Date:13/10/23

最近、考えていることをメモしておきます。

先週、サンケイBizの連載コラムに掲載した「「デザインの位置」 勘違いする人が出てくる原因とは?」は、デザインを語る人が増えているなかで、どうもモヤモヤ感が伴っている現状について書きました。スタイリングのデザインと社会の仕組みを指すデザイン。可視化が重要と言いながら、可視化されたものにあまり敬意を払わない・・・・それは昨日、いみじくもミラノの工科大学のデザインの先生が学生を前に「君たちはデザイン界のスターになるのではなく、デザインの現場オペレーターになるのだ」と喝破した「職業としてのデザイナー」の位置が、デザインの社会的ポジションをよく表現しています。

昨日、ミラノの雑貨セレクトショップ Cargo & High-Tech の創業者の「今のデザインに魂があるのか?」というプレゼンを聞きました。フランスやアメリカのデザインに刺激をうけることが多かった一方、日本の焼き物からも「思考の深さ」を学んだとも話していました。そして、それは無印良品にも綿々と継がれていると評価が高かったのですが、ぼくはこの「思考の深さ」は本当なのか?ということを自問しました。仮にそうだとするならば、日本文化にある「定義やジャンル分けを拒否する」と「生産性の低さとネガティブにとらえられる長時間労働」が「思考の深さ」を導いているかもしれないと思いました。何時間考えたか?は思考の深さに直結します。

先週、トリエンナーレで行われた隈研吾とイタリアの Cino Zucchi の二人のプレゼンを聞いたのですが、隈研吾の脆弱性を強みとするとする主張ーコンクリートではなく竹やその他のローカルな材質を使うべきだーは、欧州人の聴衆にかなりインパクトがありました。多くの中国からの留学生も満足気な表情をしていました。一見、隈とZucchiは結果として似たような表現に到達しながら、そのプロセスに違いをみます。そのような点に注目しながらも、隈研吾の評価の高さは建築ーそれもシンボリックな公共建築ーであるがゆえであり、これが大量工業製品になると同じような論理は適用しづらくなりますー人々が非日常空間として愛でることと、日常生活のなかで日々使うものの評価軸の差は大きいー。

だからこそ無印良品は日本文化の良きエッセンスを体現しているとみられることに意味があります。無印良品は1980年にスタートしましたが、70年代までの高度成長にあった「経済第一主義」から「文化の時代への準備」という潮流で生まれました。1991年にはロンドンに海外第一号店を出して「我々は西洋の物まねから脱して日本文化の顔をした商品を売っていく」との姿勢が見えました。これは80年代から多くの日本企業にではじめた「品質、機能、価格だけではなく、付加価値をつけた顔のある製品」への希求の一つであったと考えるのが妥当です。

さて昨日のことに戻りますが、「今のデザインに魂があるのか?」のプレゼン後、上海でブランドビジネスをしている中国人と日本人のご夫妻と夕食をとりました。「中国の商売は瞬間的に大量に売り捌くことが良しとされ、ブランドの確立? 何それ?という感じなんですが、十年以上やってきた我々のことを評価してくれる中国人もじょじょに増えてきました」と伺いましたが、そういう場にあって「思考の深さ」や「長時間労働」がどのような意味をもつかを話し合いました。確実に言えることは、ものごとを深く考えるには絶対的に時間が必要であり、企業という組織のなかでメンバーが同じ結論に至るには膨大な緻密な作業を要する、ということです。ネガティブにとられることが多い「意見調整」の時間をもう一度積極的に評価をしてみるのも一つかもしれません。

lmapでは「緻密性の要求される分野では緻密性を捨てる必要はなく、課題は緻密性の要求されない分野で緻密性をどう捨てていくか?」ということを繰り返し語っています。過去、日本の企業に多かった合理性の欠如ー特に海外市場向けの商品企画やメッセージの出し方ーをずいぶんと指摘してきましたが、これからは今後の強みとなるパートの広げ方にも発言を増やしていこうと思っています。来月初旬はジャカルタでデザイナーを相手にした講演があるので、このポイントにも言及できればしてみたいと考えています。

 

 

Date:13/10/6

ローカリゼーションマップという言葉をはじめて思いついたのが2010年1月です。以下の「サランラップのカッター」をネタに書いたブログあたりがスタート地点です。

http://milano.metrocs.jp/archives/2755

欧州における電子デバイスのインターフェースのユーザビリティ地域差異に関心があった。lmap構想は、その延長線上にありました。勉強会をスタートしたのが2か月後の3月。先月は19回目の勉強会でした。コンセントの長谷川敦士さんに講師をお願いし、「文化コンテクストを読むサービスデザイン」をテーマにしました。いつもと同じように活発な議論が交わされ盛況でしたが、質疑応答の一部がPDFで見られるようになっています→https://www.dropbox.com/s/roxdnulbogtav5w/lmap_minutes__130921.pdf

