Date:12/8/14

庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』が中央公論で発表されたのは1969年ですが、ぼくが単行本で初めて読んだのはたぶん、その3-4年後だったと思います。中学生のころでしょう。その頃から高校生にかけ、薫クンシリーズ四部作を何度も読み返しましたが、その後の長い時を経て10年くらい前に読み直したのが最後です。既に手元に単行本がなかったのですが、文庫本になったのを書店で見つけて買ったのです。作家が作品を書いた時の年齢は、ぼくが再読した年齢よりかなり下でしたが、思索の深さに改めて感心しました。

思春期のぼくが、あの一連の作品から何を得たかといえば、世の中のあらゆる「負への競争」「現実への競争」ー如何に他人より自分が弱い立場か?少数派か?あるいは、その立場を現実的に知っているか?-に陥らないための勘と知恵ではないかと思います。今になってそう思うのではなく、ずっとそう思い続けてきた、という意味です。高校や大学のころに、さまざまな社会活動ー公害反対や教育改革ーの近くにありながら、その活動家になろうと決して思わなかったのは、「負への競争」をすれば勝てないことが分かっていたからです。

1980年前後にはじまったカンボジア難民の問題に頭を突っ込まなかったのもそうですが、およそアジアが「戦後問題」と「南北問題」として語られるなかにあって、アジアに目を向けることには倫理的な心の痛みが伴い、そこには「お気楽なライフスタイル」を全て捨てることを強いられるような構図がありました。いや、すべての人がそうだったのではなく、高校時代に「君は、弱い立場を見ないふりをするのか?」と強く問いただされた個人的経験が「足をひっぱっていた」のです。

しかし、そこに足を踏み入れなかったのは、「負への競争」回避があったといえます。大学卒業の前にタイに旅したのは、その葛藤をどう乗り越えるか?という問題をみつめることになったし、その7年後にヨーロッパで生活をしようと決意したのは、「正への競争」に本腰を入れる覚悟ができたからだとも考えます。

あの頃ー高校から大学にかけて、小田実や本田勝一の本を読み漁りながら、そこにいつも距離をおいていたことを、「『当事者』の時代」を読みながら苦味ある経験として思い出しました。「負への競争」は本書でいう「マイノリティへの憑依」という括りのなかにあったと読んで、危うかったはずだ、と独言しました。

つまり(マイノリティ憑依)は進めば進むほど、エンターテイメント性をさらに高めてしまうという逆説的なことがそこでは起きてしまうのだ。

これはある意味で、メディアの悲劇である。

社会の多数派の人々にとって、(マイノリティ憑依)は二つの視点しかもたらさないからである。第三者的な偽の神の視点と、エンターテイメントにしかならない見世物的な視点。そしてこの二つの視点は、いずれも歪んでいる。

日本で「マイノリティへの憑依」は1960年代後半にはじまり、マスメディアでこのようなタイプの記事が量産されたのが、1980年代以降10数年に渡る時期だったと本書は指摘しています。

 

>アジアに対する躊躇の背景を以下のように書いたことがあります。

http://yomikakiclub.blogspot.it/2011/01/blog-post_09.html

 

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
Date:12/8/12

ローカリゼーションマップ勉強会15回目は『競争戦略としてのグローバルルール』の著者、藤井敏彦さんを講師にお迎えしました。何人かの参加者は、「ぜひ、自分の勤める会社の幹部に聞かせたい」と言っていましたが、その内容の一部を今日アップしたサンケイBIZの連載コラムに書きました。タイトルは「厳しいルールは『無理無理!』 日本が世界でトップに立てない理由」

http://www.sankeibiz.jp/macro/news/120812/mca1208120916001-n1.htm

上司への説得が成功されんことを!

さて、勉強会の16回目です。

参加希望者は、anzai.hiroyuki(アットマーク)gmail.com かt2taro(アットーマーク)tn-design.com までお知らせください。議論に積極的に参加していただける方、本研究会の今後の活動に貢献していただける方、大歓迎です。内容に一部変更になる可能性がありますが、その際は、ご了承ください。場所はいつもと同じく、六本木アクシスビル内のJIDA事務局(http://www.jida.or.jp/outline/)です。

9月29日(土)16:00-18:00 「『自由に考えるワークショップ』を考えてみよう」

ワークショップというとポストイットとホワイトボードがお決まりの道具として登場します。ぼくたちローカリゼーションマップのワークショップでも、これらを使います。しかし極端な言い方をすると、ワークショップはこれらがないとできないと思っている人たちも少なくないことを感じます。ワークショップは拘りから離れた自由な形式でものを考えていく場だと思いますが、逆に、なにか、とても固定的なイメージに縛られていて毛嫌いされる対象にもなっています。

実を言うと、当のぼくが、ワークショップ嫌いだったのです。ぼく自身、かなり以前からワークショップの経験がありながら、「やらせ」「不自然」「日常で勝負していない」とのイメージをどこかに強くもっていました。「精神的サウナではないか?」と、大げさに言えば・・・。が、ローカリゼーションマップについて多くの人に文章や講演で語りかけるなかで、どうしてもワークショップという手法が必要だと認識するようになったのです。経験のなかで文化差を意識してもらうに、リアルなコミュニケーションが不可欠でした。それが趣意替えの動機でした。そして、去年の後半あたりから色々な場所でワークショップを実践するようになりました。

