ミラノサローネ2008 の記事

Date:08/5/16

3月より続けてきた「2008 ミラノサローネ」ですが、まとめに入ります。このシリーズは欧州でデザインを発表し、欧州の人たちに受容されるために何に配慮すると良いかを書いてきました。「ミラノで発表された」という事実をもって日本市場へPRするという目的の発表は除外しています。それでは、欧州文化とは何をもって特徴づけられるのか、それについてぼくの意見を書いておこうと思います。何かの教科書に書いてあることではなく、ぼくの経験上からの言葉です。「連続性へのこだわり」「コンテクストの存在」「メインカルチャーへの敬意」「多様性の維持」 と昨日列挙しましたので、今日は「連続性へのこだわり」を説明します。

連続性とは、論理的連続性、地理的連続性、 時間的連続性、この三つを指します。まず論理的連続性、これは(3)で書いた「ヨーロッパの人たちは、パワーポイントではなく、まずワードでびっしりと文章を書くことが多いです。もちろん分野にもよります。あくまでも比ゆ的な話とし て読んでください。目の前に陳列されているのがプロトであれなんであれ、この文章に書いてあることを理解することがキーです」が該当します。道を覚えるのも、通りの名前を連続で水平に覚えていきます。日本人の多く、特に男性が鳥瞰的にゾーンで覚えるのとは違います。

地理的連続性、これは地続きであることを指します。 それにより、ある商品開発をするとき、少なくても近隣の数カ国の市場を同時に想定します。想定できるほどの、ある程度の文化的勘が働くのです。すなわち何も経験もないところに勘は働きませんから、近隣の人たちとの接触が何らかの形で経験があるということになります。イタリアであれば、ドイツ、オーストリー、スイス、フランス、これらの国の生活がおよそのところ、商品企画者かデザイナーの頭には入っています。

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時間的連続性、多くの石造りの建築が時代によって様式や意匠を変えるように、常に前の時代との接点があります。1950年代にボローニャという共産主義の強い都市で、「歴史遺産の保存は革新である」と都市計画者が宣言しました。それまで歴史尊重は右派的は考え方であるとみなされてきたのです。そして、これが、欧州の都市計画で先端的な考え方となりました。(27)で「新しいデザインは歴史との対話で生まれてこそ長く生きれるものとなります。過去の名作に勝たないといけないのです。そのためには、十分に考えるある程度の 時間が必要です。静かな空間でじっくりと過去と向き合い、新しいデザインと出会い、そして同時に色々な分野の文化潮流を俯瞰することです」と記しました。

次回は「コンテクストの存在」について書きます。

 

*(27)は実は二つあります。間違ってダブって番号を書いてしまいました。ここでの(27)は「トリエンナーレのデザインミュージアム」のほうです。

 

 

Date:08/5/15

最近デザイン関係のブログを読んでいて気になることがあります。いわく「このごろの日本のデザインには深みがない。哲学や思想がない」という批評です。結論を言いましょう。必要なのは、コンセプトです。欧州のデザインが深いかどうか。それはおよそのところ、考え方の骨格がしっかりしていることが多いということでしょう。昨日のブログにも書いたように、前提として対象市場とユーザーが明確で迷いがないことが多いのです。そのうえで、ぼくがこの「2008 ミラノサローネ」で以前書いたことを、ここにペーストします。

「デザイン組織であるADIに触れました。これはデザイナーだけではなく、教育関係者、企業家、ジャーナリストなどが会員です。デザインが、非常に多層に渡って話題になるメカニズムが出来ているのです。そして欧州の文化的ストラクチャーとして、ハイカルチャーとローカルチャーのバランスと両者の回路について言及したように、ハイカルチャーをリファーしていく習慣や考え方があります」

「目の前にあるデザインが考え方として深いかどうかという問いかけをするとき、それは作品を作ったデザイナーの個人的性格や素養もありますが、今まで述べたような社会的あるいは文化的な仕組みによる部分も大きいわけです」

表参道や六本木あるいは秋葉原でトレンドをつかむ文化、美術館やコンテンポラリーアートのオープニングでトレンドをつかむ文化、ここには大きなひらきがあります。かつ、日本は技術をゲームや玩具的機能という能天気な方向に使うのを得意とし、それを独自の強みとしていこうという方向に顔を向けています。デザイナーの作品を「深くない」というのは簡単ですが、文化的及び産業的なメカニズムを考慮しないと、デザイナーに対して過剰期待になります。

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欧州を欧州たらしめているのは、大きくいえば、今のEUへのトルコ加盟問題で論議されているようにキリスト教です。しかし、それでは本テーマを扱いづらいですから、以下のアイテムをあげておきましょう。「連続性へのこだわり」「コンテクストの存在」「メインカルチャーへの敬意」「多様性の維持」。これについて、次回以降、本「2008 ミラノサローネ」のまとめとして書きます。

Date:08/5/14

日経デザインのメルマガから久しぶりに日経デザインのサイトを覗きました。下川編集長のブログを日を遡って読んでいて、「サローネ・サテリテで考えた」に目がとまりました。4月17日に書いたものです。欧州のトップブランドの商品をみた後に、「これらのブランド存在感やビジネスの規模を目の当たりにすると、日本の家具ブランドがこれらと肩を並べる日が果たしてくるか? 永遠に来ないのでは? そんな思いにかられる」とあります。ぼくもその思いは分かります。たぶん、ブランド力という意味では、デザイナー個人あるいはデザイナーの興したブランド(ファッションの例をあげれば、特にフランスで成功したKENZO)に可能性があるだけだろうと思います。

サテリテに出展した日本人のデザイナーの作品をみて、 「彼らの目的はサローネ・サテリテを通したデビューやメーカーとの契約といった成功にほかならない。しかし、そのまなざしはどこを向いているだろうか? 日本の家具メーカーではなく、欧州の家具・雑貨メーカーの目に留まりたいというのが本音だ」 と書いています。ぼくには、今回の全員が本当に欧州で商売したいと考えているのかどうか分かりません。きっかけは求めているでしょう。ただ、日本の多くのクラシック音楽の歌い手や演奏家が、欧州の市場で正面から勝負をかけなくなっていると同様な現象は、メンタルな方向性でデザインも同じではないかと思わせるところがあります。

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西洋クラシック音楽を日本人が関わる意味は、それこそ明治以来、論議されてきたことでしょう。欧州で売る西洋家具のデザインでも同じことが言えます。日本人がどうしてもひきずるエレメントを、欧州の文脈にどうもちこむかが一つのテーマになり、そのテーマへの解をロジカルに見せない限り、「(日本の)メーカーは『そのデザインで本当に売れるのか?』と言うだろう」というのは、当然です。一方、日本のメーカーの方は、その欧州の文脈とは何なのかよく分からないことが多いでしょうから、コミュニケーションはそこで切れます。それゆえに、欧州を第一に勝負すると決めた若いデザイナー以外は、足場がなかなか定まらない状況に陥るのだろうと思います。

ことはデザイン力そのものだけではなく、視点のおきかたです。 サテリテに出ている欧州の若手デザイナーはアジアを第一の市場として考えることなどなく、欧州のプラスアルファとしてアジアをみます。韓国のデザイナーは、ことによると欧州を第一と思う割合も多いかもしれません。しかし、日本のデザイナーにはどこが第一かと決めかねる迷いがある場合が多いような気がします。

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