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	<title>さまざまなデザイン &#187; 僕自身の歴史を話します</title>
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	<description>ヨーロッパの目</description>
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		<title>「新しい発想」と「自分の言葉」を同義と考えてみる</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/4633</link>
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		<pubDate>Sat, 12 Nov 2011 13:04:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[イノベーティブ思考]]></category>
		<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>
		<category><![CDATA[僕自身の歴史を話します]]></category>

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		<description><![CDATA[今朝、Twitterを眺めていて東大 i.school の横田さんのTweet に目がとまりました。 yokota8 YOKOTA Yukinobu 横田幸信 神永先生「物知りであることは、新しいことを思いつくことの基盤 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div>今朝、Twitterを眺めていて東大 i.school の横田さんのTweet に目がとまりました。</div>
<blockquote>
<div><a title="YOKOTA Yukinobu 横田幸信" href="http://twitter.com/#%21/yokota8"><span style="color: #000080;">yokota8</span></a><span style="color: #000080;"> YOKOTA Yukinobu 横田幸信 </span></div>
</blockquote>
<div>
<blockquote>
<div><span style="color: #000080;">神永先生「物知りであることは、新しいことを思いつくことの基盤になっているようだ」、堀井先生「どんな知識をもっているかということも大事。知識の量だけではない。幅広ければよいというわけでもない。どんな知識がアイディア創出に必要か。そこを特定する研究必要」 </span><a title="#ischool_kmb" rel="nofollow" href="http://twitter.com/#%21/search?q=%23ischool_kmb"><span style="color: #000080;">#<strong>ischool_kmb</strong></span></a></div>
</blockquote>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/11/integration_m.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4634" title="kg" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/11/integration_m-300x208.jpg" alt="" width="300" height="208" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これを読んで一つピンときました。かつて「<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%82%8B-%E3%80%8D%E6%8A%80%E8%A1%93-%E5%AE%9D%E5%B3%B6%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%BE%B0%E5%B7%B3-%E6%B8%9A/dp/4796617914">捨てる！技術</a>」を世に問い、今、家事塾を主宰している<a href="http://www.facebook.com/kajijuku">辰巳渚さん</a>が昨日フェイスブックに書いていたことです。</p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">今日はほぼ終日、家にいました～。ある教育雑誌の取材を受けていたんだけど、話していてふと、「ようやく自分の言葉で話せるようになったなあ」と嬉しくなりました。雑誌の記者として働き始めたのが２０余年前。人前で講演などで必死に話すようになって１０年。家事塾を初めて、数多くの講座をこなすようになって３年。自分の血肉のような言葉が自然に出てくるようになった！　そう考えると、ひとつの仕事をして、ようやく一歩踏み出せるのに２０年かかるのかなあ。ワカモノは、のんびりしているヒマはありませんね。あ、それとも、私が成長が遅いだけなのか。</span></p></blockquote>
<p>「自分の言葉で話せる」ことと「新しい発想を生む」ことは一見関係ないように見えますが、「新しい発想を生む」のが単なる思い付きのアイデアではなく、長期的にも生き残れる発想とのレベルで語るなら、この二つは強く結びついてきます。ぼくは辰巳さんに「そうですね。２０年。言えるかも」とコメントしたら、「安西さん、前に話してくれた「インテグレート」という視点は得がたいものでした！」という返事がありました。そこで、辰巳さんに数年前、ぼくの「インテグレート」について話したことを思い出しました。以前、「<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/258">ぼく自身の歴史を話します</a>」で書いた内容です。ぼくがイタリアに来る契機を作ってくれた宮川秀之さんの奥さんの葬儀のことです。</p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">その マリーザさんが２００３年のクリスマスに突如この世を去ったのです。数日後、ぼくは雪の積もるトリノの教会に駆けつけました。</span></p>
<p><span style="color: #000080;">葬儀で神父  は「<strong>マリーザは若い人たちの世話など細かいことを日々丁寧にこなしながら、いつもその先に大きな目標を設定し実現に向かい、小さな日々のことどもを将来的 に統合することに生きた</strong>」という意味のことを語ります。その瞬間、この「統合」（英語でいうintegration)  という言葉が身体中を駆け巡り、「統合」とはどういうことを意味するのかが体で理解できたのです。ここにぼくのひとつの転機があります。</span></p>
