<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>さまざまなデザイン &#187; ミラノサローネ2008</title>
	<atom:link href="http://milano.metrocs.jp/archives/category/milano_salone2008/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://milano.metrocs.jp</link>
	<description>ヨーロッパの目</description>
	<lastBuildDate>Fri, 10 Feb 2012 21:57:34 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.1.4</generator>
		<item>
		<title>ミラノサローネの見方（番外編５）</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/276</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/276#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Jul 2008 15:02:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノサローネ2008]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://tokyo.metropolitan.co.jp/salone-view-5/505</guid>
		<description><![CDATA[このブログがアップされる頃には終わっている（はずの）、キムタク主演の政治ドラマ「CHANGE」について話します。ちょっと意外な題材かもしれませんが、この５回目のストーリーに印象的な場面がありました。アメリカの通商交渉代表 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>このブログがアップされる頃には終わっている（はずの）、キムタク主演の政治ドラマ「CHANGE」について話します。ちょっと意外な題材かもしれませんが、この５回目のストーリーに印象的な場面がありました。アメリカの通商交渉代表がキムタク演じる朝倉総理の自宅に押しかけ、総理の自宅の和室で向き合う場面です。アメリカは日本に農産物輸入の拡大を迫り、日本政府はＮＯというのです。ここで総理は、前職の小学校の教師時代のエピソードを出します。</p>
<p>クラスでは、いじめや喧嘩が多いから、とにかくとこんと話し合おうと生徒たちに語りかけたと話はじめます。そして、とことんと話し合うのは、そこでお互いが分かいあえるという幻想のためではなく、相手と自分は違う人間なのだと分かるためだと説明するのです。人は同じだと思うから、人の違った振る舞いや意見にいらついたりして、いじめや喧嘩が起きるのだと言います。相手は違うのだから、説得するためにはどういう言い方をしなければいけないかをより丁寧に考えないといけないということです。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/07/06271055_48644890c07cf.jpg" alt="nc5" class="imageframe imgaligncenter" height="106" width="133" /></p>
<p>人は皆同じだと考えるのではなく、人はそれぞれに違うというのは正鵠を得ています。人は結局同じなんだから平和になれると思うのは想像上の産物に過ぎません。違うという前提でお互いの共通項を見出して共生の道を探っていくべきなのでしょう。</p>
<p>さて、ぼくがこの話題を取り上げたのは、ミラノサローネに出展していた多くの日本企業が、ほんとうに、それこそ「とことんと欧州人と展示のコンセプトについて話し合ったのだろうか？」という疑問がずっと頭を離れなかったからです。それでドラマ「ＣＨＡＮＧＥ」のこの場面をみたとき、とっても良いことを言っているなと感心しました。デザインプロジェクトに関わる人たちにも聞いて欲しい台詞だと、つくづく思ったのでした。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/276/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネの見方（番外編４）</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/275</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/275#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 23 Jul 2008 15:02:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノサローネ2008]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://tokyo.metropolitan.co.jp/salone-view-4/503</guid>
		<description><![CDATA[２００３年、MH WAYの蓮池槙郎氏への下記インタビューのなかで、以下に引用したことを、５年経た今になってもう一度考えています。 http://www.metropolitan.co.jp/designdictionar [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>２００３年、MH WAYの蓮池槙郎氏への下記インタビューのなかで、以下に引用したことを、５年経た今になってもう一度考えています。</p>
<p>http://www.metropolitan.co.jp/designdictionary/interview/makio_hasuike/vol3.html</p>
<p>「遊びの世界、あるいは若い連中のやるものですね。不安定と仮住まいみたいな提案が多いわけです。何か、非常に簡単で、貧弱 で、すぐに駄目になっちゃうような物がいっぱいある。しかし私が見ることころでは、その不安で貧弱なところに将来性があるような気がするわけです。そうい う試みの世界、まだはっきり回答が出て来ないような不安定な世界に新鮮な感じを受けますね」</p>
