ミラノサローネ2008 の記事

Date:08/5/13

久しぶりにミラノサローネに来た建築家が興味深いことを言っていました。

「いままでイタリアの建築は、建材の使い方などでも非常に保守的で、ドイツやフランスで使っていても使わないことが多かった。耐久性に対する疑念や不安感がいつもつきまとう。その傾向は今も変わらないが、ガラスや鉄をより多く使うようになったのは確かだ。ボビザのミラノ工科大学やあの周辺の建築物をみていても、イタリア建築が軽さへ着実に進行しているのは確認できる。こういうのは市内を歩いているだけでは分からない。郊外の新しい建築を眺めてみないといけない。2015年の万博にむけて、どんどん新しい建物が増えていくので、ミラノ郊外は要注視だ」

「ミラノに入る高速道路でわざわざ傾けたビルをみたけど、最近、捩れや傾けた建物のプロジェクトが実に多い。あれはすごく金がかかる。お施主さんにもえらい負担だ。そんなにまでコストをかけて、ああいうフォルムにすることが、本当に良いことなのか、自信をもって『こうだ』 と言い難いと思うようになってきた」

「トリエンナーレのブックショップで現代アート関係の本をいろいろ眺めていて気づいたんだけど、中国アート の本がすごく多いのは分かるが、それらが中国人によって書かれた英語の本というのがすごい。日本アートの本は、日本人が書いた日本語の本の翻訳か、外国人が英語で書いた本、これらが圧倒的に多い。これではアート市場の規模も違ってくるわけだ」

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軽いことに価値観が移動している、本当に良いこととは何なのか断言しづらいことが多くなってきている。こういうことを建築家は最初の二つの例をあげて示唆しています。三つ目は日本の発信力の弱さを指摘しているわけですが、同時に、発信力次第では、混沌とした状況のなかで、あるポジションを作ることが可能とも考えられます。時代は変わることは変わります。しかし、ドイツやフランスとイタリアの建材の使い方が違うように、その変わり方とスピードには文化差があります。この見方をおさえたプレゼンをしないと、欧州の人たち、それもデザイナーではなくビジネスサイドの人たちの納得を得にくいということになります。

Date:08/5/12

ぼくの友人が数ヶ月前こう語りました。

「イラクで100人が殺されたと報道するのはいい。でも、そこに悲しみや怒り、あるいは憎しみという感情を入れてはいけない。こころは、その場と時を共有してはじめて伝わるんだ。そのラインを超えてはいけない」

「今という時代、ネットでこころが瞬時に世界を駆け巡る。これはだめだ。ブッシュは911でこれをやったんだ。グーテンベルグの印刷術では、そういった即時性はなかった。が、今は瞬時だ。そしてTVは対多数だった。しかし、ネットの一対一で連鎖していく。ここに、今という時代の本質があると思う」

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未来派のバッラが機械のスピードを表現していましたベーコンはカメラで撮りきれない現実イメージを追求しました。 どちらも機械が作動する「動く現実」が目の前にあったわけですが、今、飛行機や新幹線のスピードを表現したいと思うアーティストはあまりいないでしょう。友人の言葉にあるように、情報やこころの伝わり方のほうに問題意識が移っていると思います。ただ、その背後にある、機械が作るリアリティへの関心は依然と強く、テーマとしてヴァーチャル空間を扱うのは至極自然な流れになっています。

ドイツのデザイナーが語った「静と動の日本」という言葉から、「動」についてはバイクを例にあげました
。ぼくは、そのとき躍動感ある書の世界も「動」のイメージの一つかなと思いました。「静」であり「動」である表現があそこにはあります。考えてみると、ヴァーチャル世界というのは、ことのほか「静」にジャンルわけされるようなイメージがありながら、冒頭の話にあるように、絶対的なスピードがあり、まさしく「動」の世界があります。ぼくは、バッラの展覧会をみてから、現代における「動」とは何かなと考えていましたが、妙に友人の言葉とサローネ開幕前日に思ったことがよみがえってきました。

「2008 ミラノサローネ(23)」で書いた仮説1、「まったくの第一印象ですが、『そろそろ、欠けたロジックが求められる時代ではないか』というのが、ぼくの頭にふと浮かんだことです」が、この「動」とぼくの頭のなかでひっかかりはじめたのです。ベーコンが描いている人の顔はすべて部分的に欠けデフォルメされています。

Date:08/5/9

人は他人の文化にさほど詳しくもありません。日本の一般の人だって、イタリアといえばローマ帝国、ルネサンス、ファシストあたりが歴史の知識。あとはオペラ、料理。デザイン、サッカーや自転車が入れば凝り性の部類です。かなり断片的な知識です。しかし、それは外国文化に限らず、日常の生活においても同様です。だからこそ携帯電話のインターフェースを考えるとき、ユーザーのメンタルモデルをどうおさえるかが重要になるのでしょう。ですから、冒頭に戻りますが、人の他国イメージは実に断片的なパーツの組み合わせでできています。

以前、あるドイツ人のデザイナーに「あなたのイメージする日本とは何ですか?」と聞きました。そしたら即座に「静と動のバランスだ」と答えながら、桂離宮の本を出してきました。 「この空間が静だ。動はカワサキなどのバイクに代表されるイメージ」と言います。桂離宮の解説は丹下健三によるものでした。桂離宮は十分に知れた存在ですが、外国人は自国民が忘れてしまったような、あるいは見たこともないようなエレメントを取り出してきてイメージを作るのです。そして、情報をリアルに短時間でアップデイトできませんから、いきわい長いスパンでイメージが固定化されます。これが国民性と言われるような曖昧な指標になっていきます。

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「2008 ミラノサローネ」でレクサスのことを何度かとりあげました。欧州の人たちが弱々しい女性的なイメージをもっていそうだと書きました。あえて言えば、それは、上のドイツ人デザイナーがイメージした「静」なのかもしれません。ぼくがサローネのサテリテで見た日本人デザイナーの作品も「静」を感じさせるものが多かった気がします。2008ミラノサローネのレポートを書いている山本玲子さんが、スワロフスキーでの吉岡徳仁氏の作品を前にして「それにしてもここは静かだ。あ、そか、こんな感覚って、むかし龍安寺の石庭で体験したのと同じ感じかもしれないな」と書いています

サテリテの日本人デザイナーの作品に「静」を感じさせるものが多かったと書きましたが、「動」を予感させる「静」もありました。欧州人が日本のデザインにもっている固定的なイメージ、それは前述したように断片的な知識とイメージによって構成されていますが、「動」の周辺の文脈を作っていくことが、これからのテーマになるのではないかとも思います。この続きは、次回書きます。

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