僕自身の歴史を話します の記事

Date:08/6/30

そのころ下坪氏は札幌で店を立ち上げて2-3年。米国からイームズなどの椅子を入れ、ビジネス的にも軌道にのりつつある時期でした。そこで欧州から直接仕入れることを考えていたのです。店内の写真と一冊の本を送ってきてくれました。”L’Utopie du Tout Plastique 1960-1973″ です。ここに掲載されている商品を今後輸入していきたいとのことでした。特にジョエ・コロンボのデザインが大好きだと書いてきました。自然素材の本物志向に傾いていたぼくは、「えっ」と驚きました。ネットリ感のある昔のプラスティック製品に興味をもったことがないぼくは、こうした世界に無知でした。

ltp

数年後、ベルギーのブラッセルにこの本の著者に会いに行くのですが、その時はどういうスタンスをとれば良いのか迷いました。アンティークはぼくの畑ではないので、正規にメーカーから仕入れる商売であれば協力しましょうと、その旨を伝えました。ジョエ・コロンボの商材探しは、こうしてスタートしました。まずジョエ・コロンボが何をデザインしたのか、それが全て分からなければ話になりません。著作権者を見つけ出すのが先決です。ネットで探すという時代にはもう数年必要でした。ミラノのデザインに強い書店めぐりを行い、ジョエ・コロンボの展覧会のカタログを入手。そしてジョエ・コロンボとの思い出を書いている、親友と思われる家具メーカーのオーナーの電話番号を番号案内で見つけます。

「あなたはジョエ・コロンボと懇意だったと書いておられるのでお伺いしますが、彼の著作権はどなたがお持ちなのですか?」と聞くと、ジョエ・コロンボの右腕だったイグナチア・ファヴァタ女史の電話番号を教えてくれました。即、ファヴァタ女史に電話すると、「お会いしましょう」という言葉がかえってきたのです。 このあたりの動きは身についていました。宮川氏への場合と同じで、「この人がキーだ」と思ったら、なんとしてでも直接コンタクトすることが大事です。そこからしかはじまりません。ファヴァタ女史に会い、どの商材なら扱えるかの全貌がみえてきました。照明メーカーのオールーチェも、ファヴァタ女史の紹介だったと思います。

 

Date:08/6/27

イタリア人は自然の素材を好みます。シャツは化繊ではなく綿を着る。床材は大理石やタイルあるいはフローリング。ですから日本のメーカーが作った「本物にとてつもなく近づけた」工業製品に対して、その技術力は褒めても、「これはイタリア人の感性にあう製品ではない」と軽く遠ざけることが少なくありません。逆に日本ではクレームになりやすい皮革製品にある成長傷は当然とうけいれます。レンガが零下で白っぽくなるのは当たり前、湿気で伸縮が生じるのは木材の特徴。こういうかつて、常識だったことが日本ではだんだんと忘れさられ、工業製品の品質安定性を選択するようになってきたなかで、イタリアはあくまでもその常識を忘れません。常識を忘れない強い感性があるともいえます。冷凍食品の普及率が日本だけでなく英国と比べても低いという現象にも、この説明は有効です。

こういう違いを身にしてみて分かってきたのが、イタリアにきて5-6年目でした。「身にしみて」と書きましたが、これは文字通りで、下着や靴下の類も日本製を避けるようになったのです。ゴムがきっちりときいた靴下をはくと窮屈だと感じるようになり、イタリアの無理のない強さが心地よく思えてきました。 日本で受けるタイルとイタリアで売れるタイルでは、サイズに違いがあります。日本のほうが小さい。それは空間の大きさの違いが反映されているのですが、ぼくはそれだけでなく、日本人には小さなサイズを何でも好む、別の動機があるように思えてしかたがありませんでした。そしてイタリアでは、パスタはある一定の量を食べないと味が分からないはずであるというロジックと同じことが、色々な製品に当てはまるだろうと考えたのです。

rb14

ある体験をしたという実感をするための絶対的な量の違いは、言葉でも同じです。何かを褒めるための台詞が日本人であれば十数秒で終わってしまうのが、イタリア人は2-3分。色々な形容詞や表現を次々に繰り出してくる。日本人であればうんざりするくらいの言葉のシャワーを浴びせる。実際、多くの日本人はうんざりします。しかし逆の場合、イタリア人は日本人の言葉の少なさにがっかりします。十数秒で終わるくらいの価値しかないのかと肩を落とすわけです。

このようにイタリアと日本の違いについて、自分の実感をもって自分の言葉で少し語れるようにはなりましたが、イタリアにきた当初に文化セミナーのミーティングで話題になったような、「それでは文化の違いをどう受け入れるのか?」という問いには、まだ言葉が詰まったのではなかったかと思います。多分、この頃、1995年だったと思います。メトロクスの社長である下坪氏からFAXをもらったのは。

Date:08/6/26

膜構造やテンション構造が求められる柱の不要な空間とは何だろうかと考え、農業用ビニールハウス設計の可能性を探ったのも、この時期でした。日本の農家、それも先進的農法や農業の観光化に関心の強い農家を直接訪ねもしました。ビニールハウスのデザインそのものに独自性をもたせることで、地域のシンボル化が図れないかとも考えました。話としてはとても面白いと色々な人が言ってくれました。しかし、農業の利潤性の悪さは、こうした試みをそう簡単には受け入れてくれません。

そういうことと並行して、日本の化粧品メーカーの什器をイタリアで開発・生産し輸出するプロジェクトにかかわりました。正直に言うと、イタリアにおいてはやや地味な印象を受けるデザインながら、日本では「イタリアらしい」とされました。イタリアでセンス抜群とされるデザインは、日本では浮いてしまうのです。それこそ、イタリア人が「イタリアらしい」とも気づかないところに、日本の人は「この厚みやカラーがイタリアらしいですね」と評します。イタリアに目が慣れていたぼくには、少々不満ですが、これがビジネスの交差点なのだと理解しました。

rb13

また、工業製品のデザインも日本から求められるようになります。日本では新しい機能をデザインとみなす傾向が強いので、なるべくアート系より技術系出身のデザイナーとの付き合いを増やしていきました。およそミラノのデザイン事務所は技術製品の開発より家具や雑貨などのデザインを得意とすることが多く、こういう領域とは相変わらず距離をもっていました。

日本からの要求で多いのは最初のアイデアです。最初のひらめきをアイデアスケッチで求められることも多く、レンダリングを提示すると、あとは日本が引き継ぐというパターンです。これはこちらでは「盗人」的に受け取られ、そこの調整に難儀することが少なくありません。どうして「ひらめき」が要望されるかは推測がつきます。インハウスデザイナーは同じことの繰り返しに慣れ、技術的な壁も即想像がついてしまうこともありますが、社会的な規範が生む発想の幅の狭さにメーカー自身が気づいていることもあります。しかし、そうは分かっても、どうにもこちらにイライラ感が募ります。

Page 7 of 12« First...5678910...Last »