Date:12/7/23

今週、全く関係のない2つのネット記事を読み、同じことを両端から撫でているように見えました。ひとつは日経ビジネスオンライン・河合薫の新リーダー術「『英語が話せなきゃ・・』子供を不幸にするオトナの無責任な英語至上主義」の100以上の意見が掲載されているコメント欄。もう一つは、「出井伸之x石井裕 日本からは見えていない世界の視点」という対談

まず前者のコメント欄では、英語を介しての外国文化とビジネスの距離がさまざまに語られています。それぞれの実感から書いているのでしょうから、どれが良い悪いとは言えないのですが、どうも英語に囚われているという印象を受けました。「囚われている」というのは、「グローバル時代の英語」という現象への距離感は語るが、その現象そのものへの自分なりの解釈が少ないような気がするのですー限定されたスペースといえど。

後者のお二人は「国境なきボーダーレスに生きている」ことを強調しています。「国境なきボーダーレス」という世界は、共同体が幻想であるのと同じ意味合いにおいて幻想であるとぼくは考えているのですが、彼らが天敵のようにみる世界は、実は前者の100人以上のコメント投稿者が構成している空間ではないかと感じました。

「フラット化したグローバル社会」というのは本当のところイビツだろうと考えます。フラットの象徴たる英語は、英語を母国語をする人たちのなかで落ち着きのないものになっているとぼくは思います。シェイクスピアの英語が第三国人のめちゃくちゃ単純化された英語によって壊滅的になったと嘆く知識層が、同時に「世界のできるだけ多くの人が英語を学習せよ」と非英語圏の人たちの尻を叩いているわけです。なにせ、そのアンビバレンツな言動が自分たちの位置を守ってくれます。でも一方で、彼らは外国語を学ぶ意欲と機会をどんどんと失っていっています。「英語しか」喋れなくなっているのです。

この問題にぼくの友人たちはどう考えているのだろう・・・とふと思い、まずフロリダにいるアメリカ人に聞いてみました。特にEUが奨励する2つ以上の外国語教育をどう見ているのか?と。

欧州の人たちが複数の外国語を使い分けているのは羨ましい。ぼく自身は数か国語を話すけどアメリカ人としては普通じゃない。率直に言うなら、外国語を学ばない怠惰や学校システムを嘆きながら、一方でアメリカの言葉と経済システムが世界のスタンダードになっていることに優越感を抱いている。それなのに何故苦労を買って出る?世界どこでも英語で通じるから外国語を学ぶ動機がないんだよ。

でも、外国語を学ぶ本質は、他の文化圏の人たちと交流することで他の文化をダイレクトに享受することだよね。そういう感性をアメリカ人が失っているんだよ。その点でヨーロッパのシステムと精神性を高く評価している。

一方、小国の意見の代表としてダブリンに住むアイルランド人に質問してみました。

英語が覇権語となっている現象の裏にアングロ中心主義があるのは確かだね。植民地時代以降の国際経済における自らの降格を受け入れがたいとの意向がまだあるね。それがイギリスがEUと歩調を合わせられない大きな理由だと思うよ。そこをアイルランドは英語圏の国として上手くEUに取り入ったわけだ。

言語は思考を規定するわけだから、違った言語ができれば違った思考と文化のバリエーションをもてるってことになるよね。それがヨーロッパ大陸の国の人たちの大きな強みになっているのは明らかだ。思考と精神の柔軟性をキープできると問題の解決能力は高くなるし創造性も増す。ということは英語が不動の地位を築けば築くほど、母国語を英語とする人たちは精神と思考のフレキシビリティが低下し、非英語圏の人たちとの差が増すというパラドックスを生むことになるんだ。

これを読めば分かるように、ボーダーレスになっていると楽観視をするどころか、一見フラットに見える世界にできつつある乖離に注意を向けているのです。言っちゃあ悪いけど、「英語か文化解説者か」と口角泡を飛ばしている暇はありません。

 

 

