<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>さまざまなデザイン &#187; ミラノサローネ2009</title>
	<atom:link href="http://milano.metrocs.jp/archives/category/milano_salone2009/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://milano.metrocs.jp</link>
	<description>ヨーロッパの目</description>
	<lastBuildDate>Fri, 10 Feb 2012 21:57:34 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.1.4</generator>
		<item>
		<title>ミラノサローネ　２００９（５３）　日本で話すサローネ</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/1678</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/1678#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 01 Jun 2009 10:03:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノサローネ2009]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://milano.metrocs.jp/?p=1678</guid>
		<description><![CDATA[先週木曜日の晩、東京に着きました。職人全員マスクをする戒厳令のような空港を駆け抜け赤坂見附のホテルに入り、雨の中を向かったのはラーメン屋。無性にラーメンだったのです、気持ちは。 翌日昼食、スペイン人と会ったのですが、彼が [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>先週木曜日の晩、東京に着きました。職人全員マスクをする戒厳令のような空港を駆け抜け赤坂見附のホテルに入り、雨の中を向かったのはラーメン屋。無性にラーメンだったのです、気持ちは。</p>
<p>翌日昼食、スペイン人と会ったのですが、彼が指定したのは麹町のイタリアレストラン。地下にあるそのレストラン、日本人のスタッフは誰もおらず、公式言語がイタリア語。日本人が「ボンジョルノ」と挨拶する場所は数知れず、しかし、日本語が通じないレストランとは、「またやるな～」と驚くやら感心するやら・・・。味はさすがで、イタリア色１２０％。</p>
<p>さて、夜は六本木ヒルズのヒルズアカデミーでのライブラリートーク。会員限定で７０－８０名の参加者だったのですが、デザイナーや建築家の方も参加者のなかにいるのは、話しながらだんだんとわかってきたのが楽しいです。ある部分で頷かれる、そこに共通しているものを感じます。「この方はデザイナーだろうな～」と思っていたら、後の名刺交換でそうと判明。もちろん、全員１００％正解かどうかは分かりませんが・・・。話した内容は、このブログでも書いたことが多いのですが、ある結論を導くように話さないといけないだろうなと思い、その道筋の明確化に気を使いました。あまり説明過剰になると弁護的になるので、あるところは誤解される危険を承知のうえで強行突破（？）することにしました。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1679" title="clouds" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/06/clouds4852-300x222.jpg" alt="clouds" width="300" height="222" /></p>
<p>要するに、自分が伝えたいことを伝えるに、どこからも「刺されない」ロジックというのもありえません。「刺されたとき」に追加説明するしかないだろうということです。それにしても、正直言うと、パワーポイントは嫌いです。何かパワーポイントに支配された感じで自由を失い、自分の言葉が先に来ないような気がするのです。原稿をなぞる、それは力を何か喪失するような気がします。でも、デザインで文化の話をするというのは、目でわかるからこそです。そこに意味があるので、画像ははずすわけにはいきません。バランスだなあと思います。それでも、抽象的な表現をまったく使わないということはできず、それをどう具体例にひとつひとつ置き換えていくか？　それが課題だなと反省しました。</p>
<p>翌々日の日曜日、友人の「夜回り先生」水谷修さんの講演を聞きに行きました。実は初めてです。３０年近くつきあってきて、彼の塾や学校での授業は聞いたことがありますが、彼が「夜回り先生」になってから、講演を聴いたことはなかったのです。年間３－４００の講演を行っているだけあり、さすがにすべてがパーフェクトです。聴衆を引き込んでいくプロセスがぼくにもよく分かり、「うまいもんだなぁ」と思います。まったく原稿がないなかで、秒分単位でストリーが仕組まれているのが見えます。それで９０分ジャストで終了。</p>
<p>講演の後、新宿で天ぷらをカウンターで食べながら、聞きました。「パワーポイントって使わないのですか？」と。「いや、使わない。あれを使うと、話に迫力がなくなり、ダイナミックに訴えることができなくなる。使ったとしても、ホワイトボードに字をちょっと書くだけ。それが教師というものだ」とバシッといわれ、教師じゃないぼくは、教師がとてもうらやましい存在に思えました・・・・。ぼくも、パワーポイントは必要な場所だけに限定する工夫をしていこうと思います。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/1678/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネ　２００９（５２）　ユニバーサルと日本文化</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/1673</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/1673#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 27 May 2009 09:01:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ミラノサローネ2009]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://milano.metrocs.jp/?p=1673</guid>
		<description><![CDATA[前回（５１）で書いた続きです。６月３日の日欧産業協力センターでのセミナーの社会学者の八幡さんとのディスカッションポイントです。 文化変容とは、その文化の「必要性」によっておこるのです。そして、必要とは合理性なのです。 重 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>前回（５１）で書いた続きです。６月３日の日欧産業協力センターでのセミナーの社会学者の八幡さんとのディスカッションポイントです。</p>
<blockquote><p>文化変容とは、その文化の「必要性」によっておこるのです。そして、必要とは合理性なのです。</p></blockquote>
<p>重要な点はここです。日本の文化の自己定義で、「ディテールに強い、あるいはコンセプト作りに弱い」と言う傾向にありますが、これは必要性がなかったから弱かったと認識すべきなのです。ヨーロッパは世界観の構築に優れているとするなら、それはヨーロッパの近代の歴史が、ヨーロッパの人達をして世界観を考えざるをえない状況が続いたがために優れているとしか説明しようがないのです。今の「日本のものづくり再生」の論議を見ていると、日本文化をとても狭く見積もっています。品質だ、すり合わせだ、磨きだ・・・と。これらが強いのは、キャッチアップするのにその方法がベストだったからであって、コンセプトや世界観を作る必要性がなかったのです。</p>
<p>論理だ、ロジック、合理性だというと、数理哲学的な領域に入るのではないかとか恐れ勝ちなのも判断ミスを招く原因で、ここで言っているロジックというのは、日常的な生活で当然必要なレベルのロジックです。日本でも昔から「理（ことわり）」という言葉がありますが、それです。ぼくたちは言葉を使ってコミュニケーションをとっている以上、犬が吼えるように言葉をしゃべるということはありえず、そこには何らかのロジックが絡んでくる。これです。ヨーロッパはロジックを重視するというのも、そういうことであり、やや考え方のプロセスの違いがあるにせよ、基本的に通じ合えない世界ではないのです。これがユニバーサルです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1674" title="culture" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/05/culture-300x232.jpg" alt="culture" width="300" height="232" /></p>
<p>言葉以外の世界を重視する、あるいはそこにより深い世界があるという考え方は、無文字社会において強いと言われ、無文字社会でなくてもアイルランドや日本の文化にその傾向をみることがあります。文化のプリミティブなレイヤーの質に上下をもつというのは変な構図であるというのがぼくの印象ですが、そのレイヤーで勝負をしよう、そこにブランドのコアをおこうというのは、考えてみれば、他の文化にとって随分と失礼な話です。いずれにせよ、長い歴史において、「分けが分からない」というのは、それ自体でブランドになることがある　－例えば、ヒッピー時代のインド哲学　－　と思うのですが、ヨーロッパにおける日本の文化も、それに似たところがないとは言えません。それに惹かれる層や世代があるのは事実ですが、マスプロダクションのメインストリームにはなりえません。マニアックなニッチな世界で良いのなら別ですが、それでもまず、メインストリームがあってのニッチです。この地図がちゃんと認識されていないといけません。ぼくが<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%81%AE%E7%9B%AE-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9B%AE-%E5%AE%89%E8%A5%BF-%E6%B4%8B%E4%B9%8B/dp/4535585571/ref=sr_1_1?ie=UTF8&amp;s=books&amp;qid=1243414040&amp;sr=8-1">『ヨーロッパの目　日本の目ー文化のリアリティを読み解く』</a>でも書いた、ハイカルチャーとローカルチャーの区別が残るヨーロッパ文化の特徴は、こういう側面からも効いてきます。</p>