 

来月は20回目です。ユーザーエクスペリエンス(UX)がサービスデザインのキーワードになっていたので、電子デバイスのユーザビリティ→インタラクティブなインターフェース→UX→サービスデザインという流れから、今回は議論の発展系として、このUXを真正面から捉えようと思います。

参加希望者は、anzai.hiroyuki(アットマーク)gmail.com かt2taro(アットーマーク)tn-design.com までお知らせください。議論に積極的に参加していただける方、lmap の今後の活動に貢献していただける方、大歓迎です。内容に一部変更になる可能性がありますが、その際は、ご了承ください。場所はいつもと同じく、六本木アクシスビル内のJIDA事務局(http://www.jida.or.jp/outline/)です。

11月30日(土)16:00-18:00 「安藤昌也さんのUX論 利他的な『私』」

「俺がこう思うんだから、その感覚を重んじるべき」というニュアンスがユーザーエクスペリエンス(UX)の世界で強いような気がします。「ユーザー中心」は民主的なイメージがありながら、実はエゴイスティックな態度そのものではないか?と疑心暗鬼な目線が向けられがちです。特にスマホなど個人所有のデバイスが増えて「発言権」をもてばもつほど、その傾向は強化されます。「君が幸せじゃなかったらダメなんだよ」と語りながら、「君よりぼくの幸せのほうがもっと大事なんだ」とでも言いたげな・・・。

しかし、UXの本来の議論はそんなささくれだった角がたったものでなく、他人への思いやりで成り立っているのでしょう。そして、そこにある他人とは、君だけじゃなくて、まだ見ぬ彼女や彼を含んでいる。経験や感動のシェアというのは、人へのゴツゴツした押しつけではなく、水が自ずと流れて広がるような願いが隠されているはずです。

実は、このテーマはローカリゼーションと密接にリンクします。狙った市場への「友好的侵入」を図るにあたり、市場のユーザーを「さあ、来い!いじめてやろうじゃないか」と意地悪な存在とみるのは損でしょう。敵対的な態度を想定すると無駄な作戦に時間を費やしてしまいます。売り込み側にとっても説得的というポイントをよりソフトにするという視点だけでなく、お互いがもっと仲良くなれば上手くやれるのではないか?というアプローチが求められます。

今回はUXの第一人者である千葉工大の安藤昌也さんが、自らのUX論を敬称つきで語るタイトルにしてみました。安藤さんの現在のUX論に辿りつくまでのプロセス、これからの考えや実行していくアイデアなどを伺いながら、lmapのこれまでとこれからを重ね合わせ、新しい社会の組み立て方とビジネスの仕方について議論します。

参加定員数:20名
参加費:1500円(18:00以降の懇親会参加費を含む)

講師:安藤昌也(あんどう まさや)さんの略歴

1997年 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。NTTデータ通信株式会社(現株式会社NTTデータ)を経て、1998年 アライド・ブレインズ株式会社の設立に参加。取締役に就任。ユーザビリティ・アクセシビリティを中心にコンサルティング業務に従事。2006年 早稲田大学 非常勤講師、2007年 国立情報学研究所 特任研究員を兼務。2008年より公立大学法人首都大学東京 産業技術大学院大学 産業技術研究科 助教、2011年より千葉工業大学工学部デザイン科学科准教授。

ユーザエクスペリエンス、人間中心設計、エスノグラフィックデザインアプローチなどの研究、教育に従事。
2008年 ヒューマンインタフェース学会論文賞受賞。
2009年 総合研究大学院大学 文化科学研究科 メディア社会文化専攻修了。博士(学術)。
人間中心設計およびアクセシビリティの国際規格に関するISO/TC159(人間工学) 国内対策員会委員、Webや対話ソフトウェアのアクセシビリティに関するJIS原案作成委員会等で委員を務め、人間工学関連規格の作成・普及を推進してい る。また、NPO法人 人間中心設計推進機構(HCD-net)理事であり、同機構認定 人間中心設計専門家。他に専門社会調査士の資格を有する。
ヒューマンインタフェース学会、日本デザイン学会、日本人間工学会、Usability Professionals’ Association、日本消費者行動研究学会、日本マーケティング・サイエンス学会、日本応用心理学会の各会員。

