僕自身の歴史を話します の記事

Date:08/7/11

ビトッシでは同じ製品を世界中の国に出荷しています。(23)と(24)で紹介したような品質内容に関して、「どうにかできないか」と相談してくるのは日本だけだと言います。だからビトッシは全てを日本市場の声に合わせるわけにもいきませんが、かといって全く無視するわけにもいきません。少なくても、日本からの声を「品質改善要望」とは受け取らず、ビトッシはこれをいわば「ローカライゼーション要望」として受け止めるのです。彼らは彼らの文化に沿って作り、そして大半の市場はそれをそのまま受けてくれるわけですから、そのようなロジックは当然でしょう。すると、どこでローカライゼーションの線引きをするかが焦点になります。

一方、商品を売るというのは、そのモノだけを売るのではなく、それを取り囲む文化全体を知ってもらい楽しんでもらうことだ、という考え方の妥当性を聞いてきます。 もちろん、そのことはメトロクス東京の片岡氏もよく分かっており、だからこそストーリーの作り方に頭を捻るのです。例えば、デザインショップの棚に商品が陳列してあるのではなく、イタリアンレストランの中においてあり、それをそのまま売るのであれば、異文化の文脈を違いとして受け入れるでしょうか。仮にそれで問題が解決されるなら、どうしてデザインショップでもオンラインでも、その文化をもっと伝えないのかという反省がでてきます。

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輸入品というのは、運送費やその他もろもろのコストが積み上がり、どうしても生産国市場での売価より高くなります。生産国での価格帯より高い価格帯となり、そこで品質への期待も上昇する運命にあります。ですから生産国における文化を伝えるといっても、売るシーンが違ってくることも考慮に入れないといけません。しかし、それでもコアの部分は同じです。楕円も円も同じ円とみるか、それは形状が違うほかのものとみるか、そういうのがコアです。イタリア文化の傾向からすれば、前者を採用する人も少なくないと言えるでしょう。これをどうやって具体的に伝えていけばよいのか、それはそれでまた頭痛の種です。大切なのは、どれを取るか、その立場あるいは考え方をはっきりさせていくことだと思います。そこを曖昧にし続けると、全てのメッセージが伝わりにくい。そうぼくは個人的に考えています。

そのうえで、この文化の違いを伝えていくことを諦めてはいけないと思っています。「仕方がない」「面倒だ」と諦めるのは、退歩にしかなりません。色々な価値観や視点が存在することが、社会的な豊かさに繋がっていきます。そして、新たな変化への契機を作るでしょう。

Date:08/7/10

一般的な話しからすると、このビトッシの皿でいう品質は利用品質でも機能品質でもありません。オブジェとして飾るか、その皿の上に果物を置くかです。そういった目的の製品で語られる品質は、機能製品の場合より難しい判断を迫られます。メトロクス東京の片岡氏は、こう語ります。「もし、イタリアに出かけ、その土地の景色や文化に感動し、その場でこの皿をみつけて買ったとします。そうした場合であれば、皿の裏がどうであろうと、あまり気にしないと思います。イタリアでは、製品の機能に問題ないのであれば、裏は関知せずという文化そのものを受け入れて買ったのだと思います。ストーリーがそこで完成しているんです」 「しかし、東京のデザインショップできれいに並べてあった場合、裏も気になるのですね。そこは、日本の文化が優先されるのです。例えば、我々が個人輸入で直接買い付けて、その入手までのストーリーを語って売るというのなら、きれいなディスプレイの上にあってもいいでしょう」

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もうひとつの例は、トリです。トリを支える棒を入れる穴をあけるのに、その穴の部分の粘土が穴の内側にひっかからず、そのまま下に落ちたものがありました。それがかけらとして音がします。カラカラと。片岡氏は「これはまったくの飾りなので、飾っている限り、その欠片は何の問題もありません。しかし、わざわざ振る人もいないのですが、置くときに瞬間的にその音がすることが、何か品質的に問題なのではないかという不安感を呼ぶのはまずいのです」と語ります。「これらの製品が工業製品だと思って買う人はいません。手作りだとは知っています。それでも、デザインショップで売る場合は、そのあたりの気配りが求められるのですね」とも説明します。

「また、そういうイタリアのゆるやかな文化を話しながら 、目の前のお客様に買っていただく場合は安心なのですが、オンラインで顔を合わせないでお客様に売る場合、特に神経を使います。不具合品と勘違いされるお客様がいないとも限りませんから」と聞いたとき、ぼくは二つのポイントがありそうだと思いました。ひとつは、商品の成り立ちから売る場所までを含めたストーリーを如何に作っておくか。もうひとつは、ビトッシ側で日本の市場の要求にマッチするように、「商品の仕分け」を更に徹底してもらうこと。つまり、ビトッシは、このトリのかけらの音を「幸運を呼ぶ音」として売ればよいだろうと冗談交じりで語ったのですが、日本でこれをジョークとして受け入れる土壌があるかどうか、その判断に片岡氏は迷うのでした。

Date:08/7/9

1990年周辺に東欧の大きな変革があり、そこで今まで隠れていた宗教や文化が前面に押し出されてきたという流れがあります。東の共産主義と西の資本主義の冷戦時代には、それらの要素が意図的になるべく目に付かないようにされていたのですが、ベルリンの壁が崩れることで、一斉に宗教や文化が後ろから押し出されてきたのです。これが文化を経済問題として考えなくてはいけない背景の一つになっています。そして一方、工業製品の次元についていうなら、これまでは製品の外観に機能が記され、例えばTVであれば、ON/OFFとチャンネルが分かれば事足りました。しかし、PCは違います。画面の中に入っていかないと、どういう機能があるのか分かりません。ケータイもそうです。つまり、製品の「抽象性」が高まっています。すると、そこの市場の人たちの頭の動きや常識をよく知らないと製品が機能しません。したがって、文化理解が必要になってきます。

とても大きな時代潮流においても、より小さな消費者が直接使用する製品においても、そのどちらでも文化の重要性が高まっています。だからこそ、そういうトレンドのなかで、家具やデザイン商品への見方がどう変わっていくかに気配りすることが大切です。と、ここまできたところで、この「僕自身の歴史を話します」を書こうと思いたった動機にやっと戻ります。下記です。

http://tokyo.metropolitan.co.jp/anzai-history-1/377

「たまたま、ビトッシのセラミック製品が欧州と日本の市場で評価の仕方が違うことを、東京にいるスタッフと話し合いました。欧州では「味がある」と見られる ことが、日本では「品質での問題」として受けられることがありますが、そのギャップを如何に解決していくかがテーマです」

実際にモノを見てみましょう。01は若干の割れ目が見える。02は表面に粘土が出ている。03は釉薬のついている部分とついていない部分が一定ではない。検品の段階で、こういう指摘が東京から出ました。これをどう判断すれば良いか。それについて話し合いました。

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