Date:12/7/15

)の続きです。

ブラインドドローイングで意識下にあるイメージを浮上させるプロセスを踏んだら、一つのレクチャーがイラストレーターからありました。「服をみたら、その服がどういうポーズで一番映えるのか。あるいは、どう映えるようにデザイナーが考えたのか。その点をよく分析してください」と説明。パターンで丸を基調とするなら、腕の曲げ方もそれに沿うはずです。逆にいうならば、ポーズの取り方からデザインの狙いを読み取ることができるといえます。

もう一度、ラインの節節をおさえることを強調します。「服をよく分かったデザイナーの絵はラインのブレイクポイントが増える」わけです。これがちゃんと押さえられているとパタンナーがデザイナーの意図を読解できるのですが、例えばベッタリとしたラインを描くデザイナーの襟は、パタンナーもどう作っていいか分からないと言います。これは基本に戻ると、人間の骨格や筋肉の仕組みに無知なデザイナーは、よいファッションを作れないことを意味します。その点では人物像を描きなれた画家のほうがファッションデザインへの距離が近いかもしれません。さて、いよいよ服のデザインです。テーマは生徒からでました。「ものすごくセクシー!」です。

セクシーさは肌を多くみせることでもいいし、動作への制約を強めることで感じさせるセクシーでも結構。デザイナーの解釈に任せることになりました。最初に何種類かのアイデアを描きだし、最後に一つのアイデアに色をつけて完成という段取りです。このステップで、前述のマルか四角か三角か?のパターンをあらかじめ決めて攻め入るとたくさんの展開例を作りやすいとのアドバイスがあります。また、首を異常に長く見せる、胴体を短く見せる、お尻を大きくみせる・・・などテーマを決めることもアイデアが出やすくなるコツです。コム・デ・ギャルソンの服で腰回りに大きく膨らみがあるデザインがありましたが、「ヒップの位置を上にずらす」というアイデアだったようです。このような特徴も、ファッションデザインの考え方を知っていると、意味が分かります。

「女性デザイナーは実用性に走りやすい」のが女性ファッションのデザインのなかで男性活躍率が高い理由ではないかと雑談しながら、生徒の手の動きを眺めながら「描きながら形容詞を思い浮かべるように!」との注意が飛びます。ブラインドドローイングで得た発想の根元への継続的な刺激が必要なのでしょうか。

ある程度アイデアが出たら最終案の作業です。色鉛筆の色を水で伸ばしながら、シルエットを作っていきます。そして、完成です。以下の上がインテリアデザイナーの描いたものです。下に流れ落ちていくような動きがあります。一方、下はプロダクトデザイナーの作品。

2人とも服のデザイン画を描いたのは初めてです。「2時間でここまできたのは優秀だ」とファシリテーターは評価します。学生を終えたばかりで、職業としてのデザイナーはこれからであるために逆に受容度合が高いのか?とも思いましたが、「高校生の女の子に教えたことがあるけれど、ファッションとはこういうものだという固定概念が強すぎてなかなか良いカタチにならなかった」と彼女の答え。二人の生徒に感想を聞くと、「機能性で方向を決めることが多い、プロダクトデザインより自由度が高いと思う。線のブレイクポイントを増やすというのは、新鮮な経験だった」と一人が語れば、もう一人は「雰囲気やシーンを思い浮かべると、色合いや質感が自ずと決まってくるインテリアのデザインにファッションのポージングは近いのかな」とコメント。

当初の狙いでは「ねっ!プロダクトデザイナーが描くと、こうダサくなるよね!」という指摘をしたかったのですが、惜しくもこの2人に限ってはかないませんでした 苦笑。それでもプロダクトデザイナーが構成要素や機能からものを考える、ユーザビリティを検討するにしても、人の筋肉の動きをここまで見つめていないー人間工学のエキスパートが観察するのとは違うーところに、どうも乖離があるなぁとの印象は受けました。それは「線のブレイクポイント」に焦点をあてることで確認できます。輪郭の美しさではなく、一連の動きにあるポーズで表現されるシルエットに見るべき価値があるークルマもフロントよりバックが重要で、じっと見つめるのではなく一瞬で印象に残ることが大事であろうとー、その視点の違いが身に着かないと、やはりプロダクトデザイナーの描く服はダサいのだろうと思います。

