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	<title>さまざまなデザイン &#187; ピエール・ポランに会いに行く</title>
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	<description>ヨーロッパの目</description>
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		<title>ピエール・ポランがコミュニケーションを語る</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/2792</link>
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		<pubDate>Mon, 18 Jan 2010 21:20:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ピエール・ポランに会いに行く]]></category>

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		<description><![CDATA[何回か連続してコミュニケーションについて触れていますが、そういえば昨年６月に亡くなったフランスのデザイナー、ピエール・ポランがコミュニケーションについて語っていたと思い出し、２００４年３月に彼のモンペリエの自宅で話した記 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2793" title="ch" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/01/chaird9-300x214.jpg" alt="ch" width="300" height="214" /></p>
<p>何回か連続してコミュニケーションについて触れていますが、そういえば<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1702">昨年６月に亡くなったフランスのデザイナー、ピエール・ポラン</a>がコミュニケーションについて語っていたと思い出し、２００４年３月に彼のモンペリエの自宅で話した記録を探してみました。「<strong>１９７０年代ころから人々に深刻な問題を投げかけたのは、コミュニケーションだと思う</strong>」と確かに語っています。そして「コミュニケーションが建築やデザインに対する興味を失なわせた。特に、マスを相手にしたデザインだ」と続きます。今となっては確かめようがありませんが、<strong>「消費のためのマスコミュニケーション</strong>」について話していたのかなと思いますが、これは「<strong>消費されるコミュニケーション</strong>」という基本的なテーマに触れていたのではとも思います。彼は１９６０年代にヒット作品を続出しますが、じょじょにマスマーケットから気持ちが離れていきます。シンプル、しかもパーフェクトなもの。こうした作品は、デスクでさえ小型自動車相当の価格になりますが、ある時期から、彼はそういうものしか積極的に作る気がなくなったようです。因みに、<a href="http://metrocs.jp/products/detail/217.html">Ｆ０３１（プチ・デスク）は、１９５６年のデザイン</a>です。</p>
<p>コミュニケーションのためのコミュニケーションという形態に嫌気がさしたとも言えますが、彼はこうも語っています。</p>
<blockquote><p><span style="color: #0000ff;">「今の若い学生たちが、現状に反発しながら新しいものを生み出すことに期待したいな。新しいものは私からは出てこないよ。それらしき能力はまだあるけどね、それだけだよ。私は過去でしかないんだ。エレガントで巧妙だとしてもね・・・」</span></p></blockquote>
<p>圧倒的なコミュニケーションの渦に入り込まないと、その中で泳ぎきれず、泳ぎきらないと新しいアイデアは出てこない。だから自分は、それなりに人の目を楽しませるデザインをできるが、時代の革新を作りえないと告白しています。人は年齢を経るに従い、よりこなれた考え方をしていきますが、どうしてもとんがったものは若い年代にしかできにくい。年齢が上になるとできないというのではなく、確率としてそういう傾向にある。しかし、<strong>問題は年齢と経験の比例にあるのではなく、新しいものへの希求は自分たちの居場所を探り当てることであり、年齢を経て自分の場所がある人は新しい居場所を探る必要をあまり感じないことが多い</strong>、ということです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2794" title="chai" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/01/chaird14-300x212.jpg" alt="chai" width="300" height="212" /></p>
<p>このポランが「２００１年宇宙の旅」で使われた家具をデザインしたオリヴィエ・ムルグを「<strong>率直に言わせてもらえば、ムルグは才能があって私のデザインをコピーした最初の人物だ</strong>」と評しています。これは、なかなかな良い褒め方です。ぼくは、この表現を良く解釈すべきかと思います。いずれにせよ、人は他人の影響を何かしら受けるものであり、コピー自身をひとつのプロセスとして認めるべきで、肝心なのは「<span style="color: #ff0000;">良く継ぐ</span>」ことです。どう「<span style="color: #ff0000;">バトンタッチ</span>」するかでしょう。この場合、時間軸上のコミュニケーションともいえますーポラン自身、ネルソンやイームズの影響を否定していません。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2799" title="03242039_49c8c65bde460" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/01/03242039_49c8c65bde460-300x233.jpg" alt="03242039_49c8c65bde460" width="300" height="233" /></p>
