、このコラムで言及していない点があります。それは1970年代のフランス料理の革新、ヌーヴェル・キュイジーヌの発展に日本の刃物が大いに貢献したに違いないということです。

盛りつけのスタイルをみれば、そう想像するのは素人目にも難しくなさそうです。日本の懐石料理にヒントを得たのは、食材の切り方にも注目したのではないか、と。フランス料理シェフの松嶋啓介さんに聞いたら、1960年代後半にパリの有名シェフは日本の包丁を持っていたようだと確認できました。ですから、コラムで書いた下記の文章にある「現代の生活において」は、家庭料理レベルと限定するのが正確です。

歴史的にみてヨーロッパで刃物に切れ味が日本ほどに求められなかったし、現代の生活において、その要求が明確に高くなってきているということはなさそうだ。しかしながら、一度その切れ味のよさを覚えると、やはり切れ味が良いに越したことはない。

その家庭料理でもそうですが、例えばサラダで人参を使う場合、カットを雑に行います。カッターなどを使うのですが、これは「あえて」雑なのです。ソースがのりやすくなります。それでは和食でもそういう発想をしないのか?という疑問が出ますが、松嶋さんによれば、「刺身をギザギザに切ると醤油がのり過ぎて美味くないんでしょう。素材のうまさを重視する料理では、ソースをのせ過ぎない。一方、素材そのものにあまり重きをおかなかったフランス料理では、ソースで味を作り、それを素材にのせるわけですよ」ということになります。だから、あえて切れるナイフの発達を促さなかったと考えるのが妥当なのか、そこは分かりません。しかし、「切れ」をさほど必要としなかったのは確かなようです。

松嶋さんが「日本では料理人は包丁を使って切るイメージが強いですが、フランス料理のシェフは焼く人です」と語るように、西洋料理とは逆に和食ではかように「切れ」が必要だったのです。

さて、ここで自分で書いていながら(!)、ぼくも良く分からないのは、「一度その切れ味のよさを覚えると、やはり切れ味が良いに越したことはない」という部分です。本当に「良いに越したことはない」のでしょうか?前述したように、ソース重視のケースでは切れ味の良さは邪魔になります。そうではなく、あるモノを切る時にすっと切れることを気持ち良いと思わない人がいるかもしれない・・・という懸念がついてまわるのです。

ヨーロッパでもヘルシーや安全志向で有機野菜や魚料理も増えています。それだけ素材重視に向いています。が、切れ味の良さを経験すれば気持ち良いかもしれないが、わざわざ日本の新しい包丁を買ってスタイルを変えようと決心するに至る人は少ないと考えるのが妥当なのでしょう。コラムで紹介したミラノの刃物専門店でも日本の包丁は人気だし、包丁を日本でお土産に買っていく欧州の友人もいますが、一般的な現象とは言えないでしょう。

もし、あなたが日本の包丁メーカーの海外市場担当であれば、どういう売り込み方法を考えますか?

Date:12/7/5

Made in Me Project の小出真人さんは、高校時代、ファッションなんて大嫌いだったそうです。今も「ファッション大好き」人間ではない。しかし、イタリアのファッションデザインスタジオで働くプロです。コロコロとスタイルが変わるファッションに嫌悪感があったからこそ、長く生きるデザインを自分で生み出したいというテーマを追ってきたのです。ファッションデザイナーは何を考えるか?といえば、「真正面の答えにはならないかもしませんが、アート、経済、ファッションプロダクトの3つの要素とどのような関係をもつかではないでしょうか」と小出さんは話します。

「ファッションであれアートであれ、地続きの同一フィールドにあると思います。実際のプロセスはそれぞれに違いますが、アート、経済、プロダクトの3つとの距離感がぼくのファッションコンセプトの方向性を決めていきます。たとえば、アートは直感、新しい概念、哲学などをリードし前衛需要を生み出すと考えるのですが、ファッションが純粋アートと同じポジションになることはほとんどなく、擬似的であることが多いと言えます」と小出さんのコメントは続きます。 擬似的であればこそ、「擬似アート」と「純粋アート」の位置を明確に捉えないといけないでしょう。何が純粋で何が擬似であるか?を。そして、擬似の正当性も。

その次に、2つ目の経済について触れます。「今、最も売れているのは、服ではなくコンピューターだと思うんですよね。かつて一方的に流れを作っていたステータスというのがなくなってきて、個人をベースにした小さな渦みたいなのが沢山あります。そこでファッションの多様化があるし、逆に多彩なグループのなかでの共通化という方向もあります。一方、もちろん大きな物語もまだあって、中国市場のトレンドがファッションの世界を作っていて、ちょっと日本の80年代バブルに流行ったスタイルと似ているところがあります。この経済・社会の2つの大きな流れを、やっぱり意識せざるをえませんよね」

