Date:12/7/15

)の続きです。

ブラインドドローイングで意識下にあるイメージを浮上させるプロセスを踏んだら、一つのレクチャーがイラストレーターからありました。「服をみたら、その服がどういうポーズで一番映えるのか。あるいは、どう映えるようにデザイナーが考えたのか。その点をよく分析してください」と説明。パターンで丸を基調とするなら、腕の曲げ方もそれに沿うはずです。逆にいうならば、ポーズの取り方からデザインの狙いを読み取ることができるといえます。

もう一度、ラインの節節をおさえることを強調します。「服をよく分かったデザイナーの絵はラインのブレイクポイントが増える」わけです。これがちゃんと押さえられているとパタンナーがデザイナーの意図を読解できるのですが、例えばベッタリとしたラインを描くデザイナーの襟は、パタンナーもどう作っていいか分からないと言います。これは基本に戻ると、人間の骨格や筋肉の仕組みに無知なデザイナーは、よいファッションを作れないことを意味します。その点では人物像を描きなれた画家のほうがファッションデザインへの距離が近いかもしれません。さて、いよいよ服のデザインです。テーマは生徒からでました。「ものすごくセクシー!」です。

セクシーさは肌を多くみせることでもいいし、動作への制約を強めることで感じさせるセクシーでも結構。デザイナーの解釈に任せることになりました。最初に何種類かのアイデアを描きだし、最後に一つのアイデアに色をつけて完成という段取りです。このステップで、前述のマルか四角か三角か?のパターンをあらかじめ決めて攻め入るとたくさんの展開例を作りやすいとのアドバイスがあります。また、首を異常に長く見せる、胴体を短く見せる、お尻を大きくみせる・・・などテーマを決めることもアイデアが出やすくなるコツです。コム・デ・ギャルソンの服で腰回りに大きく膨らみがあるデザインがありましたが、「ヒップの位置を上にずらす」というアイデアだったようです。このような特徴も、ファッションデザインの考え方を知っていると、意味が分かります。

「女性デザイナーは実用性に走りやすい」のが女性ファッションのデザインのなかで男性活躍率が高い理由ではないかと雑談しながら、生徒の手の動きを眺めながら「描きながら形容詞を思い浮かべるように!」との注意が飛びます。ブラインドドローイングで得た発想の根元への継続的な刺激が必要なのでしょうか。

ある程度アイデアが出たら最終案の作業です。色鉛筆の色を水で伸ばしながら、シルエットを作っていきます。そして、完成です。以下の上がインテリアデザイナーの描いたものです。下に流れ落ちていくような動きがあります。一方、下はプロダクトデザイナーの作品。

2人とも服のデザイン画を描いたのは初めてです。「2時間でここまできたのは優秀だ」とファシリテーターは評価します。学生を終えたばかりで、職業としてのデザイナーはこれからであるために逆に受容度合が高いのか?とも思いましたが、「高校生の女の子に教えたことがあるけれど、ファッションとはこういうものだという固定概念が強すぎてなかなか良いカタチにならなかった」と彼女の答え。二人の生徒に感想を聞くと、「機能性で方向を決めることが多い、プロダクトデザインより自由度が高いと思う。線のブレイクポイントを増やすというのは、新鮮な経験だった」と一人が語れば、もう一人は「雰囲気やシーンを思い浮かべると、色合いや質感が自ずと決まってくるインテリアのデザインにファッションのポージングは近いのかな」とコメント。

当初の狙いでは「ねっ!プロダクトデザイナーが描くと、こうダサくなるよね!」という指摘をしたかったのですが、惜しくもこの2人に限ってはかないませんでした 苦笑。それでもプロダクトデザイナーが構成要素や機能からものを考える、ユーザビリティを検討するにしても、人の筋肉の動きをここまで見つめていないー人間工学のエキスパートが観察するのとは違うーところに、どうも乖離があるなぁとの印象は受けました。それは「線のブレイクポイント」に焦点をあてることで確認できます。輪郭の美しさではなく、一連の動きにあるポーズで表現されるシルエットに見るべき価値があるークルマもフロントよりバックが重要で、じっと見つめるのではなく一瞬で印象に残ることが大事であろうとー、その視点の違いが身に着かないと、やはりプロダクトデザイナーの描く服はダサいのだろうと思います。

そして、デザイナーではないぼくがあえて言うなら、ブレイクポイントの発想がプロダクト自身を面白くする契機になるのではないか?というテーマはそれなりに顧みるべき点であろうということです。人間自身にどこまで立ち向かうかを含め。

 

Category: イノベーティブ思考 | Author 安西 洋之  | 
Date:12/7/15

プロダクトデザイナーが服をデザインするとダサいなぁと前々から思っていました。なにか硬い。ぎこちない。古い例でいえばカーデザイナーのジュージャロのファッションブランドもスマートさに欠けました。あんなにもかっこいいクルマをデザインしていたのに。ファッションデザイナーとプロダクトデザイナーではコンセプトイメージのつくり方に違いがあり、それが影響しているのかもとも考えました。前者が抱くイメージが「動画」であるのに対し、後者が「コマ送り」という違いが、そこまでの表現差を生む要因があるのでしょうか?それで考えました。ファッションデザイナーがプロダクトデザイナーにファッションの描き方を教えるワークショップをしてみたら、プロダクトデザイナーのダサさの原因が分かるのではないか、と。

今月ミラノのデザイン学校を卒業したばかりの2人に生徒になってもらいました。一人はプロダクト、もう一人はインテリア。ファシリテーターは「セント・マーティンズ大学について語ろう」で紹介したファッションイラストレーターです。2時間で行ったワークショップの内容をメモしてみます。道具はA4の紙と鉛筆です。「マークメーキングが大事。点、線、面の違いをよく理解すること」との注意のもと、まず、スケッチです。近くにある花を30秒で描きます。マックス60秒。頭で考える前に描ききるのがポイントです。できれば、これを何度も繰り返すのが良い、と。

