8月15日のぼくの誕生日を前にして、期せずして自らの過去を振り返る本を読んだなあというのが、読了後の一言。1926年生まれの鶴見良行はぼくにとって同時代の人ではなく、「雲の上」の人です。『朝日ジャーナル』で「マングローブの沼地で」の連載を書き、ベ平連で小田実や従兄弟の鶴見俊輔のそばにいた人。当時、彼らをぼくはヒーローとしてみていました。米国生まれの鶴見良行は、米国からのものの見方に嫌気がさし、アジアを自分の足で歩き始めるのですが、行動をともにしたのは村井吉敬。ぼくが大学に入った頃、アジア研究者としてホットな話題を提供し続けていた人で、その村井が本書のあとがきを書いています。・・・・そして、ここが重要なのですが、仏文科の学生だったぼくは、アジア研究に目を向けなくてもすむ説明を探していたということを本書を読んで思い出したのです。

学生運動の名残は十分にあり、公害反対運動にシビアさがある時代、それに関わるには、かなりストイックな態度が全てに対して求められていた(風があった)。ファッションやテニスに興味をもちながら、そういう活動をするのは軟弱であり許容できないという空気が強く、やや肩が凝る姿勢を強いられました。そのような枠組みをまったく気にせず、あるいは知らないで動く人たちもいましたが、ぼくの場合はそうではなかった。僅かながらでも知っているから、批判されない立場の確保を考えざるを得なかったのです。だから今でも、鶴見良行の「日本はアジアを金でばかりみていて彼らの生活を見ていない」という文章を読むとき、瞬時でも自らの内の声に耳を傾ける・・・ということになる。日本と東南アジアのつながりの構築について、『マラッカ物語』のあとがきが引用されています。
「世界にはさまざまな人がいる」という発想から、日本とは実体的なつながりのない土地やそこの土地について書けば、それは日本人の感情に訴えない”地理書”になってしまいます。そのままの形でいくらか訴えるところがあるとすれば、安直な”探検物”になって”日本に消えつつある自然をそこに求めるという形になります。
”感情移入”といういのは、自分の体験を中心とした相手への没入ですから、あくまでも自分中心主義です。そこに難点があります。日本人読者にたやすくわかってもらうことを狙って”感情移入”の回路を走れば、自分に関係のある問題しか見えなくなります。
思い当たる節があるとドキッとする方も多いでしょう。彼は国際文化会館の企画部長として日米知的交流に励みながら、ベトナム戦争の波にもまれ、自分の心に誠実であり、かつ「正しさへの追及」の道を探っていた。そして、その根もとには、近世以降の日本とアジアのかかわりにおける日本に対する「後ろめたさ」があったわけです。現在、BOP問題への若年層の積極的関心をみていると、このあたりのスタート地点での悩みや迷いがないことが、良い意味でプラスに貢献していると思い、また物足りなさでもあります。世代が変わらないと社会は動かないという定理は、良い意味でも悪い意味でも、その通りでしょう。