<p>一方、<a href="http://metrocs.jp/products/detail/741.html">ロジェ・タロンについても、ポランは語っています</a>。「<strong>タロンは私とは正反対の仕事</strong>をしたね。私がエリート主義とすれば、彼は大衆主義。TGVのデザインはすばらしいな。本当のイノベーションだったよ。まあ、家具についてはゼロだけどね・・・」と、タロンの大企業とのコラボレーションのあり方に高い点数をつけ、自分はそのような仕事には向いていなかったと暗に示しています。冒頭に述べた、「消費のためのコミュニケーション」も「消費のコミュニケーション」も、ポランの生きた世界ではなかったのです。</p>
<p>ここでぼく自身のことを話せば、ぼくはポランの世界とタロンのそれの両方に生き、その両方がぼく自身にとって必要です。プランナーという職業的役割ではなく、非常に個人的な趣向的なこととしか言いようがないのです。ここはロジカルではなく、ありきたりに言えば、ぼくにはこの二つの世界がないと息が詰まってしまうのです。それが、ぼくの内にあるコミュニケーションです。</p>
<p><strong>やや結論的なことを言えば、コミュニケーションとは静的状況の定義ではなく、動的な状況をあらわし、さらに言えば主観的な発信と主観的な受信であり、そこにニュートラルな性格を求めるのは、コミュニケーション本来の意味とは程遠い</strong>ということです。<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/2781"><span style="color: #ff0000;">説得的でないといけない時、それを回避する方法は説得以外にありません</span></a>。</p>
<p>＜関連エントリー＞</p>
<p><a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1702">「ピエール・ポランが逝く」</a></p>
<p><a href="http://milano.metrocs.jp/archives/28">「ピエール・ポランに会いに行く</a>」</p>
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		<title>武田龍夫『物語　北欧の歴史ーモデル国家の生成』を読む</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/2032</link>
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		<pubDate>Sat, 22 Aug 2009 09:36:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ピエール・ポランに会いに行く]]></category>
		<category><![CDATA[本を読む]]></category>

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		<description><![CDATA[フランスのデザイナー、ピエール・ポランは「戦後ヨーロッパの荒廃の中で、スカンジナビアでモダンデザインを見出した」という自らの歴史を語ってくれたことがあります。その時、彼が影響を受けたスカンジナビアとはフィンランドであった [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>フランスのデザイナー、ピエール・ポランは「戦後ヨーロッパの荒廃の中で、スカンジナビアでモダンデザインを見出した」という自らの歴史を語ってくれたことがあります。<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/34">その時、彼が影響を受けたスカンジナビアとはフィンランドであったのですが、以前書いたブログを引用しましょう</a>。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2034" title="fi" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/finland-ot64-300x155.jpg" alt="fi" width="300" height="155" /></p>
<blockquote><p><span style="color: #0000ff;">フィンランドのロヴァニエミといえばサンタクロースの北極圏の街ですが、アルヴァー・アールトが都市計画に関わり多くの作品があることでも有名です。第二次大戦が終わって数年を経た１９５０年前後、ピエール・ポランはこの街を訪れます。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">幼少のポランにはクルマ関係の仕事をしていた大好きな叔父さんがいました。ベントレーやロールスロイスがクライアントで、小さなピエールもカーデザ インには憧れました。この叔父さん、ドイツのメッサー・シュミット戦闘機の部品を作ってもいたのですね。そう、英国側のためにドイツ軍のスパイもやってい たらしく、結局、フランス人のゲシュタボに見つかり処刑されてしまいます。１９４２年のことです。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">このような辛い戦争を経て平和な時代となった、しかし、あらゆるところに戦禍のあとがみえる１９５０年前後、ポランはフィンランドで衝撃的なデザイ ンに出会ったのです。スウェーデンを筆頭に北欧デザインが世界をリードしていた頃です。