<p>「ひとつはあまり頑張らない。仕事の上でも、プロジェクトの上でも、直感的なのを好むというか。今、我々も仕事をしていて、 はっきり言ってあまり理詰めなものは誰も好まないのです。そうすると考えに考えたものでも、逆になるべくそれを隠すような操作をしないとデザインにならな いってことですね。我々は考えた後でそれをやろうと思うのですが、学生達、若い人達は、考えないでそれをやろうとするわけです。その辺の違いはちょっとあ りますが、傾向としては何かそういう、非常に単純化したものが多いですね」</p>
<p style="text-align: center"><img class="imageframe imgaligncenter" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/07/06262147_48638feba46f1.jpg" alt="nc4" width="133" height="106" /></p>
<p>欧州人はワードを使い文章を書いてコンセプトを整理する傾向にあると「２００８　ミラノサローネ」で書きましたが、このような事情が少しずつ変わりつつあることは確かです。しかし、理詰めではなく直感で仕事をするようになったと聞いて、日本人が指し示す直感をイメージすると間違えます。これは以前書いた、日本人のどうしても出てしまう軽さと同じで、直感でカバーする範囲と量に欧州人と日本人では差異があります。いずれにせよ、何か完璧な論理ではなく、どこか曖昧な部分を残した構想に将来性があるとの蓮池氏の指摘には、とても同感します。尚、蓮池氏の事務所のＨＰもご紹介しておきましょう。以下です。今年でミラノで独立事務所を発足して４０年になります。</p>
<p><a href="http://www.makiohasuike.com/" target="_blank">http://www.makiohasuike.com/</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/275/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネの見方（番外編３）</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/274</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/274#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Jul 2008 15:03:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノサローネ2008]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://tokyo.metropolitan.co.jp/salone-view-3/491</guid>
		<description><![CDATA[人はよく文句を言ったり喧嘩をします。どこか自分に納得がいかない部分に怒ります。しかし、相手の事情がはっきりと分かると、「そうか、あいつも大変だったんだ」と思って気持ちが静まることがままあります。人は部分だけで生きるのでは [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>人はよく文句を言ったり喧嘩をします。どこか自分に納得がいかない部分に怒ります。しかし、相手の事情がはっきりと分かると、「そうか、あいつも大変だったんだ」と思って気持ちが静まることがままあります。人は部分だけで生きるのではなく、全体で生きるものです。これが心とコミュニケーションのありようの基本です。心は常にバランスがとれた状態を探し求め、どこかしらでアンバランスに陥ったとき、自然や人とコミュニケーションをとることで安定状態に持ち直すことができます。</p>
<p>「僕自身の歴史を話します（２４）」で、メトロクス東京の片岡氏の以下の台詞を引用しました。ビトッシの陶器皿の品質レベルに言及しているときの言葉です。</p>
<p>「また、そういうイタリアのゆるやかな文化を話しながら 、目の前のお客様に買っていただく場合は安心なのですが、オンラインで顔を合わせないでお客様に売る場合、特に神経を使います。不具合品と勘違いされるお客様がいないとも限りませんから」</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/07/06262136_48638d4e62acf.jpg" alt="nc3" class="imageframe imgaligncenter" height="106" width="133" /></p>
<p>イタリアの文化をオンラインでどのように説明していけば良いでしょうか。不具合品であると勘違いされないために、「これは不具合ではありません」と注釈をつければ解決できるものではありません。片岡氏が語るように、その製品が作られた文化そのものをお客様に理解いただくことが大事です。「いい加減だから」というのではなく、「遊びが生む味は、ある程度の許容範囲を設けておかないといけない」という考え方を説明しないといけないでしょう。これを色々な角度から話していくのは、どのような構成にするのが良いのか、考えなくてはいけないことはたくさんあります。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/274/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネの見方（番外編２）</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/273</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/273#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Jul 2008 15:05:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノサローネ2008]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://tokyo.metropolitan.co.jp/salone-view-2/489</guid>
		<description><![CDATA[ぼくは文化の問題について以下のように書きました。 http://tokyo.metropolitan.co.jp/anzai-history-23/471 「とても大きな時代潮流においても、より小さな消費者が直接使用する [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ぼくは文化の問題について以下のように書きました。</p>