何事も具体的なモノなりで考えることは大事で、鶴見良行はバナナやエビを通じてアジアを研究していきました。「身近な食品をとりあげることが、”感情移入”のたやすい道を歩むことになり、それが普通の日本人に到達するうえで早道だと感じた」のです。しかも、エビをとりあげることで、「海産物によって海の側から大地を眺められる」というわけです。その海側からの視点がさまざまな歴史において抜け落ちているのですが、鶴見はこう書きます。
このように、日本でも東南アジアでも、私たちの手持ちの認識=学問には、穴ぼこのような見落としがあります。この穴ぼこの分布図を作ってみますと、そこに一種の傾向性が見られます。つまり偶然に見落としているのではなく、偏った目の働かせ方に時代の要求が感じ取られるのです。
見ないものの傾向を指しています。だから現場を歩き観察をする。したがって、他人の同じような姿勢には高い評価を与えます。
たとえばカップラーメンの中にどういうエビが入っているか、ということを徹底的に調べた人がいます。インドからきているムキエビなのですが、そういうのは感動的なわけです。彼女は私にエビのスライドを借りにきましたから、「ただで借りるということはないだろう。君たちが勉強しているんだったら貸してやるよ」という話をしました。それでカップラーメンを調べて来いといったら、彼女は甲府のT社の工場へ行ったり、横浜港へ行ったりしてその問題を本に書いています。
私も彼女が調べてくるまで、T社のカップラーメンの中に入っているエビがインドのものとは知りませんでした。そういうところが、ふつうの人に伝える文章をつくるときの一種のコツだと思います。
こういう発見は確かに実感を伴いやすく、説得力をもちます。できるだけ多数の人に共通のテーマで引っ張り、じょじょに問題をフォーカスさせていく手法は大事で、そのためには何度も何度もアウトプットを重ねることが肝です。本書の副題は「私の方法」。あまりに簡潔にこの本の趣旨を述べたタイトルには唖然とするほど力があり、「私の方法」と言い切る(切れる)経験と実績をどれほどにもつか、それが人生の勝負どころだなと思います。要するに、「人の方法」は「人の方法」で「私の方法」にはならないのです。ただ、そこに客観性があってこその「私の方法」であり、それが「私のアジア」が説得力をもてるための条件になります。
「海外で働くことをオプションとして考える」を書いてから、どうも頭にはりついてはなれないことがあります。今、いろいろな人達が抱える多くの焦りや諦念というのは、ネット社会のフラット化が生んだ幻想の結果なのかな・・・ということを思ったのです。
イチローが大リーグでプレーするのは別世界の人だから勇気をくれるようで応援する。自分と同じだったちょっと知っている人間がブログで、ある日突然にすごく人気者になる。あるいは逆に有名人とはずっとTVの向こうの側にて自分と関係ないと思っていたら、ブログやTwitterで距離感がなくなり、すごく近いところにいるような気になり、何となくその人と自分を比較してしまう。でも、英国のTVのオーディション番組で『夢やぶれて』を歌い、一気に世界中に名が知れたスーザン・ボイルには、「自分とあまり変わらないじゃない」とはさほど思わない。「やっぱり、あれだけ審査員を驚かしたのだから、才能があったんだろうな」と思う。
これが、フラット社会の距離感なのかなと考えるわけです。つまり運動や身体的なことに関わること、あるいは科学分野のノーベル賞レベルには相変わらずフラット感は訪れませんがー平和賞のほうがまだ近いかもしれない!-、それ以外の分野では、アルプスの山並みが丹沢山系くらいには低くなった印象をもっていると思います。ちょっとジムに通っておけば、特に問題なく登れるだろう・・・と。これは能力差の問題ではなく、ネットによる情報取得に関する既得権の崩壊という側面が大きいでしょう。非対称であった情報分布がかなり流動したのです。かつては新聞やTVでしか知ることができなかった情報を、普通の人がPCの前に座ってキーを叩けば、数分もかからないうちに獲得できます。だから逆に、ネットに触れていない人達が化石のごとく思えるのです。自分に丹沢と見えているものに、アルプスであると思っている人が前にいれば、その違和感は絶望感にも変わります。もちろん、両者、お互い様ではありますが・・・。

