ミラノサローネ2009 の記事

Date:09/4/30

サローネ終了後、他の方のブログを読んでいます。建築家の芦沢啓治さんのブログに目が止まりました。日本語で書かれているかなり多くのブログが、トリエンナーレの「センスウェア」をべた褒めしているなかで、非常に醒めた目で見ています。これは貴重な意見なので下記、肝心な部分をペーストします。

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夕方からトリエンナーレへ。ここでの展示の中心はセンスウェアー、繊維企業と日本のデザイナーとのコラボレーションである。ビッグネームがうろうろ。企業のおえらいさんも、スーツをきめ、名刺交換している。まず、この会場にくらべデザイナーズブロックは、実に爽快な空間だということは述べておこう。

中庭では突如としてコンサートがおこなわれ、ビールをのみ、子供たちが戯れる。センスウェアーの展示は、非常に興味深いものであったけれど、僕が見たい何かではなかったから、わりとするっと見てしまった。そこでは、素材の可能性は感じたけれど、あくまでインスタレーションの域をこえるものではなかったし、それを商品にする、流通させるという射程をもったものではないから、どこか投槍な感じはいなめない。

驚いてねみたいな展示は、そうした素朴なものづくりに対する姿勢や知恵を感じることは難しい。そうした意味では、サテリテのような展示のほうがよっぽど刺激をうけたりするものだ。

ぼくは、日本の完成品メーカーが世界観を出せず苦労しているのに対し、素材メーカーは世界観を自ら出す必要がないため、このセンスウェアは良い意味でも悪い意味でも日本の産業力にあった展覧会であったと考え、そのよい意味で、ぼくは素材産業のあり方にエールを送りました。素材産業は結局のところ、大手製造業をクライアントにもたないとどうしようもないところがあり、家具や生活雑貨へのアピールは話題つくりにとどまりがちではないかと想像します。そのときに、こうしたアピールが、どれほどに更に大きな潜在的市場を掘り起こせるのか、つまり航空機あるいは自動車での拡大以外の道をもてるのか?に若干の疑問がないわけではありません。その点で芦沢さんの意見に頷きます。芦沢さんは、「何となくデザイン動向を掴もう」というのではなく、自分のデザインを欧州のメーカーに売り込むという目的がはっきりしているため、より目が厳しくなっています。こういう確固たる視点が大事だと思います。

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もう一点、ぼくが同意するのは、彼の「驚いてねみたいな展示」という部分以降です。モノそれだけを展示するのではなく、広義でのデザインをメッセージとして送るという位置づけであるにせよ、「空間を区切って真っ暗にしたり真っ白にして、先端インターフェースを試みればいいのか?」という疑問がぼくの頭の中でもぐるぐると回っています。どうもブランドコンセプトを伝達する方法として、あまりに代わり映えのない展覧会が多く、だからこそ、IKEAのイタリア20周年のプレゼンテーションがより光るのではないかと思います。「どうだ!すごいだろう!」と大見得切った空間は、先端インターフェースどころか、逆にインタラクションを拒否しているようにも見えます。すごく割り切った言い方をすると、「企業はお金に余裕のある時は空間を暗くし、予算に限りがでてくると空間を開放する」と皮肉の一つでも言われかねない傾向があるように思えます。何がコンセプトであり、何を理解して欲しいか?が明確である展示は、いずれにせよ好感をもたれます。この「好感をもたれる」ことに、もっと(特に西洋的文脈でのコンセプト構築に弱い日本企業は)力を費やしていいのではないかと思います。

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ぼくのサローネ見学記録をお読みいただければ分かるように、ぼくは「驚いてねみたいな展示」にはあまり熱心に足を運んでいません。ぼくの目的は「ミラノサローネでヨーロッパ文化動向を知る」ということですが、どちらかというと、やや人の少ない場所でデザイナーや企画者本人と話しながら理解することに時間を費やしました。ただ、ユーロルーチェのアルテミデやフロスのスタンドのように、かなりモノだけで人が熱心になる光景にも立ち会いました。

Category: ミラノサローネ2009 | Author 安西 洋之  | 
Date:09/4/28

日経ビジネスオンラインで川口盛之助さんの「家電も飛行機も下克上時代ー玩具メーカーの「所帯臭さ」が、「上位スライド」をもたらす」を読み、ミラノデザインの推移を想起しました。この記事では、ハイテクと玩具の距離が必然的に接近している現在、玩具(下)からハイテク(上)への玉突き現象が起きつつあることを指摘しています。そして、ポイントは人間との接点であり、そこで人間理解がキーになっていると言うのです。