別の機会にも書きますが、この頃、北欧デザインに憧れていた人たち はものすごく多い。例えば、プリア・チェアをデザインしたイタリア人のピレッティなどもそうです。彼はヤコブセンに弟子入りしました。イタリアがヨーロッパのデザインセンターとなる前のことです。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">ポランはフィンランドでモダンと遭遇しました。森の中にも、戦時中に司令塔として使われたのであろう丸太が積まれたまま残り、多くのスキー板が虫に食われたまま放置されている、そういう風景から一歩出たところでアールトのデザインをみたのです。</span></p></blockquote>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2035" title="win" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/winter_war-300x189.jpg" alt="win" width="300" height="189" /></p>
<p>ぼくは、この虫に食われたスキー板のことが、その後も気になっていました。ポランはこれを語りながら、この世のものとは思えない怖いものを見たという表情をしていたからです。今思えば、それは単に虫に食われた惨状のことだけではなかったのかもしれません。フィンランドは<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E6%88%A6%E4%BA%89">１９３９年１１月にソ連との間で始まる「冬戦争」</a>、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E7%B6%9A%E6%88%A6%E4%BA%89">１９４１年６月からの「継続戦争」</a>、これら二つの戦争で惨憺たる状況を生みました。しかし、国際世論の面からいえば、フィンランドは両戦争で全く別の立場にありました。「冬戦争」ではソ連の横暴に屈しない小国フィンランドの独立心と闘争心が世界中を味方につけ、英雄的評価をうけました。次の「継続戦争」は相手が同じソ連とはいえ、ドイツ・ナチと手を結んだことから、「冬戦争」で獲得した評価を自ら覆す結果を導いてしまいました。苦渋の決断だったにせよ、連合国を敵に回したことは大きなマイナスを背負い込んだに違いありません。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2036" title="fs" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/08/finn_sniper_i-300x291.jpg" alt="fs" width="300" height="291" /></p>
<p>さて、「冬戦争」で活躍したのが各種のゲリラ手法で、その実行には白服のスキー部隊がありました。極寒マイナス４０度のもとで戦う彼らは、英雄的評価のシンボルでした。本書でこのくだりを読みながら、ポランのあのときの表情は、世論のバックアップをうけた「冬戦争」のスキー兵の活躍とその結末を思い出していたのではないかとふっと気がついたのでした。「虫に食われたスキー板」の意味が数年を経て分かったのも不勉強のきわまりですが、それを語ったご本人は今年６月に亡くなっているので、「十分に分かり、それを分かったと相手に適切なタイミングで伝えるのは難しいものだなぁ」と思います。</p>
<p>本書はデンマークからスウェーデン、そしてノルウエーとフィンランドが順繰りに独立していく歴史と、それに至る嫌になるほどの戦いの繰り返しを描き、スウェーデンの「中立」は必要性から生まれたことがよく分かります。「中立」だけではありません。国連への貢献度の高さが、どういうバックグランドからきているか、それらが見えてきます。北欧諸国が環境問題などで今新しいモデルを提示していますが、痛々しいほどの厳しい歴史と状況で生み出された産物であろうという思いを消すことは難しい・・・そんなことを考えながら本書を閉じました。</p>
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		<title>ピエール・ポランが逝く</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/1702</link>
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		<pubDate>Tue, 23 Jun 2009 10:09:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ピエール・ポランに会いに行く]]></category>

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		<description><![CDATA[６月１３日にフランス人デザイナー、ピエール・ポランがモンペリエで逝去したと聞いて、「最後に話したのはいつだっけ？」と考えました。今年のはじめ、電話で話したような気がしますが、よく覚えていません。昨年から体調に優れないこと [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>６月１３日にフランス人デザイナー、ピエール・ポランがモンペリエで逝去したと聞いて、「最後に話したのはいつだっけ？」と考えました。今年のはじめ、電話で話したような気がしますが、よく覚えていません。昨年から体調に優れないことは奥さんから聞いていましたが、やはりこのニュースには驚きました。８１歳でした。</p>