フラット感の普及の要因は、スピード性やWikipediaにみる情報の公開性もありますが、情報の内容と範囲の変化によるところも大きいでしょう。どういうことかといえば、かつては、あることを成し遂げた人のストーリーをTVで過去形として知り、その人が軌道に乗らずに苦しんでいる状況をリアルタイムで知ることは稀でした。自分の友人か知人のネットワークに入ってこなければ、こういうことは知りえなかったのです。そして一人の人間が「なんとなく繋がっている」人の数も、SNSやブログが普及した今から比較するとゼロの数が一つ少なかったでしょう。だいたい「なんとなく繋がっている人」の情報をリアルで知ることはめったになく、およそ友人の噂話程度だったのです。それが、今は、「なんとなく繋がっている人」達のリアル情報を追えます。有名人のことでも、ブログをRSSリーダーで毎日読んでいれば、「何となく繋がっている」一人と思うでしょうー新聞の連載コラムニストには、そう思わなくても。ネットはある意味、1対1のメディアですー。いずれにせよ、そういう観点でも、ゼロの桁が違うのです。
そこで、「君にもチャンスがある。これに挑戦しないのは、敗北だ。この戦国時代は、もう安定した会社の安定したポストなどありえない。頑張れ!自分で何かやるんだ!今の生活を変えろ!」と自己啓発本やブログが飛び交うと、どうなるでしょうか。運動会の徒競走のスタート地点に不意に連れて行かれたようなものです。自分ではそこに立つ気がなかったのに、周りに押されていつの間にか足が進んでしまった・・・・。それで、仕方ないからと走って1位になることもありますが、1位にならなかった多くの人達は、敗北感だけを募らせることになります。しかし、彼はそもそも、そこまで走るべきではなかったということがあります。留まって応援し、ゴールで走者にタオルをかけてやり、「頑張ったね。君のその姿を応援するのが、ぼくの役目」という人間もいるはずです。要するに、走って頑張るのが必ずしも全ての人にとっていいわけではないのです。

人にはそれぞれの不向き向きがあります。不向きなことにエネルギーを費やして敗北感をためこむのではなく、向きなことで勝利感を味わうことにもっと向き合うべきです。ぼく自身は、本で知ったイタリアで活躍する実業家に手紙を書き、そこから新しい人生が始まったのですが、皆が同じようなことをすればよいとは全く思ってい ません(お願いされてもイヤダよ、と言う人も多いでしょうしね)。たまたま、ぼくには「新しい価値観を作る現場に立ち会う」ことに自分を賭ける土壌としてのヨーロッパが 必要だったのです。中国でもアメリカでもニュージーランドでもなく、ヨーロッパしかなかったというわけです。特に一般的な意味での「海外で働く」ことに優先順位は高くありませんでした。
こと、人生を生きることについては、一般性はなく、すべからく個別的なものであると思います。どんなに社会が実際にフラットになったとしても、人の存在と人生そのものが、フラットになることはありえません。君は絶対、あいつとは違うのです。
今朝、このブログのアクセス分析を眺めていたら、「僕自身の歴史を話します」へのアクセスが急増していました。参照先を調べてみると、シリコンバレーの渡辺千賀さんのブログです。海外で働く体験談集が集められていて、そのなかに上記のエントリーが掲載されていました。そこで半年くらい前に渡辺さんのブログにコメントをつけたのを思い出しました。これがテーマとして特集されたのは、確か絶望感の漂う日本で汲々とするだけでなく、日本の外で働くこともオプションとして考えたらどうか・・・というなかで海外で働いている人達の経験を募ったと記憶しています。
最近、「日本脱出」という表現をよく見かけます。一定期間の職業体験を可能とするワーキングホリデイを各国政府が実施したことで、日本以外で働く経験の幅は随分と広くなったと思います。それまでは、日系企業の駐在員であることが海外の職業経験の圧倒的にメインであったと思います。もちろん、今もメインであることに変わりありませんが、「それ以外」の選択肢が増えてきたわけです。それにも関わらず、「日本の温泉でまったりするのがいいや」「わざわざ海外で苦労する理由もないよね」という台詞に代表されるようなトレンドもあり、必ずしも駐在員以外のカタチで海外で働くことは一般化していません。