<p>急いで話を最後にもっていくと、ビジネス活動におけるユニバーサルとは、もっと柔軟性の高いもので、文化の固有性から離れたものです。即ち合理性に基づいていることを最優先すべきで、その点において、日本人デザイナーや企業が、自分の道を狭める必要は全くないのです。それにプラスして、日本的テイストが付加すればより売れる商品の場合、　－イケアがスウェーデン家具と文化を使っているように　－　それをコンセプトの上に搭載すればいいのです。パヒュームのためのフランス文化もそうです。</p>
<p>今日、これからミラノを発ちます。金曜日に六本木でトークショーがあり、そこでも、これに近い話をしようと思っています。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/1673/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネ　２００９（５１）－日欧産業協力センターのセミナー</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/1663</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/1663#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 22 May 2009 07:57:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ミラノサローネ2009]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://milano.metrocs.jp/?p=1663</guid>
		<description><![CDATA[先週「ミラノサローネ２００９の見方をお話しします」というエントリーで書いたように、６月３日、都内、日欧産業協力センターでセミナーを実施します。そのために現在、内容の詰めを行っているのですが、ぼく自身の頭を整理する目的もか [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1642">先週「ミラノサローネ２００９の見方をお話しします」というエントリーで書いた</a>ように、６月３日、都内、日欧産業協力センターでセミナーを実施します。そのために現在、内容の詰めを行っているのですが、ぼく自身の頭を整理する目的もかねて、ここにお話しする内容を整理しておきます。まず、全体構成として、ぼくの話、社会学者の八幡康貞さんのレクチャー、そして質疑応答も含めた二人でのパネルディスカッションを考えています。</p>
<p>それでぼくの話ですが、ヨーロッパ文化を知る目的を明らかにします。これは何度も書いているように、何かを学ぶという態度でヨーロッパ文化を知るのではなく、ヨーロッパ人と一緒にコラボレーションしたり、何かを売るための文化理解です。これが大前提です。ヨーロッパの教会の見学し、「宗教が分からないと、絵画も飽きてしまいますね」という人達が多いですが、それを飽きないための文化理解ではない、ということです。それらを知っていれば知ったに越したことはないですが、それはセミナーの目的ではないです。次にここでいう「文化」ですが、これは文学や美術などのハイカルチャーやサブカルチャーを指すのではなく、文化人類学で使う人間が行う外面的及び内面的な行動全てです。「生きるための工夫」です。</p>
<p>それでは、何故、あえて文化理解が必要というのか？　一つは、１９８９年秋にベルリンの壁が崩壊し、１９４７年以来の「鉄のカーテン」が取り払われ、二つのイデオロギーの下に隠されていた文化が、国際政治上でも前面に出てきたことです。そして、アメリカを極とした経済のグローバル化を補完する概念としてのローカリゼーションの必要性です。かつ、このローカリゼーションは、それまで市場の好むカラーや人間工学的側面に焦点をあててきましたが、１９９０年代以降のネットや携帯電話その他の電子デバイスの普及で、ユーザーの考え方の違い、即ち認知科学的側面にも注意を払う必要がでてきました。そして、これらが十分に配慮されていないと、カーナビのようにユーザーや周囲の人間の生命を危険にさらす可能性が高くなったのです。また、このインターフェースへのセンシビリティが、従来の意匠レベルでのデザインへも影響する、いわば心象風景の変化がでてきています。文化というと、やや気取ったものとして扱われたり、文化交流というと異文化との長期の関係向上がイメージされがちですが、今、ぼくたちが直面している文化的現実とは、もっとシリアスです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1664" title="mobile-phone-driver" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/05/mobile-phone-driver-300x199.jpg" alt="mobile-phone-driver" width="300" height="199" /></p>
<p>その次に、ヨーロッパ文化に入る前に、日本文化についてサマリーします。ヨーロッパ文化にリアリティをもつためには、自分がよく知っている日本文化をまず大筋で整理するのが、比較文化的手法として有効だと思います。そのために、いくつかのポイントを指摘します。例えば、ディテールから積み上げで全体像を作る、あるいは普遍的志向性より固有性への拘りが強い、こういった点を挙げます。これらのステップを踏んだうえで、初めて、ミラノサローネにおける日本企業や日本人デザイナーの展示に対する見方に話題を移します。それらのなかで、特にレクサスは少々時間を割きます。L-finesseのデザインフィロソフィーの問題点を指摘します。米国ではメルセデスと同等の戦いをしながら、欧州ではメルセデスの１０分の１以下の売り上げしかとれない現実と、このフィロソフィーがどう関係しているのか？という点を仮説的に触れます。</p>
<p>一方、ヨーロッパの会社の例では、スウェーデンのイケアを取り上げます。どんなに美しいデザインであっても、それは金額があって、はじめて総合的な判断ができるというポジションがイケアにはあります。よくレストランの味は自分のポケットマネーで食べて初めて分かるといいますが、ぼくもこれは真実だと思います。すべからく、経済的な位置も含めて、デザインの良し悪しを判断するところに意義があると考えています。純粋な美的判断という世界もありますが、ことデザインの世界において、それはメインストリームではない。あるいはメインストリームたりえない。その点にデザインの現実があると思います。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1665" title="sms-user" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/05/sms-yuser-300x225.jpg" alt="sms-user" width="300" height="225" /></p>
<p>話のテーマはユニバーサルとローカルですが、レクサスやイケアの対比で分かることはユニバーサルに視覚や言葉で表現しきれるというのは、コンテンツが定義するのではなく、コミュニケーションの結果なのだということです。L-finesseは、視覚や言葉の世界に背を向けたような印象を与え、言葉にならない世界の調和を目指しているように見受けられます。それをぼくは大いに疑問に思うのですが、仮にそれを良しとする場合、それではコミュニケーションはどこにあるの？ということになります。ユニバーサルというのは、言葉で理解できること、それもお互いに言葉を長い間交わして得た合意、この全てです。こうした苦労を経てヨーロッパ市場であるポジションを獲得したのが、コンテンポラリーアートの村上隆であると考え、彼の戦略について語ります。</p>
<p>何か、ある決まった内容はユニバーサルではない、そういうことはありません。文化変容とは、その文化の「必要性」におこるのです。そして、必要とは合理性なのです。</p>
<p>寿司、ケバブー、パスタ・・・・これらは、文化が好まれて世界中の人に食べられているのではなく、「軽い」「ヘルシー」といった合理性が市場に受けいられた第一要因であり、それぞれの文化は後からついてきています。だからといって文化を無視していいということではなく、上手くユニバーサルなレイヤーの上に載せることが重要です。イケアはその点でも参考になります。日本の例では、ソニーのウォークマンが合理性と世界観の提示で世界に普及しましたが、今、ぼくが注目しているのは、頓智・のセカイカメラです。まだ市場でビジネスがはじまっていませんが、新しい世界観の提案という意味で期待しています。</p>
<p>以上、こんな感じですが、この続きは次回書きます。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/1663/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネ　２００９（５０）　未来派のもっていたエネルギー</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/1648</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/1648#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 17 May 2009 21:52:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ミラノサローネ2009]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://milano.metrocs.jp/?p=1648</guid>
		<description><![CDATA[世の中に新しい価値を広めるのは、とてつもないエネルギーと熱が必要だということを、王宮で開催されている未来派の展覧会をみて再認識しました。昨年も今ごろ、未来派のジャコモ・バッラの展覧会がありましたが、今年のそれは、未来派に [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>世の中に新しい価値を広めるのは、とてつもないエネルギーと熱が必要だということを、王宮で開催されている未来派の展覧会をみて再認識しました。<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/174">昨年も今ごろ、未来派のジャコモ・バッラの展覧会がありましたが</a>、今年のそれは、未来派にかかわる総合展です。絵画からはじまり、彫刻、建築、舞台美術、陶器、ファッション、写真・・・あらゆるものが対象になっています。飛行機からみた地上風景を描いた絵画をみて、人類が地球そのものを眺めたのも、思ったより時間がたっていないなと感慨にふけりました。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-full wp-image-1651" title="af" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/05/nvgdcavh0z0bca9l4dmmca9ghzvxcaej7d3acal3w8w2cal1y8w8caoswj9hca55t9aacak0v7mzcazydaw6cao9apd4cadmkp94cai90zmpca6hx8jcca1xpaotcacxxw6sca0to3zgca7ri99xcagj0u3i.jpg" alt="af" width="313" height="257" /></p>