<p><span style="color: #000080;">職業経験を車業界からはじめ、濃淡の差はありますが、それまで文化、建築、建材、工業デザイン、家具、雑貨、ハイテクといった分野をみてきました。 そして２００３年は、カーナビなどの電子製品のインターフェース、それも欧州市場向けのローカライゼーションのプロジェクトにも足を踏み入れつつあったの です。これはぼく向きの仕事であると瞬時に思いました。今まで関わったすべての経験が活用できるのです。あえて言えば、「知識が分断された人間」には分か りにくい世界だろうと感じました。１９９０年代初め、一台１億円のスーパーカーの品質を見るようにと宮川氏から言われたことが、「職務分担された自分」へ の訣別の契機になりましたが（実は、その時からルネサンス的工房やバウハウスのコンセプトが気になりはじめました）、この２００３年末のマリーザさんの葬 儀をきっかけに、自分の「人間力」そのもので勝負する心構えができてきたのです。</span></p></blockquote>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/11/47429687_23f6762f3b.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4635" title="qu" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2011/11/47429687_23f6762f3b-300x187.jpg" alt="" width="300" height="187" /></a></p>
<p>たくさんのことを知れば知るほど新しいアイデアが生まれるわけではありませんが、あまりに乏しい知識や経験で勝負しても確率が低いのも確かです。横田さんが参加していたイベントにおける「新しい発想」は、ぼくが引用した「自分の人間力そのもので勝負する」とはふつうつながってこないと思います。しかし、そう簡単には破綻しないコンセプトに発展する発想と考えると、この２つはつながってきます。辰巳さんの「自分の血肉のような言葉が自然に出てくるようになった！」は、まさしく、そのレベルをめざして歩んできたからだと思います。そのレベルとは、マリーザさんの例でいえば「日々の小さいことの向こうの地平線に大きな目標を設定していた」が該当します。</p>
<p>よく夢はでできるだけ具体的にノートに書けと言われますが、それは自分の守備範囲を意識するようになるからです。そうすると眼前に散在しているとしか思えない小さなことどもが、ある形状をもって、あるいは色分けされ、それぞれのグループを結ぶ線がそこはかとなく見えてくるような気になります。「気になる」。それでいいのだと思います。また、危険が迫っている状況で、人の視界は広がると言います。分散するディテールをまとめようとする意思もでてくるでしょう。すなわち、<strong>先に大きな目標を描く、意図的に自分を「不十分な状況」におくことが、新しい発想を持つに至る契機になります。そして、それが自分の言葉をもつことにつながります。</strong></p>
<p>堀井さんが語った「どの知識が必要か」は、別の機会に書きましょう。</p>
</div>
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		<title>鶴見良行『東南アジアを知るー私の方法ー』を読む</title>
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		<pubDate>Fri, 13 Aug 2010 15:06:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[僕自身の歴史を話します]]></category>
		<category><![CDATA[本を読む]]></category>

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		<description><![CDATA[８月１５日のぼくの誕生日を前にして、期せずして自らの過去を振り返る本を読んだなあというのが、読了後の一言。１９２６年生まれの鶴見良行はぼくにとって同時代の人ではなく、「雲の上」の人です。『朝日ジャーナル』で「マングローブ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>８月１５日のぼくの誕生日を前にして、期せずして自らの過去を振り返る本を読んだなあというのが、読了後の一言。１９２６年生まれの鶴見良行はぼくにとって同時代の人ではなく、「雲の上」の人です。『朝日ジャーナル』で「マングローブの沼地で」の連載を書き、ベ平連で小田実や従兄弟の鶴見俊輔のそばにいた人。当時、彼らをぼくはヒーローとしてみていました。米国生まれの鶴見良行は、米国からのものの見方に嫌気がさし、アジアを自分の足で歩き始めるのですが、行動をともにしたのは村井吉敬。ぼくが大学に入った頃、アジア研究者としてホットな話題を提供し続けていた人で、その村井が本書のあとがきを書いています。・・・・そして、ここが重要なのですが、仏文科の学生だったぼくは、アジア研究に目を向けなくてもすむ説明を探していたということを本書を読んで思い出したのです。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/08/0.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3568" title="a1" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/08/0-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>学生運動の名残は十分にあり、公害反対運動にシビアさがある時代、それに関わるには、かなりストイックな態度が全てに対して求められていた（風があった）。ファッションやテニスに興味をもちながら、そういう活動をするのは軟弱であり許容できないという空気が強く、やや肩が凝る姿勢を強いられました。そのような枠組みをまったく気にせず、あるいは知らないで動く人たちもいましたが、ぼくの場合はそうではなかった。僅かながらでも知っているから、批判されない立場の確保を考えざるを得なかったのです。だから今でも、鶴見良行の「日本はアジアを金でばかりみていて彼らの生活を見ていない」という文章を読むとき、瞬時でも自らの内の声に耳を傾ける・・・ということになる。日本と東南アジアのつながりの構築について、『マラッカ物語』のあとがきが引用されています。</p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">「世界にはさまざまな人がいる」という発想から、日本とは実体的なつながりのない土地やそこの土地について書けば、それは日本人の感情に訴えない”地理書”になってしまいます。そのままの形でいくらか訴えるところがあるとすれば、安直な”探検物”になって”日本に消えつつある自然をそこに求めるという形になります。</span></p>
<p><span style="color: #000080;"><strong>”感情移入”といういのは、自分の体験を中心とした相手への没入ですから、あくまでも自分中心主義です。そこに難点があります。日本人読者にたやすくわかってもらうことを狙って”感情移入”の回路を走れば、自分に関係のある問題しか見えなくなります</strong>。</span></p></blockquote>
<p>思い当たる節があるとドキッとする方も多いでしょう。彼は国際文化会館の企画部長として日米知的交流に励みながら、ベトナム戦争の波にもまれ、自分の心に誠実であり、かつ「正しさへの追及」の道を探っていた。そして、その根もとには、近世以降の日本とアジアのかかわりにおける日本に対する「後ろめたさ」があったわけです。現在、ＢＯＰ問題への若年層の積極的関心をみていると、このあたりのスタート地点での悩みや迷いがないことが、良い意味でプラスに貢献していると思い、また物足りなさでもあります。<strong>世代が変わらないと社会は動かないという定理は、良い意味でも悪い意味でも、その通りでしょう</strong>。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/08/beached-boats-aral-sea-central-asia.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-3570" title="a3" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/08/beached-boats-aral-sea-central-asia-300x216.jpg" alt="" width="300" height="216" /></a></p>
