Date:13/8/11

今、世の中は細分化と統合化の両論が語られています。何か特化した知識や分野をもたないと存在価値がなくなるとの脅しがあり―グローバル化は先進国の君をドスンと突き落すー、もう一方に複数の分野を跨がないと自滅するぞと警告ー君は人間なんだから論理をジャンプできないといけないーが発せられています。

結果、膝をビクビクさせることになり、どうでもいいチマチマしたことばかりが跋扈するとの変な現象を招いているわけです。むやみに威勢が良いのも恐怖心の裏返しであり、まあ、あまり歓迎すべきことではないと思うのですが、確実に言えそうなのは、個人の経験というのがかつてとは比較にならないほどにポイントがおかれるようになったんですね。

そういうこともあって、ぼくはこの10年ほど、文学の復活というか復権を密かに期待しています。個人の経験というのが経営学者なんかの玩具になっちゃあいけない!と思うぼくとしては、「全体の統合を描くとはこうだ!おまえらにできるか?!」と、今脅している連中に「倍返し」(と、ここで半沢直樹風)をするタイミングではないかと考えています。

さて、lmap勉強会19回目のお知らせです。参加希望者は、anzai.hiroyuki(アットマーク)gmail.com かt2taro(アットーマーク)tn-design.com までお知らせください。議論に積極的に参加していただける方、lmap の今後の活動に貢献していただける方、大歓迎です。内容に一部変更になる可能性がありますが、その際は、ご了承ください。場所はいつもと同じく、六本木アクシスビル内のJIDA事務局(http://www.jida.or.jp/outline/)です。

9月21日(土)16:00-18:00 「文化コンテクストを読むサービスデザイン」

最近、「1週間で3台のテレビを試した結果、サムスンが最高だった話」とのブログを読みました。米国在住の日本の方が何度も返品を重ね、結果、サムスンのテレビを買ったというのです。そこにこういう一文があります。

そうそう、アメリカに来て返品文化にすっかり慣れてしまってる最近です。なんて言って返品したらいいんだろう?なんて最初はドキドキしてましたが、今じゃ素直に小さすぎだったよと悪びれずに言えるようになってます。いいんだろうか、悪いんだろうか。でもアメリカでの生活には必須のメンタリティです。

米国では返品が当然の行為として定着しているからこそ、1週間で2回も返品して3台目で気にいる買い物ができたというわけです。このブログに対し、サービスデザインの普及に努める長谷川敦士さんは、フェイスブックのご自分のタイムラインで下記コメントをしています。

従来UX(=商品品質)業界の人は、「UXは購入前に体験してもらうことができないので、どうしてもスペックやイメージ重視のプロモーションに頼らざるを得ない」ということを口にしていたが、この「試してみて、体験がいやだったら返品」ということがもっと普及すれば、商品戦略もよりUX重視になるのだろうか。日本でも(アマゾンの靴やファッションのサイト)Javariとか、そういう文化は輸入されつつあるが、まわりの反応を見ても、まだ「返品は販売者に失礼」という感覚は強いように思う。

文化コンテクストの違いがサービスにおける質の差を生んでいると言ってよいでしょう。あるいはサービスの考え方の違いが、新たな消費文化を作っていると表現できるかもしれません。

そこで、今回は「どういう人のどういう価値観に、自分たちの提供できるものを当てはめられるのか、UXを前提に考えていくのがサービスデザインです」と語る長谷川さんに、サービスデザインとは何か?をお話しいただいたうえで、サービスデザインとローカリゼーションについて皆さんと議論をします。

参加にあたっては、長谷川さんのインタビュー記事を事前に読んでおいてください。

http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2013/03/06/14122

参加定員数:20名
参加費:1500円(18:00以降の懇親会参加費を含む)

講師:長谷川敦士(はせがわ あつし)さんの略歴

1973年 山形県生まれ。東北大学理学部物理学第二科卒業。 東北大学大学院理学研究科物理学専攻博士前期課程修了(理学修士:素粒子物理学)。東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士課程修了(学術博士:認知科学)。ネットイヤーグループ株式会社を経て、2002年株式会社コンセントを設立、代表取締役に就任。著書に『IA100 ユーザーエクスペリエンスデザインのための情報アーキテクチャ設計(BNN新社)』、監訳書として『デザイニング・ウェブナビゲーション(オライリージャパン)』などがある。武蔵野美術大学、多摩美術大学、産業技術大学院大学非常勤講師。NPO法人人間中心設計推進機構(HCD-Net)理事。情報アーキテクチャアソシエーションジャパン(IAAJ)主宰。株式会社AZホールディングス取締役。