<p>20世紀の初頭、科学や工業技術が一気に急伸し、その現象に今と明日のリアリティを感じたアーティストたちが、それらを一気呵成に表現しきったのです。この展覧会には、もちろん未来派の宣言文が説明されており、その趣旨を読むと、１世紀を経た今に至っても心揺さぶられるものがあります。実は、これをあることの対比で、ぼくは語っています。<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1502">４月２２日のブログで書いたことです</a>。今、新しい価値体系の構築のために、ヨーロッパは歴史編集作業を行っている。それと、レクサスのL-finesseのブランドフィロソフィーがユニバーサルに分かりにくい。この二点です。</p>
<p>世界すべての人が受け入れている概念は存在しないでしょう。民主主義はもとより、人権も危ないです。象徴的なのが、クリントン米国務長官が中国を訪問した際、経済苦境からの脱出を優先するために、今までさんざん第一条件として要求してきた人権問題をとりあえず脇においたことです。アムネスティが猛烈な反撃を加えたのは当然ですが、ぼくはこれをニュースで読み、「ああ、なんだ、人権は絶対的な価値じゃないんだ・・・」と多くの人の心に残ったであろうことを想像しました。</p>
<p>現ローマ教皇は１０年ほど前、ドイツの大学で「キリスト教にとって脅威なのはイスラム教ではない。仏教である」と講演しましたが、自然を制御する存在としての人間が、危ういポジションにたっていることは確かです。それでは、仏教を背景とした文化が、ユニバーサルに通じる価値観や創造性の主導権を発揮できるか？と問うた場合、何十年の単位では無理ではないかと思います。それは可視的な価値観に重きをおかず、予定調和ではないなんとなしの調和に敬意を表する文化が、今までの西洋的価値体系を越えるのは、三桁に近い年数や、瀕死に近い状況で人々が「必要」を感じて方向転換を決めるしかないでしょう。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-full wp-image-1652" title="ｆｆ" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/05/5c21calh922uca82b5o5cab5hym8caqm5wm4cajd6pr0cabvfktpcacnwe6rcaemmzsycanugw2gcau07se3ca4rrmcccaxva4yzcan9tkm2cac3xnqtca0kvd6rcaj8zmhkcagktnbtcauic7cdcams98m9.jpg" alt="ｆｆ" width="322" height="234" /></p>
<p>こういうことを書かないといけないほどに、レクサスのL-finesseのフィロソフィーは、西洋的価値体系やユニバーサルな文脈にNOと言っているのだ、ということをトヨタのデザイントップはお分かりなのだろうか？と、ぼくは以下を再読して思うのです。多分、そういう覚悟はないでしょう。エンリコ・フミア氏は、その困難さを知った上で、非常に皮肉的な対応をしています。これで、本当にいいのでしょうか？</p>
<p><a href="http://response.jp/feature/2005/1227/f1227_1.html">http://response.jp/feature/2005/1227/f1227_1.html</a></p>
<p>とにかく日本の土壌で勝負するという気持ちも戦略も理解できます。でも、それならば、日本の文化のユニバーサル性をもっとスタディするべきではないかと考えます。日本の独壇場を作るなら、西洋文化文脈ともっと組み込みがいい日本文化を認識するのが妥当です。それをしないと行き止まりです。これをぼくは非常に深刻な問題と考えています。世界でトップで日本の経済の屋台骨を支える企業の動向には、大いに目を光らすべきです。日経ビジネスオンラインの川口盛之助さんのD１グランプリに関する記事（下記）はいつものように面白いですが、我々は視点をずらし多数の視点をもてば、本道でももっとできることがあるのではないか？　そういうことを考えます。</p>
<p><a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090513/194513/">http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090513/194513/</a></p>
<p><a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1642">６月３日の日欧産業協力センターでのセミナーは、こういう点に対して突っ込んでみたいと思います</a>。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/1648/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネ２００９の見方をお話しします</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/1642</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/1642#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 12 May 2009 09:34:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ミラノサローネ2009]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://milano.metrocs.jp/?p=1642</guid>
		<description><![CDATA[ぼくのミラノサローネの見方を色々と書いてきましたが、６月３日、実際にお話します。千代田区一番町にある日欧産業協力センターでセミナーを下記要領で行います。日欧産業協力センターは経済産業省とＥＵのＪＶです。それでは６月３日に [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ぼくのミラノサローネの見方を色々と書いてきましたが、６月３日、実際にお話します。千代田区一番町にある日欧産業協力センターでセミナーを下記要領で行います。日欧産業協力センターは経済産業省とＥＵのＪＶです。それでは６月３日にお会いしましょう。</p>
<blockquote><p><span style="color: #0000ff;">日・EU フレンドシップウィーク欧州セミナーのご案内<br />
欧州市場の文化理解とビジネスへの活かし方<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">日 時 2009 年6 月3 日（水）午後15:00 ～ 17:00<br />
会 場 日欧産業協力センター<br />
参 加 無料 言 語 日本語<br />
５億人の市場をもつ欧州。その市場でいま、日本製品の存在感は低下しているのだろうか。それは、日本企業の欧州あるいは欧州文化への関心の低さと関わりがあるだろうか。このたび、日・EU フレンドシップウィークを記念して、欧州文化の再認識と、文化理解をビジネス・製品開発へどう活かすかをテーマにセミナーを開催致します。<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">概 要<br />
孤立したガラパゴス諸島からの脱出方法<br />
― プラットフォーム作りに方向転換する時代の文化理解 －<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">独自の生物進化を遂げた南太平洋のガラパゴス諸島になぞらえ、日本市場のガラパゴス化が言われるようになって久しい。日本では成功する製品が、多くは標準仕様の設定のギャップから、海外では悉く敗北する傾向にあることを指している。先行する発展が世界を引っ張ることなく逆に乖離を促してしまう。携帯電話の孤立性を表現するために使われはじめ、その他、ゲームソフトやカーナビなどが例にあげられやすい。しかし、残念ながら、この傾向はＩＴや電機業界だけでなく、あらゆる分野にあてはまることを、あらゆる分野のエキスパートが指摘している。<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">‘７０年代に日本の輸出力が高まり、MADE IN JAPAN が高品質のブランドとなったが、今からみると、そこにもガラパゴス化への分岐点はあった。高品質は肯定されるが、過剰品質は否定される。その問題に正面から向き合わなかった。高品質で多機能であることに普遍性があると思い込んだ。ここに陥穽があった。我々にとって良いものが、必ずしも隣人にとって良いものとは限らない。<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">一方、海外の国に目を向けてみると、ガラパゴス的陥穽に落ち込む危険が全くないわけではなく、同じようにその危険性はある。ただ、共通する文化土壌の広さや、常に隣人の存在を意識せざるを得ない環境があることが多い。米国製品や欧州製品がガラバゴス的とは言われにくい背景がここにある。すなわち、プラットフォームが共有されやすいことが有利に働いている。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">プラットフォームとは基盤という意味で使っている。製品仕様ではソフトウェアがのるハード部分を指したり、ソフトウェアではオペレーションシステムを意味したりする。階層の下部構造である。プラットフォームの成功具体例では、スウェーデンのIKEA（家具）やオランダのTomTom(カーナビ)が挙げられると思う。<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">ここで我々は一つの仮説をたてた。ヨーロッパ文化には「普遍性への志向」という特徴があった。日本文化がどちらかといえば「固有性への拘り」が強かった。それが世界で普及するプラットフォーム作りを不得手にした遠因ではないか、と。したがって、何がユニバーサル文化か？何かローカル文化か？ これらを把握するフレームをもつことが大切ではないか、と。<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">従来、ヨーロッパ文化は「北欧エコロジー」「地中海ライフスタイル」という範疇で扱われることも多い。ここではユニバーサル文化を推進してきたアイデアマンたちの考え方の土台とその今を知ることにフォーカスする。<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">プ ロ グ ラ ム<br />