<p>何事も具体的なモノなりで考えることは大事で、鶴見良行はバナナやエビを通じてアジアを研究していきました。「身近な食品をとりあげることが、”感情移入”のたやすい道を歩むことになり、それが普通の日本人に到達するうえで早道だと感じた」のです。しかも、エビをとりあげることで、「海産物によって海の側から大地を眺められる」というわけです。その海側からの視点がさまざまな歴史において抜け落ちているのですが、鶴見はこう書きます。</p>
<blockquote><p><span style="color: #ff0000;"><strong>このように、日本でも東南アジアでも、私たちの手持ちの認識＝学問には、穴ぼこのような見落としがあります。この穴ぼこの分布図を作ってみますと、そこに一種の傾向性が見られます。つまり偶然に見落としているのではなく、偏った目の働かせ方に時代の要求が感じ取られるのです</strong></span>。</p></blockquote>
<p>見ないものの傾向を指しています。だから現場を歩き観察をする。したがって、他人の同じような姿勢には高い評価を与えます。</p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">たとえばカップラーメンの中にどういうエビが入っているか、ということを徹底的に調べた人がいます。インドからきているムキエビなのですが、そういうのは感動的なわけです。彼女は私にエビのスライドを借りにきましたから、「ただで借りるということはないだろう。君たちが勉強しているんだったら貸してやるよ」という話をしました。それでカップラーメンを調べて来いといったら、彼女は甲府のＴ社の工場へ行ったり、横浜港へ行ったりしてその問題を本に書いています。</span></p>
<p><span style="color: #000080;">私も彼女が調べてくるまで、Ｔ社のカップラーメンの中に入っているエビがインドのものとは知りませんでした。そういうところが、ふつうの人に伝える文章をつくるときの一種のコツだと思います。</span></p></blockquote>
<p>こういう発見は確かに実感を伴いやすく、説得力をもちます。できるだけ多数の人に共通のテーマで引っ張り、じょじょに問題をフォーカスさせていく手法は大事で、そのためには何度も何度もアウトプットを重ねることが肝です。本書の副題は「私の方法」。あまりに簡潔にこの本の趣旨を述べたタイトルには唖然とするほど力があり、<strong>「私の方法」と言い切る（切れる）経験と実績をどれほどにもつか、それが人生の勝負どころだなと思います。要するに、「人の方法」は「人の方法」で「私の方法」にはならないのです</strong>。<strong>ただ、そこに客観性があってこその「私の方法」であり、それが「私のアジア」が説得力をもてるための条件になります</strong>。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>あの人はぼくと違うと思うこと</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/2674</link>
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		<pubDate>Wed, 06 Jan 2010 11:52:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>
		<category><![CDATA[僕自身の歴史を話します]]></category>

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		<description><![CDATA[「海外で働くことをオプションとして考える」を書いてから、どうも頭にはりついてはなれないことがあります。今、いろいろな人達が抱える多くの焦りや諦念というのは、ネット社会のフラット化が生んだ幻想の結果なのかな・・・ということ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="「海外で働くことをオプションとして考える」">「海外で働くことをオプションとして考える」</a>を書いてから、どうも頭にはりついてはなれないことがあります。今、いろいろな人達が抱える多くの焦りや諦念というのは、ネット社会のフラット化が生んだ幻想の結果なのかな・・・ということを思ったのです。</p>
<blockquote><p>イチローが大リーグでプレーするのは別世界の人だから勇気をくれるようで応援する。自分と同じだったちょっと知っている人間がブログで、ある日突然にすごく人気者になる。あるいは逆に有名人とはずっとＴＶの向こうの側にて自分と関係ないと思っていたら、ブログやTwitterで距離感がなくなり、すごく近いところにいるような気になり、何となくその人と自分を比較してしまう。でも、英国のＴＶのオーディション番組で『夢やぶれて』を歌い、一気に世界中に名が知れたスーザン・ボイルには、「自分とあまり変わらないじゃない」とはさほど思わない。「やっぱり、あれだけ審査員を驚かしたのだから、才能があったんだろうな」と思う。</p></blockquote>
<p>これが、フラット社会の距離感なのかなと考えるわけです。つまり運動や身体的なことに関わること、あるいは科学分野のノーベル賞レベルには相変わらずフラット感は訪れませんがー平和賞のほうがまだ近いかもしれない！－、それ以外の分野では、アルプスの山並みが丹沢山系くらいには低くなった印象をもっていると思います。ちょっとジムに通っておけば、特に問題なく登れるだろう・・・と。これは能力差の問題ではなく、ネットによる情報取得に関する既得権の崩壊という側面が大きいでしょう。非対称であった情報分布がかなり流動したのです。かつては新聞やＴＶでしか知ることができなかった情報を、普通の人がＰＣの前に座ってキーを叩けば、数分もかからないうちに獲得できます。だから逆に、ネットに触れていない人達が化石のごとく思えるのです。自分に丹沢と見えているものに、アルプスであると思っている人が前にいれば、その違和感は絶望感にも変わります。もちろん、両者、お互い様ではありますが・・・。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2678" title="s" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/01/scotland13-300x200.jpg" alt="s" width="300" height="200" /></p>
<p>フラット感の普及の要因は、スピード性やWikipediaにみる情報の公開性もありますが、情報の内容と範囲の変化によるところも大きいでしょう。どういうことかといえば、かつては、あることを成し遂げた人のストーリーをＴＶで過去形として知り、その人が軌道に乗らずに苦しんでいる状況をリアルタイムで知ることは稀でした。自分の友人か知人のネットワークに入ってこなければ、こういうことは知りえなかったのです。そして一人の人間が「なんとなく繋がっている」人の数も、ＳＮＳやブログが普及した今から比較するとゼロの数が一つ少なかったでしょう。だいたい「なんとなく繋がっている人」の情報をリアルで知ることはめったになく、およそ友人の噂話程度だったのです。それが、今は、「なんとなく繋がっている人」達のリアル情報を追えます。有名人のことでも、ブログをＲＳＳリーダーで毎日読んでいれば、「何となく繋がっている」一人と思うでしょうー新聞の連載コラムニストには、そう思わなくても。ネットはある意味、１対１のメディアですー。いずれにせよ、そういう観点でも、ゼロの桁が違うのです。</p>
