Date:13/3/31

約2週間前に「『スローファッション』のアイデアを探る」を書きました。

十和田の裂織は世界に数多ある伝統的生地再生技術の一つであり、かつそれらの間にある共通点を見つめることでプラットホームのコアになれるのではないか?という問題提起から、ぼく自身も「自分ごと」として動き始めました。コンセプトは、1)伝統的再生技術 2)マスカスタマイゼーション (例→ 新品商品に自分の古着を切り裂いた生地で自分なりのポケットをつける) 3)リバース・イノベーション(例→ 田舎で活用されていて存在感がなくなりつつあるテクニックが、他の地域の伝統テクニックと融合されて都会で活用されていく) という3つのキーワードから成ります。この2週間もミラノ工科大学のファッションコースの先生とワークショップの相談をしたり、L’HUBのオーナーと協力のあり方について話し合ったりしてきました。あるいはファーストファッションの企業に提案する構想を練り、彼らの商品としては売れないB級品の活用法についても考え始めました。

一方、このプロジェクトを主宰している佐野里佳子さんは3月19日に The HUB TOKYO で開催されたスパーク・プラグというビジネスアイデアのコンテストで優勝しました。ファッションを社会問題の解決の糸口とする事業に一番多くの票が投じられたというわけです。さっそく聴衆の一人だった中国人投資家からのアプローチを受けるなど、各方面から高い関心が寄せられています。

このプロジェクトのコンセプトには世界で通用する普遍性があると考え推進していますが、L’HUBで指摘された点には「なるほど!」と思いました。上記 3)のリバース・イノベーション の視点が高く評価されたのですが、「女性的視点が含まれていることに意義がある」というのです。「女性はいつもあまりものや不要なもので、身近な生活を維持し豊かなものにしようとしてきた」というエッセンスが、女性的視点の導入による社会変化の大切さが叫ばれるなかでフル活用されていることに注目してくれたのです。ここで女性的な視点とは、単に性としての女性の視点ということだけではなく、従来男性が力を発揮できずにいた領域を切り開く目線との意味合いととらえていいでしょう。

特に経済的苦境に陥り社会に行き場がなくなる一方のなかで、自らの周囲を大事にしながら明るくサバイバルするための知恵やメンタリティはもっと重んじられてしかるべきだと思います。「当たり前の日常生活の確立」が、このプロジェクトの底流にあるのだと女性的視点との言葉から再認識しました・・・・さて、ここでふっと思いました。このテーマはまさしくイタリアのライフスタイルのことを話しているのではないか?と。「この裂織りを発信地としながら世界各地の再生技術と融合を図り、エスプリの効いたオシャレなサバイバルを目指す」というのは、イタリアが実験の舞台として相応しいのだあらためて思いました。

今年のサローネをこういう文脈で見て回ってみようという気になっています。

Date:13/3/19

「日本でいう平均値って、平均値そのものの集合体なわけですよ。どうしても最初から平均値ばかり狙うわけです。でもフランスで料理やっていて思うのは、抜群に良い点と悪い点の結果での平均値という、平均のコンセプトそのものをターゲットにして結果としてバランスが生まれるんですね。例えば食材の苦味をとるのではなく、それを何か他の特徴的なものでカバーするとかね」、とニースと東京でフランス料理店を経営するシェフ・松嶋啓介さんが話します。「これはサッカーのチームにも言えることで、トルシエと話していても、彼の平均に対する考え方は当たり前だけどフランス式なんですよ」

松嶋さんとThe HUB Milano で話し合いました。実は、以前、「ライトアップ・ニッポン」のドキュメンタリー映画を世界各地で上映したいという話が松嶋さんからあったので、ぼくはThe HUB Milano のホストに話しておいたことがあります。あの映画をDVDで見た時、被災地各地での花火大会をオーガナイズした高田佳岳さんの活躍ぶりは、ソーシャルチェンジを旗印に活動している人たちにとても参考になると思いました。ぼくも高田さんと話し、「この只者ならぬ人が動くなら何かが起きるに違いない」、と感じたのです。「日本の旗手は、こんな感じで頑張っている」とインパクトのあるストーリーが語れます。ただ、残念ながらその時は英語字幕がなかったので実現できなかったのですが、松嶋さんにも今後のために The HUBの趣旨を知ってもらっておいたほうが良いだろうと考えました。

話を冒頭のテーマに戻します。ぼくが「日本のスイーツって甘さ控えめとなっていて、かなり特徴的な傾向かなと思うのですが、どう判断すればいいのですか?」と質問すると、「寒い所では甘さを欲するからスイーツは甘くなりやすいですが、まず基本的にスイーツは毎日食べることを前提にしていないんですよ。毎晩のように、うちのレストランに来るお客さんはデザートを食べないでチーズで終わりにしますね」との答えが返ってきます。それなのに日本では毎日食べることを想定し甘さを平均的にならすことを考えてしまう、というわけです。酸味との関係で舌に甘さが残る印象を減らす、という方向をもっと試みるべきではないか・・・。

もちろん、ことの発端は健康意識の変化にあったのでしょうし、それが多くのスイーツの甘味を減少させた(フィンランドやポルトガルで加工食品の塩分を長期にわたって減らし、心筋梗塞の発生率が70パーセント下げたような)「壮大な物語」があったのだろうとも想像するのですが、甘いものを毎日食べる「飽食の時代」は自分の首を絞めたのではないかーかえって甘さに鈍感になっているという意味でーという気にもなります。いずれにせよ、この平均のコンセプトの捉え方の違いは、チーム運営にも反映されていると松嶋さんは語るわけです。「このスタッフはまだここができていないと言って担当を外すのではなく、彼の得意な部分が活躍できることを考え、できない部分は他のスタッフが補うって考えなくちゃあ」と。