尚、フェイスブックのページ(下記)でもローカリゼーションマップの最新情報を提供していきますので、このページを「いいね!」に入れておいてください現在(10月6日)、2444人の方にフォローいただいています。

http://www.facebook.com/localizationma

Date:13/8/12

ぼくがイタリアに来たのはカーデザインの巨匠であるジュージャロと一緒にイタルデザインを立ち上げた実業家の宮川秀之さんの元で修業するためであったことは、5年前に「ぼく自身の歴史を話します」で書きました。彼に教えてもらったことはたくさんあり、今もその言葉の数々が情景含めて耳に残っています。その一つに、こんなのがあります。

「ぼくはおカネがあり、社会的地位もあると言われる身だ。日本に行けば高級料亭の懐石料理をご馳走してもらう。でもね、本当をいえば、安いラーメンをおいしく食べる方が大事なんだよ。何もないところからどうなるか分からない不安だらけのプロジェクトをはじめ、やっと一息ついたところで食べるラーメンを美味しく思えるよう、どう自分をキープするか?なんだ」

ちょうど其のころ、イタリア都市史が専門の法政大学の陣内秀信さんと雑談していた時、「『イタリア都市再生の論理』のベースになる論文を準備している時、誰かに先を越されないか不安だったけど、そのドキドキがよかったんだね」と話すのを聞いて、「不安の解消の仕方」に宝が詰まっているのだと思いました。30代のはじめ、日本の会社をやめてイタリアで生活をはじめたころのことです。

また、宮川さんのこういう言葉も記憶に残っています。日本でバブルがはじけ3年ほどした時、「これから世界は大きく変わる。中世以来続いてきた売買関係とかの慣習が大きく変わっていくはずだ」と語りました。この言葉には数年前の「ぼくはイタリアに来て30年間、スペックはこうだ、金額はどうだ、サンプルはどうだ・・・ということをやってきた。でも、もう、そろろろ、この俺が言うんだから、そのまま契約しよう、と言われるビジネスにできないかと思うんだよ」というセリフとリンクしていたのではないかと後になって思ったのですが、ネット社会がスタートする前の言葉として含むところが多いです。


一方、今にして上記と関連があるなと思う友人の言葉があります。90年代後半、まだ夜回り先生と知られる前の水谷修さんが「明日は今日より良いという時代は終わったよ。昨日も今日も明日も同じ日が続く。明日が良いから希望が自動的にもてるというわけにはいかないんだよ。だからね、中世のような日々のなかでどう精神的なバリアを乗り越えるかが課題になるんだ」といった内容のことを話してくれました。

未来に向けた<シフト>について理解を深めれば、あなたはきわめて大きな選択を迫られるようになる。(中略) あなたがバランスの取れた生活を重んじ、やりがいのある生活を重んじ、専門技能を段階的に高めていくことを重んじるのであれば、それを可能にするための<シフト>を実践し、自分の働き方の未来に責任をもたなくてはならない。

そのためには、不安の感情に対する考え方を変える必要がある。自分が直面しているジレンマを否定するのではなく、強靭な精神をはぐくんで、ジレンマが生み出す不安の感情を受け入れなくてはならない。自分の選択に不安を感じるのは、健全なことだ。深く内省し、自分の感情にフタをしない人にとって、それはごく自然な心理状態なのだ。不安から逃れたり、不安を無視する必要はない。

と、グラッドンは書きます。しかも、「そのジレンマのなかにこそ、あなたが光り輝くチャンスが隠れている」とー悪い表現をすればー追い打ちをかけるわけです。380ページあまりの「未来の働き方」の本が実は「精神的な克服」をコアのテーマにおいている。不安との付き合い方は「強靭な精神をはぐくむ」ことにある。これは、一体どういうことでしょう。ぼくは「身体を鍛えるように、心は鍛えられない」とよく思いますが、それなら「不安な自分を面白がる」ことに突破口を見出すしかないことになります。

 

尚、本書には2025年の生き方が書いてあり、それを実践するための条件ークラスター重視や人肌のある環境ーが何度も出てきます。 ぼくは、これを読んでイタリア政府や自治体は、本書を使って2025年を生き抜く生活シーンはイタリアに揃っていると海外から優秀な人材と先進的企業を誘致すれば良いのにと思いました。

イタリア人が自国に自信をもつのも当然です。あと15年後の理想郷なわけですから 笑

Category: 本を読む | Author 安西 洋之  | 
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