<p>そこで、「君にもチャンスがある。これに挑戦しないのは、敗北だ。この戦国時代は、もう安定した会社の安定したポストなどありえない。頑張れ！自分で何かやるんだ！今の生活を変えろ！」と自己啓発本やブログが飛び交うと、どうなるでしょうか。運動会の徒競走のスタート地点に不意に連れて行かれたようなものです。自分ではそこに立つ気がなかったのに、周りに押されていつの間にか足が進んでしまった・・・・。それで、仕方ないからと走って１位になることもありますが、１位にならなかった多くの人達は、敗北感だけを募らせることになります。しかし、彼はそもそも、そこまで走るべきではなかったということがあります。留まって応援し、ゴールで走者にタオルをかけてやり、「頑張ったね。君のその姿を応援するのが、ぼくの役目」という人間もいるはずです。要するに、走って頑張るのが必ずしも全ての人にとっていいわけではないのです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2679" title="ru" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/01/large_womanrunning-300x239.jpg" alt="ru" width="300" height="239" /></p>
<p>人にはそれぞれの不向き向きがあります。不向きなことにエネルギーを費やして敗北感をためこむのではなく、向きなことで勝利感を味わうことにもっと向き合うべきです。ぼく自身は、本で知ったイタリアで活躍する実業家に手紙を書き、そこから新しい人生が始まったのですが、皆が同じようなことをすればよいとは全く思ってい ません（お願いされてもイヤダよ、と言う人も多いでしょうしね）。たまたま、ぼくには「新しい価値観を作る現場に立ち会う」ことに自分を賭ける土壌としてのヨーロッパが 必要だったのです。中国でもアメリカでもニュージーランドでもなく、ヨーロッパしかなかったというわけです。特に一般的な意味での「海外で働く」ことに優先順位は高くありませんでした。</p>
<p>こと、人生を生きることについては、一般性はなく、すべからく個別的なものであると思います。どんなに社会が実際にフラットになったとしても、人の存在と人生そのものが、フラットになることはありえません。君は絶対、あいつとは違うのです。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>海外で働くことをオプションとして考える</title>
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		<pubDate>Mon, 04 Jan 2010 17:24:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[僕自身の歴史を話します]]></category>

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		<description><![CDATA[今朝、このブログのアクセス分析を眺めていたら、「僕自身の歴史を話します」へのアクセスが急増していました。参照先を調べてみると、シリコンバレーの渡辺千賀さんのブログです。海外で働く体験談集が集められていて、そのなかに上記の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今朝、このブログのアクセス分析を眺めていたら、<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/216">「僕自身の歴史を話します」</a>へのアクセスが急増していました。参照先を調べてみると、<a href="http://www.chikawatanabe.com/blog/2010/01/europe.html?utm_source=feedburner&amp;utm_medium=feed&amp;utm_campaign=Feed%3A+OnOffAndBeyond+(On+Off+and+Beyond)&amp;utm_content=Google+International">シリコンバレーの渡辺千賀さんのブログです。海外で働く体験談集が集められていて</a>、そのなかに上記のエントリーが掲載されていました。そこで半年くらい前に渡辺さんのブログにコメントをつけたのを思い出しました。これがテーマとして特集されたのは、確か絶望感の漂う日本で汲々とするだけでなく、日本の外で働くこともオプションとして考えたらどうか・・・というなかで海外で働いている人達の経験を募ったと記憶しています。</p>
<p>最近、「日本脱出」という表現をよく見かけます。一定期間の職業体験を可能とするワーキングホリデイを各国政府が実施したことで、日本以外で働く経験の幅は随分と広くなったと思います。それまでは、日系企業の駐在員であることが海外の職業経験の圧倒的にメインであったと思います。もちろん、今もメインであることに変わりありませんが、「それ以外」の選択肢が増えてきたわけです。それにも関わらず、「日本の温泉でまったりするのがいいや」「わざわざ海外で苦労する理由もないよね」という台詞に代表されるようなトレンドもあり、必ずしも駐在員以外のカタチで海外で働くことは一般化していません。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2664" title="wo" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/01/working_overseas_auz_thb-300x282.jpg" alt="wo" width="300" height="282" /></p>
<p><a href="http://european-culture-note.blogspot.com/2009/07/blog-post_17.html">昨年、ヨーロッパ文化部ノートで、イタリアの医療関係者が海外で働く機会をみつけるイベントを実施したら３日間で４００人が集まったというニュースを紹介したことがあります</a>。英国の人間がオーストラリアやカナダに移住するのとは根本的に違う話です。英国は英国でサッチャー改革の影響の影の部分として、この１０年、英国脱出の数が急増したのですーが、メインの行き先は英連邦が多いのですー。それにしても、英語国民であれ非英語国民であれ、ヨーロッパ人の海外で働くことの敷居はーＥＵ圏外に対してもー日本の人達と比べると低いのは確かです。こういう事例と比較して、日本では「必ずしも海外で働くことは一般化していません」と言えると思います。だから「母国脱出」という言葉に、日本特有の意味が加わるのです。</p>
<p>「脱出」というのは、もともと「日本を離れた奴のことなんて構うか」という心性があるところに対する反逆を試みる行為であるというニュアンスがあります。野茂のアメリカ行きから中田のイタリア行きというスポーツ選手の海外舞台への移動があり、一時は「海外で働くのも普通になってきたし、昔のように旧態依然たる『日本で成功しないと海外に行っても駄目』ということもなくなったね」と言われました。それでも「松井は、いつも日本のファンを尊重して偉いよな」と言われるのです。しかし、そういうこととは全く別に、「やっぱり、南仏で人間らしい生活をしたい」と願うー特に女性のほうが現実化しやすいー人達が少なからずいることも確かなのです。あるいは、ある専門を極めていくなかで、必然的に日本という枠を飛び出さざるを得ない場合もあります。医者、研究者、技術者、デザイナー・・・・。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2665" title="wd" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/01/e00744ab-8e28-4b43-a28c-14db9ef6bbdb-300x292.jpg" alt="wd" width="300" height="292" /></p>