<p>http://tokyo.metropolitan.co.jp/anzai-history-23/471</p>
<p>「とても大きな時代潮流においても、より小さな消費者が直接使用する製品においても、そのどちらでも文化の重要性が高まっています。だからこそ、そういうトレンドのなかで、家具やデザイン商品への見方がどう変わっていくかに気配りすることが大切です」</p>
<p>これはどういうことかと言うと、ハイテクのユーザーインターフェースのデザインで馴染んだ目は、次にプロダクトデザインを見るときに 違った精度の目になっているということです。異文化経験が自国文化への見方の再編成を促すと同じことが発生するのです。こうしたことに対して、プロダクトデザイン側の人たちは案外無関心です。ヴァーチャル空間の感覚がリアル空間へ与える影響について語る割りに、プロダクトデザイン自身が経験すべき変質は、一部で使用される液晶画面のグラフィックデザインどまりだったりするのです。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/07/06262142_48638e9e0abbe.jpg" alt="nc2" class="imageframe imgaligncenter" height="106" width="133" /></p>
<p>しかし、一度ローカライゼーションの便利さや楽さを享受した人たちが、 あらゆるモノやコトに、より多くを求めるようになるのは自然でしょう。最近、モンスターペアレンツという言葉が日本で使われています。子供の通う学校に異常なまでの過剰要求をする親たちのことですが、この現象の要因のひとつに、「消費者主義」があるとも言われています。このモンスターペアレンツとローカライゼーションを同次元に捉えることはしませんが、あらゆる要求は上昇することはあっても、下降線に切り替えるのは難しい一例にはなります。</p>
<p>文化変容がどのエレメントからどう変化していき、その変化が連鎖作用でどう他のエレメントを変えていくか、そしてそれぞれのプロセスにどれだけの時間を要するか、これは文化全体をみていかなと分かりません。個々のエレメントだけに目を向けていては無理で、全体のなかにある数々のエレメントの方向性を注視していくことが大事です。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/273/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ミラノサローネの見方（番外編１）</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/272</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/272#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 15 Jul 2008 15:05:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノサローネ2008]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://tokyo.metropolitan.co.jp/salone-view-1/487</guid>
		<description><![CDATA[「２００８　ミラノサローネ」を二ヵ月半に渡って書き、その後に、「２００８　ミラノサローネ」で書ききれなかったポイントを「僕自身の歴史を話します」で記してきました。 http://tokyo.metropolitan.co [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「２００８　ミラノサローネ」を二ヵ月半に渡って書き、その後に、「２００８　ミラノサローネ」で書ききれなかったポイントを「僕自身の歴史を話します」で記してきました。</p>
<p>http://tokyo.metropolitan.co.jp/milano-salone-46/364</p>
<p>この数週間、つまり「僕自身の歴史を話します」を書きながら、上記「サローネの見方」の目次 を、もう少しブラッシュアップしないといけないと思いはじめました。改訂版を待たずにできるのがブログでしょうから、少々リズムを落とし、ゆっくり考えながら書いていこうと思います。それは今日、欧州人のデザイナーとミラノのインテリアショップのオーナーと別々に雑談を交わしていて、気になったことがあったからです。そして日経デザイン編集長のブログも、考える契機を与えてくれました。</p>
<p>欧州人のデザイナーは、より直感的なユーザーインターフェースの重要性を盛んに説いていました。それは当然です。誰も反対しないでしょう。そこで、ぼくが思ったのは、「日本人が語る直感と、欧州人が語る直感がまた違うんだよな」ということです。ロジックを前面に出さないながらも、裏のロジックが透けて見えるかどうか・・・。ミラノのインテリアショップのオーナーは、「説明しないと分からないアートやデザインは失格だ」と言います。刺激ある言葉です。しかし、それを言えば、世の中のほぼ全ての作品は失格かもしれません。日経デザインのブログは以下です。「日本の生活文化を欧州へ」というタイトルです。</p>
<p>http://blog.nikkeibp.co.jp/nd/chief-editor/2008/07/182255.shtml</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/07/06261921_48636d8d284ed.jpg" alt="nc1" class="imageframe imgaligncenter" height="106" width="133" /></p>
<p>ぼくが、このブログで思ったのは、「伝統的な生活文化」と「社会の変化」を対比するのは、どうもおさまりが悪いということです。何度も書いてきたように、静的な文化というのはありえなく、すべからく動的なものです。静的な二つの文化がぶつかり融合することはなく、細胞の衝突のように、文化は変化していきます。そして、このブログにある以下の部分は、例で言えば、ハイテク製品は文化性が低くて市場投入しやすいだろうという見方と、とても近いところにあります。</p>