何故、この流れがミラノデザインと近似かといえば、ミラノデザインとは伝統的に生活雑貨や家具が中心であり、カースタイリングをメインとするトリノデザインとは一線を画し、少なくても社会的文化的影響力でいえば、ミラノデザインが圧倒的な力を持つに至ったのです。トリノからすれば、ロイヤリティ契約の金額の小さなビジネスという印象があったミラノデザインだったにも関わらず・・・・です。そして、この要因に、生地とファッションをミラノデザイン側の味方につける、ライフスタイルとしてのデザインという流れもあったのは確かです。このライフスタイルを言い換えれば、人間への多面的アプローチをミラノデザインは資産として持ってきたのが、有利に働いているともいえます。

DSやWiiの任天堂が携帯電話に進出すれば、それは従来の地図からすれば産業の上下関係を崩すと見られがちですが、より人間に近いところで感覚的な要素を重視される分野が、そのノウハウを使って生活シーン全般まで商品領域を拡大するという見方をすべきです。卑近な言い方をすれば、女の子と付き合ったこともないハイテクおたくの男の子が、女の子の喜ぶケータイを作れるか?という疑問に答えが出てくる時代になってきたのです。

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ボヴィーザのトリエンナーレで学生の作品をみながら、考えました。上の写真のPCの周囲で話されている言葉が解析され、目の前の大きな画面に表示されてきて言葉のマップが作成され、天井からぶらさがる丸い球がマウス的な役割をします。こういうインターフェースの開発も、人間に合わせてくれない機械を苦手とするイタリアは、最初の頃は出遅れますが、生活雑貨レベルに技術を落とし込んでくれば抜群の力を発揮するのだろうなと思いました。人間の発意というのはタイミングが大事ですが、下の作品のストーリーを読むと、まさにそうです。

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Zerodisegnoのトップは、昨年のヴェネツィア建築ビエンナーレでGreg Lynnの作品をみてあまりに胸がときめき、米国との時差も考えず、その場からデザイナーに電話しました。それで実現したのが、リサイクルプラスチックを使用した三次元玩具です。Greg Lynnの金獅子賞受賞決定の前に電話したのです。自分でよいと思ったら、即動く。Zerodisegnoは、既にガエタノ・ペーシェやメンディーニと同様な作品を限定生産しています。以下はペーシェの椅子です。

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新しい都市や建築のあり方を形態から実験的に考えていこうというのがロッテルダムで活動するNao Haimで、彼女はある形のパターンをPCで作図したあと、壁の下にある不要な紙の束を使い印刷、そこでエレメントを作成していきます。それらを会場に来た人達がそれぞれのイメージで上の写真のようにモデルを作るワークショップをやっていました。ロンドンやケルンでも実施したようで、その時の写真も展示してありました。

上記とは全く関係ないプロジェクトで、この展示の横に、米国に難民として辿り着いた人たちがモーテルで暮らす様子を映したビデオがありました。マージナルな環境でさまざまな世界が映され、それは常に変動していく。これを見ながら、「ああ、そうか」と思い出したことがあります。先日のアートフェアでみた作品です。境界線を意味する英語、borderの複数形でborders という単語がミラーで表現されていました。

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このミラーに映っているのは、向い側にあるギャラリーの作品です。グリーンを使った作品が映っています。境界線でこそみえる動く現実を表しているこの作品が、まさしくこのトリエンナーレの場で、何かとても身近に力をもってきたような感じをもちました。そうすると、不思議なことに、Nao Haimのワークショップが、さらに重要に思えてきました。それは彼女がイスラエル生まれであるということとは関係なく、しかしながら、現代の問題で境界線上に立っている建築家であるのは確かではないか、そんな気がしたからでしょうか・・・。

Category: ミラノサローネ2009 | Author 安西 洋之  | 
Date:09/4/27

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前日サテリテでみた橋本潤さんの針金でできた椅子(上の写真の針金の椅子)のことを考えていました。昨年の「薄い椅子」(上の写真の白い椅子)よりインパクトがありました。なぜでしょう? ぼくは「ミラノサローネ2008」で、日本人デザイナーが軽さを意識せずとも出る軽さについて以下書きました

2008ミラノサローネ(32)で「欧州人が40なら、日本人は意識しなくても35という軽さを表現してしまう。こういうことがあります」「この差である5の行き場をどう考えるか、です」と書きました。あくまでも欧州市場で売るための前提で言うのですが、ぼくは35を40にあげていく発想では、難しいだろうと思います。日本人が得意とするカットしていく手法が使えません。あくまでも欧州の文脈に沿った形で、45から40へ、そして38あたりまで落とし込んでいくアプローチが必要なのではないかと思うのです。積み上げるのではなく、意図的により重いもの最初に選択し、それを軽くしていくというイメージです。