ここまで小出さんの話を伺う限り、そのフィールドに注意するかの強弱はありますが、ファッションデザイナーにしか見えない特別な現実があるわけではないことが分かります。ただ、アートへの視線が熱い。カーデザイナーもアートへの接近力が強い人は少なくないと思いますが、自分の仕事にダイレクトに入れ込む姿勢がある(許される)とは言えないークルマを「疑似アート」と自ら称することは頻度として少ないはずです。

3つ目にプロダクトです。「考慮すべき点として製品としての完成度、機能性、素材、最終形、服の歴史観などが列挙されますが、アート、経済、ファッションプロダクトの3つの要素のバランスを見極め、到着点、向かうべき方向を明確にすること。こういうことになりますね」 ファッションゆえの固有の事情が何であるかがポイントになってきます。

前回の「デザイナーは手を動かせる必要があるか?」については、こう説明します。「服の構造は理解している方がいいと考えていますが、優秀なデザイナーにとって最重要の項目ではないでしょう。構造に縛られない前提で、プロダクトとしての完成度を高めるためのひとつの要素として認識してます。もし心得がなくても、それを補える人材がいればいいものを作ることは可能だと思います。要するに、デザイナーの仕事自体が大きく変わっているのですね」と小出さん。デザインの意味やデザイナーの役割の変化は、他の分野のデザイナーと同じく、ファッションにおいても進行しています。

「仕立て屋の時代、形は顧客と一緒に決めていくものでした。大量生産の時代になると直接見えない顧客のための展開になります。メディアとの融合やグローバリゼーションで、顧客が遠いがゆえに考えなければいけないことが多くでてきて、全体の方向性を明確にするクリエーティブディレクターといった仕事が必要になってきました。アートや経済社会の動向への目配せが重要になったんですね。特に大きなメゾンなどでは、手を動かす十分な人材とは別に、コンセプトを考えるだけに集中するデザイナーを受け入れる体制ができたのです」

デザイナーはこうあるべきだではなく、こういう新しい役割を果たすべきデザイナーに求められる素養との近似値で「従来型デザイナー」への期待が膨張する、あるいは過小評価されるという状況が生じていると考えられます。分業のあり方が異なり、「現場主義への信仰」が篤い日本でより混乱を生みやすいのは、日経ビジネスオンラインの記事に見るごとくです。

「日本は、職人文化でモノを発想することとモノを作ることが一体になっているように感じます。だから服のデザイナーが絵をかけないとびっくりする。縫製やパターンも出来るのが当然と考える。ぼくは、各項目を総合的に考えることが重要だと思っています。だからといって、アイデアを出す段階で具体的に3つの項目を考えアイデアを出すかというとそうでもないのです。それぞれの考えが自分自身の血と肉になっている状態で、直感的にそれらをふまえたアイデアがでてきます。知識は結局、自分自身のものになっていなければ使えません」

自分で獲得したものをものにしていくとはどういう実感を伴うか、がどの分野であれ分かれば次への成長に自信がもてるようになります。スポーツや音楽などの分野でー10代-20代でもかなりの結果を出せるー活躍する人たちの話す内容に説得性があるのは、「獲得の実感」の集積度が高いからだと思います。話が脱線しましたが、ともあれ、アイデアの練り方のパターンを後に引かない程度の敗北感を伴いながらーもちろんちょっとした勝利感も!-作っていくのが良いのでしょう。

「より良いプロダクトを作るためのコミュニケーションが必要だと考えます。それは、作りたいものによって柔軟に変化する工程であっていいと考えます。デザイナーは最初にコンセプトそのものを説明、デザイン画とともにシルエット、素材の特性等を一点一点説明していく。長く一緒にものを作っていく中でその工程がどんどん省略していっても良いものが出来るようになってきます。だからこそ、最初のスタート時点では、より多くのことを話して伝えておくことが大切だと思います」

そう、備えあれば憂いなし、ということです。パタンナー側は次のように待機していてくれるのですから。

岩井梓さんの言葉です。「私たちは、デザイナーが描いたデザイン画のシルエットを忠実に型紙に落とし込み、立体に仕上げます。その際、重要なことは自分自身が引きたいシルエットではなく、デザイナーが求める意図を読み取り形にすることです。その上で、より良いシルエットに仕上がるよう、パターンの観点から素材の特性に配慮した無理のない形に落とし込んでいきます」