司会進行 安西 洋之 氏（ヨーロッパ文化部主宰：在欧ビジネスプランナー）<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">15:00 開会の辞 日欧産業協力センター 事務局長 塚本 弘 氏<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">15:05 「なぜ欧州ビジネスに文化理解が必要か？」<br />
‘８０年代後半の冷戦終結で文化が前面に出るようになったと言われるが、製品ビジネスでは電子機器のインターフェースの普及が、市場文化理解が求められる一つの理由となろう。また、プラットフォームを考えるにあたっても文化理解は必要になる。それもアカデミックな知識ではなく実践的な理解が大切だ。今年４月のミラノデザインウィークの事例なども示しながら、具体的方向を探る。<br />
講師：ヨーロッパ文化部主宰 在欧ビジネスプランナー 安西 洋之 氏<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">15:45 「ヨーロッパのプラットフォームと日本文化」<br />
江戸の賢人たちは、かなり西洋的合理性を理解していたと思われる。しかし、維新による歴史の断絶が「日本らしさ」とは情緒性や繊細な感性のみであるとの思い込みを生んだ。これがユニバーサルなプラットフォームを作りにくくしている。ヴィジョンのあり方や作り方のヒントを考えていく。<br />
講師：元上智大学教授（社会学） 八幡 康貞 氏<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">16:25 質疑応答<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">17:00 閉会の辞 日欧産業協力センター 事務局長 塚本 弘 氏<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">講 師 の 紹 介<br />
安西 洋之<br />
ビジネスプランナー：１９８３年、上智大学文学部フランス文学科卒業 いすゞ自動車勤務後、１９９０年よりイタリア在住。２０００年 日本と欧州のインターフェースとしてモバイルクルーズ株式会社を設立。自動車、建築、デザイン、ユーザビリティなど多岐の分野に関与してきた。ブログ「ヨーロッパ文化部ノート」（http://european-culture-note.blogspot.com/）「さまざまなデザイン」（http://milano.metrocs.jp/）で広義のデザインのあり方を探っている。<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">八幡 康貞<br />
社会学者：ミュンヘン大学博士課程で社会学を勉強後、１５年以上ドイツにてジャーナリスト活動や研究を行う。帰国後、日本大学国際関係学部助教授，上智大学比較文化学部教授を歴任。その間（1992－1997）ザンクトガレン大学，チューリヒ大学，ハレ＝ヴィッテンベルク大学客員教授。現代欧州を多角的にフォローしている。<br />
</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">申 込 み<br />
申込用紙にご記入の上、FAX（０３－３２２１－６２２６）またはEmail（seminar@eu-japan.gr.jp）でお申込みください。申込み受領後に受講書・会場地図をお送りいたします。<br />
氏名<br />
会社<br />
部署<br />
役職<br />
Tel<br />
Fax<br />
Email<br />
業種<br />
＜問合せ＞ 日欧産業協力センター TEL : 03-3221-6161 Fax: 03-3221-6226 （担当：樋口・宮本）<br />
※ご記入頂いたお客様の情報は、適切に管理し、本セミナー運営のために利用いたします。</span></p></blockquote>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/1642/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネ　２００９（４９） アーティストの目</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/1626</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/1626#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 03 May 2009 11:11:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ミラノサローネ2009]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://milano.metrocs.jp/?p=1626</guid>
		<description><![CDATA[このシリーズで色々と辛らつな意見も書いていますが、誤解なきよう目的を再度書いておきます。ミラノサローネを通して理解するヨーロッパ文化動向が狙いですが、それはヨーロッパ人とビジネスをする、あるいはヨーロッパ市場を攻略する、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>このシリーズで色々と辛らつな意見も書いていますが、誤解なきよう目的を再度書いておきます。ミラノサローネを通して理解するヨーロッパ文化動向が狙いですが、それはヨーロッパ人とビジネスをする、あるいはヨーロッパ市場を攻略する、そのためのヨーロッパ理解です。ヨーロッパを着飾り気取るための文化理解ではありません。その点、ご注意を！</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1627" title="ms51" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/05/ms51-300x225.jpg" alt="ms51" width="300" height="225" /></p>
<p>昨日、<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/category/milano_salone2008/page/7">「ミラノサローネ２００８」で作品を紹介したコンテンポラリーアートの廣瀬智央さん</a>と会ってサローネについて話し合ったのですが、アーティストの目からみたサローネの感想の一例としてご紹介しておきます。</p>
<blockquote><p><!--  --><span style="color: #0000ff;">サローネを見ると何か物足りないものがいつも残るんです。これは僕なりの感想なので一般的に当てはまらないかかもしれませんが。特にデザイン製品そのものを見せるような展示ではなく、フオーリ・サローネなどで展開されている各企業なり、作家が表現しているデザインイメージとして提示している展示の話しなんですけど。インスタレーションで表現している空間や作品が、何かデコレーション的な美しさにだけで終わってしまっているような感じで、その先のメッセージとかがいつも伝わってこないんです。「美しい」作品以上に、「美し過ぎる」作品が多いでしょう。それに、アートですでに表現されているような作品の焼き直しも多いでしょう。デザインとして割り切って見てしまえば、それはそれで良いのかもしれませんが、アート作品として見ようすると、どうにも何か物足りないものを感じてしまうのです。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">その物足りなさは何か？どのような見方をするかで変わますが、職業上どうしても展示作品をみると、表現している人のメッセージなり精神性を読もうとしてしまうのです。やはり、企業の依頼やその都度の展示の一過性でインスタレーションが制作されているが故に、作家のメッセージ性とかがどうしても弱くなってしまうのだと思います。アートの場合、一生かけて人間の悩みとか、生きる上での問題とか、逃れられない性とか、自身のリアルな世界をとおして、どうしようもないモチベーションから作品が創られて行くゆえに、作家の精神性が反映されざるをえないんです。自身をしっかりと見つめて行くことでしか表現できないから、どうしても作品の背後にある精神性が見えざるをえないのだと思います。アート作品は目の前にある作品そのものの他に、その背後にある精神性を観客がリアルに感じた時に感動するのだと思います。生きていくうえで我々が抱えている問題は、もっとドロドロした欲とか人に言えないような醜さで、そうした世界が「美し過ぎる」訳がなく、ほんとうは人は人間の持っている醜い部分がもっと見たいのだと思います。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">そう考えると、デザイナーが表現する作品の精神性やメッセージ性は、デザインされた作品そのものに反映されてくるのであって、デザインされた作品を見せるためにアレンジされた一過性のインスタレーションの方には反映されにくいのだと思います。ですので、サローネでは、中途半端のインスタレーションを見るよりも、単純にデザイン作品そのモノを見た時の方が、素直に感動したりします。 </span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">もしかしたら、デザイン作品のためのインスタレーションにそのような見方自体が不要なのかも知れませんけど。デザインとアートのどちらが優位とか言う話しではなく、そうした作品が生まれる迄の精神性がいかに作品に反映されているかということで、視覚的に同じように見えるような作品でも、伝わるメッセージ性の強度が変わってくるのだと思います。それゆえにフオーリ・サローネなどで展開されているインスタレーションがなにか中途半端に感じて、物足りなく感じるのだと思います。もしかしたら、デザイナーの方からみても中途半端に感じるのかもしれませんけどね。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">西洋では、ハイアートとローアートの世界か明確に分かれていてますが、ここ４～５年ぐらいから、デザインや建築、アートの境界がくずれて、クリエイティヴの新しい可能性を探る展覧会が世界各地で行われています。逆に日本ではハイアートとローアートの世界がゴチャゴチャになって、それが独自のオリジナルな文化を形成していて、そこに日本のオリジナルがあると西洋の人は見ています。それにしてもどのような作品であろうとも、作品の背後にある作家のメッセージ性は、常にとわれていると思います。デザインは、人が生活する上でのコミュニケーションとしての役割を持っている以上、何らかのメッセージ性は作品の強度につながるのだと思います。</span></p></blockquote>