今回の作品には、それなりの「必要な」重さを感じるだけでなく(実際、2kg以下ですが)、より三次元的なのだと思います。ヨーロッパ人がある質を感じるには、重量感だけでなく、この「三次元性」があると思います。一般的に、日本らしさとは往々にして、日本の水墨画にある「平面性」に象徴されることがあります。それが日本好きのヨーロッパ人に「繊細さ」として評価されるわけですが、ヨーロッパ市場の傾向としてメジャーな嗜好ではないのは、「(必要以上の)軽さ」と同様です。三次元的ヴォリューム感がヨーロッパ市場では要求され、そのために日本人デザイナーは、3.5次元ー4次元あたりを意識的に狙わないといけないのでしょう。これらの二点、重量感と三次元性が、橋本さんの今回の作品が、昨年よりヨーロッパ人から良い反響を得たひとつの理由ではないかと考えました。

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そんなことを思いながら、トルトーナ地区へ向かいました。まず入ったのはIKEAです。IKEAがイタリア市場に入って20年。その歴史とIKEAの企業コンセプトが表現されています。とても上手いです。表面上はプレゼンにお金をかけていることが分からない、その徹底振りがIKEAらしいです。ストアマネージャーなどがエコロジーや社会的持続性の点から、いかに具体的な方策をとっているかをビデオで説明しますが、その言葉の一つ一つに実績に基づいた重みがあります。見ている人たちが、製品の素材や製法などそれぞれの背景を含めよく知っていていることが、耳に聞こえてくる会話ぶりから分かります。コンセプト構築方法とその伝え方、大いに参考にすべきです

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北欧各国がデザイン振興のために力を入れているのは周知の事実ですが、下はデンマークの政府がバックアップしているスペースです。

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また、次はフィンランドのメーカーですが、このスペースの外にはヘルシンキの学生たちの作品が展示されていました。伝統的な木の利用ばかりかと思えば、そうでもなく、学生たちはもっと広く通じる共通言語で勝負したいのだという意向が伺えます。

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ポルトローナフラウグループにあったメンディーニのチェアを紹介しておきます。メンディーニは他社で「1700年代」という作品を発表していましたが、これも同系統であり、 「ミラノサローネ 2009(41)」で「歴史の編集作業に入った」と書きましたが、これに関するぼくの考えは、この数日で翻ることはなく、より補強されつつあります

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トルトローナのこの人の集中ぶりで、パフォーマン的な宣伝活動も盛んで、モニターを抱えた彼もニコニコしていますが楽ではなさそうです。

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そんななか、ふっと上を向いて眺める空が息抜きです。

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夜、オフ会でサテリテや市内各所でご自分の作品を展示している日本人デザイナーたちと話しましたが、「日本では見る人はちょっと身を引いてみるんだけど、こっちでは積極的に踏み込んできて、いろいろとコメントはするし、説明すればするほど満足してくれるんですね」という皆さんに共通した言葉が印象的でした。ヨーロッパ文化部ノートに書いた、アーティストの廣瀬智央さんのローマでの展覧会の見方や反応と同じです

26日朝、日経デザイン編集長のブログ「デザインの雫」で以下の文章を読みました。

http://blog.nikkeibp.co.jp/nd/chief-editor/2009/04/202371.shtml

トヨタ自動車は、今回の展示のクリエーターとして、建築家の藤本壮介氏を選んだ。トヨタ自動車のデザイン部門がCADやCGを駆使して製作した Lexus実物大のアクリル製モックアップを、藤本氏がデザインした同じくアクリル製のベンチが取り囲む空間を仕立て、照明や音響をコントロールして日本らしい幽玄な展示を発表した。
実物大のモックアップは、エンジンなどのパーツも詳細に再現され、見る者を飽きさせない圧倒的な存在感を放つ。一方、水の流れを思わせる波紋を表現した藤本氏のベンチは、ゆらぎや陰影を漂わせる。アクリルという無機質な素材を使いながら、技術と感性という日本らしさを表現した。

ヨーロッパ人に理解してもらえるコンセプトとは何なのか?です。「日本らしさ」が表現されることが重要なのではなく、その「日本らしさ」のポイントが理解されることが重要なのです

あるコトやモノがちゃんと定着するには合理性が必要です。ロングセラー商品とは、必ずその合理性をもっています。ユーザビリティもそのひとつのキーです。寿司が西洋社会で定着しつつあるのは、ローカロリーが第一の理由であり、日本趣味ゆえではありません。トルコのケバブーは、米国発のファーストフードハンバーガーと比較して、「ファーストフードらしくない野菜の多いヘルシーさ」という合理性をもって、多くの人の「当たり前」の選択肢になっています。トルコがもつ異国情緒は、あくまでも付随要素です。「らしさ」ではない合理性をもっと見極めることで、レクサスのコンセプトがヨーロッパの人たちに理解されることになります。「日本らしさ」はコンセプトを作るものではなく、コンセプトにのせるものですIKEAは「質の高いデザインを低価格で、且つ環境や人を公正に扱う」ことをコンセプトとし、そのうえでスウェーデンを付加的価値として利用しています日本の完成品メーカーのコンセプトの作り方や世界観の示し方については、後日、さらに書いていきます

Category: ミラノサローネ2009 | Author 安西 洋之  | 
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