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Date:10/3/8

先週の土曜日、この前に書いた東工大でのシンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性ー日本的未成熟を巡って」の後、神宮前のイタリアンワインバーに駆けつけました。2月はじめに書いたAZです。実は2月のあの晩、オーナーの平野さんと話していて、3月にトスカーナからデル・ポンテ社のアレキサンダーが来たときに、ここでパーティをやろうという話になりました。彼が飼っている豚、チンタセネーゼの肉を平野さんが料理し、色々な人を呼び、その場で新製品の七味オリーブも食べてもらおう、と。結局、20人近い人が集まり、イタリアや料理の話で盛り上がり、イタリアネタの強さに感心。

実は、その会の様子を撮影するのを忘れてしまいました。他の何人かはiPhoneで撮影し、Twitterに書いていたのですが・・・(そこで、上はFOODEXでのアレキサンダー)。ここに参加し、かつバンバンとTwitterに投稿していたのが八子知礼さん。彼は『図解クラウド早分かり』の著者で、ぼくは彼の本についてスマートグリッドとクラウドコンピューティングに焦点をあわせてブックレビューを書きましたが、この本について知ったのは、レビューを書いたその2-3日前。発売と同時ですが、彼のTwitterのつぶやきで知りました。そして、更に遡ると、その数日前、Twitterのデルポンテアカウントが八子さんをフォローして10分後に八子さんは七味オイルをオーダーしてくれました。ほぼ瞬時に、彼が並行してとった行動は、デルポンテのサイトにあるヨーロッパ関連ブログの著者、つまりぼくのブログーこの「さまざまなデザイン」-に数分後にたどり着き、ぼくのTwitterのアカウントのフォローをすることでした。多分、このあいだの時間は5分くらいでしょう。

そのとき、ぼくはミラノにいたのですが、日本に着いて新著について知り、この本はクラウドコンピューティングとスマートグリッドなど全体のシステムと動向で把握している点に関心をもち、読後即ブックレビューを書いたというわけですーなにせ、1時間で分かる!-。特に七味オイルを買ってくれたとかそういうことではなく、この方の視点の持ち方がブックレビューの対象になったのです。それから約2週間後、リアルでお会いしました。一橋大学での学生たちとの勉強会でぼくが話すことを八子さんはTwitter上で知り、日曜日の朝、国立のキャンパスに現れたのです。ここでまとめると、Twitter上でデルポンテアカウントからスタートした関係が3週間後に、ぼくの文化論の勉強会の出席者に発展したということになります。それから3週間後に、イタリアンワインバーでのパーティ参加、その翌日ーつまり昨日の日曜の午後ーに新著のテーマを中心とした中経出版で開催されたクラウドコンピューティング研究会に、ぼくが出席するというカタチに発展したのです。その後の懇親会では、前日に八子さんが投稿したイタリアンの写真が話題になる、という具合です。

こうした経緯について詳しく書いたのは、今の時代に流れる時間とスピード感、そして「交差感」です。「交差感」とは、情報があらゆる方面に飛び、同じくあらゆる方面から飛んでくるという感覚です。「クール・ジャパノロジーの可能性」で村上隆は盛んに仮説をたてて検証していく大事さを強調し、彼の一つ目の仮説検証に15年を要した。だから、今挑戦している仮説も15年後に結果が出るだろうと語っていました。しかし、本当に検証に15年かかるだろうか?という疑問をぼくは持っています。今の情報の拡散の仕方とスピードをみていてぼくが感じるのは、仮説→検証が、これまでの15年とは比較にならない少ないコストで短期間に行えることです。かつては大企業が二期1年の予算で仮説検証していたことを、小さいグループで12回できる可能性がでてきているのが現実です。前者よりは精度は下がるかもしれませんが、およそ、このフローのなかで精度のレベル自身が再定義されている今、コンテンポラリーアートで問う思考トレンドも影響を受けないわけがないと思うのです。

これもクライアント側に情報をもたず、「向こう側」の集積情報を適時利用するクラウドコンピューティングが実現していく、世界観変化のもう一つの側面なのではないか・・・と昨日の研究会でつらつらと思ったのでした。

Date:10/2/28

ぼくはスペインには2度しか出かけたことがないし、グラナダに足を運んだこともありません。行きたくないわけではなく、これまで訪問の機会がなかっただけなのですが、「GRANADA」と名づけられた都内の写真展に出かけてみようと思ったのは、たまたまこの企画に携わったmosakiの田中元子さんにお誘いをうけたからでした。写真家のことも、いわんや写真展の趣旨などまったく確認せずに昨日の土曜日、神田のギャラリーを訪ねました。オープニングパーティでスペイン料理が出てくることにもひかれて・・・・。