 

 

 

 

Date:12/7/3

先週、日経ビジネスオンラインである記事に目にとまりました。「若者がファッション専門学校に来ない - 教育とビジネス現場の深刻なミスマッチ」です。

昨今、多くのアパレルメーカーが業績不振で採用者数を大幅に減らしている。店頭での販売員は足りないくらいだが、型紙(パターン)やデザインを行う 商品企画部門での社員採用はほとんど無いに等しい。むしろ、パターンやデザインなどの商品企画部門を完全に無くしてしまって社外のOEM(相手先ブランド による生産)やODM(Original design manufacturer、相手先ブランドのデザイン・設計から製造まで請け負うこと)の企業に外注してしまうケースが増えている。

一方、ファッション専門学校ではパターン作りやデザインなど商品企画を重点的に教え、それを学びたい学生が進学してくる場合が多い。当然、企業側との需 給のミスマッチがある。もし、学生がパターン作りやデザインなどの商品企画に属する仕事に就きたいのなら、アパレルではなくOEM/ODM企業や商社の製 品事業部、海外の縫製工場などに就職先を探すべきである。

ファッションそのものへの関心は高いのに、就職先としてのファッション産業の人気はなく、ファッション専門学校にも人が来ないというのです。それはそれとして考えるべき話題なのですが、日本のファッション専門学校の教育が重視する「自分の手で服を作れる」との趣旨を今後も維持するのか、軌道修正していくのか、その点にぼくは興味を惹かれました。

今年、ミラノサローネで多くのデザイナーの考えることがが沸騰点に到達していることが非常に気になりました。そこでプロダクトデザイナーの周辺からプロダクトデザインをみたらどうだろうと思い、ファッションやテキスタイルのデザインに関わっている人たちから「発想のありか」について聞いてきました。それらの一端は「セント・マーティンズ大学について語ろう」「ファッションデザイナー・村田晴信さんに聞く」「ファッションデザイン教育におけるテキスタイル」というエントリーに書いてあります。

ファッションデザイナーの村田さんもテキスタイルデザイナーの今井さんも、お二人とも「日本では手を動かすことを徹底して教えられたけど、イタリアではさ ほど重視されない」と語っていました。英国の教育はさらにその傾向が強まるのは、「セント・マーティンズ大学について語ろう」でも紹介しました。それなのに、日本のファッション業界でさえ、二人が「強み」として語った部分が正当に評価される範囲が狭まる傾向にある、と冒頭の記事を読んで思ったわけです。

パタンナーの岩井梓さんに話しを聞きました。彼女はイタリアやフランスのファッションハウスのコレクション向けパタンナースタジオで働いています。

「例えばシャツの胸ポケットを決めるとき、日本のファッションデザイナーって肩から何センチ、センターから何センチって指定することが多いんですよ。イタリアでは、デザイナーはスケッチに『このあたり』って描くだけで場所をきっちり決める提案はパタンナーの役割なんですよ」と岩井さんは日本とイタリアの比較します。彼女はファッションデザイナーの小出真人さんが推進している Made in ME Project のパートナーですが、小出さんは「基本的に優秀なファッションデザイナーは国を問わず、自分で手を動かすかどうかは別として、服の構造をよく知っています」と語ります。

ファッションデザインを学ぶにあたり、シルエットを立体のカタチに移行させるに構造が分からなくていいわけがない。しかし、「優秀ではない」デザイナーは、構造を考えずに絵を描きます。だから「優秀ではない」とも言えますが、構造が分かっていれば優秀なデザイナーになれるというわけでもありません。パタンナーにポケットの位置を「このあたり」であると実寸ではなく、「位置の意味=そこでなくてはいけない感覚」を伝えられる人がデザイナーを名乗れる資格があるのだと思います

人はどういうプロセスで発想するのでしょうか。フィールドによって異なるのでしょうか。

ファッションデザイナーはシルエットを考えます。そのシルエットは動くため、コンセプトは映像としてイメージしやすいようだと気づきました。それがプロダ クトデザイナーの場合、映像をイメージするのですが、コマ送り的にすることで分析的にカタチのイメージを確定していく傾向があるようです。それではファッ ションも動いたままなのでしょうか?シルエットをカタチにするのはパタンナーという型紙を作る人です。パタンナーの岩井さんに聞いてみたら、やはりプロダクトデザイ ナーと同じく、いったん「一時停止」のボタンを押しているようです。

次回は、ファッションデザイナーは本当に「手を動かす」必要があるかどうか、「一時停止」にはどういう意味があるかなどを考えてみたいと思います。