<p>最後に会ったのは、２００７年のミラノサローネだっと思います。ミラノのホテルで会い雑談を交わし、奥さんと３人で一緒にタクシーに乗り、コルソ・コモ１０へ出かけたのでした。ぼくが彼の「フランスでの偉大さ」を感じたのは、去年のミラノサローネで、フランスのＴＶ局が製作したビデオを見たときです。中堅のフランス人デザイナーが、口々にピエール・ポランの先進性を絶賛しているのを聞き、「そうか、フランスのデザイナーにこんなに影響を与えていたのか・・」と知りました。若い頃の彼自身、フランス国内ではあまり評価されずにオランダのメーカーを頼りにしたということを語っていましたから、何となくフランスでのポランには明確なイメージがもてませんでした。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1703" title="08" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/06/08-214x300.jpg" alt="08" width="214" height="300" /></p>
<p>もちろん、エリゼ宮での仕事はよく引用されます。実際、大統領時代のポンピドゥやミッテランとの関係が、以下フランスの記事でも紹介されています。今回、サルコジ大統領が「ポランはデザインをアートにした」と語っています。よくある凡庸な賛辞ですが、一時、ポランは彫刻家を目指していたことを考えると、やや違った意味合いに受け取れます。</p>
<p><!--  --></p>
<div><a href="http://www.lemonde.fr/carnet/article/2009/06/14/le-designer-pierre-paulin-est-mort_1206768_3382.html">http://www.lemonde.fr/carnet/article/2009/06/14/le-designer-pierre-paulin-est-mort_1206768_3382.html</a></div>
<div><a href="http://www.europe1.fr/Decouverte/Tendances/Mode-deco/Le-designer-Pierre-Paulin-est-mort/%28gid%29/228773">http://www.europe1.fr/Decouverte/Tendances/Mode-deco/Le-designer-Pierre-Paulin-est-mort/(gid)/228773</a></div>
<div><a href="http://deco.plurielles.fr/news-deco/le-grand-designer-pierre-paulin-est-mort-4443384-402.html">http://deco.plurielles.fr/news-deco/le-grand-designer-pierre-paulin-est-mort-4443384-402.html</a></div>
<p><a href="http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/france/5535244/French-designer-Pierre-Paulin-dies-aged-81.html">http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/france/5535244/French-designer-Pierre-Paulin-dies-aged-81.html</a></p>
<p>ポランのモンペリエの自宅を訪ねたときのことは、ぼく自身、昨年の初めに書きました。<a href="http://metrocs.jp/products/detail/217.html">彼のプチ・デスクを復刻するプロジェクトを実現する</a>ために、メトロクスの下坪さんと一緒にパリにある彼の弁護士を訪ね、その後、１年以上を経てモンペリエまで出かけたわけです。一連のことは、以下５回連続で「ピエール・ポランに会いに行く」にあります。（<a href="http://metrocs.jp/member_info/">これより詳しい内容は会員限定コンテンツをご覧ください</a>）</p>
<p><a href="http://milano.metrocs.jp/archives/28">http://milano.metrocs.jp/archives/28</a></p>
<p>この時代の人達にとって、第二次世界大戦後のデザインとは、スカンジナビアでありアメリカであったのが、よく分かります。イタリアのデザイナーも活躍しはじめていましたが、「憧れる」というニュアンスではなかったとの印象をもちました。ザヌーゾのチェアのアイデアをライバルとして参考にした、という風に。当時、フランスに大手家具メーカーがあまりなかったことが、彼にとって幸運だったのか不幸だったのか・・・こういうことを考えます。彼がイタリアのミラノにいたらどうだったのだろう・・・と。ライバルに囲まれ切磋琢磨して、もっと違ったトレンドを作ったのか、それとも６０年代にあったユニークな性格を表現するに至らなかったのか・・・と。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1705" title="01" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/06/01-300x222.jpg" alt="01" width="300" height="222" /></p>
<p>上の写真は、ポラン作タンチェアが並ぶ自宅の居間で撮影したもの。２００４年３月。マドリッドでの列車爆破事件があった直後の旅でした。右端が奥さんです。</p>
<p>合掌</p>
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		<title>ピエール・ポランに会いに行く（５）第一部終わり</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/45</link>
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		<pubDate>Fri, 25 Jan 2008 15:26:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ピエール・ポランに会いに行く]]></category>

