『ヨーロッパの目 日本の目』 の記事

Date:09/12/12

今週はアイルランドに出かけてきました。日本でアイルランドというと「アイスランド?」(スコットランドのちょっと西が正解)とか「あのテロのあるところ?」(英国の一部である北アイルランドのこと。だいたい、テロは終結している)とか聞く人が少なくありません。あるいは、ギネスビールやケルト音楽など急にディテールに入り込むこともあります。しかし、それは極めて普通で「フジヤマとゲイシャ」とあまり変わらず、外国人が知らぬ国に対してもつイメージは、およそこのあたりであるとするのが無難でしょう。あえていえば、日本で知っているアメリカやフランスあるいはドイツについての知識が、やや世界の水準以上であると考えるべきかもしれません。

いずれにせよ、アイルランドをミステリアスな国であると思うむきが多いのですが、知識や情報が不足していればミステリアスでロマンチックなイメージをもつのは当然です。日本でスカンジナビアのファンが多いのも、つまるところ、フランスやドイツほどには知識が一般化していない部分によることも大きいと思われます。だからこそ、ある一点ースウェーデンの環境政策やフィンランドの教育ーが過大に取り上げられたりするわけです。・・・・と言いながら、一点を語るのもなんですが、アイルランドのギネスは抜群に美味く、ロンドンのパブで飲むギネスと比較し、そのレベル差がよく分かりーイタリアで飲むエスプレッソがフランスのそれより格段に美味いのと同じレベル差です。水が違うからと聞きますが、アイルランドで飲むギネスはサッパリしていますー、アイルランドが英国の長い植民地であったが、独自の世界があるのが象徴的に分かります。

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ぼくは、ダブリンの大学内のテクノロジーイノべーションセンター(上の写真)で行われたミーティングに参加するためにアイルランドに滞在しました。昨年、金融危機直後のダブリンの街の変化について書きましたが、今回、集まったメンバーと話していて、そういう中でもしぶとくやる精神的タフさを強く感じました。資源も市場規模にも乏しい国が、自分だけを頼りにサバイバルするに、「島国だから」ということを否定的に使っていません。彼らもかつては閉鎖的な時代がなかったわけではないようですが、この21世紀の今になって、そういうことを微塵も感じさせないオープンマインド自身の存在感が印象的です。島国で風が強いことを利用しての風力発電への積極的施策をみても、それを思います。

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参加者が集まる前のミーティング準備中、10月、御嶽山で一緒に滝修行をした友人がこちらを向いて笑顔。彼も、メンタルがタフです。苦境で嫌なことがあれば、スポーツで汗を流して何とか前進しようとします。背を丸めた負け犬になることなど考えたこともない。そういう強さをみせます。このミーティングで話し合われたことは、詳細は省くとして、個々の強みを発揮したネットワークでいかに統合度の高いものを実現するかということです。個々のレベルがそれなりであることは最低条件ですが、さらに重要なのは、大きなテーマに的中する意義をまずは最優先させなければいけないという考え方をするかどうかです。コンセプトが大きな社会的文脈で貧弱であれば、どうにもならないことを認識しているかどうか、ということでもあります。

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この国にはヨットマンが多くいます。ものすごい強風のなかでも、ハーバーから力強く船を出していきます。日本であればハーバーで出航禁止になるレベルです。ヨットは風が強ければ、その分、より大きなエネルギーをもって一つ一つの作業に立ち向かわないといけません。それを億劫がらずにやる気力に感心します。そういえば、今回泊まったホテルは、7-8年前に逗留したホテルです。そこで、7-8年前に部屋に飾っている一枚の絵に「これがアイルランドだなぁ」と思ったことがあります。その絵に再会しました。ダブリンの街を流れる川での水泳レースです。部屋の十分な明るさがないところの以下の写真ですが、ぼくの感想が少し共有できるでしょうか?

