Date:12/7/26

今朝、日本に着きました。街全体が汗をかいてジトッとした匂いがありますね。

ウィーンからの飛行機の約10時間、モレスキンのノートに本の目次案を書いてきたのですが、なかなか満足がいきません。実は今年のはじめから何度も何度も書き直しています。今までの二冊はどちらかといえば読者層をある程度想定していました。一冊目は書店の社会学や異文化社会論の棚におかれること、二冊目はビジネスやマーケティング。しかし、今回は新しい読者層を見つけるという目標があります。

今春からサンケイBIZに毎週連載コラムを書いていますが、これは一昨年から1年間、隔週に連載した日経ビジネスオンラインと違います。ある意味、日経ビジネスオンラインのほうが楽でした。有名企業のローカリゼーション事例を取材して書けば、その企業名で自動的に読んでくれる人がいます。しかもカタカタ英語が書きやすかった。が、サンケイBIZではカタカナを極力排除して書くようにしています。読者層が違うのです。新聞記者は小学6年生が分かるように文章を書くのを目標とすると言いますが、それを心がけてもカタカナや抽象的な単語をクセで打ちやすく、それらを易しいひらがなに直すようにしています。

そしてなによりも有名企業名をタイトルに出さないで、読者の注意を引かないといけないわけです。そのために1500文字で一つのことしか語らず、事実説明で押し通し、結論は200-300文字に留めるとの指針を自分に課しています。しかし、1000文字くらいのところで抽象的表現が出てきてしまうのです。このブログの読者はお分かりのように(!)。それを引っ込めてあと一段落、事実を書き連ねるのが思ったより大変です。この数回は、ローカリゼーションという言葉も「禁止」に追いやりました。ローカリゼーションという言葉を使わずに、ローカリゼーションを考えてもらうのです。それがぼくのトレーニングです。

すると、こんなことを考えます。考え方を伝えるにいくつかの方法がありますが、その方法に伝えられる内容は限定されます。今、ぼくが使っている方法だと、以下の順序で「伝わった」との実感があります。動画がなかに入ることがありますが、動画だけで伝えることはありません。

会って一対一で話すこと > 書籍の文章 > チャートと静止画を使ってのレクチャー

上記のように並べてみましたが、読解力のある方が本気で読んでいただけたら、一冊の本のほうが対面の話よりも有効かもしれません。2時間の対面より2時間で本を読んでくれた方が、情報量は圧倒的に多い。問題は情報量だけではありません。2時間の読書のほうが圧倒的に何かをつかみ取ろうという意欲が強いケースが多いのです。そして、記述は全体の構造から切り口のディテールまでを全てカバーします。プレゼンでのチャートや静止画にはそういう威力がありません。チャートや静止画は切り口です。構造の説明には至りません。しゃべりがメインでそれらが補うという補完関係にあるものの、レクチャーでチャートを出すと聞いている方の写真撮影率が一挙にあがります。

現在、構造の把握よりも切り口への食いつきが良いのは、書店に並んだ書籍のタイトルを見ても分かります。それだけ「切り口の時代」なのです。だからこそワークショップが必要になります。文章での構造把握が低調な分をワークショップで補わないといけないのです。切り口をみせる易しい言葉を使った書籍+ワークショップという組み合わせが受けやすいのは、こういう背景があると思います。チャートで構造を見せようと思うと失敗します。これは文章かワークショップに任すのが良いと考えています。

・・・という流れを読みながら、冒頭に書いたように本の趣旨を弄繰り回して半年がたってしまったというわけです。何とか結論を早急に出したいです。明日は名古屋の中部産業連盟で講演、土曜日は六本木で勉強会、来週の木曜日は表参道で日経デザイン主催のレクチャー+ワークショップです。残りの日もレクチャーやワークショップを企業内向けに行います。今年はローカリゼーションマップのワークショップ元年としましたが、着々とその道を歩んでいます。

ああ、それにしても、実際に自分でやってみないと分からないことが多すぎる!