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		<description><![CDATA[山の中とは聞いていたけれど、こんなに人里離れた場所とは、到着するまで想像もしませんでした。視界のどこかに他の家が見えるものだと勝手に思っていたのでしたが、いやあ、本当に何もない・・・・山火事になったら大変だろうなぁと心配 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/01/021-150x150.jpg" alt="ｐｈ" class="imageframe" height="150" width="200" /><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/01/031-150x150.jpg" alt="031.jpg" class="imageframe" height="150" width="200" /></p>
<p>山の中とは聞いていたけれど、こんなに人里離れた場所とは、到着するまで想像もしませんでした。視界のどこかに他の家が見えるものだと勝手に思っていたのでしたが、いやあ、本当に何もない・・・・山火事になったら大変だろうなぁと心配してしまいます。奥さんであり、強力なビジネスパートナーでもあるマヤさん、そして愛犬と生活しています。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/01/051-150x150.jpg" alt="pd" class="imageframe imgaligncenter" height="200" width="150" /></p>
<p style="text-align: left">&nbsp;</p>
<p style="text-align: left">会話のなかでは、こんな台詞も。「ル・コルビジェも家具のデザインはしていないんだ。シャリオット・ベリアンのデザインだからね。イームズも半分は奥さんの働きだということを忘れてはいけない。ワイフは大切だ（笑）。」 　これはポランが「過去のことを色々と覚えていない」と言ったら、マヤさんは「私の誕生日もね」と。そこにポランは「１９４２年５月９日」と即答。そして、パートナーの大切さを語ったのでした。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/01/11-150x150.jpg" alt="pc" class="imageframe imgaligncenter" height="200" width="150" /></p>
<p style="text-align: left">&nbsp;</p>
<p style="text-align: left">ポランについては、まだまだ沢山ネタがあり、また別の機会に書きます。昨年ミラノのサローネ時、ホテルで夫妻と会った時も超多忙でした。８０歳を迎えたこともあり、数々のイベントが目白押しだったのです。が、２００８年の今年も、ポランは１月からパリやケルンを飛び回っています。そして、彼が<a href="http://www.demenageonslelysee.fr/elysee3.htm">歴代大統領のために内装をてがけたエリゼ宮</a>では、今、<a href="http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_int&amp;k=20080122016116a">恋の噂</a>が盛んです・・・。</p>
<p style="text-align: left">&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>ピエール・ポランに会いに行く（４）</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/38</link>
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		<pubDate>Fri, 25 Jan 2008 09:21:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ピエール・ポランに会いに行く]]></category>

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		<description><![CDATA[ポランはとっても気のいいシャイなおじいさんです。 彼の気の利いた名言の数々を書きたいのですが、それは別の機会にして、今回はデザイン寄りの話を進めましょう。この年代のデザイナーの例に漏れず、先に述べたスカンディナヴィアと米 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ポランはとっても気のいいシャイなおじいさんです。  彼の気の利いた名言の数々を書きたいのですが、それは別の機会にして、今回はデザイン寄りの話を進めましょう。この年代のデザイナーの例に漏れず、先に述べたスカンディナヴィアと米国デザイナーの影響を強く受けています。ネルソンやイームズといった人たちです。「イームズはテクニック以外のことで人を満足させようとしない、潔癖な人だった」とポランは語ります。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/01/eames1-150x150.jpg" alt="eames" class="imageframe imgaligncenter" height="150" width="200" /></p>
<p>ご存知のイームズチェア、 彼の自宅のＴＶの前に二つ並んでいました。ところで、<a href="http://www.metropolitan.co.jp/products/detail.php?product_id=269">プチデスク</a>をデザインした頃に話を移しましょう。北欧の旅を終えた彼は、トネ社に売り込みをかけます。生活費のために自分で営業をしたのは、後にも先にも、この時だけだったと述懐します。あまりに沢山デザインしたので、いまや、どれをいつデザインしたのかも覚えていない、とも。それでも記憶を辿り、「<a href="http://www.metropolitan.co.jp/products/detail.php?product_id=269">プチビュロー</a>は５４年にデザインし、生産は１０年間くらいは続いたのでは・・・」と思い出してくれました。</p>