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Date:09/12/2

昨日、スイスに出かけました。朝、7時10分のミラノ発の電車に乗り込み、チューリッヒに到着したのは12時半。予定では10時半でしたから2時間の遅れ。雪のためにダイヤが大幅に狂い、チューリッヒまで電車を三回も乗り換える羽目になったのです。次の電車を待つ間、しんしんと降る雪を眺めるしかなく、12月なのであたりまえなのですが、意外なところに潜んでいた冬の襲撃を受けたような気分です。下は車窓からの眺め。

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ヨーロッパ文化部ノートにメモしたように、この日曜日、スイスでは国民投票が実施されました。イスラム教寺院の尖塔建設を禁じる法案にYESとするかNOとするか。57%がYESでした。これはイスラム教自身の問題でもないし、イスラム教信者の移民の行動の問題でもなく、「目に見える異文化」への心理的不安感を煽った結果ではないかと思えます。プロテスタントとカトリックの教会の形状の違いではなく、じょじょに増加するイスラム教の人達(スイスの外国人は約20%で、イスラムは40万人)がイスラム教の形状に象徴されるとなったとき(まだ4つの尖塔しかないが)、宗教の自由の「かたち」が表面に出てきたともいえます。EUに加盟していないスイス政府が、ルクセンブルグの欧州司法裁判所に絡んでもらうよう働きかけるかどうかなど色々な可能性があるでしょうから、この問題は行方を注視していこうと思います。

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チューリッヒでは、駅からタクシーで10分くらいの高台にあるお宅を訪問しました。上の写真は居間からテラスをみたところ。今から10年ほど前、スイスの全体像を描く本を編集した女性の自宅です。自然、政治、宗教、経済、教育、建築・・・・全てを、それぞれのエキスパートが書いた稀な本です。そして写真の質が抜群。彼女はチューリッヒの大学の元学長で経済史が専門の方も一緒に招いてくれていて、昼食をご馳走になりました。彼女は「以前なら市内の書店に日本関係の書籍が沢山あったのに、最近はまったくない。中国の本ばかり。日本には素晴らしい文化があるのに、それはディテールで語るのみで、全体のかたちに落とし込むのが苦手で、非常に損をしている」と嘆きます。日本通であるからこそ、その存在感の低下に危機感をより募らせます。居間にある下の作品は中国のものです。

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ぼくの持論である、加藤周一に代表される知識人がヨーロッパ文化について書いてきたことを、ビジネスに応用できるようにどう統合して視覚化するかが重要だと話すと、「ここには加藤周一さんも来ましたよ」と言われ、それなら話しは早いと、ぼくの舌ものりはじめます。狭義の文化のための文化ではなく、広義の文化のための文化を説明していくための具体事例についてディスカッションです。要するに経済的価値を生む文化理解の事例です。スイスの文化面だけでなく政財界にも顔の広い彼女も主旨に賛成してくれ、どんどんと人を紹介していこうと言ってくれます。彼女のように日本(中国やインドにも造詣が深いようですが)をよく知り、かつその問題点を痛感しているスイス人が味方になってくれると心強いです。

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もちろん、上述した国民投票についても話題になりましたが、57%という数字を前にして、「あれは極右の運動だから」と弁解できない苦しさが感じられました。多文化に関心の強いインテリだからこその苦しさです。住宅地から市内に戻ると、もう暗く、クリスマスのイルミネーションが迎えてくれます。駅の構内では、クリスマス用品などを売った店が立ち並び、「スイスの師走」ぶりです。遠くにみえる白いツリーは、スワロフスキー製です。

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ミラノに戻る電車は、やはり到着が遅れています。それで駅内をぶらぶらしていて、気づいたのが以下のH&Mの広告です。ソニア・リキエルがデザインしたようですが、このナイトガウン、KIMONOと書かれています。美容院に行っても、「KIMONOを着てください」と言われるし、息子の空手のイタリア人の先生も空手着をKIMONOと呼んでいます。ボタンがなく身体の前面で生地を合わせてヒモなりでとめるものを、全てKIMONOと呼んでいるようです。日本人とすれば、浴衣でもKIMONOと呼ばれたくない気持ちがあると思いますが、これは中国人の作る日本料理と同じで、KIMONOの再定義であると考えるべきでしょう。