<p>廣瀬さんは、「キャノンのインスタレーションでも、人が寄るとクラゲが集まるだけでなく、あそこで実際にクラゲを手に取れるようなところまでいけば、違うんだけどな・・・」と語ります。ぼくも彼のインスタレーションに対する不満を共有していますが、最近のセンサー技術が逆に不足感をより作っていることもあると思います。視覚以外の感覚をどう感知してより重層的なインターフェースを形作るかがテーマになっていますが、まだ熟成したレベルには達していません。結局、「ああ、あのセンサーがぼくのほんの一部を見たのね」という感覚がどうしても残ってしまう。だったら、視覚レベルでもっと刺激的な見せ方ができるのではないか？という疑問を抱かせてしまう。それが不足感や欲求不満を促進してしまうのではないかとも思います。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1628" title="ms52" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/05/ms52-300x225.jpg" alt="ms52" width="300" height="225" /></p>
<blockquote><p><span style="color: #0000ff;">レクサスのインスタレーションですけど、いつも残念に思うんです。サローネに出品している日本の多くの企業は、うち向け、つまり海外展開のためのプレゼンテーションではなく、日本国内にむけて、我が社はサローネに出品してデザインを重視した展開をしてますよ、みたいな感じの所が多いのだと思いますが、レクサスは、むしろ海外展開を真剣に展開している訳で、そのためのサローネでのインスタレーションですよね。もう少し、うまく見せられないかな～とやきもきしてしまいます。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">ハイエンドユーザーの車として、レクサス良い車なんですけどね。アメリカではすごい人気でステータスですけど、残念なことにイタリアではあまり知られていないような気がします。実際に僕のイタリア人の友人は、レクサスを知らない人のパーゼンテージが多いし、サローネのインスタレーションを見ても何がいいたいのか分からないという意見が多くありましすね。もしかしたら、ブランド力をあげた上で、あのようなイメージインスタレーションは有効かもしれないけど、レクサスを知らない人にあのようなインスタレーションをみせても車としてのレクサスのそのモノの存在さえ、うまく伝わっていないのではないかという気がしてなりません。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">なので、僕の解釈では、レクサスの哲学イメージからブランド自体をしっかりとアピールし、高級イメージを展開するための、あのようなインスタレーションをしているのだと思いますが、その方法が何か中途半端になっている気するんです。いつも高級イメージを展開するためのインスタレーションの美しさは充分にありますが、美しいだけで終わってしまい、レクサスの車のもつメッセージやメッセージ性をうまくに伝えられていないのが残念です。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">たぶん、レクサスの哲学が難しすぎて分かりにくいこともあり、それが中途半端な方向にいっているのかもしれません。レクサスの哲学を読んで、日本人である僕もよく分かりにくいので、こちらの人がレクサスの哲学を読んでももっと分からないと思います。アップルがあのシンプルで分かりやすいコンセプトやプレゼンテーションで世界を圧巻している様とは非常に対照的ですよね。もしかしたら、レクサスには、インスタレーションの展開云々の話し以前に、アップル的な分かりやすさが意外に必要なのではないかと思います。</span></p></blockquote>
<p>要するにリアルな文脈を踏まえた、どれだけのレクサス体験があるかを十分に考慮したインスタレーションとは思えないというわけです。デザインのコンセプトを伝え、レクサスのブランドを定着させるという意図が感じられない。ただ、その前に、レクサスのコンセプト自身がもう一度練られるべきではないかという点は、大切なことだと思います。</p>
<p>そういえば、ちょっと話がずれますが、サローネでMolteni &amp; Co. のスタンドでみた収納家具に対する見学者の熱心さは印象的でした。とくに扉の開閉システムを自らチェックする人達、それを色々なアングルから撮影する人達、十分にコミュニケーションできているなあと感心したシーンです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1629" title="ms53" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/05/ms53-300x225.jpg" alt="ms53" width="300" height="225" /></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/1626/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネ　２００９（４８）　何に驚くか？</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/1613</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/1613#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 29 Apr 2009 17:38:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ミラノサローネ2009]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://milano.metrocs.jp/?p=1613</guid>
		<description><![CDATA[サローネ終了後、他の方のブログを読んでいます。建築家の芦沢啓治さんのブログに目が止まりました。日本語で書かれているかなり多くのブログが、トリエンナーレの「センスウェア」をべた褒めしているなかで、非常に醒めた目で見ています [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>サローネ終了後、他の方のブログを読んでいます。<a href="http://blog.livedoor.jp/keijidesign/archives/51653271.html">建築家の芦沢啓治さんのブログに目が止まりました</a>。日本語で書かれているかなり多くのブログが、トリエンナーレの「センスウェア」をべた褒めしているなかで、非常に醒めた目で見ています。これは貴重な意見なので下記、肝心な部分をペーストします。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1614" title="swt" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/swt-300x225.jpg" alt="swt" width="300" height="225" /></p>
<blockquote><p><span style="color: #0000ff;">夕方からトリエンナーレへ。ここでの展示の中心はセンスウェアー、繊維企業と日本のデザイナーとのコラボレーションである。ビッグネームがうろうろ。企業のおえらいさんも、スーツをきめ、名刺交換している。まず、この会場にくらべデザイナーズブロックは、実に爽快な空間だということは述べておこう。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">中庭では突如としてコンサートがおこなわれ、ビールをのみ、子供たちが戯れる。センスウェアーの展示は、非常に興味深いものであったけれど、僕が見たい何かではなかったから、わりとするっと見てしまった。そこでは、素材の可能性は感じたけれど、あくまでインスタレーションの域をこえるものではなかったし、それを商品にする、流通させるという射程をもったものではないから、どこか投槍な感じはいなめない。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">驚いてねみたいな展示は、そうした素朴なものづくりに対する姿勢や知恵を感じることは難しい。そうした意味では、サテリテのような展示のほうがよっぽど刺激をうけたりするものだ。</span></p></blockquote>
<p><a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1513">ぼくは、日本の完成品メーカーが世界観を出せず苦労しているのに対し、素材メーカーは世界観を自ら出す必要がないため、このセンスウェアは良い意味でも悪い意味でも日本の産業力にあった展覧会であったと考え、そのよい意味で、ぼくは素材産業のあり方にエールを送りました</a>。素材産業は結局のところ、大手製造業をクライアントにもたないとどうしようもないところがあり、家具や生活雑貨へのアピールは話題つくりにとどまりがちではないかと想像します。そのときに、こうしたアピールが、どれほどに更に大きな潜在的市場を掘り起こせるのか、つまり航空機あるいは自動車での拡大以外の道をもてるのか？に若干の疑問がないわけではありません。その点で芦沢さんの意見に頷きます。芦沢さんは、「何となくデザイン動向を掴もう」というのではなく、自分のデザインを欧州のメーカーに売り込むという目的がはっきりしているため、より目が厳しくなっています。こういう確固たる視点が大事だと思います。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1615" title="kr" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/kr-300x225.jpg" alt="kr" width="300" height="225" /></p>