<p>「人々の問題を根本から解決してくれるデザインが求められる。これまでに使ってきた製品の延長線上ではなく、選択の幅は広くなるはずだ。伝統的な生活文化に無理に入っていこうと思うより、変化の隙間をこじ開ける方が案外楽かもしれない」</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/272/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>２００８　ミラノサローネ（４６）　サローネの見方入門</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/212</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/212#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 23 May 2008 09:06:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノサローネ2008]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://tokyo.metropolitan.co.jp/milano-salone-46/364</guid>
		<description><![CDATA[「２００８　ミラノサローネ」と題したシリーズをはじめたのが３月６日。４６回となっていますが、実はダブルカウントが一回あるので、４７回が正解です。約２ヶ月半のあいだ、ミラノサローネについて考えてきたわけです。毎日書いていた [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「２００８　ミラノサローネ」と題したシリーズをはじめたのが３月６日。４６回となっていますが、実はダブルカウントが一回あるので、４７回が正解です。約２ヶ月半のあいだ、ミラノサローネについて考えてきたわけです。毎日書いていたら、これだけ続いてしまったというのが実感です。これまで掲載してきた内容に少々解説を加え、会員限定コンテンツ「ミラノサローネ２００９の見方入門」として近日中にまとめる予定です。たぶん、ここで書いてきたことは、来年のサローネ見学に少々お役に立てるのではないかと思い２００９としたわけです。以下が、目次のアイデアです。どうぞ、お楽しみに。</p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-size: 12pt; font-family: 'ＭＳ ゴシック'">第一章　サローネ見学のための準備運動　</span><span lang="EN-US"><o></o></span><br />
<o></o></p>
<p class="MsoNormal">０１　デザインの祭典<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
０２　トレンドの海図をもつ<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
０３　ワードを書く欧州人<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
０４　バウハウスの再評価<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
０５　時代を読み解く<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
０６　村上隆『芸術起業論』<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
０７　重さと軽さの表現<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
０８　関係性を遊ぶ<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
０９　記憶プロセスを考える<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
１０　文章と口で説明する<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
１１　モノ偏重を是正する<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
１２　デザインの翻訳作業<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
１３　文化全体の文脈をおさえる<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
１４　ローコンテクストカルチャー対策<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
１５　サローネで雑談を試みる<span lang="EN-US"><o></o></span>
</p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-size: 12pt; font-family: 'ＭＳ ゴシック'"><o> </o>第二章　サローネで色々と見て感じる</span><span lang="EN-US"><o></o></span></p>
<p>１６　仮説１「暖かい知性への道」<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
１７　２０１０年からの戦略立案<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
１８　仮説２「日本的デザインへの飽き」<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
１９　深さを作るメカニズム<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
２０　未来派バッラが問うもの<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
２１　過去の名作との戦い<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
２２　<span lang="EN-US">World Design Capital 2008<o></o></span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-size: 12pt; font-family: 'ＭＳ ゴシック'"><o></o>第三章　サローネの後に考えること</span></p>
<p class="MsoNormal">２３　レクサスのコンセプトの伝え方<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