<p>ぼく自身の意見を言えば、何度も書いているように、視点を多くもつことを最低限の素養として持たなくてはいけないレベルの人達がある一定数いるはずで、この人達が専門家のケースと同じように、日本という国境を超えざるをえないということだと思います。その人たちが、あるゆる理由を弁解として多用し日本になんとかして留まろうとするのは、結果的にストレスフルなことじゃないかと想像します。「本来であれば、マーケットはヨーロッパまであるはずだが、どうもあそこまで出かけて一からやるのは面倒だ」と思っていれば、早晩自らのビジネスの首が絞まってくるのですから。</p>
<p>一方、渡辺さんが体験談を募集した動機は、「やっぱり、残業して帰宅してコンビニ弁当でごまかすのではなく、サントロペの海岸でゆっくりして、バランスある時を過ごしたい」ーこれは単に時間的に楽をしたいという意味合いでの事例ではなく、自分の価値を重視するという事例ーという極めて個人的なレベルでのライフスタイルの実現を優先させることに比重があったのではなかったかとも想像しますがーあえて、半年前のブログを再読していませんがー、この場合、「いわれなき不合理な社会的制約から逃れる」ことが重要であるということだと思います。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2666" title="ai" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2010/01/airplanebykossyatfinedays-300x225.jpg" alt="ai" width="300" height="225" /></p>
<p>できるだけ嫌なことは回避し、自らが合理的であると思える生活環境を作ることを考える。もちろん渡辺さんは、「面白い刺激的な仕事」を優先することを前提として語っているのですが、それは実のところ、ライフスタイル重視型と密接にリンクするのではないかと思うのです。つまり、不利と思える外的状況を自分に有利に思える条件に変更するー自らが移動することによってーというのは、結果的にロンドンのシティで睡眠不足の生活を送ったとしても、自分を大切にすることになるのだと思うかどうか、あるいは思えるかどうかを価値基準の上におくということになります。したがって、この文脈における「海外で働く」という表現には「脱出」という言葉がオーバーラップします。</p>
<p>小澤征爾がサイトウキネンオーケストラの活動をはじめたのは５０歳周辺だと思いますし、明石康が日本で活動をはじめたのは国連をやめてからです。「日本の社会を良くしたい！」と願い動くことに共感するのはいいですが、彼らを常に見習い「やはり、日本のために尽くすべき」というプレッシャーを必要以上に感じるのも無駄なことです。精神的状況として「野茂以前」です。1) そこにエネルギーを費やすには時期的に早い若い世代の人たちが理不尽に潰れない道がどこかにあり、2) その一つのチャンスに海外で働くことがあり、3) そのオプション自身の存在が精神的なプレッシャーを軽減するものであるなら、「脱出」は悪くない試みです。</p>
<p>そして、「色々経験してみて、今度は日本の社会の向上に自分を試してみたい」と思ったときに、それをやればいい・・・・。</p>
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		<title>庄司克宏『欧州連合　統治の論理とゆくえ』を読む</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/2466</link>
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		<pubDate>Sun, 29 Nov 2009 17:21:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[僕自身の歴史を話します]]></category>
		<category><![CDATA[本を読む]]></category>

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		<description><![CDATA[昨年６月に書いた「ぼく自身の歴史を話します」のなかで、ぼくが２０代後半にヨーロッパを自分の活動の場にしていきたいと思ったことを以下のように書きました。 欧州の自動車メーカーにエンジンやギアボックスなどのコンポーネントを供 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://milano.metrocs.jp/archives/category/history/page/9">昨年６月に書いた「ぼく自身の歴史を話します」のなかで、ぼくが２０代後半にヨーロッパを自分の活動の場にしていきたいと思った</a>ことを以下のように書きました。</p>
<blockquote><p><span style="color: #0000ff;">欧州の自動車メーカーにエンジンやギアボックスなどのコンポーネントを供給する仕事でした。その一つに英国のスポーツカーメーカーとのプロジェクトがあっ たのですが、英国人の頑固さと柔軟性に接しながら、ぼくは一つのことを思いました。「何か新しいコンセプトを作っていくには、米国ではなく、欧州のほうが 相応しいのではないか」ということです。もちろん、米国でも新しいコンセプトは生まれますが、過去の遺産と常に見比べながら将来を考える欧州の方に分があ るのではないか。そう思ったのです。</span></p></blockquote>
<p>その頃、シリコンバレーがいいかと迷うことすらありませんでした。今でもヨーロッパから生まれる新しいコンセプトの価値をフォローし、それに関与していくのが自分の歩いていく道であると考えています。どんなにミラノのクリーニング屋や鉄道の駅員と喧嘩しようが、それはそれ。話は別です。どこにも嫌なことはあるし、いいこともある。今、目の前にある見える規模ではなく、将来新たな方向を生むかもしれない新しい価値とリアリティに常に関心の的があるのです。表層的なグローバリゼーションや英語の覇権に右往左往する様子を眺めるにつけ、世の中はこうは動かないだろうという確信をずっともってきました。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2468" title="Ob" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/11/OktoberfestBeer-300x286.jpg" alt="Ob" width="300" height="286" /></p>
<p>ＥＵ統合の基本にあるのは、物・人・サービス・資本の自由移動です。そのために可能な限りの調整が各国間で行われ、例えば、ドイツ人がビールとは大麦、ホップ、酵母、水のみで製造されたものと限定することは、物の自由移動に反すると欧州司法裁判所で否定され（１９８９年、コミッション対ドイツ事件）、ベルギーではカカオの原料によるものだけをチョコレートと認めていましたが、それ以外が混入されているイギリス産の製品も「チョコレート」と呼ばなければならないとＥＵ立法が定め、ベルギーもそれを受け入れることになりました（P 49）。</p>
<p>しかし、その一方で、公衆道徳や国民的文化財産の保護については各国間の調整が認められません。これは経済的な自由を確保するにあたり、文化の多様性の維持が必須であるとの前提に基づいています。経済的合理性が全てを覆うことはありえない。よって、ＥＵ市民はＥＵ諸機関などに対し、ＥＵ加盟国の公用語のいずれの言語でも手紙を書き、同一の言語で回答を受け取れる権利が与えられています。現在、義務教育課程で、母国語以外に二つの外国語を教えているのも、ヨーロッパという「小グローバル社会」の実現の一端です。およそ単一言語やメジャー言語だけで社会が機能するとははなから思っていないのです。当然ながら、ＥＵと各国の間での摩擦がおこります。次のような事例が具体的にあります。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-medium wp-image-2469" title="Ig" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2009/11/Irishlasswithguninness-201x300.jpg" alt="Ig" width="201" height="300" /></p>