 

 

 

Date:12/7/23

今週、全く関係のない2つのネット記事を読み、同じことを両端から撫でているように見えました。ひとつは日経ビジネスオンライン・河合薫の新リーダー術「『英語が話せなきゃ・・』子供を不幸にするオトナの無責任な英語至上主義」の100以上の意見が掲載されているコメント欄。もう一つは、「出井伸之x石井裕 日本からは見えていない世界の視点」という対談

まず前者のコメント欄では、英語を介しての外国文化とビジネスの距離がさまざまに語られています。それぞれの実感から書いているのでしょうから、どれが良い悪いとは言えないのですが、どうも英語に囚われているという印象を受けました。「囚われている」というのは、「グローバル時代の英語」という現象への距離感は語るが、その現象そのものへの自分なりの解釈が少ないような気がするのですー限定されたスペースといえど。

後者のお二人は「国境なきボーダーレスに生きている」ことを強調しています。「国境なきボーダーレス」という世界は、共同体が幻想であるのと同じ意味合いにおいて幻想であるとぼくは考えているのですが、彼らが天敵のようにみる世界は、実は前者の100人以上のコメント投稿者が構成している空間ではないかと感じました。

「フラット化したグローバル社会」というのは本当のところイビツだろうと考えます。フラットの象徴たる英語は、英語を母国語をする人たちのなかで落ち着きのないものになっているとぼくは思います。シェイクスピアの英語が第三国人のめちゃくちゃ単純化された英語によって壊滅的になったと嘆く知識層が、同時に「世界のできるだけ多くの人が英語を学習せよ」と非英語圏の人たちの尻を叩いているわけです。なにせ、そのアンビバレンツな言動が自分たちの位置を守ってくれます。でも一方で、彼らは外国語を学ぶ意欲と機会をどんどんと失っていっています。「英語しか」喋れなくなっているのです。

この問題にぼくの友人たちはどう考えているのだろう・・・とふと思い、まずフロリダにいるアメリカ人に聞いてみました。特にEUが奨励する2つ以上の外国語教育をどう見ているのか?と。

欧州の人たちが複数の外国語を使い分けているのは羨ましい。ぼく自身は数か国語を話すけどアメリカ人としては普通じゃない。率直に言うなら、外国語を学ばない怠惰や学校システムを嘆きながら、一方でアメリカの言葉と経済システムが世界のスタンダードになっていることに優越感を抱いている。それなのに何故苦労を買って出る?世界どこでも英語で通じるから外国語を学ぶ動機がないんだよ。

でも、外国語を学ぶ本質は、他の文化圏の人たちと交流することで他の文化をダイレクトに享受することだよね。そういう感性をアメリカ人が失っているんだよ。その点でヨーロッパのシステムと精神性を高く評価している。

一方、小国の意見の代表としてダブリンに住むアイルランド人に質問してみました。

英語が覇権語となっている現象の裏にアングロ中心主義があるのは確かだね。植民地時代以降の国際経済における自らの降格を受け入れがたいとの意向がまだあるね。それがイギリスがEUと歩調を合わせられない大きな理由だと思うよ。そこをアイルランドは英語圏の国として上手くEUに取り入ったわけだ。

言語は思考を規定するわけだから、違った言語ができれば違った思考と文化のバリエーションをもてるってことになるよね。それがヨーロッパ大陸の国の人たちの大きな強みになっているのは明らかだ。思考と精神の柔軟性をキープできると問題の解決能力は高くなるし創造性も増す。ということは英語が不動の地位を築けば築くほど、母国語を英語とする人たちは精神と思考のフレキシビリティが低下し、非英語圏の人たちとの差が増すというパラドックスを生むことになるんだ。

これを読めば分かるように、ボーダーレスになっていると楽観視をするどころか、一見フラットに見える世界にできつつある乖離に注意を向けているのです。言っちゃあ悪いけど、「英語か文化解説者か」と口角泡を飛ばしている暇はありません。

 

 

Date:12/7/15

)の続きです。

ブラインドドローイングで意識下にあるイメージを浮上させるプロセスを踏んだら、一つのレクチャーがイラストレーターからありました。「服をみたら、その服がどういうポーズで一番映えるのか。あるいは、どう映えるようにデザイナーが考えたのか。その点をよく分析してください」と説明。パターンで丸を基調とするなら、腕の曲げ方もそれに沿うはずです。逆にいうならば、ポーズの取り方からデザインの狙いを読み取ることができるといえます。