２４　二つの視点をもつ<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
２５　アートと競うデザイン<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
２６　思ったより売れない和食器<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
２７　ミニマリストのこれから<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
２８　欧州人から見られる日本デザイン<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
２９　はじめにアウトプットありき<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
３０　足踏みするコンテンツ産業<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
３１　静かな日本デザイン<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
３２　いまという時代の特質<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
３３　発信力をつける<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
３４　若手デザイナーの視線<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
３５　コンセプトの重要性<span lang="EN-US"><o></o></span>
</p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-size: 12pt; font-family: 'ＭＳ ゴシック'"><o> </o>第四章　欧州文化の見方を知る</span><span lang="EN-US"><o></o></span></p>
<p>３６　欧州文化とはー１　連続性<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
３７　欧州文化とはー２　コンテクストの存在<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
３８　欧州文化とはー３　メインカルチャーへの敬意<span lang="EN-US"><o></o></span><br />
３９　欧州文化とはー４　多様性の維持<span lang="EN-US"><o></o></span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/212/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>2008　ミラノサローネ（４５）：欧州文化ー４</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/211</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/211#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 22 May 2008 10:25:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノサローネ2008]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://tokyo.metropolitan.co.jp/milano-salone-45/353</guid>
		<description><![CDATA[欧州文化とは何かの最後の項目です。「多様性の維持」は、ＥＵのポリシーに典型的に表現されています。ＥＵでは実際に個々に話す言葉は英語やフランス語になっても、正式な会議では全て各国言語の通訳がつき、文書も翻訳されます。各々の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>欧州文化とは何かの最後の項目です。「多様性の維持」は、ＥＵのポリシーに典型的に表現されています。ＥＵでは実際に個々に話す言葉は英語やフランス語になっても、正式な会議では全て各国言語の通訳がつき、文書も翻訳されます。各々の文化の根幹をなす言語については、どの言語にも優勢性を与えることをしないわけです。膨大な費用になります。しかし、それを必要コストとみなしています。もともと様々な文化が共存する欧州ですが、ここで紹介したポリシーは、人々の感情を刺激しない工夫のひとつだと思います。</p>
<p>ＥＵはその成立の背景に、もうお互いに戦争して疲弊するのはごめんだという悲痛な叫びと、米国や旧ソ連へ対抗する勢力圏を確立したいとの希望がありました。特にお互いの国民が好きでチームを組もうとしたのではありません。確かにフランス文化好きのドイツ人もイタリア人もいますが、それはごく一部の知識人であり、一般的に、何も具体的な異文化接触の経験がなければ、どの国民も他の国民を「変わった連中だ」としか思いません。そのような認識が根底にあります。だからこそ、それぞれの感情が平穏であるための方策が必要です。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/05/10211555_471af7da76a86-150x150.jpg" alt="pl" class="imageframe imgaligncenter" height="160" width="200" /></p>
<p style="text-align: left"> この多様性の維持が、そこで生み出されるコンセプトをより豊かで強靭なものにする遠因になります。即ち、<a href="http://tokyo.metropolitan.co.jp/milano-salone-42/346">（４２）で書いた（論理的、地理的、時間的）連続性</a>と多様性が交差することによって、色々なアングルからの仮説と検証をいやおうなしに迫られます。もし、欧州文化に何らかの深さを感じるなら、それはこうした必然性が背景にあることを考えるとよいでしょう。そして、欧州の人たちのために何かをデザインするなら、これらの要素に少しでも触れていると良いはずです。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/211/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>2008　ミラノサローネ（４４）　欧州文化ー３</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/209</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/209#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 20 May 2008 14:17:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノサローネ2008]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://tokyo.metropolitan.co.jp/milano-salone-44/351</guid>
