スカンジナビアからイタリアへ の記事

Date:09/9/22

今日は「ヨーロッパ文化の伝え方(4)」を書くつもりでしたが、その前にこの記事を。ミラノのデパート、ラ・リナシェンテは1950年代からデザイン振興に貢献してきて、コンパッソ・ドーロも当初はラ・リナシェンテがスタートさせたことは、以前書きました。しかし、1990年代は比較的普通のデパートで、高級品でも低級品でもないあまり当たり障りのない品揃えをしていました。それでいて、品質は必ずしもよくはありませんでした。それがこの数年、大幅な路線変更で、ブランドショップが連なるようになりました。日本のデパートと同じです。空港のブランド免税店のような風景になってきました。いっぺんにではなく、階ごとにじょじょに改装を重ねてきました。そして、今まで食器や台所商品がメインだった地下一階が、この春、セレクトデザインコーナーになりました。Designsupermarket というフロアーです

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コンランショップやソニーはブース的な空間を作り、多くのブランドは見通しの良い棚が全てです。デザイン書籍があり、カフェ的空間もある。このデパートがミラノデザインをリードした一時代を思い起こすなら、こういうイニシアチブは評価するべきなのだと思います。ミラノはデザインの街だといわれながら、デザインを一覧できる場所がありませんでした。トリエンナーレに昨年初めにオープンしてデザイン博物館は、ミラノやイタリアのデザインを見渡す場所として、遅まきながらできました。ただ、モノを売る場所ではなく、そういう場所は、コルソ・コモ10などの断片を自分で組みあわせていくしかありませんでした。

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そういう状況のなかで、このラ・リナシェンテの「デザインスーパーマーケット」は、ちょうどあってはならない穴を埋めるべくして埋めたという位置づけになるのかと思います。しかし、コンランショップがありソニーがあるように、またイッタラがあるように、イタリアデザインで全てを埋め尽くしているわけではありません。カリム・ラシッドはビトッシの商品ですから、イタリアに範疇されてよいですが、そうではない商品も多いわけです。

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ぼくはイタリアの商品で全てを飾るべきだとは全然思わないのですが、商品をそろえるのに結構苦労したのではないかと思わせるところが気になります。実際、そんなことはなく、売込みが激しかったかもしれず、今もそうかもしれません。でも、そういう厳しさを感じさせないムードがあるような印象をもってしまうのです。それぞれには良いデザイン商品であっても、それを隅々まで浸透させる場所としてのブランド力に、どうも力がイマイチ達していないのではないかという思いを抱いてしまう。この不足感は何なのでしょう。

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結局、他人のふんどしで相撲を取ろうとする今のラ・リナシェンテのあり方が「場所力」自身を低下させているー一連の改装は売り上げの上昇傾向に貢献していることが一定期間あってもーだろうことが、どうもイタリア全体の商品力を物語っているように見えるのでしょう。ただ、世の中の最高級品と低価格品ばかりの二極化は、ブランドではない普通の品質の平均的な価格の商品を駆逐していることを表していますが、ラ・リナシェンテの「デザインスーパーマーケット」は方向としては、その中間層の再生に目が向いているようにも見えなくもなく、判断するためにはもう少し時間が必要かなとも思っています。

Date:08/2/7

イタリア企業のインハウスデザイナーという存在は珍しく、フィアットやアルファロメオなど自動車業界をのぞけば、あまりない事例です。オリベッティでさせインハウスではありませんでした。しかし、50年代、フランコ・アルビーニのところで働いていたコロンビーニをカステッリは社員として雇ったのですね。

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話は変わるけど、アルビーニの椅子って美しいですねぇ。思わずうっとりしてしまう(笑)。そう、そう、コロンビーニです。彼は、カルテルで10年ほど仕事をするのですが、その後、カルテルはインハウスデザイナーは雇っていないので、その頃のカルテルのデザインへの真剣度が分かろうというものです。勝負しましたね。ちょっと、師匠と同じカラーのコロンビーニの椅子をのっけておきましょう。

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すごく大雑把に言うと、こうやってデザインの中心地が北から南下してきたのです。ここでトリノを中心としたカーデザインに触れると、デザイン対象と文脈の違いがあり、 話がややこしくなるのでやめておきましょう(苦笑)。それはまたの機会に。

 

 

 

Date:08/2/6

コンパッソ・ドーロはよく日本のグッドデザイン賞と比較されますが、これは1954年に誕生しました。デパートのリナシェンテがはじめたものです。その後、デザイン組織であるADIに移行しますが、最初はデパートがイニシアチィブをとったのですね。ADI会長フォルコリーニの言葉を借りれば、「コンパッソ・ドーロをやるには商売上のそれなりの理由があった」のです。北欧デザインの商品は輸入品で高い。国産品は質が悪い。こういう悩みを抱えていたのですよ。そこで、デザインのレベルをあげ、良い製品を作る必要があったんですね。

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またまたフォルコリーニの表現を使えば、「イタリアデザインには父親と母親がいて、それはオリベッティとリナシェンテだった」という具合。このような状況のなかで、カステッリは企業家として奮闘していたわけです。もともと化学を勉強したカステッリでしたが、実際の製造の世界は分からないことだらけで苦労したようです。しかしながらまったく知らない分野でもなく、彼のお父さんがクルマのナンバープレートを作る会社をやっており、カステッリはそこで2年間働いた後に独立したのです。

だからカーアクセサリーにはなじみがあり、クルマの上にのせるスキーキャリアが最初のヒットでした。そして、バケツでコンパッソ・ドーロをとるのです。デザインはジーノ・コロンビーノ。快進撃のはじまりですね。

 

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