Date:08/2/8

今日はちょっと別のアングルから’50年代の話をしましょう。僕の家の上に住む老夫婦、86歳の旦那さんと10歳年下の奥さんが婚約する頃の話です。

奥さんの叔父さんが外交官で、彼女は20代の初めの1年間、パリの叔父さんの家にいてフランス語の勉強をしてきました。イタリアに戻りフランス語の勉強を継続したいと思っていたところ、従兄弟が友人を紹介してくれました。30代前半のエンジニア。ある会社の幹部候補です。1950年代、イタリアでも良家の若い男女が知り合うのは、従兄弟や友人の人脈が主。知り合って間もない、婚約者でもない二人だけで夜のデートなんて論外です。

彼らはフランス語の会話レッスンということで、彼女の家に彼が来て1-2時間話すということになりました。彼女は彼が自分に気があるのは知っていましたが、知らないふりを通します。これは旦那さんからも事実確認済み(笑)。歴史的事実でしょう。

ある日の晩、彼を家族で夕食に招くことになりました。彼は緊張しながらも彼女のお父さんと話が弾んだのですが、一瞬、どうしたわけか手がすべり赤ワインがなみなみと入っているグラスを倒してしまった。真っ白いテーブルクロスに大きく赤い染みが拡大しはじめました。

vr

・・・その時、彼女のお父さんは、「おっ、そういえば・・・」と言いながら、故意に自分のグラスも倒したのです。客が気まずい思いをしないための一流のホスピタリティです。それを見た彼女のお母さん、それまで「まあ、男なんてどういうものだか分かったものではない」とボーイフレンドに冷淡だったのですが、自分の伴侶の気転から娘の婚約者として相応しい男であると相方が判断したと察知。その日を境に、二人は婚約者の関係に急に移行していった・・・・ということで、昨年、金婚式を祝いました。

Date:08/2/7

イタリア企業のインハウスデザイナーという存在は珍しく、フィアットやアルファロメオなど自動車業界をのぞけば、あまりない事例です。オリベッティでさせインハウスではありませんでした。しかし、50年代、フランコ・アルビーニのところで働いていたコロンビーニをカステッリは社員として雇ったのですね。

al1

話は変わるけど、アルビーニの椅子って美しいですねぇ。思わずうっとりしてしまう(笑)。そう、そう、コロンビーニです。彼は、カルテルで10年ほど仕事をするのですが、その後、カルテルはインハウスデザイナーは雇っていないので、その頃のカルテルのデザインへの真剣度が分かろうというものです。勝負しましたね。ちょっと、師匠と同じカラーのコロンビーニの椅子をのっけておきましょう。

col

 

すごく大雑把に言うと、こうやってデザインの中心地が北から南下してきたのです。ここでトリノを中心としたカーデザインに触れると、デザイン対象と文脈の違いがあり、 話がややこしくなるのでやめておきましょう(苦笑)。それはまたの機会に。

 

 

 

Date:08/2/6

コンパッソ・ドーロはよく日本のグッドデザイン賞と比較されますが、これは1954年に誕生しました。デパートのリナシェンテがはじめたものです。その後、デザイン組織であるADIに移行しますが、最初はデパートがイニシアチィブをとったのですね。ADI会長フォルコリーニの言葉を借りれば、「コンパッソ・ドーロをやるには商売上のそれなりの理由があった」のです。北欧デザインの商品は輸入品で高い。国産品は質が悪い。こういう悩みを抱えていたのですよ。そこで、デザインのレベルをあげ、良い製品を作る必要があったんですね。

cd

 

またまたフォルコリーニの表現を使えば、「イタリアデザインには父親と母親がいて、それはオリベッティとリナシェンテだった」という具合。このような状況のなかで、カステッリは企業家として奮闘していたわけです。もともと化学を勉強したカステッリでしたが、実際の製造の世界は分からないことだらけで苦労したようです。しかしながらまったく知らない分野でもなく、彼のお父さんがクルマのナンバープレートを作る会社をやっており、カステッリはそこで2年間働いた後に独立したのです。

だからカーアクセサリーにはなじみがあり、クルマの上にのせるスキーキャリアが最初のヒットでした。そして、バケツでコンパッソ・ドーロをとるのです。デザインはジーノ・コロンビーノ。快進撃のはじまりですね。

 

Page 241 of 247« First...102030239240241242243...Last »