メトロクスものがたり の記事

Date:08/12/1

”L’UTOPIE DU TOUT PLASTIQUE 1960-1973”に掲載されている商品で、メーカーに再生産の交渉をしたけれど、数量やコストがあわず、適わなかったものもあります。このように1960-70年代のイタリアデザインを、メトロクスが日本に紹介してきたのです。メトロクスという名称を使いましたが、もともとのメトロポリタンギャラリーという言葉が「ギャラリー」として誤解を生む、あるいはやや名前として長いということもあり、モダニカ札幌も統合してメトロクスという店名に変更しました。2002年のことです。

メトロクスで直接メーカーから仕入れる商材が多くなり、当然、デパートを含め、全国のデザインショップに卸をしていくケースが増えます。現在、卸売りの取引先は250以上に及びますが、そのきっかけになったのが、ジョエ・コロンボのボビーです。2001年春からスタートしました。この前は事務機器メーカーが輸入し、設計事務所などに販売していましたが、この会社がボビーの独占輸入権を手放すと2000年12月初めに聞き、我々は急遽動きました。クリスマスから大晦日ぎりぎりにかけて目処をつけ、年明けすぐにメーカーに駆けつけ交渉したのです。

メトロクスのアイデアは、このボビーをもっと一般家庭のインテリア商品として普及させることでした。そのため、白や黒だけでなく、他の色を追加しました。この狙いはあたりました。今までの事務用品イメージからインテリアグッズにも領域が広がったのです。そして、この月間数百台出荷するボビーを中心に、他の製品を紹介することができるようになりました。

この1-2年前から、メトロクスでは独自に開発した「セルシステム」というユニット家具を国内で作り始めており、主力製品に育ってきていました。ありそうで案外ない良いデザインのもの。こういう空白を埋める製品です。ボビーは、この製品と両輪をなす位置づけになったわけです。

Date:08/11/26

1996年、ぼくはミラノではじめて下坪さんと会います。下坪さんがヨーロッパ路線のものを本格的に増やそうと考えていたときです。モダニカの看板を掲げているので、店におく商品はモダニカ(アメリカ)製品が多くを占めるという当然のルールと自分の好きなデザインを扱っていけないとのジレンマに悩まされていた時期です。下坪さんはぼくに ”L’UTOPIE DU TOUT PLASTIQUE 1960-1973”の本を送ってきて、ここに掲載されているジョエ・コロンボを中心とした製品をイタリアから輸入したいと言ってきました。

そこで、ぼくが出したアイデアは、並行輸入はやらず、正規ルートでメーカーから購入するビジネスをするということです。つまり既に日本とビジネスが進行している中に横はいりするのではなく、デザイン事務所やメーカーと正面から向き合えるビジネスを発展させることを提案したのです。下坪さんは、アンティークの世界で商売をしてきたので、著作権やメーカーの事情にあまり強くありませんでした。一方、ぼくはアンティークとは無縁でした。彼のように古いデザインにさほど詳しくもありませんでした。しかし、ぼくがデザイン事務所やメーカーの文化を知っていることが、彼の助けになると考えました。

ぼくはジョエ・コロンボのデザインにどんなものがあるかを本でリサーチし、デザインの著作権を誰がもっているかを調べ、そして肝心の人間からどの製品なら我々が扱えるかを実際に聞いたのでした。そうした下準備ののち、下坪さんとミラノ郊外にあるオールーチェを訪ね、スパイダーの限定生産について協議したのです。まだ金型があり、復刻することは可能だが、最低生産数量は50と言われました。もちろん今では全く問題ない数ですが、その時はどうなるかも全く分からないビジネスですから、50にもどきどきしました。

現在、オールーチェがスパイダーを通常の量産品で扱っているのをみると、かなり感慨深いものがあります。今、”L’UTOPIE DU TOUT PLASTIQUE 1960-1973”に掲載されている商品で、扱った経験のある商品あるいは現在も扱っている商品を数えてみました。ジョエ・コロンボ「ボビー」「ランプ281」、ボネット「マガジンラック」「QQ」、ピレッティ「プランタ」、マルティネッリ「モデル643」、ソットサス「ウルトラフラーゴラ」、デパス他「ジョー」、スーパースタジオ「パッシフローラ」、ザヌーゾ「ドネイ21」、ザヌーゾ&サッパー「アルゴール11」・・・と随分あります。なかには他インポーターから仕入れている製品もあります。

Date:08/11/24

『ブルータス』ではイームズのあとにはヤコブセンの特集を組み、北欧ブームも起きてきます。この北欧家具はソフトな印象が強いためか、女性購買層をよりひっぱる要因になりました。やや日本に特有な傾向と思われるのは、チーク材ではなくビーチが主流で、白い清潔感がことのほか好まれるという点でしょう。他方、イタリアデザインは、アレッシー的なカラフルでユーモアのあるタイプは女性に好まれますが、もう一方の伝統的な正統派のデザインは、圧倒的に男性が多いという流れが、このあたりの時期でもはっきりしていました。

下坪さんは、こういうイームズブームが落ち込むことを予想し、以前から準備していたイタリアデザインの領域を得意分野にしていこうと思います。独立前にもイタリア製品を全く扱ったことがなかったわけではありません。米国でイタリアのガラスやセラミック製品を「遊び」で買い集め、それを日本で売っていました。イタリアの独特のカラーに惹かれていたのです。

話しが少し飛びますが、実は2003年、フィレンツェのビトッシからオファーをうけ、取引を検討するにあたり、ビトッシの工場でコレクションを見せてもらいました。そこでガラスケースのなかに収められたロンディの作品の数々を見て、下坪さんは「アッ!」と驚きます。およそ10年前に米国で買い集めていた作品が、ここにあったのでした。1990年代の前半、米国でビトッシもロンディの名前も知らずに商材としていたものが、イタリアの名の知れたアートディレクターによる作品であったというのが約10年後に判明したというわけです。ビジネスを即決意しました。

Page 3 of 512345