<p>もう一点、ぼくが同意するのは、彼の「驚いてねみたいな展示」という部分以降です。モノそれだけを展示するのではなく、広義でのデザインをメッセージとして送るという位置づけであるにせよ、「空間を区切って真っ暗にしたり真っ白にして、先端インターフェースを試みればいいのか？」という疑問がぼくの頭の中でもぐるぐると回っています。どうもブランドコンセプトを伝達する方法として、あまりに代わり映えのない展覧会が多く、だからこそ、<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1582">ＩＫＥＡのイタリア２０周年のプレゼンテーションがより光る</a>のではないかと思います。「どうだ！すごいだろう！」と大見得切った空間は、先端インターフェースどころか、逆にインタラクションを拒否しているようにも見えます。すごく割り切った言い方をすると、「企業はお金に余裕のある時は空間を暗くし、予算に限りがでてくると空間を開放する」と皮肉の一つでも言われかねない傾向があるように思えます。何がコンセプトであり、何を理解して欲しいか？が明確である展示は、いずれにせよ好感をもたれます。この「好感をもたれる」ことに、もっと（特に西洋的文脈でのコンセプト構築に弱い日本企業は）力を費やしていいのではないかと思います。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1617" title="mn" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/mn-300x225.jpg" alt="mn" width="300" height="225" /></p>
<p>ぼくのサローネ見学記録をお読みいただければ分かるように、ぼくは「驚いてねみたいな展示」にはあまり熱心に足を運んでいません。ぼくの目的は「ミラノサローネでヨーロッパ文化動向を知る」ということですが、どちらかというと、やや人の少ない場所でデザイナーや企画者本人と話しながら理解することに時間を費やしました。ただ、ユーロルーチェのアルテミデやフロスのスタンドのように、かなりモノだけで人が熱心になる光景にも立ち会いました。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/1613/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネ　２００９（４７）　４月２７日</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/1600</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/1600#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 27 Apr 2009 17:28:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ミラノサローネ2009]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://milano.metrocs.jp/?p=1600</guid>
		<description><![CDATA[日経ビジネスオンラインで川口盛之助さんの「家電も飛行機も下克上時代ー玩具メーカーの「所帯臭さ」が、「上位スライド」をもたらす」を読み、ミラノデザインの推移を想起しました。この記事では、ハイテクと玩具の距離が必然的に接近し [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090421/192541/?P=1&amp;ST=spc_fl">日経ビジネスオンラインで川口盛之助さんの「家電も飛行機も下克上時代ー玩具メーカーの「所帯臭さ」が、「上位スライド」をもたらす」を読み、ミラノデザインの推移を想起しました</a>。この記事では、ハイテクと玩具の距離が必然的に接近している現在、玩具（下）からハイテク（上）への玉突き現象が起きつつあることを指摘しています。そして、ポイントは人間との接点であり、そこで人間理解がキーになっていると言うのです。</p>
<p>何故、この流れがミラノデザインと近似かといえば、<span style="color: #ff0000;">ミラノデザインとは伝統的に生活雑貨や家具が中心であり、カースタイリングをメインとするトリノデザインとは一線を画し、少なくても社会的文化的影響力でいえば、ミラノデザインが圧倒的な力を持つに至った</span>のです。トリノからすれば、ロイヤリティ契約の金額の小さなビジネスという印象があったミラノデザインだったにも関わらず・・・・です。そして、この要因に、生地とファッションをミラノデザイン側の味方につける、ライフスタイルとしてのデザインという流れもあったのは確かです。このライフスタイルを言い換えれば、<span style="color: #ff0000;">人間への多面的アプローチをミラノデザインは資産として持ってきたのが、有利に働いている</span>ともいえます。</p>
<p>DSやＷｉiの任天堂が携帯電話に進出すれば、それは従来の地図からすれば産業の上下関係を崩すと見られがちですが、より人間に近いところで感覚的な要素を重視される分野が、そのノウハウを使って生活シーン全般まで商品領域を拡大するという見方をすべきです。<span style="color: #ff0000;">卑近な言い方をすれば、女の子と付き合ったこともないハイテクおたくの男の子が、女の子の喜ぶケータイを作れるか？という疑問に答えが出てくる時代になってきた</span>のです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1602" title="ms2702" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms2702-300x225.jpg" alt="ms2702" width="300" height="225" /></p>
<p>ボヴィーザのトリエンナーレで学生の作品をみながら、考えました。上の写真のＰＣの周囲で話されている言葉が解析され、目の前の大きな画面に表示されてきて言葉のマップが作成され、天井からぶらさがる丸い球がマウス的な役割をします。<span style="color: #ff0000;">こういうインターフェースの開発も、人間に合わせてくれない機械を苦手とするイタリアは、最初の頃は出遅れますが、生活雑貨レベルに技術を落とし込んでくれば抜群の力を発揮するのだろう</span>なと思いました。人間の発意というのはタイミングが大事ですが、下の作品のストーリーを読むと、まさにそうです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1603" title="ms2703" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms2703-300x225.jpg" alt="ms2703" width="300" height="225" /></p>
<p>Zerodisegnoのトップは、昨年のヴェネツィア建築ビエンナーレでGreg Lynnの作品をみてあまりに胸がときめき、米国との時差も考えず、その場からデザイナーに電話しました。それで実現したのが、リサイクルプラスチックを使用した三次元玩具です。Greg Lynnの金獅子賞受賞決定の前に電話したのです。自分でよいと思ったら、即動く。Zerodisegnoは、既にガエタノ・ペーシェやメンディーニと同様な作品を限定生産しています。以下はペーシェの椅子です。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1605" title="ms2704" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms2704-300x225.jpg" alt="ms2704" width="300" height="225" /></p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1604" title="ms2705" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms2705-300x225.jpg" alt="ms2705" width="300" height="225" /></p>
<p>新しい都市や建築のあり方を形態から実験的に考えていこうというのがロッテルダムで活動するNao Haimで、彼女はある形のパターンをＰＣで作図したあと、壁の下にある不要な紙の束を使い印刷、そこでエレメントを作成していきます。それらを会場に来た人達がそれぞれのイメージで上の写真のようにモデルを作るワークショップをやっていました。ロンドンやケルンでも実施したようで、その時の写真も展示してありました。</p>
<p>上記とは全く関係ないプロジェクトで、この展示の横に、米国に難民として辿り着いた人たちがモーテルで暮らす様子を映したビデオがありました。マージナルな環境でさまざまな世界が映され、それは常に変動していく。これを見ながら、「ああ、そうか」と思い出したことがあります。<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1470">先日のアートフェアでみた作品</a>です。境界線を意味する英語、borderの複数形でborders という単語がミラーで表現されていました。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1606" title="ms2701" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms2701-300x225.jpg" alt="ms2701" width="300" height="225" /></p>
<p>このミラーに映っているのは、向い側にあるギャラリーの作品です。グリーンを使った作品が映っています。境界線でこそみえる動く現実を表しているこの作品が、まさしくこのトリエンナーレの場で、何かとても身近に力をもってきたような感じをもちました。そうすると、不思議なことに、Nao Haimのワークショップが、さらに重要に思えてきました。それは彼女がイスラエル生まれであるということとは関係なく、しかしながら、現代の問題で境界線上に立っている建築家であるのは確かではないか、そんな気がしたからでしょうか・・・。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/1600/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネ　２００９（４６）　４月２５日</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/1582</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/1582#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 26 Apr 2009 15:59:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ミラノサローネ2009]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://milano.metrocs.jp/?p=1582</guid>