<blockquote><p><span style="color: #0000ff;">妊婦が国境を越えて産婦人科から合法的に妊娠中絶の処置を受けるとき、ＥＵ法上はサービスの自由移動（この場合はサービスを受ける自由）として扱われ、問題を生じない。しかし、宗教上の理由から加盟国憲法で禁止されることもある。</span></p></blockquote>
<p>本書で例が挙がっているのがアイルランドです。中絶を禁じているアイルランドでは、年間８千人ものアイルランド女性が中絶のために英国に渡っています。今から２０年ほど前になりますが、１４歳の女の子が友人の父親にレイプされて妊娠するという事件があり、彼女の両親は英国で中絶手術を受けさせようとロンドンに彼女を連れて行きました。しかし、アイルランド当局はそれを違法としたため、彼女は帰国せざるをえなくなります。そして、アイルランドで女の子は自殺を考えはじめます。結果、最高裁判所は「妊娠中絶によってのみ回避できるような生命に対する真の危険が母親に差し迫っている場合には中絶を許容される」（（p96) としたのです。そして、１９９２年、アイルランドの憲法自身が改正されるに至りました。</p>
<blockquote><p><span style="color: #0000ff;">国は胎児の生命に対する権利を承認し、並びに、母親の生命に対する平等の権利に適切に配慮して、その権利を尊重すること及び実行可能な限りにおいてその権利を擁護し、かつ、主張することを法律により保障する。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;"><span style="text-decoration: underline;">本規定は、わが国と他の国の間を往来する自由を制限するものではない。</span></span></p>
<p><span style="color: #0000ff;"><span style="text-decoration: underline;">本規定は、法律により定める条件に服して、他の国で合法的に利用可能なサービスに関する情報をわが国において入手し又は利用に供する自由を制限するものではない。</span></span></p></blockquote>
<p>上記の下線部分が改正されて追加されました。こういう調整を延々と継続している国々に、新しい社会圏の創造に向けたノウハウと知恵が蓄積されないわけがなく、ここに新しいコンセプトを生む萌芽があるだろうとぼくは睨んでいます。平板なグローバリゼーション論とローカリゼーション論に懐疑を抱く理由でもあります。残念ながら（？）、ぼくは古典的なヨーロッパ文化のファンではないのです。</p>
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		<title>僕自身の歴史を話します（２６）ーこれからのこと</title>
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		<pubDate>Sun, 13 Jul 2008 15:01:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[僕自身の歴史を話します]]></category>

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		<description><![CDATA[ぼく自身の歴史を話すといいながら、品質のことまで言及してしまいました。でも陶器の皿の品質ひとつとって、その判断には色々な視点や目線が要求されます。日本での視点とイタリアの視点、価格が規定する目線、これらを取り囲む文化的ト [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ぼく自身の歴史を話すといいながら、品質のことまで言及してしまいました。でも陶器の皿の品質ひとつとって、その判断には色々な視点や目線が要求されます。日本での視点とイタリアの視点、価格が規定する目線、これらを取り囲む文化的トレンドを把握する視点などです。前述したように、これらのポイントを固定的あるいは静的に捉えてはいけません。いつも動的に考えないといけません。ぼくは、今まで話してきたように、複数の文化が関わる、さまざまな分野でさまざまなプロジェクトに関わってきました。あるものは上手くいき、あるものは失敗する。それらの経験からいえることは、陶器皿の品質の問題を表層的にみるべきではなく、そこにある多数の「象徴」をみないといけないということです。一台一億円のスーパーカーの品質をみるのが難しいのと同様、一皿数千円の陶器の品質を判断するのも簡単ではありません。</p>
<p>１９９０年の後半以降から、ぼく自身の歴史の説明に少々具体的情報が欠けています。本当は、もう少し詳しくお話もしたいのですが、やはり１０年以上経過していないプロジェクトは「時効」になっていないと感じるので、 やや観念的な文章が多くなってしまいました。それでもぼくの活動が、歴史とトレンド最前線、ハイテクとローテク、欧州文化、これらがキーワードになっていることはお分かりいただけたのではないかと思います。全体性の把握という学生時代からの目標に沿っているのは確かです。しかし、これは「何ができたから完成」ということではありません。常にあくまでも行動目標です。「新しいコンセプトを作ることに貢献する」がぼくの実質的な目標です。そのために生きる土地として欧州を選択したのでした。</p>
<p>が、もし宮川氏が日本にいたらどうだったのだろうかとも思います。手紙を書いて、彼にところに押しかけていただろうか。 やはり、そうはならなかったと思います。たぶん、宮川氏によって（あるいは通して）表現されている、イタリアという土地とその人間関係も含めてすべてが、ぼくが惹かれた要因だったのだろうと考えるからです。つまり、宮川氏によって、イタリア文化のポジティブな面を最初に見せてもらったことが、ぼくが１７年間、さほどバランスを崩さすにやってこられた理由ではないかと思います。また、日本で７年間サラリーマンをやっていたため、イタリアのネガティブな面を比較的客観的に見れたこともあります。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/06/09252339_46f91d8ccc71f-150x150.jpg" alt="fnz" class="imageframe imgaligncenter" height="160" width="200" /></p>
<p>ひとつ言える確かなことは、「どこの国や場所に住んだからといって、全ての人生の問題が解決するということはあり得ない」ということです。生きるというのは、全てを丸ごと飲み込むこむわけですから、その飲み込むこと自身に価値を見出さないといけません。そこで、この「僕自身の歴史を語ります」シリーズの最後は次のように締めくくります。英国の作家モームの『人間の絆』という長編小説のなかで、詩人のクロンショーがパリのカフェで語るこんな台詞があります。</p>
<p>「わしは自分の詩を過大評価などしていないのでね。人生とはそれを生きるのが大切で、それについて書くものではない。人生が提供するさまざまな経験を探し求め、その一瞬一瞬から得られる感情をつかみとるーそれがわしの目標だ。創作とは人生から喜びを吸収することではなく、人生に喜びを与えるための優雅がたしなみくらいに考えているのだ。自分の作品が後世に残るかどうかなど何の関心もないのだ」（岩波文庫　行方昭夫訳）</p>
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		<title>僕自身の歴史を話します（２５）ー品質が語るもの</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/269</link>