<p style="text-align: center">&nbsp;</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/01/061-150x150.jpg" alt="paulin" class="imageframe imgaligncenter" height="200" width="142" /></p>
<p style="text-align: center">&nbsp;</p>
<p style="text-align: left">こういう表情をしながら、昔の過ぎ去った日々のことを熱心に語ってくれたのです。「この<a href="http://www.metropolitan.co.jp/products/detail.php?product_id=269">デスク</a>は、とてもシンプルなデザインですが、６０年代になるとオーガニックなかたちが多くなりますね」と話すと、「新しい技術の影響は大きかったよ。新技術が新しいデザインを生んだわけだね」と６０年以降の変貌に触れていきます。</p>
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		<item>
		<title>ピエール・ポランに会いに行く（３）</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/34</link>
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		<pubDate>Thu, 24 Jan 2008 12:28:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ピエール・ポランに会いに行く]]></category>

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		<description><![CDATA[フィンランドのロヴァニエミといえばサンタクロースの北極圏の街ですが、アルヴァー・アールトが都市計画に関わり多くの作品があることでも有名です。第二次大戦が終わって数年を経た１９５０年前後、ピエール・ポランはこの街を訪れます [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>フィンランドのロヴァニエミといえばサンタクロースの北極圏の街ですが、アルヴァー・アールトが都市計画に関わり多くの作品があることでも有名です。第二次大戦が終わって数年を経た１９５０年前後、ピエール・ポランはこの街を訪れます。</p>
<p>幼少のポランにはクルマ関係の仕事をしていた大好きな叔父さんがいました。ベントレーやロールスロイスがクライアントで、小さなピエールもカーデザインには憧れました。この叔父さん、ドイツのメッサー・シュミット戦闘機の部品を作ってもいたのですね。そう、英国側のためにドイツ軍のスパイもやっていたらしく、結局、フランス人のゲシュタボに見つかり処刑されてしまいます。１９４２年のことです。</p>
<p>このような辛い戦争を経て平和な時代となった、しかし、あらゆるところに戦禍のあとがみえる１９５０年前後、ポランはフィンランドで衝撃的なデザインに出会ったのです。スウェーデンを筆頭に北欧デザインが世界をリードしていた頃です。別の機会にも書きますが、この頃、北欧デザインに憧れていた人たちはものすごく多い。例えば、下の<a href="http://www.metropolitan.co.jp/products/detail.php?product_id=230">チェア</a>をデザインしたイタリア人のピレッティなどもそうです。彼はヤコブセンに弟子入りしました。イタリアがヨーロッパのデザインセンターとなる前のことです。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/01/plia-150x150.jpg" alt="plia" class="imageframe imgaligncenter" height="160" width="200" /></p>
<p style="text-align: left"> ポランはフィンランドでモダンと遭遇しました。森の中にも、戦時中に司令塔として使われたのであろう丸太が積まれたまま残り、多くのスキー板が虫に食われたまま放置されている、そういう風景から一歩出たところでアールトのデザインをみたのです。</p>
<p style="text-align: left">こういう話をポランは夜遅くまで自宅で僕たちにしてくれました。下の写真は中庭を囲む廊下で、ポランの試作品のチェアが置いてあります。その晩、僕はこの突き当たりの部屋で寝ました。</p>
<p style="text-align: left">&nbsp;</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/01/07-150x150.jpg" alt="ph" class="imageframe imgaligncenter" height="200" width="142" /></p>
<p style="text-align: left">&nbsp;</p>
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		<title>ピエール・ポランに会いに行く（２）</title>
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		<pubDate>Thu, 24 Jan 2008 10:00:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ピエール・ポランに会いに行く]]></category>