そして、デザイナーではないぼくがあえて言うなら、ブレイクポイントの発想がプロダクト自身を面白くする契機になるのではないか?というテーマはそれなりに顧みるべき点であろうということです。人間自身にどこまで立ち向かうかを含め。

 

Category: イノベーティブ思考 | Author 安西 洋之  | 
Date:12/7/15

プロダクトデザイナーが服をデザインするとダサいなぁと前々から思っていました。なにか硬い。ぎこちない。古い例でいえばカーデザイナーのジュージャロのファッションブランドもスマートさに欠けました。あんなにもかっこいいクルマをデザインしていたのに。ファッションデザイナーとプロダクトデザイナーではコンセプトイメージのつくり方に違いがあり、それが影響しているのかもとも考えました。前者が抱くイメージが「動画」であるのに対し、後者が「コマ送り」という違いが、そこまでの表現差を生む要因があるのでしょうか?それで考えました。ファッションデザイナーがプロダクトデザイナーにファッションの描き方を教えるワークショップをしてみたら、プロダクトデザイナーのダサさの原因が分かるのではないか、と。

今月ミラノのデザイン学校を卒業したばかりの2人に生徒になってもらいました。一人はプロダクト、もう一人はインテリア。ファシリテーターは「セント・マーティンズ大学について語ろう」で紹介したファッションイラストレーターです。2時間で行ったワークショップの内容をメモしてみます。道具はA4の紙と鉛筆です。「マークメーキングが大事。点、線、面の違いをよく理解すること」との注意のもと、まず、スケッチです。近くにある花を30秒で描きます。マックス60秒。頭で考える前に描ききるのがポイントです。できれば、これを何度も繰り返すのが良い、と。

次に紙を折るところからスタート。「ファッションですから、紙は縦に使い、4分の1ずつに折り、一番上だけもう一回折って下さい」とい指示がでます。八頭身の折り目を作ったわけです。どの位置に顎、乳首、へそ、足の付け根、膝がくるかを説明し、筋肉や関節の描き方を教えます。レオナルドの人体図を想像すればいいでしょう。男性の位置を確認し、女性はそこから若干下げていきます。ここで大事なのは、一本線で描かないこと。人間の身体は節々があるので、一つのラインで描ききれない。どこをとっても直線はないことを自然と理解します。プロダクトデザイナーは「そうかあ、ぼくたちは輪郭をとることに一生懸命になるんだよなあ・・」と呟きます。

ここで一呼吸おいてファッションの歴史です。ブログで紹介したパターンの遷移を話します。ジャズエイジは直線的であったとか、アレです。ファッションは丸、四角、三角、直線などの組み合わせでできているという基本を頭に入れてもらうわけです。とすると、ベースができました。人体図に三角やマルを加えていけば、ファッションの基礎ができます。

カタチの組み合わせのパターンをさまざまに試みることで、ファッションのパターンが見えてくるのが分かるでしょう。このあと、もう一度、マークメーキングの練習です。ブラインドドローイング。鉛筆をいろいろと持ちかえ、芯を多様に扱うことと、「自分の思っていないことを出してみる」ために、目をつむって描き切ります。ファシリテーターがイメージする言葉を提示していきます。「水が外に向かって波紋を広げる」「ぐちゃぐちゃ」「大雨」「爆発」「雷」「ふわふわ」「スパイラル」「水玉」。これらはスケッチをかいている2人の鉛筆の使い方を見ながら、まだ使いきれていない部分を使わせるために次々にお題を与えていくのです。

「目をあけたまま、自分の思っていないイメージがでてきたらベストなんですけどね」とファッションイラストレーターは語ります。ぼくたちはいかに目に見えるイメージに引っ張られ過ぎているかに気づかされます。言葉と視覚イメージがコミュニケーションの重要なコンテンツになりますが、その視覚イメージを自分が普段意識しない層からどうもってくるか?が問題です。

 

Category: イノベーティブ思考 | Author 安西 洋之  |