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Date:09/11/27

今週、ミラノの工科大学で数人でミーティングをしているとき、「学術誌に載せるテクニカルパーペーで重要なのは、ディスカッションポイントだ。テストの目的や方法の記述ももちろん大事だが、このペーパーでどんな方向で議論できるかを色々と示すことがさらに重要視される。それが日本とヨーロッパの大きな違いだ。日本でディスカッションポイントは、そのような扱いを受けていないことが多い」という発言がありました。ヨーロッパ各国での研究経験が豊富な日本人エンジニアの言葉です。「だから、今までのテスト結果を使って、これがどう世に問えるかを早く示すことを優先すべき」と言葉が続きます。

これは二つの点で示唆的です。「ある事柄に対して120%十分なテストデータが出し切れる人は世界に誰もいない。したがって、このエリアは自分がイニシアチブをとると早く宣言をするのが勝ちである。これまでのデータで何がカバーでき、何がカバーできておらず、しかし、こういう方向とああいう方向の発展的議論が可能であるとヴィジョンを示すことができれば、有利な立場にたてる。それを第一優先にすべきだ」ということは、あるエリアで主導権をとるには、価値体系のありかを提案することが重要であるということになります。しかも、そこでいう価値体系とは、徹底した緻密さよりも、多くの人の考えを包括できる幅の広い。が、方向性だけは複数あっても明確なものということになります。

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今日、朝日新聞グローブでの一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授の石倉洋子さんの「ダボス会議は見に行くところではない」を読んでいて、上述との重なる部分を考えました。ぼくがここでよく書いている「全体性を掴む」ということが如何に大切かを、石倉さんは、以下のように書いています。

いま、世界級の人材に求められている能力とは何か。特定の分野について最新の情報を集めることは、グーグルなど検索エンジンを使えば、高校生でもできる。 必要なのは、いくつもの分野を横断的に俯瞰して判断すること、細部にとらわれず広い視点から考えること、断片的な情報から大きな構想をまとめること、全く 別の分野からアナロジー(似た事例)を探して新しい解決案づくりのきっかけにすることである。

これは全体を鳥瞰的にみれないと、価値体系の勝負どころが分からないということでもあります。勝負で有利に立つ、それも長期戦で有利に立つのは、ディテールの繋ぎ合わせでの評価ではなく、コンセプトの統合性で立ち向かわないといけないということです。よく日本のメーカーはモデルが多いと言われます。クルマも同じ会社のものとは思えないくらいに多い。そこで「何故、メルセデスやBMWのように、ブランドの統一感を図ってサイズで変化をつけていくことをしないか?」と日本メーカーに問うと、「彼らは、モデルが少ないからできるのだ。我々のように沢山のモデルを扱っていると、そうした統一性は出せない。いや、そうしたバラバラさことに、我々のアイデンティティがあると言って良い」と答えが返ってきます。

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要注意! この回答には、「我々はブランドをきちんと構築する思想に欠けていたので、結果的にこれだけモデルが増えたのだ」という反省点がありません。バラバラさの正当性の主張は言い訳であり、たまさかアジア的迷路が想起するカオスの魅力を味方につけて、事なきを得ようという気配を感じます。で、実際、ヨーロッパの人達に本音を聞いたとき、アジア的カオスが日本ブランドの良さであると積極的評価をすることはほぼありません。「ブランドとは思想であり考え方である。視覚化されるものはごく一部の結果であり、考え方を人々の頭に痕跡として残していくものである」と認識している人達に評価してもらうには、価値体系の構成が肝であることを知らなければならず、そこで、全体性です。

ダボス会議は、世の中に世界の課題を指し示す役割は果たす。だが、一つの解決策で意見がまとまることはほとんどない。

したがって、上記のようになるのです。それが世界のありようです。具体的な方法論ではなく、お互いがどこを見ようねと確認することに優先順位が高く、よって、そのなかでよりヴィジョン性の高い視点や価値体系を提示できた人が、次の具体的なレベルにおいてもリードすることができるのです。「そういう大局的で抽象性の高い話はごめんだ。具体的な段階になったら参加するよ」というのは、試合を初めから放棄していることと同義です。

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