Date:08/2/5

カルテルの創業者であるカステッリに会って、「50年代にデザインロイヤリティを導入した弁護士の存在をご存知ですか?」と聞くと、「えっ、そんなの知らない話だなぁ。そりゃあ、何人かのデザイナーのエージェント的役割をしていた弁護士はいたけど、彼が導入したというわけでもないと思う」という答え・・・・というわけで、真相は遠のきました。だいたい、スカンジナビアでロイヤリティ制をまったく使っていなかったわけでもなさそうで、これだけをもってイタリアデザインの誕生を語るには無理があるなと思いました。

いずれにしても、第二次大戦後の混乱から立ち直り経済成長の波にのっていくイタリアのミラノ周辺で、冒険心に富んだ若い企業家と同じく若いデザイナーが出会い、「ねぇ、何か一緒にやろうよ。君が何の技術をもっているかを教えてくれれば、僕がデザインを提案してあげるよ」という会話から仕事がスタートしたことは間違いありません。

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「北欧デザインを追い抜こうという気持ちは強かった。彼らはよいものを出していたけど、木の製品が多く、技術的に新しいものとは言えなかった。それで我々は、新しい素材と技術でプロジェクトを起こそうと思ったんだね。戦略的だったんだ。」とカステッリが語ります。そこで、リスクをとる企業家とリスクをとるデザイナーが新しい時代を作っていったのです。「何か提案してよ」という言葉があったとしても、デザイナーの提案は持ち込みの性格が強く、デザインフィーはデザイン買い取りではなく出来高で支払われるという形が、プロジェクトのスタートを楽にしてくれたのは確かです。

Date:08/2/4

ミラノはデザインの中心地だとおだてられてきて(苦笑)、「でも、それに相応しいデザインセンターがない」ことに焦りを感じていました。昨年12月、トリエンナーレの常設展示場ができて、ほっと一息というところでしょうか。ポランとの対話のなかでも書いたように、1950年代まではデザインといえばスカンジナビアが偉かったわけです。そのまさしく1950年代にイタリアのデザインが「よ~し、俺たちもやるぞ!」とがんばりはじめたのです。

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アンナ・カステッリはカルテルの製品をもっとも多くデザインした一人ですが、創業者の奥さんでもありますね。カッシーナ、アルフレックス、カルテル、このあたりがイタリアデザインの先頭集団を組んだのですが、今週は、3年ほど前に創業者のカステッリさんと会って話した時の内容も引用しながら、あの時代の心意気に触れてみましょう。

いやね、実は50-70年代に活躍した色々なデザイナーと話しているうちに、「ヒット作でお金が儲かったのかなぁ」という素朴な疑問がでてきたんですよ。「いやぁ、そのときの契約書はいい加減だった」という話が多くてね。そのうちに「イタリアデザインはデザインフィーをロイヤリティにしたから発展した」という意見にもぶつかり、「1950年代にデザインロイヤリティを導入したミラノの弁護士がいた」という証言(?)まであり、これはカルテルの創業者であるカステッリさんにも確かめておこうと思ったのですね。

Date:08/2/1

ノヴィラーラの埋葬地から、この時代の鉄の剣や琥珀の首飾りが出てきました。鉄器時代にちょうど移行している最中に貴重な鉄を子孫に譲渡しなかったのはどうして? 琥珀もアルプスの北側でしか入手できないものでした。そういうものを土の中に埋めるのは、よっぽど経済的に余裕があったのだろうと想像できます。

まず、クロアチアの近海でカクッとノヴィラーラに交易船が曲がったのは、あそこに海賊が多かったから、それを避けるためだったろう。すると海賊は黙ってみているわけはなく、挟み撃ちを考えるだろう。そのための基地がノヴィラーラだったのではないか。その頃、海面は現在より3メートル高く、ノヴィラーラは海から眺めると威容な城砦にもみえたはず。そうコバウは考えたのです。

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上は現在のノヴィラーラからアドリア海を眺めたところです。2800年前は、海が眼前にまできていたはずです。惜しげもなく鉄や琥珀を土の下に埋めたのも、海賊ゆえの行為だったのではないかということなのですが、「あれは戦うための船だったのではないか?」という疑問が、こうして回答を導いてきてくれたわけです。つまり、戦うとは、海賊が戦うという意味だったのですね。

実はコバウの自宅も、この近くです。そして対岸のクロアチアにも家があります。まさしく海賊と同じ位置でアドリア海を眺めているわけです(笑)。

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