ギャラリーに足を踏み入れ、「あっ、これはちょっと違う匂いがする」と感じました。想いの塊の重さと、それでいてどこか清清しさが漂う、ある種独特のムードが「違う」と思わせたのです。会場にあるアート批評家のエドワード・アリントンの書いた「失われた風景」という文章を読み、写真家・與語直子さんは、既にこの世にはいない人であることが分かりました。それも34歳で左折するトラックに巻き込まれた交通事故死。死後、見つかった40本のフィルムを写真家と同じ方法で友人が現像した、その題材がグラナダの風景だったのです。若くして去った人自身が発する才能とそれを巡る周囲の想いが、ぼくに単なる写真展ではないと感じさせたのでしょう。

アリントンの書いた「失われた風景」には、写真家の最初のシリーズ「Night Phtographs」に触れています。

ここでも光源は人工的なものだ。どちらも非凡な描写であり、緻密に計算された構図である。これらの写真の中に人の姿はない。なぜなら人々は家で眠っている時間なのだ。でも直子は違う。彼女はこの暗闇の中で、ほんの僅かに存在する光を、カメラの中で捕らえ続けた。

光の使い方と人のいない風景が語られ、グラナダでも「見事な明暗の表現」をしており、そこには最初の作品とは対照的に「強い光で消し飛ばれそうな風景をみる」とあります。そして、やはり人がいない・・・・昨日の展覧会にある写真でも、一枚の風景に歩く二人の姿が小さく見えるだけです。世界各地で人の顔をクローズアップで撮り続ける写真家がいる一方、こんなにも人を避けるように風景を撮る。それは必ずしも、そこに見える風景を賛美するためではないことを暗に主張している。いや、風景は批評するためにあるのではないことを切々と與語さんは語りかけてくれていると感じました。ここがグラナダである必要はまったくないかもしれない。しかし、そういう風にグラナダは存在している、と

オープニングパーティで一人の社会人類学を専攻した大学院生と雑談しました。今春から社会人ですが、彼がロンドンに滞在していたとき、與語さんがちょうどグラナダに取材旅行中、ご自宅に2ヶ月近く居候し、與語さんの旦那さんでアーティストの近藤正勝さんにたいそう世話になったと言います。このように、近藤さん+與語さん夫婦のお宅は多くの友人の集まる場所だった(今でも、そうだと想いますが)ようで、批評家のアリントンも、その場所が外と内への重要な「眼」であったことを指摘しています。そのスピリットが「ALLOTMENT」プロジェクトに引き継がれています。

このプロジェクトは毎年、若手アーティストのために20万円の制作旅行費を出すというものです。昨日の朝日新聞でも紹介されていますが、記事には、こう書かれています。

與語さんは生前、「アロットメント」と呼ばれる小さな農園を借り、キュウリなどを育てていた。週に1、2回、自転車で通うのが楽しみだったという。「表現 に迷ったとき、自分がまいた種がしっかり育っているかを確かめることが、彼女の心の支えになっていたのだと思う」と近藤さん。小さな畑ながら、若い芸術家 の土壌になることを願い、賞の名前「ALLOTMENT」とした。

ロンドンで開催された展覧会に際して旦那さんの近藤さんがインタビューで、この賞を旅行費用にあてて欲しい理由を説明しています(太字はぼくの強調点です)。

幸い直子は今回こうして展覧会を開けましたが、大学を卒業して美術作家としての活動を始めると、経済的なことをはじめ時間や制作場所の確保 など様々な問題に直面したり、作品そのものに閉塞感を感じたり、考え込んだまま1年、2年と過ぎてしまうことがよくあります。でもその時に、「旅行をして 作品を作るんだ」と決めてしまえば、体が動きます。環境を変えて思考を刺激し、新たな対象と出会うことで様々なことが動き出します。いま話したような理由 から、まだ甘えてられる学生は対象から除き、プロの作家にしぼりました。

一人の人間ができることは小さいとよく言われます。ぼくもそれを想います。でも、一人の人間がこんなにもたくさんのことをできるのだ、という例もまた多く見てきました。「たくさん」という言葉は感嘆であり、量ではなく質です。世の中の方向を変える、世の中の人々の生き方に影響を与える・・・・そういう意味合いです。このイベントを紹介してくれた田中さんもロンドン滞在中に與語さんと知り合い、ぼくが雑談を交わした大学院生は福岡からこのためだけに上京してきました。何かが動くというのは、こういうことです。「この人なら、敷居をまったく違うアングルと言葉で越えそうだ」とロンドンから飛んできた近藤さんと話しながら想いました。