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		<pubDate>Thu, 10 Jul 2008 15:01:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[僕自身の歴史を話します]]></category>

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		<description><![CDATA[ビトッシでは同じ製品を世界中の国に出荷しています。（２３）と（２４）で紹介したような品質内容に関して、「どうにかできないか」と相談してくるのは日本だけだと言います。だからビトッシは全てを日本市場の声に合わせるわけにもいき [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ビトッシでは同じ製品を世界中の国に出荷しています。（２３）と（２４）で紹介したような品質内容に関して、「どうにかできないか」と相談してくるのは日本だけだと言います。だからビトッシは全てを日本市場の声に合わせるわけにもいきませんが、かといって全く無視するわけにもいきません。少なくても、日本からの声を「品質改善要望」とは受け取らず、ビトッシはこれをいわば「ローカライゼーション要望」として受け止めるのです。彼らは彼らの文化に沿って作り、そして大半の市場はそれをそのまま受けてくれるわけですから、そのようなロジックは当然でしょう。すると、どこでローカライゼーションの線引きをするかが焦点になります。</p>
<p>一方、商品を売るというのは、そのモノだけを売るのではなく、それを取り囲む文化全体を知ってもらい楽しんでもらうことだ、という考え方の妥当性を聞いてきます。 もちろん、そのことはメトロクス東京の片岡氏もよく分かっており、だからこそストーリーの作り方に頭を捻るのです。例えば、デザインショップの棚に商品が陳列してあるのではなく、イタリアンレストランの中においてあり、それをそのまま売るのであれば、異文化の文脈を違いとして受け入れるでしょうか。仮にそれで問題が解決されるなら、どうしてデザインショップでもオンラインでも、その文化をもっと伝えないのかという反省がでてきます。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/06/flavia-3-150x150.jpg" alt="fc2" class="imageframe imgaligncenter" height="166" width="200" /></p>
<p> 輸入品というのは、運送費やその他もろもろのコストが積み上がり、どうしても生産国市場での売価より高くなります。生産国での価格帯より高い価格帯となり、そこで品質への期待も上昇する運命にあります。ですから生産国における文化を伝えるといっても、売るシーンが違ってくることも考慮に入れないといけません。しかし、それでもコアの部分は同じです。楕円も円も同じ円とみるか、それは形状が違うほかのものとみるか、そういうのがコアです。イタリア文化の傾向からすれば、前者を採用する人も少なくないと言えるでしょう。これをどうやって具体的に伝えていけばよいのか、それはそれでまた頭痛の種です。大切なのは、どれを取るか、その立場あるいは考え方をはっきりさせていくことだと思います。そこを曖昧にし続けると、全てのメッセージが伝わりにくい。そうぼくは個人的に考えています。</p>
<p>そのうえで、この文化の違いを伝えていくことを諦めてはいけないと思っています。「仕方がない」「面倒だ」と諦めるのは、退歩にしかなりません。色々な価値観や視点が存在することが、社会的な豊かさに繋がっていきます。そして、新たな変化への契機を作るでしょう。</p>
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		<title>僕自身の歴史を話します（２４）ー品質が語るもの</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/264</link>
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		<pubDate>Wed, 09 Jul 2008 15:01:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[僕自身の歴史を話します]]></category>

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		<description><![CDATA[一般的な話しからすると、このビトッシの皿でいう品質は利用品質でも機能品質でもありません。オブジェとして飾るか、その皿の上に果物を置くかです。そういった目的の製品で語られる品質は、機能製品の場合より難しい判断を迫られます。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>一般的な話しからすると、このビトッシの皿でいう品質は利用品質でも機能品質でもありません。オブジェとして飾るか、その皿の上に果物を置くかです。そういった目的の製品で語られる品質は、機能製品の場合より難しい判断を迫られます。メトロクス東京の片岡氏は、こう語ります。「もし、イタリアに出かけ、その土地の景色や文化に感動し、その場でこの皿をみつけて買ったとします。そうした場合であれば、皿の裏がどうであろうと、あまり気にしないと思います。イタリアでは、製品の機能に問題ないのであれば、裏は関知せずという文化そのものを受け入れて買ったのだと思います。ストーリーがそこで完成しているんです」　「しかし、東京のデザインショップできれいに並べてあった場合、裏も気になるのですね。そこは、日本の文化が優先されるのです。例えば、我々が個人輸入で直接買い付けて、その入手までのストーリーを語って売るというのなら、きれいなディスプレイの上にあってもいいでしょう」</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/06/10032026_47037c82d2ee4-150x150.jpg" alt="fc5" class="imageframe imgaligncenter" height="160" width="200" /></p>
<p>もうひとつの例は、トリです。トリを支える棒を入れる穴をあけるのに、その穴の部分の粘土が穴の内側にひっかからず、そのまま下に落ちたものがありました。それがかけらとして音がします。カラカラと。片岡氏は「これはまったくの飾りなので、飾っている限り、その欠片は何の問題もありません。しかし、わざわざ振る人もいないのですが、置くときに瞬間的にその音がすることが、何か品質的に問題なのではないかという不安感を呼ぶのはまずいのです」と語ります。「これらの製品が工業製品だと思って買う人はいません。手作りだとは知っています。それでも、デザインショップで売る場合は、そのあたりの気配りが求められるのですね」とも説明します。</p>
<p style="text-align: left">「また、そういうイタリアのゆるやかな文化を話しながら 、目の前のお客様に買っていただく場合は安心なのですが、オンラインで顔を合わせないでお客様に売る場合、特に神経を使います。不具合品と勘違いされるお客様がいないとも限りませんから」と聞いたとき、ぼくは二つのポイントがありそうだと思いました。ひとつは、商品の成り立ちから売る場所までを含めたストーリーを如何に作っておくか。もうひとつは、ビトッシ側で日本の市場の要求にマッチするように、「商品の仕分け」を更に徹底してもらうこと。つまり、ビトッシは、このトリのかけらの音を「幸運を呼ぶ音」として売ればよいだろうと冗談交じりで語ったのですが、日本でこれをジョークとして受け入れる土壌があるかどうか、その判断に片岡氏は迷うのでした。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>僕自身の歴史を話します（２３）ー欧州文化に生きる</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/263</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/263#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 15:01:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[僕自身の歴史を話します]]></category>

