ミラノサローネ2008 の記事

Date:08/4/30

昨日、デザイナー本人が意識せずとも出てくる日本人らしさについて言及しました。2008ミラノサローネのレポートをブログで書かれている山本玲子さんが紹介しているサテリテで、ぼくは実際に何人かの日本人デザイナーに「あなたの作品は、欧州の人の目からみると、日本的ミニマリストと表現されると思いますが、そういうことを意識されていますか?」と質問しました。全員から、「いや、考えたこともないです」という言葉が返ってきました。

レクサスのコンセプトに弱々しいイメージがあり、 そのコンセプトが欧州でなかなか伝わりにくい状況をどうにかして打開する必要があるだろうとの指摘をしました。これは二つの見地からぼくは言っており、一つは欧州市場における販売実績に基づいていて、もう一つはミラノサローネという場における適切性を問題にしています。つまりミラノサローネという場が、女性的な表現よりも、強い男性的なイメージを受容しやすいなかで、今までの表現に難があったので、今回の表現は場への適正化を図ったという流れを暗示するものだったとぼくは想像しています。

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欧州における日本の工業製品は他のアジア諸国製品におされ気味で、コミックやアニメのコンテンツ産業を促進すべしというのが日本の経済産業省の方針にもなっています。しかし、それはこの数年前に見聞きしていた実態とは違い、コンテンツ産業においても海外市場で苦戦していることが、コンテンツグローバル戦略のレポートを読むとよく分かります。昨日紹介した和食器の動きが鈍い事実ともかねあわせると、八方塞なのか?という質問が出てくるのも当然でしょう。

今まで西洋文化において男らしさの象徴とも思われていた胸毛を、脱毛する若い男性が欧州においてもじょじょに増えてきた 。時代はいずれにせよ変わるのです。ここにひとつのヒントがあります。

最後に。「フロシキバックの作り方」というブログを書かれているデザイナーの金山千恵さんの「サローネ会場でゾクッとするように私に降りてきた言葉:『自分を信じてデザインしたらいい』と。」という一文は、短いですが心に残りました。

Date:08/4/29

リナシェンテはミラノ大聖堂の横にある百貨店です。数年前、マネージメントが変わり、積極姿勢を表に出してきました。ブランドショップも精力的に揃えた風が伺えます。地階が食器などの雑貨売り場になっていますが、最近、ここの変化に驚きました。この数年間、この売り場の一角にはオリエンタル、それも特に和食器が並べられジャパニーズブームが盛り上がっていました。ところが、先週足を運ぶと、そのコーナーがなくなっていました。数種類、欧州味の和風モノが陳列しているだけでした。この百貨店を後にして他のショップをみても確認できたのは、和食器が動いていないということです。

もともと欧州で日本の陶磁器の市場が限られていることは周知のことです。JETROの「フランス における陶磁器製品の市場動向」レポートをみても明らかです。一種のマニア市場です。それにも関わらず、流通も商品企画のどちらもが和食ブームで足が浮ついて拡販に乗り出したが、ビジネスとして成立しないために歩を緩めたというのが今なのではないかと思います。外で寿司を食べるかもしれないけれど、自宅で和食を作る欧州人など稀なのでしょう。しかし、仮説3で書いたように、ことは陶磁器の商売だけでなく、日本人のデザイナーが表現するスタイルそのものが、ミニマリスト的にとらえられ、どうも見飽きられてきたという印象をもちました。実際、そう語る欧州人がぼくの周囲でも何人かいます。

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デザイナーは通常、創作活動をするときに自分が何人であるかさほど考えないでしょう。でも、どうしても出てくる日本人らしさがあります。約30-40年間、欧州で活躍している日本人のデザイナーや建築家に「『日本人らしいね』と言われますか?」と聞くと、「どうも、ぼくはそう思っていなくても、どこかに出るらしいね」と一様に答えが返ってきます。どこか軽い質感や空間を作る。欧州人も軽いことに価値をおき、そう表現するが、欧州人が40なら、日本人は意識しなくても35という軽さを表現してしまう。こういうことがあります。

この差である5の行き場をどう考えるか、です。

Date:08/4/28

友人から聞きました。欧州のあるデザイン批評家が、トリエンナーレでのキャノンの展示を「表現が稚拙で古臭いコンセプトだ」と彼に話したそうです。ぼくはそれを聞いて、なるほどと思いました。キャノンは、リアルとコピー、現実と非現実を三つのセクションで表現しました。日経BPに記事があるので、説明と写真を見てください。

ぼくがなるほどと思ったのは、このキャノンの展示をみた時、あるコンテンポラリーアートの作品を想起したからです。 それは、この「2008ミラノサローネ」シリーズの(5)以降で紹介した、廣瀬智央氏の作品です。作家は、「レモンプロジェクト」で、ものの存在自身を問いました。床一面にレモンがしき詰められています。壁はレモンと同色です。そして床のレモンの上にはガラスのブリッジがかかっています。床のある本物のレモン。しかし、これには農薬が使用されており、人の手が加わっています。壁のレモン色。ここには本物のレモンを使った香料が塗られています。すべては相対化され、リアリティの危うさが語られています。

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1997年から2001年にかけて、各地で展示されました。この作品と比較してしまうと、今回のキャノンの展示はどうも見劣りしてしまうのではないか。そういう印象をぼくは持っていたのです。狭義のデザインのレベルで語るならば、コンテンポラリーアートの作品を引用するのは躊躇します。しかし、今回のイベントについて、キャノンは広義のデザインからのアプローチを考えていたはずです。そうするとファインアートと表現を競う運命にあるといえます。

欧州においては、およそレプリカやコピーに対して冷淡な態度をとる文化があります。 本物とは何なのか、という基本を継続的に問い続ける土壌があります。そういう文化土壌のあるところでキャノンが更なるブランド性を獲得するには、コピーという技術をもっと別の文脈にひっぱっていく工夫が必要だったのではないかと思いました。この「別の文脈にひっぱっていく」ということに関しては、別のテーマで明日以降に書いてみます。

<以下、写真情報です>
Lemon Project 03, 1997/ 2001
Flesh lemon, Glass, Stainless, Paint, Essential Lemon oil
Dimensions variable
Installation view at Museum of Contemporary Art, Sidney, Australia, 2001
Photography by Greg Weight
Courtesy Museum of Contemporary Art, Sidney

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