Date:12/6/3

木曜日、日本に着きました。

日本で地震、イタリアでも地震という最近、どこでもリスクはあるけれど、リスクとは現象と備えの関係なんだよなとつくづく思います。イタリアも南や東北などの地震多発地域は耐震構造が義務付けられていますが、それが古い建物まで含めて実施されているとは言い難いでしょう。レンガがセメントで積み重なっただけの壁がボロボロと崩れるさまは痛々しいー「わたし、そんなつもりじゃなかったのに・・・こんな長生きするつもりもなかったし、そんな揺れを覚悟もしていなかったのに」と壁が呟いているように思えます。まあ、そういう風景をTVで眺めて日本に来て、地下鉄の表参道駅で震度4の地震にあうと、「たまったものじゃないなあ」感じる一方、地球は自転しながら太陽を回っているんだから地面が動かないほうが不思議だ・・・と考えざるをえません。

金曜日は東京ビックサイトに出かけ次世代自動車展を訪ねました。今、ぼくがかかわっているドイツの新素材メーカーの日本のお客さんがブースを出して商品を紹介してくれました。予想通りとても良い反応で、見るべき人が見てくれた、知るべき人が知ってくれました。関心をもってくれるのは自動車業界は当然のこと、業界も多岐にわたります。素材の革新が引き起こす影響力は大きいと実感します。これからのビジネスの動きが楽しみです。1年半準備してきた甲斐があります。

夕方からは前述した地震にあいながら原宿のレストラン・アイへ。ニースと原宿でミシュラン星つきフランス料理レストランを経営するシェフ・松嶋啓介さんの77年の会。彼のことは本にも書きましたが、食を通じてのローカライズに造詣が深い人です。77年の会は1977年生まれの人たちが集まって世の中を活性化していこうという集まりです。ここでぼくは、文化、ローカリゼーション、あるいはMARU プロジェクトについて話しました。ぼくは比較的多様な世代と日ごろ接していますが、どの世代でも共通して「自分たちが頑張らなくては」という意識が増しています。松嶋さんがこの会を主宰しているのは、「やっぱり、人って何か共通点があると結びつきやすいでしょう」ということです。これだけのソーシャルネットワークの時代だからこそ、生年でさえも逆に接着剤になるわけです。とにかく、道筋はどうであれ、それぞれはそれぞれに主体的に動いていってほしいものだと切に思います。

土曜日は津田沼の千葉工大です。デザインの山崎和彦さんの研究室の主催で「ローカリゼーションとUXDワークショップ」でした。ここでぼくはローカリゼーションについてレクチャーしたのですが、今までの話からの転換を図りました。これまでもローカリゼーションを通じて異文化の理解をしてイノベーションへという流れは話してきましたが、どちらかといえばイノベーションは前半部分のプラスアルファという位置づけでした。が、重心をやや後半に置きだしたというのが昨日のレクチャーです。ただ、そのために前半をおろそかにするべきではなく、ポイントは如何に早く前半のプロセスを終えるか?です。たとえば食の世界では新しい味が定着するには10年ー20年を要するのは当然というのが定理で、確かにこれまでの現実でした。しかし、今、ビジネスをするに「採算は10年後」という論理が通じるか?といえば、無理です。そういう余裕は失われており、かつ全てのスピードが速くなっています。

したがって、「文化の変容は時間がかかる」ということは本当なのか?を疑ってかかる必要がでてきています。少なくても「(ビジネス上の目的で)文化変容の短期化を促すことは可能か?」を追求することが大きな課題になってきています。文化的土壌を無視してビジネス行為をすることもアリですが、反撃を受けた時の対応コストが計算のなかに入っていないといけません。昆虫を中国では普通に食べたとしても、英国の中華料理屋でそのまま出せば反発がでます。しかし、世界の食料危機を前にした時に、昆虫を食べる試みは「先端的実験」となります。イタリアのファッションでベビーピンクが受けにくかったのに、ハローキティを媒介にしてベビーピンクという色への受容態度を変えてきている・・・そのメカニズムをローカリゼーションのプロセスで理解していくのが良いのではないかというのが、昨日の要諦でした。

ワークショップでは言葉とイメージの関係を問いました。「雨」と「Rain」で想起される言葉の差異、それらをイメージにしたときの差異、「タイ」「雨」だったらどうか?ここでとても関心を引いたのはーそして衝撃的であったーのは、雨で情感が出てくるのに、映画や音楽の文化的作品の連想はRainから出てくることです。しかも、日本のドラマや映画にもたくさんの雨に関する作品がありますが、米国や欧州の雨がでてくる作品ーしかもかなり古典的ーでした。これは国外市場をターゲットにした商品を開発するとき、何をリサーチすべきか?-「セント・マーティンズ大学について語ろう」で書いたリサーチであり、絵画でいえばドローイングの段階ーの課題を示したと思います。

 

Date:12/5/28

前回の「ファッションデザイン教育におけるテキスタイル(1)」の続きです。

今井さんは「ファッションをデザインするにあたり、生地の仕組みや作り方をよく知っているべき」と語ります。そこでNABAの学生たちに生地のつくり方を手を動かしながら教えます。彼が卒業制作でインスピレーションをえた「空気の動き」を前回紹介しましたが、表現のヒントは異なる素材の組み合わせです。下の写真は道路工事現場です。アスファルトとメタルの組み合わせに目がいきます。

組み合わせのイメージは他にもあります。ビルの片方が解体になった後の姿だと思いますが、この様子を見ているとテキスタイルデザインにおけるコンセプトイメージ生成に「土地の風景」の影響も大きいだろうと考えられます。