「日本は引き算の美学っていうけど、引き算で捨ててっていって何も残らないわけだ」というと、「結果としてマイナス部分を捨ててゼロに近づくだけなんですよ」と松嶋さん。「ははあ、引き算の美学とは異分子排除でもあるんだな」、とぼくは合点がいきます。そして異分子とは「平均値ではない」ということになります。平均値のスペックでシンプルなミニマルスタイルが成立というまことに分かりやすい「引き算の美学のナゾ」が見えてきます。日本のデザイナーも引き算の美学の深淵を極めるなんて哲学的なことを言って泥沼にはまっていないで、足し算の美学を学習するのも大切なんじゃないの?と思いました。

「和食の特徴はうまみだという意見もありますが、うまみを分かっている人なんてどれだけいるんでしょうね。(大衆も食を楽しむようになった)飽食の時代以降の和食の強みは、食材の組み合わせの多様性」と指摘する松嶋さんの話は、クリエイティブ領域で働くあらゆる人に是非聞いてもらいたいです。

 

 

Category: ミラノサローネ2013 | Author 安西 洋之  | 
Date:13/3/18

ローカルのコンテクストを読み込む・・・lmap の目的はここにあります。lmapの活動をはじめて一貫して問うてきたことの一つは、「日本企業は新興国で市場をよく読みこんでビジネスの勝負をかけると言っているが、北米や欧州で市場のコンテクストを読み戦略的に勝った経験がないのに、なぜ新興国でできると考えるのか?」ということです。先進国市場はたまたま日本の技術革新の波が調和したに過ぎないのだから、新興国に立ち向かうにはゼロから考え方をたて直さないといけないのではないかと語ってきました。例えば、日本車が北米市場で大いに売れたのは、エネルギー危機以降のクルマの小型化と大いに関係があります。小さいクルマを作り馴れているメーカーが小回りを利かせて市場を「占拠」したわけです。(下図は著者のブログより)

大型車を作ってきた米ビッグスリーにはそれができなかった。だから「輸入の自主規制」を日本に迫りながら、一方で日本メーカーとの提携も行われたのですが、ここには一つの「法則」がありました。「小さいクルマを作っているメーカーは大きいクルマを作れるが、大きいクルマを作っている会社は小さなクルマを作れない」ので、日本メーカー有利とされました。大は小を兼ねるのではなく、小は大を食うのです。ただ実際、大=高級化の路線にはそれなりの苦労を日本メーカーは強いられた(あるいは、強いられている)ので、ことはそう簡単ではありませんが、大まかに言えばそういうことになります。

他方、マーケットには別の「法則」があります。市場のレイヤーの上から下がるのが鉄則で、下から上には行けない。高級ブランドを確立してセカンドレイヤーに行くのは容易だが、安価なレイヤーで市場を作った商品がバージョンアップして高級品市場にいっても「成り上がり」扱いされて高級品市場のコンペティターと同じ利潤はとれない、というものです。前述の高級車市場で苦労する日本メーカーもその例です。欧州の自動車を羨むのは、原価とは別の価値が高く評価されているからです。

振り返ってみると、ある時期から日本の多くのメーカーは、この二つの間、一つは「得意の小型から儲けが出る大型へたどり着きたい」、一つは「上に行けない苦労を避けたい(上から入る道はないのか)」、との選択肢のなかでどちらを選ぶかいつも悩んできたように思えます。1980年代後半以降の「機能や品質ではない付加価値を求めることこそ、顔がないと言われる日本製品を救う道である」というスローガンは、NO1の米国を脅かす存在となった日本への自信と相まっていや高くなったのです。因みに、日本文化を商品企画のなかに入れ込むというのも、この時期からの傾向です。

さて、本書にはいろいろな意味で疑ってかかるべき点があります。だいたい「リバース(逆流)」と新興国から先進国へのイノベーションの持ち込みを表現するところに「悪い意味の文化人類学的性格」が出ています。未開地の問題を西洋の社会の解明に「利用」することと相似関係にあり、ずいぶんと米国的天真爛漫な物言いだなあと思います。同時に「新興国の巨人を侮るべからず。先進国で芽が出る前に叩き潰しておけ!」という粘着質を感じます。ただ、これはその民としての特徴だけでなく、1980年代に日本企業によってどん底に追いやられた米国の恐怖の記憶の裏返しではないかとも思われます。したがって、この本で記されていることをそのまま鵜呑みにするのは、「清純がもつ牙」を自覚しないことになります。

それらを認識したうえで、ぼくは本書は一読に値すると思います。以下はHIVのハイチでの医療を米国に適用した事例の一文です。

そのモデルでは、「医師は健康状態が損なわれたと判断されるときにのみ、最高レベルの技術で医療を行います。地域保健従事者が医師を補助するのではなく、医師が地域保健従事者に手を貸すのです。現在の医療制度をそうした方向にもっていかなければいけません」。

リバース・イノベーションが本国に戻ってくる過程では、支配的論理をひっくり返す必要が生じることが多い。イノベーションはしばしば変革をもたらす。つまり、地域保健従事者の役割を自発的介入者まで押し上げて、医療サービスの最先端に近づけるのである。

あんまりビジネス書を馬鹿にするものではありません 苦笑。

 

 

 

 

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