いろいろな分野に人のネットワークがあると自分では自負していても、案外、「それでどうした?」と思われたりします。医者や弁護士のように機能が比較的理解されていると考えられる職業であれば、「そういう友人をもって便利だね」と言われますが、建築家だとちょっと遠のく。空間を設計する人の「機能性」は理解しずらい点があります。それゆえ、一般人に分かりにくい仕事の場合、まったく新しい言葉でそれを定義しなおすか、できるだけ皆が知っている職業カテゴリーにはめ込みます。「いろいろな分野」の「いろいろ」自身が視界に入っていないケースが多数なのです。
今週の月曜日、UXD Initiative 研究会で「イタリアンライフを題材にしたローカリゼーション・ワークショップ」後の懇親会で経験の統合に関して話していると、千葉工大の安藤昌也さんが「人には機能と役割があり、若い時は機能が優先し、年齢が増すにしたがい役割が大きくなる」とコメントをくれました。その表現を使うなら、普通、インダストリアルデザイナーは機能でしか見られません。医者が「心を落ち着ける相手」として役割を期待されるようにインダストリアルデザイナーが評価されることは稀です。
本書で引用されている2000年国勢調査によれば、グラフィックやファッションなどデザイナーで生計を立てている人は16万人。アーティストが約4万人、写真家が約5万人とあります。そしてデザイナーのインダストリアルデザイナーは約2万人であり、そのうちインハウスは60%、フリーランスが30%、残り10%が行政や学校に勤めています。
というわけで、中小企業が仕事で付き合えるフリーランスの工業デザイナーは日本中に6000人くらいしかいません。2万人に1人しかいない計算です。おまけにデザイナーの都道府県別の就業者数分布を見ると、東京・名古屋・大阪の大都市圏にデザイナーの8割が集中しています。
地方の地場産業の活性化に際しデザイナーが登用されても、なかなか難しい状況がこの数字から伺えます。地元事情をよく把握したデザイナーを期待することに無理があります。しかもデザイナーが考える「売り方」に本当の鍵があると思っていない企業が多く、色や形がマシになればそれでヒットするのではないかと期待をするものだから、大きな誤算がどんどんとつみあがっていきます・・・結果、デザイナーなんて役に立たないと思われてしまう。一方で「機能」だけでなく「役割」をも期待されたいというデザイナーも多く、交差しないお互いの思いが空を駆け巡っていることになります。
男性中心で、無名で、職人肌で、下請け受注で、「志」はあるけど営業も金銭勘定も苦手。中小企業によくいるタイプではないでしょうか?
日本のインダストリアルデザイナーはおしゃれじゃないけど腕時計だけは変わっているんだよなあ、との印象をもっているぼくとしては、こういう説明をデザイナーの著者がするーせざるをえないーことがとても皮肉に思えます。なにせふつうの人たちの日常には登場しない人たちなので、逆にアーティスティックなイメージをもたれ、おつきあいするには敷居が高いと中小企業に感じられている。これが両者の不幸を生んでいるわけです。「俺、みんなが思うほどモテないのに、どうも女の子は遠巻きに見るんだよね」というやつです(・・・かな?)。
そこでバシリーという表現は使っていませんがーでもいいからデザイナーを使いこなせ!と本書は書くわけです。企画の最初の段階にはじまり試作、場合によっては営業窓口にまでフリーランスのデザイナーは使い勝手が良い、と。それも嫌々やるのではなく、ビジネス全体の構想を描くところにこそデザインの意義があると説きます。デザイン的発想こそが、21世紀のビジネスのキラーアプリであると考えるのが妥当であるかどうかは判断しづらいですが、少なくても、この5年-10年についてはそうでしょう。
なお、対抗馬は、言葉の使い手である文学ーつまりは文学的思考ーか? というのがぼくの予想です。