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		<description><![CDATA[パリの弁護士事務所で僕たちも粘りました。「じゃあ、申し訳ないけど、ご本人に電話をして、サインを入れてもらえるかどうか確認してくれませんか？」と交渉代理人には少々失礼なお願いをしたのです。弁護士は、しぶしぶ、本当に「しぶし [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>パリの弁護士事務所で僕たちも粘りました。「じゃあ、申し訳ないけど、ご本人に電話をして、サインを入れてもらえるかどうか確認してくれませんか？」と交渉代理人には少々失礼なお願いをしたのです。弁護士は、しぶしぶ、本当に「しぶしぶ」顔の表情で電話しました。</p>
<p style="text-align: center" align="center">&nbsp;</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/01/paulin-sign-150x150.jpg" alt="sign" class="imageframe imgaligncenter" height="160" width="200" /></p>
<p>その結果が、上の写真です。「人目につく場所は駄目だけど、引き出しの中ならいい」という回答をもらったわけです。これぞポランのセンス！　作品にも大げさな名前はつけず、記号的な番号をつけるのです。</p>
<p>その彼と実際に会ったのは、それから１年以上経てからです。場所はまたまた山の中！　フランスの南西部、スペインとの国境をまたぐピレネー山脈もそう遠くないところ。ここの家で、彼の親友の話をしてくれたのですね。もう亡くなったデザイナーですが、下の作品を作った人です。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/01/panton-chair-150x150.jpg" alt="panton" class="imageframe imgaligncenter" height="200" width="175" /></p>
<p style="text-align: left"> 「パントンと僕は並行に生きてきた、と言えるだろうな。どちらも特に大きな影響を与えることもなく、同じような速度で進んできたんだね。」　とポランはゆっくりと言葉を選びます。　「同じ時代を生きながら、まったく違うデザインをしてきたが、社会や時代に対する考え方は共通するものが多かったということですね？」と問いかけると、「そう、お互いに尊敬しあっていたね」と彼は答えます。</p>
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		<title>ピエール・ポランに会いに行く（１）</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/28</link>
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		<pubDate>Tue, 22 Jan 2008 16:51:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ピエール・ポランに会いに行く]]></category>

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		<description><![CDATA[前回までの「マックス・ビルのポスターを作ろう」が思いもかけないほどの反響があり、気をよくしています（笑）。色々と問い合わせもありました。本当はちょっと休もうと思ったのですが、この調子でしばらく書いていくことにします。 さ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>前回までの「マックス・ビルの<a href="http://www.metropolitan.co.jp/products/detail.php?product_id=420">ポスター</a>を作ろう」が思いもかけないほどの反響があり、気をよくしています（笑）。色々と問い合わせもありました。本当はちょっと休もうと思ったのですが、この調子でしばらく書いていくことにします。</p>
<p>さて、時は今から数年前。場所はパリ。僕たち（「たち」の相手は前回同様下坪さんです）の前には女性弁護士。あっ、まず気分をパリに変えないといけませんね。じゃあ、パリの写真でトリップしてください。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/01/paris10-150x150.jpg" alt="paris" class="imageframe imgaligncenter" height="150" width="200" /></p>
<p>僕たちは、この弁護士と製造権と販売権に関する契約金の協議をしていました。フランスを代表するデザイナー、<a href="http://www.metropolitan.co.jp/products/detail.php?product_id=269">ピエール・ポランのデスク</a>を何とか復刻させようとしたのです。１９５０年代半ばに発表されたものですが、長い間、生産中止になっていたのです。偶然、下坪さんは、これをパリの蚤の市でみつけ、「ものにしたい！！」と燃えていたわけです。「そりゃあ、頑張らねばならぬ」と、著作権者探しの旅に僕はでました。そうして、やっとパリで交渉代理人である弁護士と会えたというわけ。</p>
<p>こちらは、デスクのどこかにポラン本人のサインを刻印したかったのですね。が、「そういうのは、依頼人であるピエールがもっとも嫌うこと」と弁護士は主張。まあ、ポランは慎ましい人だとも聞いていたので、「こりゃあ、諦めるしかないかなぁ」と僕たちも弱気になってきました。</p>
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