2006年にミラノの王宮で行われたマックス・ビルの展覧会のことは何回か書きましたね。マックス・ビルは1920年代、バウハウスで勉強した後、アーティスト、工業デザイナー、建築家、グラフィックデザイナーとして、いわばマルチに才能を発揮しました。その意味で、トータルな表現を狙ったバウハウス教育の趣旨にあっていたことになります。専門馬鹿にならず、もっと幅広い部分から見えるものがあるはずだ、そういう考えがマックス・ビルの頭の中にあったのではないかと想像します。

2006年とは限定しませんが、その頃、ぼくの周囲でも「やっぱりバウハウスはすごかったよね。あのスピリットは間違っていなかった」と言う人が増えてきました。常にどの時期にもバウハウスファンはいますから、今までそうは言っていなかった人が言い始めたという点がポイントです。テキスタイルデザイナーも、「今は、カスピ海やアフリカにモチーフを求めるのではなく、過去のどこかの時代にモチーフを求めることが多くなってきた。1920年代は注目だね、特にバウハウスは見直すときだ」と語るのを聞いたとき、ぼくは「ああ、動いてきたな」と思いました。
それまでも、従来の縦割り分野を如何に横断的に見直すかということは、色々な分野で論じられてきました。役所のシステムもそうだし、アカデミズムもそうです。総合的により立体的にコトを把握する必要性をたくさんの人たちが感じはじめていました。バウハウスはその一つのシンボルではないかと思います。
案の定といいましょうか、昨年のサローネをみていても、今までの近視眼的な見方をどうすれば脱することができるのか?と問いかけてくる試みが増えてきたというのが、ぼくの印象です。
昨日、トレンドをおさえるためには海図をもたないといけないと描きました。トルトーナ地区を、足を棒にしてただ歩き回るだけでは、トレンドはなかなか分からないですね。「2008年ミラノサローネ」で書いたように、トレンドフローの最初にはコンテンポラリーアートもあるし、過去のアートの展覧会にもヒントがあります。デザイナーやプランナーたちはこういうものを見ています。そこから時代の動きをつかまえます。少なくても、せっかくですから、同じものを見ましょうということです。そうすると歴史への目配りがとても大切になってくることに気づくはずです。

よくパワーポイントで企画書を作りますね。チャート図があってキーワードをちりばめたようなタイプです。やや直感志向ともいえます。昨日、「 ヨーロッパの人たちは、何かを企画するとき、まず抽象的なレベルで大枠をつかまえ輪郭を描きます。 そこから具体的に落とし込んでいくのですね。」と書きましたが、ヨーロッパの人たちは、パワーポイントではなく、まずワードでびっしりと文章を書くことが多いです。もちろん分野にもよります。あくまでも比ゆ的な話として読んでください。目の前に陳列されているのがプロトであれなんであれ、この文章に書いてあることを理解することがキーです。
どこの展示場に行っても入り口に、プレゼンの目的や趣旨が書いてあるでしょう。あれを無視してはいけません。それを読まずに、陳列された作品の出来を論じても、あまり意味のないことです。この人の意図がどこまで表現できたか。趣旨を読まずに理解するのは不可能なはずです。
ちょっと硬めの内容になりましたが、明日はもうちょっと具体的に、今日の内容を解きほぐしてみます。
先日、ミラノサローネがどういう位置にあるかについて書きました。イタリアがトレンド創出の場として評価されはじめてきたことと並行している、と。そこではライフスタイルの読み方がキーですが、じゃあ、ライフスタイルって何なのでしょう。朝、職場に出勤して10時頃、「ちょっとカフェを飲みに行こうか」というのもそうです。「イタリア人の遅刻の理由」は一つのヒントにはなるでしょう。
ぼくがサローネにやって来る人たちに言っているアドバイスがあります。「それぞれの展示会場でカラーやフォルムのディテールを見るのもいいけど、全体的な文化トレンドを見るといいですよ」 と言います。「マックスビルのポスターを作ろう」でも書いたように、ドゥオーモの横にある王宮やトリエンナーレで開催している企画展を通じて、今の時代をどう見るといいのかがよく分かります。たとえば2006年にバウハウスの巨匠とよばれるマックス・ビルを紹介したのはなぜなのか、そのキュレーターの意図を読むといいのではないかと思うのです。

ヨーロッパの人たちは、何かを企画するとき、まず抽象的なレベルで大枠をつかまえ輪郭を描きます。 そこから具体的に落とし込んでいくのですね。よく西洋人はロジックからいき、東洋人は直感からいくと表現されるところです。このどちらが良い悪いではなく、少なくてもミラノに来てトレンドをつかもうとするなら、この大枠をおさえないと海図をもたずに航海するものだと言いたいのです。
じゃあ、次にどんな見方をするといいのかは明日書きます。