		<description><![CDATA[「メインカルチャーへの敬意」です。メインはサブカルチャーに対応するものです。ハイカチャーと言っても良いでしょう。もともと大衆文化に対比して位置づけしますから、かつて大学の教養科目に入ってきたような哲学や純文学などが対象に [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「メインカルチャーへの敬意」です。メインはサブカルチャーに対応するものです。ハイカチャーと言っても良いでしょう。もともと大衆文化に対比して位置づけしますから、かつて大学の教養科目に入ってきたような哲学や純文学などが対象になります。ただ、ポップミュージックや漫画も大学での研究対象となってきている今、 全てがなし崩し的にメインカルチャーになった感もあります。いずれにせよ、こうしたメインカルチャーに対する敬意が残っていて、それがより日常生活に近いところで生きている。それが欧州文化だと思います。</p>
<p>ピエール・ポランはそうしたメインカルチャーは、２０世紀に入り凋落の一途であったと語っていますが（<a href="https://www.metropolitan.co.jp/mypage/login.php">会員限定のコンテンツで、ピエール・ポランのインタビューをお読みください</a>）、２１世紀の現在、１９世紀的貴族文化を求めるわけにもいきません。メインカルチャーに若干の権威主義的な排他性があることは事実で、それに対する反逆的な動きもありましたが、上位にある文化を貶めないメカニズムが一方で強く働いているのが欧州なのです。以前、日本のコンテンポラリーアートとメインカルチャーとの繋がりに関心をもったイタリアの研究者のことを書きましたが、「メインカルチャーはそれをどう見るか？」という観点が参照されることが多いのです。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/05/03121159_47d746fbc6826-150x150.jpg" alt="pb" class="imageframe imgaligncenter" height="160" width="200" /></p>
<p style="text-align: left"> サブカルチャーもメインカルチャーも何となく曖昧な線引きになりつつあるのは確かながら、でもメインカルチャーの吸引力が強くある。欧州のその特色を忘れていると、思わぬところからの至極全うな意見に戸惑うでしょう。サブカルチャー特有のちょっとしたお祭り騒ぎに、冷水をかけられた気になるかもしれません。ぼくは、メインカルチャーあってのサブカルチャーであり、サブカルチャーあってのメインカルチャーという二つのバランスはとても重要だと考えており、両方への目配りは大切だと思っています。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/209/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>２００８　ミラノサローネ（４３）　欧州文化ー２</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/207</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/207#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 19 May 2008 10:04:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノサローネ2008]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://tokyo.metropolitan.co.jp/milano-salone-43/348</guid>
		<description><![CDATA[欧州文化の特色、二つ目です。「コンテクストの存在」と書きましたが、コンテクストとは、テキストを共有するという意味です。つまり、同じベースをもっているかどうかということです。あくまでも日本との比較ですが、日本では歴史の把握 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>欧州文化の特色、二つ目です。「コンテクストの存在」と書きましたが、コンテクストとは、テキストを共有するという意味です。つまり、同じベースをもっているかどうかということです。あくまでも日本との比較ですが、日本では歴史の把握に連続性が欠け、皆が同じように持つべき知識や観念が断片的になっているのに対し、欧州では、「まだ」共通の話題が持てる傾向にあることが、コンテクストの存在を挙げた理由です。</p>
<p>その筆頭は、キリスト教になります。カトリックやプロテスタントなど色々と分かれていても、キリスト教という括りでいけば、 聖書の内容をどんな欧州人も何らかの角度から触れることができます。以前のように日曜に教会に通う人は少なくなりました。クリスマスや復活祭など、何らかのイベントの際にしか教会に出かけない人が多くなりました。かつて洗礼をうけたけどそのままという人が多いなかで、しかしながら、小学校から宗教の授業がある（選択制であっても）など基礎メカニズムは失っていません。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/05/09291225_46fdc58c1ce43-150x150.jpg" alt="su" class="imageframe imgaligncenter" height="160" width="200" /></p>