次に紙を折るところからスタート。「ファッションですから、紙は縦に使い、4分の1ずつに折り、一番上だけもう一回折って下さい」とい指示がでます。八頭身の折り目を作ったわけです。どの位置に顎、乳首、へそ、足の付け根、膝がくるかを説明し、筋肉や関節の描き方を教えます。レオナルドの人体図を想像すればいいでしょう。男性の位置を確認し、女性はそこから若干下げていきます。ここで大事なのは、一本線で描かないこと。人間の身体は節々があるので、一つのラインで描ききれない。どこをとっても直線はないことを自然と理解します。プロダクトデザイナーは「そうかあ、ぼくたちは輪郭をとることに一生懸命になるんだよなあ・・」と呟きます。

ここで一呼吸おいてファッションの歴史です。ブログで紹介したパターンの遷移を話します。ジャズエイジは直線的であったとか、アレです。ファッションは丸、四角、三角、直線などの組み合わせでできているという基本を頭に入れてもらうわけです。とすると、ベースができました。人体図に三角やマルを加えていけば、ファッションの基礎ができます。

カタチの組み合わせのパターンをさまざまに試みることで、ファッションのパターンが見えてくるのが分かるでしょう。このあと、もう一度、マークメーキングの練習です。ブラインドドローイング。鉛筆をいろいろと持ちかえ、芯を多様に扱うことと、「自分の思っていないことを出してみる」ために、目をつむって描き切ります。ファシリテーターがイメージする言葉を提示していきます。「水が外に向かって波紋を広げる」「ぐちゃぐちゃ」「大雨」「爆発」「雷」「ふわふわ」「スパイラル」「水玉」。これらはスケッチをかいている2人の鉛筆の使い方を見ながら、まだ使いきれていない部分を使わせるために次々にお題を与えていくのです。

「目をあけたまま、自分の思っていないイメージがでてきたらベストなんですけどね」とファッションイラストレーターは語ります。ぼくたちはいかに目に見えるイメージに引っ張られ過ぎているかに気づかされます。言葉と視覚イメージがコミュニケーションの重要なコンテンツになりますが、その視覚イメージを自分が普段意識しない層からどうもってくるか?が問題です。

 

Category: イノベーティブ思考 | Author 安西 洋之  | 
Date:12/7/12

先日、サンケイBIZの連載で「切れ味にこだわる日本の刃物 欧州のナイフとどこがちがうの?」というコラムを書きました。日本の刃物にある切れ味が引き算の美学を作っているのではないかとも指摘したのですが、ぼくが最近よく人前で話題にしながら、このコラムで言及していない点があります。それは1970年代のフランス料理の革新、ヌーヴェル・キュイジーヌの発展に日本の刃物が大いに貢献したに違いないということです。

盛りつけのスタイルをみれば、そう想像するのは素人目にも難しくなさそうです。日本の懐石料理にヒントを得たのは、食材の切り方にも注目したのではないか、と。フランス料理シェフの松嶋啓介さんに聞いたら、1960年代後半にパリの有名シェフは日本の包丁を持っていたようだと確認できました。ですから、コラムで書いた下記の文章にある「現代の生活において」は、家庭料理レベルと限定するのが正確です。

歴史的にみてヨーロッパで刃物に切れ味が日本ほどに求められなかったし、現代の生活において、その要求が明確に高くなってきているということはなさそうだ。しかしながら、一度その切れ味のよさを覚えると、やはり切れ味が良いに越したことはない。

その家庭料理でもそうですが、例えばサラダで人参を使う場合、カットを雑に行います。カッターなどを使うのですが、これは「あえて」雑なのです。ソースがのりやすくなります。それでは和食でもそういう発想をしないのか?という疑問が出ますが、松嶋さんによれば、「刺身をギザギザに切ると醤油がのり過ぎて美味くないんでしょう。素材のうまさを重視する料理では、ソースをのせ過ぎない。一方、素材そのものにあまり重きをおかなかったフランス料理では、ソースで味を作り、それを素材にのせるわけですよ」ということになります。だから、あえて切れるナイフの発達を促さなかったと考えるのが妥当なのか、そこは分かりません。しかし、「切れ」をさほど必要としなかったのは確かなようです。

松嶋さんが「日本では料理人は包丁を使って切るイメージが強いですが、フランス料理のシェフは焼く人です」と語るように、西洋料理とは逆に和食ではかように「切れ」が必要だったのです。

さて、ここで自分で書いていながら(!)、ぼくも良く分からないのは、「一度その切れ味のよさを覚えると、やはり切れ味が良いに越したことはない」という部分です。本当に「良いに越したことはない」のでしょうか?前述したように、ソース重視のケースでは切れ味の良さは邪魔になります。そうではなく、あるモノを切る時にすっと切れることを気持ち良いと思わない人がいるかもしれない・・・という懸念がついてまわるのです。

ヨーロッパでもヘルシーや安全志向で有機野菜や魚料理も増えています。それだけ素材重視に向いています。が、切れ味の良さを経験すれば気持ち良いかもしれないが、わざわざ日本の新しい包丁を買ってスタイルを変えようと決心するに至る人は少ないと考えるのが妥当なのでしょう。コラムで紹介したミラノの刃物専門店でも日本の包丁は人気だし、包丁を日本でお土産に買っていく欧州の友人もいますが、一般的な現象とは言えないでしょう。

もし、あなたが日本の包丁メーカーの海外市場担当であれば、どういう売り込み方法を考えますか?