今回、ワークショップのエキスパートである村林さんを講師にお迎えします。ワークショップとはそもそも何なのか?何をもってワークショップと呼ぶのか?その歴史はどうなっているのか?この形式に将来性はあるのか?あるとすれば、どういう目的に対して適当なのか? ということを問題提起も含めて話してもらいます。いつもの勉強会も参加者の皆さんから活発な意見をいただいていますが、今回はテーマがテーマですから、普段より、燃えるはずです。

参加定員数:20名
参加費:1500円(18:00以降の懇親会参加費を含む)

講師:村林充(むらばやし みつる)さんの略歴

株式会社 イーストリング代表取締役

ライティングセンタージャパン ファウンダー

東北大学大学院情報科学研究科博士前期課程修了(2007)。東京と仙台を拠点として、大学における人文社会系研究を事業化することを目的に、教育分野に特化したシンクタンク事業、人文社会系研究のアウトリーチ活動支援、学術系メディア事業、教育カリキュラムの開発、教材や文具など教育関連商品開発の領域で業務を行ってきた。

最近は、特に企業研修や職業訓練、そして学校教育の現場に業務領域を広げ、論理学、哲学、認知言語学および認知心理学の「言葉とイメージ」に関する知見をもとにしたワークショップ”Thinkshop”を積極的に展開している。

また、人文社会系分野の博士号所得者や大学院生の活躍の場を広げるための非営利組織”ライティングセンタージャパン”を立ち上げ、ノンアカデミックキャリアパスの開拓や文系研究の普及活動の企画と運営、さらにはポストドクターやオーバードクターの経済的基盤を支えるための取り組みも行っている。

京都大学大学院医学研究科「ビジネスワークショップ」(2006) 仙台市「クリエイティブ・クラスター・コンソーシアム:仙台ブランディング研究会」(2007) 経済産業省「にっぽんe物産市プロジェクト」(2008-2009) 農林水産省「食育先進地モデル実証事業」(2008-2009) 栃木県「とちぎ就職応援プログラム事業」(2011-)などに参画してきた。

尚、フェイスブックのページ(下記)でもローカリゼーションマップの最新情報を提供していきますので、このページを「いいね!」に入れておいてください現在、1579人の方にフォローいただいています。

http://www.facebook.com/localizationmap

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Date:12/8/11

今週、友人と会って深夜まで酒を飲みながら話し込みました。

彼はアーティスティックな写真を多く撮影してきて、その作品は「味がある」と言われてきました。一点に焦点を合わすことで、周囲がぼやけることが「味になる」。そういうタイプを自分の強みとしてきたのです。しかし、最近になって、一方で「絵葉書のようなステレオタイプ」の写真を大量に撮影するプロジェクトを請け負うことになりました。「絵葉書のような写真なんてつまらないじゃない」という勿れ。そういう写真でないと利用できないケースもあるのです。ビジネスプレゼンで大画面で風景を映し出したいとき、「味のある写真」は困るのです。

何とかできるだろう・・・と思った彼が「味がでない」ために悪戦苦闘したプロセスがとても興味深かったです。撮影は水平垂直や露出度なども全て手引きにそって行なうのは当たり前ながら、撮影後もフォトショップ上で微調整作業がえらく膨大。全て100%の状態にして粗がないかどうかの確認をしていきます。ピントをあらゆる点であわせていくことが、ステレオタイプになるために必要な手順なのです。「アナログの時代であればよしとされたレベルを大きく上回ることが要求されるのがデジタルの時代」という事実を身を持って背負うことになります。

建物も「みなが想像するような」深みのあるように撮影しないといけないので、正面からではなく45度斜めの位置から、あるいは撮影位置を意図的に下げるなりと変えていきます。半年前にスタートした時、合格点がでる写真は30%強だったといいます。「味のある」写真ではプロと通じている彼の技量をもってして、「味のない」世界では右往左往する羽目に陥ったわけです。「何が大変って、食事をする時とか、眠い時とか、そういう怠惰になりたい時こそが撮影のベストタイミングなんですよね」となるから、山の風景を撮りに行っても優雅な時を過ごせることもありません。

とにかく天気が重要です。天候が不安定なところで無駄に取材先で時を過ごすのは効率が悪い。毎日天気予報を追い、「明日だ!」と判断すると翌日の早朝から突撃です。移動もなるべくバスや電車を使うようにしました。彼はここでも発見します。クルマで自由に移動して撮影しているカメラマンの写真は無駄がないというのです。言ってみれば、一つの対象や場所に対するバリエーションが圧倒的に少ないことに気が付きます。バスの出発時刻までに2時間あれば、その周囲をぶらつくことで、新しい視点を獲得できます。それが期待以上の成果をもたらすのです。そうした余裕のある時間を作ることを、彼はこれまでも意図的にしてきたはずなのに、強制的に生み出される時間との間には隔たりがあったと認識しました。

何よりもぼくが感心したのは、ステレオタイプと人が期待する写真は漫然と生み出されるのではなく、ステレオタイプと思われる基準に如何に近づけるかという精緻な努力の結果であることです。彼はこうして今や100%に近い確率でステレオタイプ的な写真を後処理時間も含めて効率的に仕上げることができるようになりました。「あれは、あれですごい世界だ」と彼は語ります。

「味のあるステレオタイプではない」写真を偶然性や勘ではないところで創りだせるコツを得るのも、かなり論理的作業に依拠することになるだろうというのが、ぼくのこれから探っていきたいポイントです。

Category: イノベーティブ思考 | Author 安西 洋之  |