個人のブログはこちら→ http://www.underconcept.com/blog/

尚、フェイスブックのページ(下記)でもローカリゼーションマップの最新情報を提供していきますので、このページを「いいね!」に入れておいてください現在(8月10日)、2405人の方にフォローいただいています。

http://www.facebook.com/localizationmap

 

Date:13/8/1

20代、ぼくは横浜でよく酒を飲み遊んでいました。ちょうどそのころ、桜木町にあった三菱重工の造船所が撤退し新たな都市開発が行われることが仲間の間で「噂」として広がりました。商業施設ができるとか、美術館ができるとか・・・ナニ?という感じでした。NOと言うわけじゃないけど、なじみのある風景を短い時間で急変させることに違和感を持ちました。そこで遊び仲間と「とりあえず、跡地を大きな空地にしようよ。そして次の世代にあの土地の利用を考えてもらおう」と言い始め、ああだこうだ、と議論が始まりました。オープンカフェなどというものがとんと普及していなかった時代、ぼくたちは街の中で質の高い空間を味わう経験がアピールには必要だと思い、日本銀行の前の大通りの並木の下で日曜日に集まることにしました。

道を正々堂々と使うわけです。警察に許可をお願いすることもなく。もちろん大通りのど真ん中でやるわけじゃないですが、ぼくのビッグホーン4WDや友人のBMWなどを駐車させ、そのクルマのまわりに椅子を並べ昼食をとったのです。80年代前半、そういう風景がパリにはあっても日本の都市にはない(と、思い込んでいた)。それは街の扱い方でもっと工夫する余地があるのではないか、という提案でした。通りかかりの人たちとも軽くコミュニケーションをとり、「街の軽い空気」を自ら演じることが大切だと思ったのです。

その後、仲間は増え山手のイギリス館で、横浜市長や都市計画局の人たちとのミーティングをもったりして、なんとかして「空地構想」を実現しようと動いたのですが、「みなとみらい」という既定路線は、当然のことながらビクともしませんでした。あ~あ~と開発が進むのを横目に見ながら、結局、ぼくは横浜を離れてイタリアにきました。だから、イタリアに来てから十年以上はほとんど横浜に足を運びませんでした。余談ながら、欧州風を吹かすバーのうさん臭さにも嫌気がさして、そういう店にも一切顔を出すのをやめました。

まあ、ぼくにとって「空地構想」は横浜のもつ「ニセ西洋」からの脱皮でもあったんだな、とも思います。ただ、一部でもいいから都市の空白を残しておきたいという欲求は特に日本の美学でもなく、同世代のイタリア人の友人たちが空地や路上でサッカーボールを蹴った日々を風景としても残しておいて欲しかったと語るのを耳にするにつけ、都市構造やランドスケープに本当のところ、どこまで文化性が問われるのかは、常に眉に唾つけて聴いておかないといけないと感じます。

いったい風景や景色というものは、そんなに変わるものなのだろうか。何年も何十年も、ばあいによっては百年の月日が必要にも思われよう。

が、東西の歴史を振り返れば分かるのだが、実はわれわれは景色を変えることしかやってこなかったのである。レバノン杉はすぐになくなったし、パリは変貌し、福岡のシーサイドは一変した。それが文明であり、文化というものだ。

文化や文明とは、その景色の変え方に本質がある。問題はその変え方だ。都市計画や環境計画や景観学や庭園学では、こうした変え方を「造景」「設景」「修景」などという。まとめて環境デザインともランドスケープデザインともいわれる。

こう松岡正剛は書いています。この話って、盛んにローカリゼーションマップで言っている、プラットフォームは同じでも文化が違うとアプリや使い方、あるいは売り方が違うという話と大分似たところにいます。空地で野球をやるかサッカーをやるかは違ったけど、空地が似たようなガラスと鉄骨のビルに変わるのは同じかもしれません。