		<description><![CDATA[前日サテリテでみた橋本潤さんの針金でできた椅子（上の写真の針金の椅子）のことを考えていました。昨年の「薄い椅子」（上の写真の白い椅子）よりインパクトがありました。なぜでしょう？　ぼくは「ミラノサローネ２００８」で、日本人 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1597" title="books" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/books-300x225.jpg" alt="books" width="300" height="225" /></p>
<p><a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1563">前日サテリテでみた橋本潤さんの針金でできた椅子（上の写真の針金の椅子）のことを考えていました</a>。昨年の「薄い椅子」（上の写真の白い椅子）よりインパクトがありました。なぜでしょう？　<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/189">ぼくは「ミラノサローネ２００８」で、日本人デザイナーが軽さを意識せずとも出る軽さについて以下書きました</a>。</p>
<blockquote><p><span style="color: #0000ff;">２００８ミラノサローネ（３２）で「欧州人が４０なら、日本人は意識しなくても３５という軽さを表現してしまう。こういうことがあります」「この差である５の行き場をどう考えるか、です」と書きました。<span style="color: #ff0000;">あくまでも欧州市場で売るための前提で言うのですが、ぼくは３５を４０にあげていく発想では、難しいだろうと思います。日本人が得意とするカットしていく手法が使えません。あくまでも欧州の文脈に沿った形で、４５から４０へ、そして３８あたりまで落とし込んでいくアプローチが必要なのではないかと思うのです</span>。積み上げるのではなく、意図的により重いもの最初に選択し、それを軽くしていくというイメージです。</span></p></blockquote>
<p>今回の作品には、それなりの「必要な」重さを感じるだけでなく（実際、２kg以下ですが）、より三次元的なのだと思います。ヨーロッパ人がある質を感じるには、重量感だけでなく、この「三次元性」があると思います。一般的に、日本らしさとは往々にして、日本の水墨画にある「平面性」に象徴されることがあります。それが日本好きのヨーロッパ人に「繊細さ」として評価されるわけですが、ヨーロッパ市場の傾向としてメジャーな嗜好ではないのは、「（必要以上の）軽さ」と同様です。<span style="color: #ff0000;">三次元的ヴォリューム感がヨーロッパ市場では要求され、そのために日本人デザイナーは、３．５次元ー４次元あたりを意識的に狙わないといけないのでしょう</span>。これらの二点、重量感と三次元性が、橋本さんの今回の作品が、昨年よりヨーロッパ人から良い反響を得たひとつの理由ではないかと考えました。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1585" title="ms2503" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms2503-300x225.jpg" alt="ms2503" width="300" height="225" /></p>
<p>そんなことを思いながら、トルトーナ地区へ向かいました。まず入ったのはＩＫＥＡです。ＩＫＥＡがイタリア市場に入って２０年。その歴史とＩＫＥＡの企業コンセプトが表現されています。とても上手いです。表面上はプレゼンにお金をかけていることが分からない、その徹底振りがＩＫＥＡらしいです。ストアマネージャーなどがエコロジーや社会的持続性の点から、いかに具体的な方策をとっているかをビデオで説明しますが、その言葉の一つ一つに実績に基づいた重みがあります。<span style="color: #ff0000;">見ている人たちが、製品の素材や製法などそれぞれの背景を含めよく知っていていることが、耳に聞こえてくる会話ぶりから分かります。コンセプト構築方法とその伝え方、大いに参考にすべきです</span>。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1586" title="ms2502" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms2502-300x225.jpg" alt="ms2502" width="300" height="225" /></p>
<p>北欧各国がデザイン振興のために力を入れているのは周知の事実ですが、下はデンマークの政府がバックアップしているスペースです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1587" title="ms2505" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms2505-300x225.jpg" alt="ms2505" width="300" height="225" /></p>
<p>また、次はフィンランドのメーカーですが、このスペースの外にはヘルシンキの学生たちの作品が展示されていました。伝統的な木の利用ばかりかと思えば、そうでもなく、学生たちはもっと広く通じる共通言語で勝負したいのだという意向が伺えます。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1588" title="ms2504" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms2504-300x225.jpg" alt="ms2504" width="300" height="225" /></p>
<p>ポルトローナフラウグループにあったメンディーニのチェアを紹介しておきます。メンディーニは他社で「１７００年代」という作品を発表していましたが、これも同系統であり、　<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1502">「ミラノサローネ　２００９（４１）」で「歴史の編集作業に入った」と書きましたが、これに関するぼくの考えは、この数日で翻ることはなく、より補強されつつあります</a>。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1589" title="ms2506" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms2506-300x225.jpg" alt="ms2506" width="300" height="225" /></p>
<p>トルトローナのこの人の集中ぶりで、パフォーマン的な宣伝活動も盛んで、モニターを抱えた彼もニコニコしていますが楽ではなさそうです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1590" title="ms2507" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms2507-300x225.jpg" alt="ms2507" width="300" height="225" /></p>
<p>そんななか、ふっと上を向いて眺める空が息抜きです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1591" title="ms2508" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms2508-300x225.jpg" alt="ms2508" width="300" height="225" /></p>
<p>夜、オフ会でサテリテや市内各所でご自分の作品を展示している日本人デザイナーたちと話しましたが、<span style="color: #ff0000;">「日本では見る人はちょっと身を引いてみるんだけど、こっちでは積極的に踏み込んできて、いろいろとコメントはするし、説明すればするほど満足してくれるんですね」</span>という皆さんに共通した言葉が印象的でした。<a href="http://european-culture-note.blogspot.com/2009/04/blog-post_6425.html">ヨーロッパ文化部ノートに書いた、アーティストの廣瀬智央さんのローマでの展覧会の見方や反応と同じです</a>。</p>
<p>２６日朝、日経デザイン編集長のブログ「デザインの雫」で以下の文章を読みました。</p>
<p><a href="http://blog.nikkeibp.co.jp/nd/chief-editor/2009/04/202371.shtml">http://blog.nikkeibp.co.jp/nd/chief-editor/2009/04/202371.shtml</a></p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">トヨタ自動車は、今回の展示のクリエーターとして、建築家の藤本壮介氏を選んだ。トヨタ自動車のデザイン部門がCADやCGを駆使して製作した Lexus実物大のアクリル製モックアップを、藤本氏がデザインした同じくアクリル製のベンチが取り囲む空間を仕立て、照明や音響をコントロールして日本らしい幽玄な展示を発表した。</span><br />
<span style="color: #000080;">実物大のモックアップは、エンジンなどのパーツも詳細に再現され、見る者を飽きさせない圧倒的な存在感を放つ。一方、水の流れを思わせる波紋を表現した藤本氏のベンチは、ゆらぎや陰影を漂わせる。アクリルという無機質な素材を使いながら、技術と感性という日本らしさを表現した。</span></p></blockquote>
<p>ヨーロッパ人に理解してもらえるコンセプトとは何なのか？です。<span style="color: #ff0000;">「日本らしさ」が表現されることが重要なのではなく、その「日本らしさ」のポイントが理解されることが重要なのです</span>。</p>