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		<description><![CDATA[１９９０年周辺に東欧の大きな変革があり、そこで今まで隠れていた宗教や文化が前面に押し出されてきたという流れがあります。東の共産主義と西の資本主義の冷戦時代には、それらの要素が意図的になるべく目に付かないようにされていたの [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>１９９０年周辺に東欧の大きな変革があり、そこで今まで隠れていた宗教や文化が前面に押し出されてきたという流れがあります。東の共産主義と西の資本主義の冷戦時代には、それらの要素が意図的になるべく目に付かないようにされていたのですが、ベルリンの壁が崩れることで、一斉に宗教や文化が後ろから押し出されてきたのです。これが文化を経済問題として考えなくてはいけない背景の一つになっています。そして一方、工業製品の次元についていうなら、これまでは製品の外観に機能が記され、例えばTVであれば、ON/OFFとチャンネルが分かれば事足りました。しかし、PCは違います。画面の中に入っていかないと、どういう機能があるのか分かりません。ケータイもそうです。つまり、製品の「抽象性」が高まっています。すると、そこの市場の人たちの頭の動きや常識をよく知らないと製品が機能しません。したがって、文化理解が必要になってきます。</p>
<p>とても大きな時代潮流においても、より小さな消費者が直接使用する製品においても、そのどちらでも文化の重要性が高まっています。だからこそ、そういうトレンドのなかで、家具やデザイン商品への見方がどう変わっていくかに気配りすることが大切です。と、ここまできたところで、この「僕自身の歴史を話します」を書こうと思いたった動機にやっと戻ります。下記です。</p>
<p>http://tokyo.metropolitan.co.jp/anzai-history-1/377</p>
<p>「たまたま、ビトッシのセラミック製品が欧州と日本の市場で評価の仕方が違うことを、東京にいるスタッフと話し合いました。欧州では「味がある」と見られる ことが、日本では「品質での問題」として受けられることがありますが、そのギャップを如何に解決していくかがテーマです」</p>
<p>実際にモノを見てみましょう。０１は若干の割れ目が見える。０２は表面に粘土が出ている。０３は釉薬のついている部分とついていない部分が一定ではない。検品の段階で、こういう指摘が東京から出ました。これをどう判断すれば良いか。それについて話し合いました。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/06/flavia01-150x150.jpg" alt="fd" class="imageframe imgaligncenter" height="200" width="141" /></p>
]]></content:encoded>
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		<title>僕自身の歴史を話します（２２）ー欧州文化に生きる</title>
		<link>http://milano.metrocs.jp/archives/262</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/262#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 07 Jul 2008 15:02:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>
		<category><![CDATA[僕自身の歴史を話します]]></category>

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		<description><![CDATA[どこまでがユニバーサルで、どこからローカライズすべきか、その判断が大事だと書きました。厳密に言えば、これは国だけではなく、社会階層や世代にもよります。またサブカルチャーやインターネットの浸透は、共通基盤の拡大に貢献してい [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>どこまでがユニバーサルで、どこからローカライズすべきか、その判断が大事だと書きました。厳密に言えば、これは国だけではなく、社会階層や世代にもよります。またサブカルチャーやインターネットの浸透は、共通基盤の拡大に貢献しています。ですから、何となく同じになってきたのではないかと思うところに落とし穴があります。表面的に同じように見えるからこそ、その根底にある違いに足元をすくわれてしまいます。「２００８　ミラノサローネ」で指摘したのは、この点です。いずれにせよ欧州文化も変容するのですが、その変容のスピードが日本と比較すると遅い。常に新しいインプットを咀嚼するのにより時間をかけるのです。</p>
<p>随分と遠回りした説明になってしまいましたが、ぼくが色々なビジネス経験をしてきた結果、その経験を統合して相手にすべきは、欧州文化そのものになったということです。今までやってきたビジネスを現場で継続しながら、欧州文化への見方を自覚的に、普遍的な評価ができるものに発展させていく。大げさな言葉を使えば、これがぼく自身の使命ではないかと考えはじめたのです。２００５年あたりからでしょうか。欧州に住み始めて１５年経過した頃です。大学時代からふくめれば、欧州文化になんらかの形で継続的に接してきて２５年以上経っています。</p>
<p style="text-align: center"><img src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2008/06/09252351_46f92075a8c4d-150x150.jpg" alt="f2" class="imageframe imgaligncenter" height="160" width="200" /></p>
<p>欧州文化の研究者は江戸の時代からカウントすれば、それこそ星の数ほどいらっしゃる。多くの成果を積み上げてきました。だからぼくが欧州文化を真っ向から相手にするなんて恐れ多いとも思います。何かを何処かで言えば、地雷のごとく、「いや、あなたはそのあたりの事情を正確にご存知ない」と言われる可能性がとても高い分野なのです。「それはギリシャ哲学の、こういう思想に基づいているのです」「キリスト教の教会発展史を知らないと分からないでしょうね」と言われるかもしれません。</p>
<p>しかし、それを恐れていては、日本の製品はいつまでたっても欧州市場でまともに扱われない一方、日本では気位ばかり高くなっていく。そのようなサイクルをどうにかして正常な向きに変えていくには、欧州文化の見方を多くの方に語りかけていくしかない。そのプロセスで、ぼくの見方に独りよがりの部分があれば、それを随時正していく。こういう活動を続けていくことが、文化を孤立したものではなく、経済活動と不可分なものとして位置づけることを促進し、その結果、経済活動自身がより長期的な視点で安定したストラクチャーを獲得する。そういう考えのもとで、ぼくは「２００８　ミラノサローネ」を２ヵ月半に渡って書いたのでした。</p>
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