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Date:10/4/4

日本でぜひ体験しておきたいと思ったこと。それは今や何処にでもある10分1000円という場所で散髪することでした。よく駅のホームで電車を待ちながら、そういう店内を外から覗いてシステムの理解に努めていたのですが、やはり自分で経験してみたかったのです。ああいう場所で変な髪形にされたら嫌だな、という恐れは全くありませんでした。きっと頭の形と髪の整え方のバランスについて、イタリアの床屋よりはマシではないかと確信していたからです。ぼくはイタリアでは女性客がメインのいわゆるビューティサロンに通っています。何軒も試した男性用の床屋では満足する結果が得られず、数軒目の美容院でやっと安定した髪型を確保したのです。髪質と頭のカタチの違いが、ヘアデザイナーの腕前のポイントの違いを生むということだと思います。

ヘルメットのようなカタチに馴れている人には、やや絶壁ぎみのカタチではどこの髪をどのくらい切れば全体に丸い頭に見せられるかという勘が働かないのです。日本のヘアデザイナーが「イタリア人は下手だ」と言うことをよく聞きますが、どうもそれは要求する基準と箇所が食い違っているからではないかと想像してきました。地震の少ない国ではガラス製品をものすごく微妙に飾ることができるけれど、地震の多い国ではそういうところに繊細さを発揮することができない。そうすると、(地震の多い)そこでの発想は非常に限定的な条件に縛られる。したがって、逆転のアイデアがでる可能性も高まるが、発想の選択肢自身は圧倒的に少ないだろう、ということになります。それがヘアデザインでも言えるのではないか、と。

もう一つ10分1000円を選んでみる理由があります。散髪は何度か同じ人にカットしてもらいながら、だんだんとこちらの趣向を分かってもらうところがあります。どうせ一回限りであれば、その店の形態によらずとも一定の品質以上をあまり期待できないことが多いだろうという想像がありました。そして、およそイタリアのぼくの通う美容室では髪はカットする前に洗い、カット後はドライヤーで切った髪を飛ばすことが多く、あらたに髪を洗ってもらうには余計なコストがかかります。ましてやサロンでは髭など剃らないので、「カットのみ。洗髪なし。髭剃りなし」の宣伝文句で、「えっ、やってくれないの?」という気にならないのです。「なんだ、イタリアと同じじゃない」と思うわけです。

日曜日の今日10分1000円に出かけ、自動販売機でチケットを買うところから始まり、コート掛けが鏡の扉の奥にあることや、最近ではこういうところに限らず普通らしい、切った髪を椅子の下に掃きこんでいくなど、一つ一つが新鮮でした。だいたい、日曜には床屋が休業という世界に馴れていると日曜に散髪に行くという行為自身が既に新鮮なのです。日曜に散髪するというのは、平日の行動のための準備としての休日であるという、日本での日曜日の位置づけを思い起こさせてくれます。そして、結構の人が並んで待っている。これが日本の日曜日なんだ・・・・。

髪を切った感想を言うと、ぼくの冒頭で述べた仮説は全て正しかったと思います。日本人の頭のカタチと髪質に馴れていることが、その技術者の腕のかなりの部分を占めると言えるでしょう。その難しい条件で技術を習得すれば、髪質が柔らかく頭のカタチもバランスが良いイタリア人にはもっと素晴らしいヘアデザインができるのでは?と思う人もいるでしょうが、そうは直線的に結論が出せないと思います。髪型の全体的イメージの膨らませ方は、こういう技術レベルとは別の才能だなと思うのです。オーバースペック気味の日本製品のガラバコス問題と絡んでくる話です。

Category: その他 | Author 安西 洋之  | 
Date:10/3/8

先週の土曜日、この前に書いた東工大でのシンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性ー日本的未成熟を巡って」の後、神宮前のイタリアンワインバーに駆けつけました。2月はじめに書いたAZです。実は2月のあの晩、オーナーの平野さんと話していて、3月にトスカーナからデル・ポンテ社のアレキサンダーが来たときに、ここでパーティをやろうという話になりました。彼が飼っている豚、チンタセネーゼの肉を平野さんが料理し、色々な人を呼び、その場で新製品の七味オリーブも食べてもらおう、と。結局、20人近い人が集まり、イタリアや料理の話で盛り上がり、イタリアネタの強さに感心。