もう一度、ラインの節節をおさえることを強調します。「服をよく分かったデザイナーの絵はラインのブレイクポイントが増える」わけです。これがちゃんと押さえられているとパタンナーがデザイナーの意図を読解できるのですが、例えばベッタリとしたラインを描くデザイナーの襟は、パタンナーもどう作っていいか分からないと言います。これは基本に戻ると、人間の骨格や筋肉の仕組みに無知なデザイナーは、よいファッションを作れないことを意味します。その点では人物像を描きなれた画家のほうがファッションデザインへの距離が近いかもしれません。さて、いよいよ服のデザインです。テーマは生徒からでました。「ものすごくセクシー!」です。

セクシーさは肌を多くみせることでもいいし、動作への制約を強めることで感じさせるセクシーでも結構。デザイナーの解釈に任せることになりました。最初に何種類かのアイデアを描きだし、最後に一つのアイデアに色をつけて完成という段取りです。このステップで、前述のマルか四角か三角か?のパターンをあらかじめ決めて攻め入るとたくさんの展開例を作りやすいとのアドバイスがあります。また、首を異常に長く見せる、胴体を短く見せる、お尻を大きくみせる・・・などテーマを決めることもアイデアが出やすくなるコツです。コム・デ・ギャルソンの服で腰回りに大きく膨らみがあるデザインがありましたが、「ヒップの位置を上にずらす」というアイデアだったようです。このような特徴も、ファッションデザインの考え方を知っていると、意味が分かります。

「女性デザイナーは実用性に走りやすい」のが女性ファッションのデザインのなかで男性活躍率が高い理由ではないかと雑談しながら、生徒の手の動きを眺めながら「描きながら形容詞を思い浮かべるように!」との注意が飛びます。ブラインドドローイングで得た発想の根元への継続的な刺激が必要なのでしょうか。

ある程度アイデアが出たら最終案の作業です。色鉛筆の色を水で伸ばしながら、シルエットを作っていきます。そして、完成です。以下の上がインテリアデザイナーの描いたものです。下に流れ落ちていくような動きがあります。一方、下はプロダクトデザイナーの作品。

2人とも服のデザイン画を描いたのは初めてです。「2時間でここまできたのは優秀だ」とファシリテーターは評価します。学生を終えたばかりで、職業としてのデザイナーはこれからであるために逆に受容度合が高いのか?とも思いましたが、「高校生の女の子に教えたことがあるけれど、ファッションとはこういうものだという固定概念が強すぎてなかなか良いカタチにならなかった」と彼女の答え。二人の生徒に感想を聞くと、「機能性で方向を決めることが多い、プロダクトデザインより自由度が高いと思う。線のブレイクポイントを増やすというのは、新鮮な経験だった」と一人が語れば、もう一人は「雰囲気やシーンを思い浮かべると、色合いや質感が自ずと決まってくるインテリアのデザインにファッションのポージングは近いのかな」とコメント。

当初の狙いでは「ねっ!プロダクトデザイナーが描くと、こうダサくなるよね!」という指摘をしたかったのですが、惜しくもこの2人に限ってはかないませんでした 苦笑。それでもプロダクトデザイナーが構成要素や機能からものを考える、ユーザビリティを検討するにしても、人の筋肉の動きをここまで見つめていないー人間工学のエキスパートが観察するのとは違うーところに、どうも乖離があるなぁとの印象は受けました。それは「線のブレイクポイント」に焦点をあてることで確認できます。輪郭の美しさではなく、一連の動きにあるポーズで表現されるシルエットに見るべき価値があるークルマもフロントよりバックが重要で、じっと見つめるのではなく一瞬で印象に残ることが大事であろうとー、その視点の違いが身に着かないと、やはりプロダクトデザイナーの描く服はダサいのだろうと思います。

そして、デザイナーではないぼくがあえて言うなら、ブレイクポイントの発想がプロダクト自身を面白くする契機になるのではないか?というテーマはそれなりに顧みるべき点であろうということです。人間自身にどこまで立ち向かうかを含め。

 

Category: イノベーティブ思考 | Author 安西 洋之  |