ミラノサローネ2008 の記事

Date:08/5/22

欧州文化とは何かの最後の項目です。「多様性の維持」は、EUのポリシーに典型的に表現されています。EUでは実際に個々に話す言葉は英語やフランス語になっても、正式な会議では全て各国言語の通訳がつき、文書も翻訳されます。各々の文化の根幹をなす言語については、どの言語にも優勢性を与えることをしないわけです。膨大な費用になります。しかし、それを必要コストとみなしています。もともと様々な文化が共存する欧州ですが、ここで紹介したポリシーは、人々の感情を刺激しない工夫のひとつだと思います。

EUはその成立の背景に、もうお互いに戦争して疲弊するのはごめんだという悲痛な叫びと、米国や旧ソ連へ対抗する勢力圏を確立したいとの希望がありました。特にお互いの国民が好きでチームを組もうとしたのではありません。確かにフランス文化好きのドイツ人もイタリア人もいますが、それはごく一部の知識人であり、一般的に、何も具体的な異文化接触の経験がなければ、どの国民も他の国民を「変わった連中だ」としか思いません。そのような認識が根底にあります。だからこそ、それぞれの感情が平穏であるための方策が必要です。

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この多様性の維持が、そこで生み出されるコンセプトをより豊かで強靭なものにする遠因になります。即ち、(42)で書いた(論理的、地理的、時間的)連続性と多様性が交差することによって、色々なアングルからの仮説と検証をいやおうなしに迫られます。もし、欧州文化に何らかの深さを感じるなら、それはこうした必然性が背景にあることを考えるとよいでしょう。そして、欧州の人たちのために何かをデザインするなら、これらの要素に少しでも触れていると良いはずです。

Date:08/5/20

「メインカルチャーへの敬意」です。メインはサブカルチャーに対応するものです。ハイカチャーと言っても良いでしょう。もともと大衆文化に対比して位置づけしますから、かつて大学の教養科目に入ってきたような哲学や純文学などが対象になります。ただ、ポップミュージックや漫画も大学での研究対象となってきている今、 全てがなし崩し的にメインカルチャーになった感もあります。いずれにせよ、こうしたメインカルチャーに対する敬意が残っていて、それがより日常生活に近いところで生きている。それが欧州文化だと思います。

ピエール・ポランはそうしたメインカルチャーは、20世紀に入り凋落の一途であったと語っていますが(会員限定のコンテンツで、ピエール・ポランのインタビューをお読みください)、21世紀の現在、19世紀的貴族文化を求めるわけにもいきません。メインカルチャーに若干の権威主義的な排他性があることは事実で、それに対する反逆的な動きもありましたが、上位にある文化を貶めないメカニズムが一方で強く働いているのが欧州なのです。以前、日本のコンテンポラリーアートとメインカルチャーとの繋がりに関心をもったイタリアの研究者のことを書きましたが、「メインカルチャーはそれをどう見るか?」という観点が参照されることが多いのです。

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サブカルチャーもメインカルチャーも何となく曖昧な線引きになりつつあるのは確かながら、でもメインカルチャーの吸引力が強くある。欧州のその特色を忘れていると、思わぬところからの至極全うな意見に戸惑うでしょう。サブカルチャー特有のちょっとしたお祭り騒ぎに、冷水をかけられた気になるかもしれません。ぼくは、メインカルチャーあってのサブカルチャーであり、サブカルチャーあってのメインカルチャーという二つのバランスはとても重要だと考えており、両方への目配りは大切だと思っています。

Date:08/5/19

欧州文化の特色、二つ目です。「コンテクストの存在」と書きましたが、コンテクストとは、テキストを共有するという意味です。つまり、同じベースをもっているかどうかということです。あくまでも日本との比較ですが、日本では歴史の把握に連続性が欠け、皆が同じように持つべき知識や観念が断片的になっているのに対し、欧州では、「まだ」共通の話題が持てる傾向にあることが、コンテクストの存在を挙げた理由です。

その筆頭は、キリスト教になります。カトリックやプロテスタントなど色々と分かれていても、キリスト教という括りでいけば、 聖書の内容をどんな欧州人も何らかの角度から触れることができます。以前のように日曜に教会に通う人は少なくなりました。クリスマスや復活祭など、何らかのイベントの際にしか教会に出かけない人が多くなりました。かつて洗礼をうけたけどそのままという人が多いなかで、しかしながら、小学校から宗教の授業がある(選択制であっても)など基礎メカニズムは失っていません。

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教養という点でも、共通のテーマがあります。ギリシャやローマ、あるいはルネサンス文化について語り合うことは、日本で飛鳥時代や平安時代の文化を語り合うより易しいでしょう。 それは、教養の範囲が分散していないからです。欧州での教養は、東洋の文化について知っていることを期待されていません。もっと日常生活に関わることで言えば、食生活がそうです。日本では和食にプラスして西洋料理とインド料理と中華料理が家庭料理化しています。しかし、欧州ではよほどの人でなければ、外食で中華や和食を食べても、自宅ではそれらを作りません。

このように、話題や選択肢の範囲が比較的限定されていることが多いことが、一見、新しいことにノリが悪く見えたりすることもありますが、話題になるテーマについては、やや深いところまで突っ込むことができるようになります。ここで少々注釈を加えておきますが、ぼく自身は、日本の多選択主義を悪いとは思っておらず、欧州が逆のタイプだからこそ、日本が多くの国の文化についても詳しいのは優位性をもつのに効果的であろうと考えています。しかし、それにしても、冒頭で述べたように、あまりに断片が浮遊するような姿はいけないでしょう。

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