実は、その会の様子を撮影するのを忘れてしまいました。他の何人かはiPhoneで撮影し、Twitterに書いていたのですが・・・(そこで、上はFOODEXでのアレキサンダー)。ここに参加し、かつバンバンとTwitterに投稿していたのが八子知礼さん。彼は『図解クラウド早分かり』の著者で、ぼくは彼の本についてスマートグリッドとクラウドコンピューティングに焦点をあわせてブックレビューを書きましたが、この本について知ったのは、レビューを書いたその2-3日前。発売と同時ですが、彼のTwitterのつぶやきで知りました。そして、更に遡ると、その数日前、Twitterのデルポンテアカウントが八子さんをフォローして10分後に八子さんは七味オイルをオーダーしてくれました。ほぼ瞬時に、彼が並行してとった行動は、デルポンテのサイトにあるヨーロッパ関連ブログの著者、つまりぼくのブログーこの「さまざまなデザイン」-に数分後にたどり着き、ぼくのTwitterのアカウントのフォローをすることでした。多分、このあいだの時間は5分くらいでしょう。

そのとき、ぼくはミラノにいたのですが、日本に着いて新著について知り、この本はクラウドコンピューティングとスマートグリッドなど全体のシステムと動向で把握している点に関心をもち、読後即ブックレビューを書いたというわけですーなにせ、1時間で分かる!-。特に七味オイルを買ってくれたとかそういうことではなく、この方の視点の持ち方がブックレビューの対象になったのです。それから約2週間後、リアルでお会いしました。一橋大学での学生たちとの勉強会でぼくが話すことを八子さんはTwitter上で知り、日曜日の朝、国立のキャンパスに現れたのです。ここでまとめると、Twitter上でデルポンテアカウントからスタートした関係が3週間後に、ぼくの文化論の勉強会の出席者に発展したということになります。それから3週間後に、イタリアンワインバーでのパーティ参加、その翌日ーつまり昨日の日曜の午後ーに新著のテーマを中心とした中経出版で開催されたクラウドコンピューティング研究会に、ぼくが出席するというカタチに発展したのです。その後の懇親会では、前日に八子さんが投稿したイタリアンの写真が話題になる、という具合です。

こうした経緯について詳しく書いたのは、今の時代に流れる時間とスピード感、そして「交差感」です。「交差感」とは、情報があらゆる方面に飛び、同じくあらゆる方面から飛んでくるという感覚です。「クール・ジャパノロジーの可能性」で村上隆は盛んに仮説をたてて検証していく大事さを強調し、彼の一つ目の仮説検証に15年を要した。だから、今挑戦している仮説も15年後に結果が出るだろうと語っていました。しかし、本当に検証に15年かかるだろうか?という疑問をぼくは持っています。今の情報の拡散の仕方とスピードをみていてぼくが感じるのは、仮説→検証が、これまでの15年とは比較にならない少ないコストで短期間に行えることです。かつては大企業が二期1年の予算で仮説検証していたことを、小さいグループで12回できる可能性がでてきているのが現実です。前者よりは精度は下がるかもしれませんが、およそ、このフローのなかで精度のレベル自身が再定義されている今、コンテンポラリーアートで問う思考トレンドも影響を受けないわけがないと思うのです。

これもクライアント側に情報をもたず、「向こう側」の集積情報を適時利用するクラウドコンピューティングが実現していく、世界観変化のもう一つの側面なのではないか・・・と昨日の研究会でつらつらと思ったのでした。

Date:10/2/28

ぼくはスペインには2度しか出かけたことがないし、グラナダに足を運んだこともありません。行きたくないわけではなく、これまで訪問の機会がなかっただけなのですが、「GRANADA」と名づけられた都内の写真展に出かけてみようと思ったのは、たまたまこの企画に携わったmosakiの田中元子さんにお誘いをうけたからでした。写真家のことも、いわんや写真展の趣旨などまったく確認せずに昨日の土曜日、神田のギャラリーを訪ねました。オープニングパーティでスペイン料理が出てくることにもひかれて・・・・。

ギャラリーに足を踏み入れ、「あっ、これはちょっと違う匂いがする」と感じました。想いの塊の重さと、それでいてどこか清清しさが漂う、ある種独特のムードが「違う」と思わせたのです。会場にあるアート批評家のエドワード・アリントンの書いた「失われた風景」という文章を読み、写真家・與語直子さんは、既にこの世にはいない人であることが分かりました。それも34歳で左折するトラックに巻き込まれた交通事故死。死後、見つかった40本のフィルムを写真家と同じ方法で友人が現像した、その題材がグラナダの風景だったのです。若くして去った人自身が発する才能とそれを巡る周囲の想いが、ぼくに単なる写真展ではないと感じさせたのでしょう。

