トスカーナの露天風呂 の記事

Date:08/9/8

オリーブオイルのビジネスをやりながら、自分が知らないことが多いことに気づいたのでしょう。「自分の知っていることは知っているが、知らないことは、何が知らないか分からない」と語り、トスカーナに家族を残し、1989-99年にかけてブリュッセルの大学でMBAを取得します。自分で何もかもやるからこそ、自分の知っている領域をはっきりさせ、事前に知ればすむことは全て把握しておきたかったのです。「雑誌『THE ECONOMIST』をちゃんと理解したかった」と後になって話していました。

<結婚前、自宅の外で犬と戯れるファビエンとアレキサンダー>

オリーブオイルに対しても同じです。トスカーナのオリーブオイルのテスティングする資格も取得し、味を判断していきます。自分で何でもやるということは、単に無謀になることではないということです。彼は自然を愛し、自分の畑でできる野菜や果物を食べながら、ヴェジタリアンにはなりません。豚を飼いそれを自分で殺して食べるのも、ある摂理を守ることが大切だとの考えが根底にあります。常にバランスがとれています。

さて露天風呂です。最初、自邸の横にプールを作るというアイデアがありました。しかし、そこにプールを作ると景観を損ねると役所から建築許可が下りない可能性がありました。また日本の友人を沢山招きたいとも考えました。いわば、文化交流の場を作りたいとも思ったのでしょう。ファビエンと新婚旅行で味わった日本の温泉を二人で実現し、自分たちの日常世界にその経験を組み込みたいという気持ちが強かったと思います。

<風呂の場所からは、こんな風景が広がります。この山の向こうに夕陽が沈んでいきます>

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Date:08/9/5

日本文化、イタリア文化、この二つがアレキサンダーの世界を変えたと書いてきましたが、女性との出会いも同様に重要です。’92年に結婚するファビエンは結婚前から、彼の自邸にあるオリーブ農園の収穫などをベルギーから手伝いにきていました。彼がミュンヘンで哲学の試験勉強をしている最中、彼女が収穫を一人で取り仕切ることもあり、こうした姿が彼に与えた影響を大きいようです。それまでの本から学ぶ世界に距離をもち、自分探しの哲学が色あせてみえてくる、そういう時期がきたようです。「あの頃から、ストレートにものごとを考えられるようになってきた」と彼も語ります。

<上:ファビエンがトスカーナの空気に馴染み始めてきた頃の姿>

<下:結婚前のファビエンとアレキサンダーが家の前でバイクに乗っているところ>

彼はトスカーナに拠点を移しはじめてから、自分の手をより動かすようになります。93年に母親が亡くなり遺産として邸宅と農園を継いでからは、何でも自分で作り始めます。この頃からオリーブオイルのビジネスをはじめるのですが、ボトルに貼るラベルやギフトボックスのデザインも自分でやりました。グラフィックデザインを勉強したわけでもないのに、非常に洗練されたデザインでぼくは驚きました。林のなかに何頭もの豚を飼い、適当な体重になると自分でピストルをもって殺し、皮をはいで生ハムを作っていきます。これがまた抜群に美味しいのです。

このように野生味溢れる人間になっていきながら、彼が慎重にコトを進めるタイプであることには変わりません。

Date:08/9/3

漢字を覚えるのはアルファベットと比べると、とてつもなく面倒です。書くのも複雑で時間がかかります。しかし、一つの漢字そのものが伝えられる情報量はアルファベット以上です。その点にアレキサンダーの驚きがありました。何が効率的であるかということについて、彼はここで今までとは異なる座標軸を得たと言って良いでしょう。同時に、漢字の使われている象形文字が馬、牛、木、竹、草など自然や農業に関係のあることを知り、机上ではなく日常生活のなかでものを考える大切さを理解しはじめます。また、漢字を上手く書くために、左利きから右利きへも変えます。

<上の写真はアレキサンダーの父親です。第二次大戦時、アフリカで連合軍であるフランスの捕虜になり、戦後’48年に釈放になります>

アレキサンダーは半年間、日本に留学します。そのあいだ各地を一人で旅しますが、都内の下宿先は、昔ながらの冬は冷える家の二階で、彼は畳の上に座りひたすら哲学の本を読みます。日本で西洋人とつきあっても意味がないと、かなり禁欲的な生活を送ります。

彼が変わったのは日本文化だけが原因ではありません。’87年、母親がトスカーナに別荘を買います。イタリアで有名なTVジャーナリストの家で、今の自邸です。それまでもバカンスにはモンテカティーニを時折訪れていましたが、この’87年を境により頻繁にイタリアに来るようになります。イタリアで生きるには、すべからく実質的で実践的である必要があります。彼はこれを身につけていきます。彼の家系は15世紀のイタリアに遡るわけですが、自分の血にあるイタリアを発見していくプロセスがはじまったといえます。

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