僕自身の歴史を話します の記事

Date:08/7/3

今から振り返れば、下坪氏とデザイナーインタビューをはじめたのも、「統合」の契機を作るものだったのかもしれないと思います。2003年のはじめ、MH-WAYの蓮池氏に半生記を伺ったのが最初のインタビューです。

http://www.metropolitan.co.jp/designdictionary/interview/makio_hasuike/

この次に会ったのがジャンカルロ・ピレッティです。以下に記したのは、2003年と2004年の二回分をまとめたものです。

http://tokyo.metropolitan.co.jp/piretti-1/139

趣旨はヒット作をもちながら、あまりメディアに取り上げれられていないデザイナーに、デザイナーになった動機から作品を作った当時 の想いまでを語ってもらおうということでした。「あなたは、ヒット作でお金が十分に稼げましたか?」「はじめて弁護士を雇って著作権をまもったのはいつですか?」というやや聞きにくい話題にもチャレンジしました。上記の二人のインタビューを聞いていると、その時代のスカンジナビアデザインの位置づけが、リアルに同じ目線で見えてきます。歴史が古い紙の匂いではなく、肉声で時代に生きた想いで理解できてくるのです。

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こうやって会った人たちは、上記以外に、ピエール・ポラン、(オルセー美術館を設計した)ガエ・アウレンティ、イグナチア・ファヴァタ(ジョエ・コロンボ事務所)などがいます。またカルテルの創立者やイタリアデザイン史の研究者など様々な人から過去を知りました。リチャード・サッパーとはインタビューではありませんでしたが、なかなか面白いミーティングを何度かもっています。

かといって歴史のなかだけに生きるのではなく、今の社会のトレンドも追う。これが自分にとっても必要なスタンスであるということが分かったということです。

Date:08/7/2

時計の針を早回しします。宮川氏がイタリア人の女性と結婚し、大きな地球家族を築いたことを以前に書きました。奥さんのマリーザさんとは常に行動を共にしていました。クライアントとのミーティングも同席。ぼくが1989年に宮川氏と帝国ホテルで初めて会った時も、隣にはマリーザさんがいました。そのマリーザさんが2003年のクリスマスに突如この世を去ったのです。数日後、ぼくは雪の積もるトリノの教会に駆けつけました。

葬儀で神父 は「マリーザは若い人たちの世話など細かいことを日々丁寧にこなしながら、いつもその先に大きな目標を設定し実現に向かい、小さな日々のことどもを将来的に統合することに生きた」という意味のことを語ります。その瞬間、この「統合」(英語でいうintegration) という言葉が身体中を駆け巡り、「統合」とはどういうことを意味するのかが体で理解できたのです。ここにぼくのひとつの転機があります。

職業経験を車業界からはじめ、濃淡の差はありますが、それまで文化、建築、建材、工業デザイン、家具、雑貨、ハイテクといった分野をみてきました。そして2003年は、カーナビなどの電子製品のインターフェース、それも欧州市場向けのローカライゼーションのプロジェクトにも足を踏み入れつつあったのです。これはぼく向きの仕事であると瞬時に思いました。今まで関わったすべての経験が活用できるのです。あえて言えば、「知識が分断された人間」には分かりにくい世界だろうと感じました。1990年代初め、一台1億円のスーパーカーの品質を見るようにと宮川氏から言われたことが、「職務分担された自分」への訣別の契機になりましたが(実は、その時からルネサンス的工房やバウハウスのコンセプトが気になりはじめました)、この2003年末のマリーザさんの葬儀をきっかけに、自分の「人間力」そのもので勝負する心構えができてきたのです。

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大学でフランス文学科を選択したのは、全体性の把握への関心でした。日本の自動車会社をやめてイタリアに来たのも、より幅広い分野にコミットするためでした。そしてそれらをひとつの方向にまとめきるタイミングがきたのではないか、「統合」という言葉を伴ってそういう思いを強くもったのです。「人生において無駄な経験なぞ何もない」ということは頭では分かっていました。「すべては人間力勝負だ」とも、それまでも思うことは多々ありました。が、それがぼくの人生で具体的にどう全体的な姿として色を添えて表現されてくるのか、それが見えなかったのです。そこに光明がやっと見えてきました。40代半ばにさしかかっていました。

Date:08/7/1

下坪氏の選択眼には揺れがありませんでした。自分の目にかなうデザインをたくさんの書籍から選び、ひとつひとつ輸入可能か打診されました。デザインの本に書いてあるメーカー情報は最新でないことが多いし、だいたい連絡先など書いてありません。会社年鑑やその他の資料を手繰りながらメーカーを探していきます。同じ名前の会社もありますから、全く関係のない会社にコンタクトしてしまったこともあります。この作業をしていくうちに、1950年代から70年代のデザインの歴史がモノを通じて見えてきました。しかし、既に生産停止になっている商材も多いのでした。

メーカーを訪ねると、金型が倉庫にはいったきりだが、市場トレンドから復刻も検討したいという情報がじょじょに入ってきます。デザイナー本人にメーカーをプッシュしてもらうという技も使いました。デザイナーのアーカイブに眠っているスケッチや図面との出会いも楽しいものです。多くのスケッチのなかから、どうしてこのヒットデザインが生き残ったかが見えてくることもあります。自然と時間に耐えるデザインがもつ価値に惹かれるようになっていきました。

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一方で、全く別の分野のプロジェクトも仕組んでいきましたが、それはアジアのハイテク製品を欧州市場に紹介していくことです。建築やデザインなど文化性が強いビジネスの反対側にあるのがハイテク製品ではなかろうかと考えました。便宜性や性能が勝負の世界には別の面白さがあるのではないかと。ただ、このブログの趣旨とは少々離れるので簡単に書いておきます。結論だけ言うと、ハイテク製品といえど文化性に無縁であるはずがないということです。どういった機能をどれだけ求めるかは、全てライフスタイルやユーザーの思考傾向と密接に結びついており、例えば、日本の技術者がいくら特許内容を誇っても、その技術を採用するかどうかは、極めて文化的判断に基づくことが多い。したがってアプリケーションまで含め、どこまでストーリーを作るか。欧州文化文脈を把握する必要性に、ここでも迫られていきます。

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