今回、ぼくも日本に滞在してちょうど1ヶ月になりますが、見方を変えることで何かを動かすことができると思う人たちとたくさん会ったなという実感があります。重要なのは自分の語彙に囚われないこと。心と心が通じ合えうのはもちろん大事ですが、それと同時に、自分の語彙と相手の語彙の同じ部分と違う部分を見極め、新しい語彙でお互いが共有できるパートを相互認識すること、これが「何かを動かす」エッセンスではないか。そう、あらためて考えました。

尚、明日からほぼ1週間、幕張メッセです。食品の祭典FOODEXで七味オイル風味オリーブのビジネスのためにスタンドで多くの人たちと会う予定です。きっと食材の側面からも文化の見方を変革していけるだろうとの確信をもっています。目的達成のため、手段はあらゆる手段を使う。前に進むことが肝心です。

*写真はすべて與語直子さんの「GRANADA」です。

Category: その他 | Author 安西 洋之  | 
Date:10/2/13

昨年11月、管啓次郎さんの『本は読めないものだから心配するな』のブックレビューを書きました。そこでぼくは、「痕跡」と「翻訳」がキーワードであると思うと書いたのですが、その後、ご本人に確認する機会がなかったので、今週、池袋のジュンク堂に出かけてきました。この二つの言葉は、『本は読めないものだから心配するな』のなかだけでなく、管さんの人生観そのものではないだろうかと考えていたので、足を運んでみたわけです。メールなりでご本人に聞けばいいものをとも思うのですが、この管さんの「プロ好み」とも言うべき本を他の読者はどう読んでいるのか?というのを「現場」で知りたかったのです。そして、どういう顔の人たちが読んでいるのかも。それはネットではなかなか分からないものです。

ジュンク堂は新しいタイプの書店であるとはうわさに聞いていても、本をまとめ買いする場所は、最近ほとんど丸の内の丸善だったので、ここははじめてです。「各国事情」の分類の仕方をみて、この書店の見方がなんとなく想像できました。通常、旅行や生活記録的な棚と社会・政治・経済の棚が分かれますが、ここでは前者にやや社会的な視点が加わり、教育でも各国事情の棚があり、歴史の棚が文化史や文化人類学というジャンルをカバーしています。このように地域ではなく分野を優先し、そして一方旅案内に普通より深みをもたせるという方向は、最近のテーマ重視の旅行パックを思い起こさせました。ここにジュンク堂の思考プロセスを感じ、これも悪くない発想だと思いました。

問題は地域ではなくテーマであるというのは、今週、国際知的交流が専門の方がおっしゃっていました。各国の知的交流機関(英国ならブリティッシュ・カウンシル)は自国固有文化を紹介するというより、あるテーマに対してのアプローチを披露する、あるいはある特定テーマに対する異文化コラボレーションを試みるというカタチをとっているわけです。連続的地平をいかに立体的にとらえていくかがポイントです。そういう文脈においても、管さんの目次をもたず、見出しをもたない『本は読まないものだから心配するな』は、現在の知の在り方を象徴的に示唆する本であるともいえます。

さて、トークセッションでの管さんのお相手、佐川さんの小説をぼくは一冊も読んだことがありませんでした。彼が南米から戻り食肉処理場で10年ほど働き午後の暇な時間に膨大な読書をしたというエピソードもさることながら、ナイフで肉を切り裂く時に感じる自分と肉のあいだにある距離感ー自分の手がやっていることではないーはリアリティの所在や「ある域に達することの意味」を問います。管さんが「小説家は直接当事者だと思う」と語った内容に対応するのですが、ここは気になりました。

後に場所をかえてお二人を囲む酒の宴にて、佐川さんに「現場・当事者であることを100%感じる職業ってあると思いますか?」と聞くと、「ないでしょう。陶芸家もろくろや手が勝手に動くと言いますよね」との答えでした。近代以降のテクノロジーの管理的社会において、常に人間が不在ではないか?と言われ、今も五感を使った生き方をしているのか?というプレッシャーがあります。ピアニストが何者かによって自分の指が鍵盤を舞うような錯覚をもつことがあるように、ある領域に達するとは「何かが一人歩きすること」ではないかと思います。つまり、自分の仕事にリアリティを求めているとき、それは何者でもなく、リアリティを求める心を忘れたとき、「本物のゾーン」に入っていくのでしょう。

因みに、「痕跡」「翻訳」がキーワードということについては、セッションの会場で管さんに質問し、これらが重要な言葉であると考えていることを確認できました。

Category: その他, 本を読む | Author 安西 洋之  | 
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