過去形と現在形の狭間や過去形の遺し方の多様性にこそ注目すべきなのでしょう。

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
Date:13/7/31

ぼくの幼少時の外国人体験を思い起こすと、家の近くにあった教会の米国人神父家族、米軍の軍人、横浜中華街の中国人といった人たちとの接触ーといっても、直接コミュニケーションをもったのは神父家族程度だったと思うーでした。これはぼくの個人的な経験という偶然もありながら、同世代の一般的な傾向が如実に出ていると言ってよいでしょう。

現在、ミラノに住んでいて南米人とのコンタクトはクーリエサービスの運転手やアパートの守衛あるいは掃除をする人たち、アフリカの人たちは露天のモノ売りであることが多いです。そして中国人は飲食店や小売の人たち。もちろん、これはあくまでも街で出会う人たちであり、ビジネスや教育関係の世界に入ると彼らも全く違った登場の仕方をしてきます。一方、韓国人はビジネスかプライベートな生活でのレイヤーが圧倒的に多く、中国人のように小売やサービス業でこちらが客として偶然に知り会うことが少ないです。これも日本人の個別の事例というより、普通に生活しているイタリア人の体験とそう変わりません。

すなわち多くの国籍、多くの民族の人たちに囲まれて生活しているように見えながら、実は非常に限定的な側面しか見ていない。そういうのをあえて超えるには、子供の学校ー特に公立の小学校ーの親と沢山付き合ったり、社会貢献的な活動に精を出すことですが、自らの殻を取り除くためという名目では継続的な活動は続けにくいものです。とするならばー話はかなり飛躍しますがー、この「敷居」の高さは、飲食店や小売りで世界にネットワークをもつことが、ある国の経済を活性化させる「情報収集」に如何に役に立つかの反証にもなります。

華僑や印僑のことを言っているわけですが、上海発でシルク素材をコンテポラリーなデザインで表現し、一流中国ブランドの確立に的を絞った戦略を着実に実行しているアナベル・リー・シャンハイの創業者が日本留学時代に向き合わざるをえなった現実がもつ意味は、ビジネス面からも示唆するところが大です。

1988年、父に半ば強制されるようにして、彼女は日本の地を踏んだ。日本語の予備知識ひとつなく、文字どおり西も東もわからない。(中略) 彼女の場合も、持ち帰り弁当店などでアルバイトをするかたわら、日本語の勉強に精を出す苦しい毎日が始まった。若いからこそ耐えられる、それは肉体的にも精神的にも過酷な日々だったに違いないけれども、彼ら彼女らはそういう暮らしを通じて、日本人とはどういう人々であるか、濃厚な集中講義を受けるにも等しい。一人の平均的日本人が付き合う階層的な範囲を大きく超え、学のある人ない人、カネのある人ない人、ウソをつく人つかない人・・・、彼らは実に多様な日本人と接していく。

現在、上海の中国人の100人に一人は日本留学経験者「留日生」と言われていますが、彼らの間でも「視点の交換」が濃密に行われてきたことを想像すると、商品開発からブランド戦略に至るまで、彼らの底力のソースを片っ端からリストアップしてみたくなります。

こうして生まれるいわゆる知日派は、ライシャワー的な、英語を喋る日本人ハイソサエティとの付きあいが生み出してきた類のそれとは随分と違うものになる。(中略)アナベル・リー・シャンハイのブックカバーが文庫本にジャストフィットしていて、しかもロゴふうの印をあしらったしおりがついていて読みかけのページをマークできるようになっていることなど、彼女が日本で、同世代の娘たちが電車の中で本を読みふける姿をじっと見ているだろう様子を想像させるものである。来店する日本人女性客は、必ずといっていいくらいこれを買っていく。

貪欲に生活しながら、読書習慣の妙に入り込んでいます。この例も「路地裏」と呼んでいいのかどうかわかりませんが、最近の日本食の海外プロモーション流行りーというか政策的な枠組みに入った、というべきーのなかで、その先に「路地裏経済の大きな地図」が描けることが分かると、スカスカ感の強い食周辺の論議ももう少しレベルアップするのではないかと思うことしきりです。

 

 

 

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
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