<p>あるコトやモノがちゃんと定着するには合理性が必要です。ロングセラー商品とは、必ずその合理性をもっています。ユーザビリティもそのひとつのキーです。寿司が西洋社会で定着しつつあるのは、ローカロリーが第一の理由であり、日本趣味ゆえではありません。トルコのケバブーは、米国発のファーストフードハンバーガーと比較して、「ファーストフードらしくない野菜の多いヘルシーさ」という合理性をもって、多くの人の「当たり前」の選択肢になっています。トルコがもつ異国情緒は、あくまでも付随要素です。「らしさ」ではない合理性をもっと見極めることで、レクサスのコンセプトがヨーロッパの人たちに理解されることになります。<span style="color: #ff0000;">「日本らしさ」はコンセプトを作るものではなく、コンセプトにのせるものです</span>。<span style="color: #ff0000;">ＩＫＥＡは「質の高いデザインを低価格で、且つ環境や人を公正に扱う」ことをコンセプトとし、そのうえでスウェーデンを付加的価値として利用しています</span>。<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/1502">日本の完成品メーカーのコンセプトの作り方や世界観の示し方については、後日、さらに書いていきます</a>。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/1582/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネ　２００９（４５）　４月２４日</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/1563</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/1563#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 24 Apr 2009 17:03:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ミラノサローネ2009]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://milano.metrocs.jp/?p=1563</guid>
		<description><![CDATA[今日はサローネ会場に行きました。クラシックやモダンはパスし、デザインのパディリオン。二階に上るとわりとすぐフィレンツェのビトッシのスタンドが目に入りました。今までモダンセクションだったのが、デザインに移動したので、人の入 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今日はサローネ会場に行きました。クラシックやモダンはパスし、デザインのパディリオン。二階に上るとわりとすぐフィレンツェのビトッシのスタンドが目に入りました。今までモダンセクションだったのが、デザインに移動したので、人の入りが随分と違います。カリム・ラシッドの新作も発表していますが、前面は<a href="http://metrocs.jp/products/detail/39.html">アイコン的存在のフォルナゼッティ</a>です。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1564" title="ms241" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms241-300x225.jpg" alt="ms241" width="300" height="225" /></p>
<p style="text-align: center;">次は同じフロアにあるＢ－ＬＩＮＥ。<a href="http://metrocs.jp/products/detail/206.html">ジョエ・コロンボのボビー</a>のメーカーとなって１０年。初めてのサローネ出展です。１９９９年以前はビーエッフェというメーカーの生産でしたが、１９９９年、この会社で管理業務をやっていた一平社員、若きジョルジョ・ボールドィンが事業買収を試み独立したのがB-LINEです。その頃、ビーエッフェは経営が傾き、その危機を彼は「好機」として捕まえ、金型と商権を買い取ったのです。そして、今やボビーは５大陸３０カ国に販路をもち、その他の商品系列も増やし、サローネデビューに至ったわけです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1565" title="ms242" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms242-300x225.jpg" alt="ms242" width="300" height="225" /></p>
<p style="text-align: center;">
<p>ぼくは２００１年から彼と付き合っていますが、本当に細かいことを辛抱強くやってきました。下の写真は途中から経営に参画した彼のお兄さん。今年発表のコート掛けと１０周年記念の黄色のボビーが見えます。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1566" title="ms243" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms243-300x225.jpg" alt="ms243" width="300" height="225" /></p>
<p>その次に向ったのが照明部門のEuroluce ですが、ＬＥＤという起爆剤をもって新しい提案が実に多彩に行われています。８０年代、ぼくが車の開発プロジェクトに関わっている頃、米国で装備が義務付けられたバックのストップライトでＬＥＤが使われ、とても高価だった記憶があります。そのＬＥＤが、この数年、照明業界では話題の中心にあるわけですが、アルテミデでみたザハ・ハディドの作品は、まさに流麗なスポーツカーを思い起こさせてくれました。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1567" title="ms245" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms245-300x225.jpg" alt="ms245" width="300" height="225" /></p>
<p>デジタルゆえの有機的デザインであり、且つ木の根っこの部分が伸びてきたイメージがもとにあるようですが、ぼくにはクルマの世界を想起させるもので、このとき、ふっと思いました。スタイリッシュなクルマがやや遺物的に見られるかもしれない昨今においても、そのスタイリッシュさからくる未来的予感そのものは、かなり移りやすいものだろうなということです。今は過去の産物的にみられても、ある機会に、全く新鮮に見られる、ほんのちょっとした時代の空気で見方が変わる面白さと怖さがあります。メンフィスもそうかもしれません。</p>
<p>サテリテでは、ｂooksのスタンドを訪ねました。昨年入賞した橋本潤さんと山本達雄さんは内田繁さんのところにいた元同僚ですが、二人でbooksというチームを組みました。橋本と山本にある二つの「本」という駄洒落のようなネーミングですが、お二人は夫々にチェアを出しています。橋本さんは昨年の薄い椅子とは違う、ヴォリューム感ありながら軽い作品をもってきました。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1568" title="ms246" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms246-300x225.jpg" alt="ms246" width="300" height="225" /></p>
<p>針金だけで出来ているものです。マニアックな男心をくすぐります。だからか、男性の方たちに人気で、上の写真のように一生懸命に観察する方たちが後を絶ちません。橋本さんもやや緊張した面持ちで見ています。一方、山本さんは、鹿をモチーフにした椅子です。脚もそうだし、貼ってある生地の意匠だけでなく手触りまでが動物的です。それも親子鹿と小鹿までいます。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1569" title="ms247" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms247-300x225.jpg" alt="ms247" width="300" height="225" /></p>
<p>これが女心を刺激するらしく、こちらのチェアは女の子が喜んでカメラを向けていきます。写真は角のあるお父さん鹿の椅子に座る山本さんです。</p>
<p>いつもサテリテを歩いて思うのですが、ここにはあまり完成度がいらないと思います。完成度の高さは目的ともあわず、その雰囲気とアンマッチでさえあります。デザイナーが主張したい何かが、一点集中型で表現されていればよいと思います。<a href="そういう意味でいうと、見本市会場の横で実施されるサテリテはデザイナー自身の戦略を含めた「感性」のプレゼンテーションの場であり、それに対するフィードバックから何かが生まれることを期待する場所だ、と伊藤さんは説明します。そこに発表した作品にメーカーの人が来て、そこで本当にビジネスが生まれるか？といえば、それは期待薄と言うべきだ、と。ビジネスは、そこで生まれるかもしれない人間関係の「次」にくるものだからです。">伊藤節さんも話していたように、ここで出来る人間関係でビジネスを探るのが目標であって、その作品自身を量産にそのまま結びつけたいというのは現実性の低い見込みとして考えるのが妥当です</a>。その観点からすると、今回、booksの試みはとても割り切りがよかったのではないかと思います。</p>
<p>愛知県立芸術大学のスタンドが、あまりに日本的ムードだったので、学生さんに「これは日本のデザインを意識したのですか？」と聞いたら、「いや、全然、そんなこと考えていませんでした。でも、ここに設営してみたら、日本的だって気づきました。特に真正面はロシア勢なんで。外に出て初めて日本なんだって分かったんです」との答え。その経験が得られただけでも随分と今後違った視点がもてるだろうなと期待したいです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-1571" title="ms244" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/04/ms244-300x225.jpg" alt="ms244" width="300" height="225" /></p>
<p>最後に。心地よさや健康がライフスタイルのコアとして定着してきましたが、フィットネス機器メーカーがサローネに出展するようになってそれなりの時が経過しました。最初はこうした風景に好奇心だけで人だかりができたものですが、最近は、ごく普通の視線でみる人が殆どです。風景が馴染んだだけでなく、コンセプト自身が根をおろしたというべきなのでしょう。これは一つのムーブメントのおこし方と波及の仕方として参考になる事例でしょう。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/1563/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>