アリントンの書いた「失われた風景」には、写真家の最初のシリーズ「Night Phtographs」に触れています。

ここでも光源は人工的なものだ。どちらも非凡な描写であり、緻密に計算された構図である。これらの写真の中に人の姿はない。なぜなら人々は家で眠っている時間なのだ。でも直子は違う。彼女はこの暗闇の中で、ほんの僅かに存在する光を、カメラの中で捕らえ続けた。

光の使い方と人のいない風景が語られ、グラナダでも「見事な明暗の表現」をしており、そこには最初の作品とは対照的に「強い光で消し飛ばれそうな風景をみる」とあります。そして、やはり人がいない・・・・昨日の展覧会にある写真でも、一枚の風景に歩く二人の姿が小さく見えるだけです。世界各地で人の顔をクローズアップで撮り続ける写真家がいる一方、こんなにも人を避けるように風景を撮る。それは必ずしも、そこに見える風景を賛美するためではないことを暗に主張している。いや、風景は批評するためにあるのではないことを切々と與語さんは語りかけてくれていると感じました。ここがグラナダである必要はまったくないかもしれない。しかし、そういう風にグラナダは存在している、と

オープニングパーティで一人の社会人類学を専攻した大学院生と雑談しました。今春から社会人ですが、彼がロンドンに滞在していたとき、與語さんがちょうどグラナダに取材旅行中、ご自宅に2ヶ月近く居候し、與語さんの旦那さんでアーティストの近藤正勝さんにたいそう世話になったと言います。このように、近藤さん+與語さん夫婦のお宅は多くの友人の集まる場所だった(今でも、そうだと想いますが)ようで、批評家のアリントンも、その場所が外と内への重要な「眼」であったことを指摘しています。そのスピリットが「ALLOTMENT」プロジェクトに引き継がれています。

このプロジェクトは毎年、若手アーティストのために20万円の制作旅行費を出すというものです。昨日の朝日新聞でも紹介されていますが、記事には、こう書かれています。

與語さんは生前、「アロットメント」と呼ばれる小さな農園を借り、キュウリなどを育てていた。週に1、2回、自転車で通うのが楽しみだったという。「表現 に迷ったとき、自分がまいた種がしっかり育っているかを確かめることが、彼女の心の支えになっていたのだと思う」と近藤さん。小さな畑ながら、若い芸術家 の土壌になることを願い、賞の名前「ALLOTMENT」とした。

ロンドンで開催された展覧会に際して旦那さんの近藤さんがインタビューで、この賞を旅行費用にあてて欲しい理由を説明しています(太字はぼくの強調点です)。

幸い直子は今回こうして展覧会を開けましたが、大学を卒業して美術作家としての活動を始めると、経済的なことをはじめ時間や制作場所の確保 など様々な問題に直面したり、作品そのものに閉塞感を感じたり、考え込んだまま1年、2年と過ぎてしまうことがよくあります。でもその時に、「旅行をして 作品を作るんだ」と決めてしまえば、体が動きます。環境を変えて思考を刺激し、新たな対象と出会うことで様々なことが動き出します。いま話したような理由 から、まだ甘えてられる学生は対象から除き、プロの作家にしぼりました。

一人の人間ができることは小さいとよく言われます。ぼくもそれを想います。でも、一人の人間がこんなにもたくさんのことをできるのだ、という例もまた多く見てきました。「たくさん」という言葉は感嘆であり、量ではなく質です。世の中の方向を変える、世の中の人々の生き方に影響を与える・・・・そういう意味合いです。このイベントを紹介してくれた田中さんもロンドン滞在中に與語さんと知り合い、ぼくが雑談を交わした大学院生は福岡からこのためだけに上京してきました。何かが動くというのは、こういうことです。「この人なら、敷居をまったく違うアングルと言葉で越えそうだ」とロンドンから飛んできた近藤さんと話しながら想いました。

今回、ぼくも日本に滞在してちょうど1ヶ月になりますが、見方を変えることで何かを動かすことができると思う人たちとたくさん会ったなという実感があります。重要なのは自分の語彙に囚われないこと。心と心が通じ合えうのはもちろん大事ですが、それと同時に、自分の語彙と相手の語彙の同じ部分と違う部分を見極め、新しい語彙でお互いが共有できるパートを相互認識すること、これが「何かを動かす」エッセンスではないか。そう、あらためて考えました。

尚、明日からほぼ1週間、幕張メッセです。食品の祭典FOODEXで七味オイル風味オリーブのビジネスのためにスタンドで多くの人たちと会う予定です。きっと食材の側面からも文化の見方を変革していけるだろうとの確信をもっています。目的達成のため、手段はあらゆる手段を使う。前に進むことが肝心です。

*写真はすべて與語直子さんの「GRANADA」です。

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