自然にもインスピレーションのもとはあります。樹木の肌や苔です。

これらは視覚的なイメージですが、テキスタイルは触覚が大切です。そのサンプルをいろいろと集めてきたのが以下です。

これらによって「あの感じ」の「あの」が具体的に手の指に記憶として残り、コンセプトが決まってきます。もちろん、従来からあるいろいろな生地との組み合わさも試され、新しい作品ができてきます。

この2つは今井さんの提案です。写真と言葉で全てを言い尽くすのは無理ですが、空気がスルリと通過していく、木肌のイメージ、それらがここにはあるように思えます。視覚イメージがダイレクトに表現されたのではなく、視覚で喚起されたイメージが頭のなかで熟成され、それが触覚を伴って一枚のテキスタイルに「変換」されたとのプロセスではないかと思いました。

ファッションやテキスタイルの人たちが、「生地は触らないと分からない」と言い、高級ファッションブランドが長らくオンライン販売を拒否し続けていたのは、世界観の一部にある「空気を通し肌にしっくりくる」という感覚がどうしても評価軸の上にくるからなのでしょう。食について言葉で言い表すのも難度が高いですが、食に対する語彙はかなり一般性を獲得してきていることからすると、テキスタイルの言語表現のほうが一般レベルでは敷居が高いかもしれません。NABAの学生はファッションのプロになるために勉強しているのですが、この言葉をどう自分のものにしていくかが、手の感覚と同時に必要なのだろうと思います。ただ、ある時点で選択するべきポイントがあるはずです。

よく言葉と手(技術)について二つの意見があります。「コンセプトについてよく明快にしゃべるけど手が動かない」と「いいものを作っているように思えるけど、そのコンセプトが上手く説明できないと多くの人には伝わらない」という言い方に代表される二つです。両方できれば、それに越したことはありませんが、人には得意不得意があります。どうしても自分の得意なところの理論武装するのが人の常です。それを超越するー自分の能力を見極めて、もう一つの側面をどうカバーするかの戦略をたてて実行できた人が、最終的に評価をうけるのです。

中間に自分の立ち位置を定めようとは思わず、どちらかに徹底したうえで、逆のポイントをじっくりと見据える鳥瞰図をもつコツが、ファッションデザイン教育におけるテキスタイルをみていると分かりそうです。

Date:12/5/27

どこのフィールドの人間が一番世の中の先端的動向を見れるか?と質問すると、科学、哲学、アートなどさまざまな答えが返ってくると思います。ぼく自身の勘でいえば、自然科学に携わる人が見ている現実が「一番新しい現実」であることが多いように思えますが、それが「世の中の先端的動向」か?と言えば、必ずしもそうではない。なぜなら、ここでいっている「動向を見れる」とは、世の中の水や風の動きの変化を嗅ぎ付けるセンスを語っているからです。そういう点で、どのフィールドの人が突出しているとは言い難い。センスのある人はどこにでも僅かなパーセンテージで存在するでしょう。「時代の匂いを感じ取る」ファッション業界にかたまっているとは言えないのです。

あえていえば、感じ取ったことを表現するに経済的に無理がなく社会的インパクトを与えやすい分野から、水の流れは変わり風向きは転換しやすい。それが音楽、アート、ファッションであり、研究費と仮説検証に時間と金がかかる自然科学ではない理由です。ファッションの人たちがどのような考え方をするのか、過去、その例を二つ紹介しました。「セント・マーティンズ大学について語ろう」と「ファッションデザイナー・村田晴信さんに聞く」です。ファッションデザイナーもファッションだけをみてコンセプトを考えるのではなく、音楽、映画、文学、写真、プロダクトデザイン・・・多様なインプットから作っていきます。どこかに頂上があり、そこから「あそこ!」と指摘するわけではありません。

最近、セント・マーティンズを出たファッションイラストレーターと話していて感じたのは、ファッションはダイナミックな動きを伴うため、イメージする時に映像や音楽を思い浮かべやすいのではないか?ということです。プロダクトデザイナーも映像や音楽に影響を受けるでしょうが、コンセプトイメージはやや静止画に近いケースが多いかもしれないとの仮説を話し合いました。そこで、今度、プロダクトデザイナーにファッションをデザインしてもらうワークショップをしてみると良いかもしれない、との話になりました。「イメージにおける動作」に関するリサーチから何かヒントが得られるのではないかと思います。

ファッションデザイナーの村田晴信さんは吉岡徳仁の結晶の椅子をみて、高校の化学の先生に材料を確かめ、ミョウバンで試作品を作りコレクションへの応用と歩を進めました。ご本人に確かめたわけではありませんが、ミョウバンが育つプロセスがファッションの「動き」とフィットしたのかもしれません。その文脈でいうと、テキスタイルも「動き」のイメージのなかにあるのではないかと想像するに至ります。そこでミラノのNABAでファッションデザインの学生にテキスタイルデザインを教えている今井幹雄さんに、彼自身のNABA卒業制作を紹介してもらいました。

ここにアップした画像は全て今井さんのものです。一番上は霧のかかったぼんやりした風景。二番目は草が風に揺れるさま。スペースの存在を感じさせ、ここでいうスペースとは物理的に囲まれた場所というより、人の身体を包む空気が漂う場所という意味合いが強いです。2番目の画像もそうですが、空気の動きを想起させます。テキスタイルは着る人を包みながら心地よく肌と外気が触れ合う媒体であるわけです。

この次のステップは次回に紹介します。