Date:08/2/7

イタリア企業のインハウスデザイナーという存在は珍しく、フィアットやアルファロメオなど自動車業界をのぞけば、あまりない事例です。オリベッティでさせインハウスではありませんでした。しかし、50年代、フランコ・アルビーニのところで働いていたコロンビーニをカステッリは社員として雇ったのですね。

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話は変わるけど、アルビーニの椅子って美しいですねぇ。思わずうっとりしてしまう(笑)。そう、そう、コロンビーニです。彼は、カルテルで10年ほど仕事をするのですが、その後、カルテルはインハウスデザイナーは雇っていないので、その頃のカルテルのデザインへの真剣度が分かろうというものです。勝負しましたね。ちょっと、師匠と同じカラーのコロンビーニの椅子をのっけておきましょう。

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すごく大雑把に言うと、こうやってデザインの中心地が北から南下してきたのです。ここでトリノを中心としたカーデザインに触れると、デザイン対象と文脈の違いがあり、 話がややこしくなるのでやめておきましょう(苦笑)。それはまたの機会に。

 

 

 

Date:08/2/6

コンパッソ・ドーロはよく日本のグッドデザイン賞と比較されますが、これは1954年に誕生しました。デパートのリナシェンテがはじめたものです。その後、デザイン組織であるADIに移行しますが、最初はデパートがイニシアチィブをとったのですね。ADI会長フォルコリーニの言葉を借りれば、「コンパッソ・ドーロをやるには商売上のそれなりの理由があった」のです。北欧デザインの商品は輸入品で高い。国産品は質が悪い。こういう悩みを抱えていたのですよ。そこで、デザインのレベルをあげ、良い製品を作る必要があったんですね。

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またまたフォルコリーニの表現を使えば、「イタリアデザインには父親と母親がいて、それはオリベッティとリナシェンテだった」という具合。このような状況のなかで、カステッリは企業家として奮闘していたわけです。もともと化学を勉強したカステッリでしたが、実際の製造の世界は分からないことだらけで苦労したようです。しかしながらまったく知らない分野でもなく、彼のお父さんがクルマのナンバープレートを作る会社をやっており、カステッリはそこで2年間働いた後に独立したのです。

だからカーアクセサリーにはなじみがあり、クルマの上にのせるスキーキャリアが最初のヒットでした。そして、バケツでコンパッソ・ドーロをとるのです。デザインはジーノ・コロンビーノ。快進撃のはじまりですね。

 

Date:08/2/5

カルテルの創業者であるカステッリに会って、「50年代にデザインロイヤリティを導入した弁護士の存在をご存知ですか?」と聞くと、「えっ、そんなの知らない話だなぁ。そりゃあ、何人かのデザイナーのエージェント的役割をしていた弁護士はいたけど、彼が導入したというわけでもないと思う」という答え・・・・というわけで、真相は遠のきました。だいたい、スカンジナビアでロイヤリティ制をまったく使っていなかったわけでもなさそうで、これだけをもってイタリアデザインの誕生を語るには無理があるなと思いました。

いずれにしても、第二次大戦後の混乱から立ち直り経済成長の波にのっていくイタリアのミラノ周辺で、冒険心に富んだ若い企業家と同じく若いデザイナーが出会い、「ねぇ、何か一緒にやろうよ。君が何の技術をもっているかを教えてくれれば、僕がデザインを提案してあげるよ」という会話から仕事がスタートしたことは間違いありません。

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「北欧デザインを追い抜こうという気持ちは強かった。彼らはよいものを出していたけど、木の製品が多く、技術的に新しいものとは言えなかった。それで我々は、新しい素材と技術でプロジェクトを起こそうと思ったんだね。戦略的だったんだ。」とカステッリが語ります。そこで、リスクをとる企業家とリスクをとるデザイナーが新しい時代を作っていったのです。「何か提案してよ」という言葉があったとしても、デザイナーの提案は持ち込みの性格が強く、デザインフィーはデザイン買い取りではなく出来高で支払われるという形が、プロジェクトのスタートを楽にしてくれたのは確かです。

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