昨年、ヨーロッパ文化部ノートで、イタリアの医療関係者が海外で働く機会をみつけるイベントを実施したら3日間で400人が集まったというニュースを紹介したことがあります。英国の人間がオーストラリアやカナダに移住するのとは根本的に違う話です。英国は英国でサッチャー改革の影響の影の部分として、この10年、英国脱出の数が急増したのですーが、メインの行き先は英連邦が多いのですー。それにしても、英語国民であれ非英語国民であれ、ヨーロッパ人の海外で働くことの敷居はーEU圏外に対してもー日本の人達と比べると低いのは確かです。こういう事例と比較して、日本では「必ずしも海外で働くことは一般化していません」と言えると思います。だから「母国脱出」という言葉に、日本特有の意味が加わるのです。
「脱出」というのは、もともと「日本を離れた奴のことなんて構うか」という心性があるところに対する反逆を試みる行為であるというニュアンスがあります。野茂のアメリカ行きから中田のイタリア行きというスポーツ選手の海外舞台への移動があり、一時は「海外で働くのも普通になってきたし、昔のように旧態依然たる『日本で成功しないと海外に行っても駄目』ということもなくなったね」と言われました。それでも「松井は、いつも日本のファンを尊重して偉いよな」と言われるのです。しかし、そういうこととは全く別に、「やっぱり、南仏で人間らしい生活をしたい」と願うー特に女性のほうが現実化しやすいー人達が少なからずいることも確かなのです。あるいは、ある専門を極めていくなかで、必然的に日本という枠を飛び出さざるを得ない場合もあります。医者、研究者、技術者、デザイナー・・・・。

ぼく自身の意見を言えば、何度も書いているように、視点を多くもつことを最低限の素養として持たなくてはいけないレベルの人達がある一定数いるはずで、この人達が専門家のケースと同じように、日本という国境を超えざるをえないということだと思います。その人たちが、あるゆる理由を弁解として多用し日本になんとかして留まろうとするのは、結果的にストレスフルなことじゃないかと想像します。「本来であれば、マーケットはヨーロッパまであるはずだが、どうもあそこまで出かけて一からやるのは面倒だ」と思っていれば、早晩自らのビジネスの首が絞まってくるのですから。
一方、渡辺さんが体験談を募集した動機は、「やっぱり、残業して帰宅してコンビニ弁当でごまかすのではなく、サントロペの海岸でゆっくりして、バランスある時を過ごしたい」ーこれは単に時間的に楽をしたいという意味合いでの事例ではなく、自分の価値を重視するという事例ーという極めて個人的なレベルでのライフスタイルの実現を優先させることに比重があったのではなかったかとも想像しますがーあえて、半年前のブログを再読していませんがー、この場合、「いわれなき不合理な社会的制約から逃れる」ことが重要であるということだと思います。

できるだけ嫌なことは回避し、自らが合理的であると思える生活環境を作ることを考える。もちろん渡辺さんは、「面白い刺激的な仕事」を優先することを前提として語っているのですが、それは実のところ、ライフスタイル重視型と密接にリンクするのではないかと思うのです。つまり、不利と思える外的状況を自分に有利に思える条件に変更するー自らが移動することによってーというのは、結果的にロンドンのシティで睡眠不足の生活を送ったとしても、自分を大切にすることになるのだと思うかどうか、あるいは思えるかどうかを価値基準の上におくということになります。したがって、この文脈における「海外で働く」という表現には「脱出」という言葉がオーバーラップします。
小澤征爾がサイトウキネンオーケストラの活動をはじめたのは50歳周辺だと思いますし、明石康が日本で活動をはじめたのは国連をやめてからです。「日本の社会を良くしたい!」と願い動くことに共感するのはいいですが、彼らを常に見習い「やはり、日本のために尽くすべき」というプレッシャーを必要以上に感じるのも無駄なことです。精神的状況として「野茂以前」です。1) そこにエネルギーを費やすには時期的に早い若い世代の人たちが理不尽に潰れない道がどこかにあり、2) その一つのチャンスに海外で働くことがあり、3) そのオプション自身の存在が精神的なプレッシャーを軽減するものであるなら、「脱出」は悪くない試みです。
そして、「色々経験してみて、今度は日本の社会の向上に自分を試してみたい」と思ったときに、それをやればいい・・・・。