<p> 教養という点でも、共通のテーマがあります。ギリシャやローマ、あるいはルネサンス文化について語り合うことは、日本で飛鳥時代や平安時代の文化を語り合うより易しいでしょう。 それは、教養の範囲が分散していないからです。欧州での教養は、東洋の文化について知っていることを期待されていません。もっと日常生活に関わることで言えば、食生活がそうです。日本では和食にプラスして西洋料理とインド料理と中華料理が家庭料理化しています。しかし、欧州ではよほどの人でなければ、外食で中華や和食を食べても、自宅ではそれらを作りません。</p>
<p>このように、話題や選択肢の範囲が比較的限定されていることが多いことが、一見、新しいことにノリが悪く見えたりすることもありますが、話題になるテーマについては、やや深いところまで突っ込むことができるようになります。ここで少々注釈を加えておきますが、ぼく自身は、日本の多選択主義を悪いとは思っておらず、欧州が逆のタイプだからこそ、日本が多くの国の文化についても詳しいのは優位性をもつのに効果的であろうと考えています。しかし、それにしても、冒頭で述べたように、あまりに断片が浮遊するような姿はいけないでしょう。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/207/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>２００８　ミラノサローネ（４２）　欧州文化ー１</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/205</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/205#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 16 May 2008 08:13:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノサローネ2008]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://tokyo.metropolitan.co.jp/milano-salone-42/346</guid>
		<description><![CDATA[３月より続けてきた「２００８　ミラノサローネ」ですが、まとめに入ります。このシリーズは欧州でデザインを発表し、欧州の人たちに受容されるために何に配慮すると良いかを書いてきました。「ミラノで発表された」という事実をもって日 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>３月より続けてきた「２００８　ミラノサローネ」ですが、まとめに入ります。このシリーズは欧州でデザインを発表し、欧州の人たちに受容されるために何に配慮すると良いかを書いてきました。「ミラノで発表された」という事実をもって日本市場へＰＲするという目的の発表は除外しています。それでは、欧州文化とは何をもって特徴づけられるのか、それについてぼくの意見を書いておこうと思います。何かの教科書に書いてあることではなく、ぼくの経験上からの言葉です。「連続性へのこだわり」「コンテクストの存在」「メインカルチャーへの敬意」「多様性の維持」 と昨日列挙しましたので、今日は「連続性へのこだわり」を説明します。</p>
<p>連続性とは、論理的連続性、地理的連続性、 時間的連続性、この三つを指します。まず論理的連続性、これは（３）で書いた「<a href="http://tokyo.metropolitan.co.jp/milano-salone-3/195">ヨーロッパの人たちは、パワーポイントではなく、まずワードでびっしりと文章を書くことが多いです。もちろん分野にもよります。あくまでも比ゆ的な話とし て読んでください。目の前に陳列されているのがプロトであれなんであれ、この文章に書いてあることを理解することがキーです</a>」が該当します。道を覚えるのも、通りの名前を連続で水平に覚えていきます。日本人の多く、特に男性が鳥瞰的にゾーンで覚えるのとは違います。</p>
<p>地理的連続性、これは地続きであることを指します。 それにより、ある商品開発をするとき、少なくても近隣の数カ国の市場を同時に想定します。想定できるほどの、ある程度の文化的勘が働くのです。すなわち何も経験もないところに勘は働きませんから、近隣の人たちとの接触が何らかの形で経験があるということになります。イタリアであれば、ドイツ、オーストリー、スイス、フランス、これらの国の生活がおよそのところ、商品企画者かデザイナーの頭には入っています。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/05/09290555_46fd6a2ae922a-150x150.jpg" alt="sl" class="imageframe imgaligncenter" height="160" width="200" /></p>
<p style="text-align: left"> 時間的連続性、多くの石造りの建築が時代によって様式や意匠を変えるように、常に前の時代との接点があります。１９５０年代にボローニャという共産主義の強い都市で、「歴史遺産の保存は革新である」と都市計画者が宣言しました。それまで歴史尊重は右派的は考え方であるとみなされてきたのです。そして、これが、欧州の都市計画で先端的な考え方となりました。<a href="http://tokyo.metropolitan.co.jp/milano-salone-27-2/278">（２７）で「新しいデザインは歴史との対話で生まれてこそ長く生きれるものとなります。過去の名作に勝たないといけないのです。そのためには、十分に考えるある程度の 時間が必要です。静かな空間でじっくりと過去と向き合い、新しいデザインと出会い、そして同時に色々な分野の文化潮流を俯瞰することです」</a>と記しました。</p>
<p style="text-align: left">次回は「コンテクストの存在」について書きます。</p>
<p style="text-align: left">&nbsp;</p>
<p style="text-align: left">＊（２７）は実は二つあります。間違ってダブって番号を書いてしまいました。ここでの（２７）は「トリエンナーレのデザインミュージアム」のほうです。</p>
<p style="text-align: left">&nbsp;</p>
<p style="text-align: left">&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://milano.metrocs.jp/archives/205/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>

