『ヨーロッパの目 日本の目』 の記事

Date:10/4/3

日本で桜は春到来の代名詞です。パッと咲きパッと散ることが日本の精神的土壌を象徴しているようにも言われます。ぼくも桜を見れば美しいと思いますが、桜について語るタイプではないと自認してきました。およそ花見となると寒いことが定番で「花見で風邪をひいた」というエピソードはよく聞きます。ぼくはそれを聞いて「そう、そう、わざわざ寒い外で酒なんか飲めばそうなる」と冷ややかで、花見はぼくの語彙として登場することは稀でした。それが今週、桜に縁のある一日となりました。

世田谷にある長谷川町子美術館に日本画の岡信孝さんの桜の絵画が展示されているのを鑑賞し、近くの桜並木を散策。その近所の知人宅にて、作家ご本人を囲んでの食事会という趣向です。京都のお寺からもお客さんがみえ、特に桜そのものがテーブルの話題のメインでないにせよ、「桜が咲いている時期にこうして皆が集まっている」ことに共通の高揚感ともいうべきものが漂っているのではないかという気がしました。そうか、桜の効用とはこういうところにもあるんだなと、その時、ぼんやりとぼくは思いました。実のところ、ぼくが日本で桜を愛でるのは20年ぶりに近いわけで、桜を巡るメンタリティを相当に忘れていました。日も暮れる頃、今度は六本木に向かいます。

国際文化会館の庭園は別世界に誘うムードが普段から十分にありますが、ここで夜に開催される観桜会で宴会場から外に出ると一種幻想的に桜が存在感を主張せずして「そこあります」。それが何かを映し出していることは確かだなと感じます。その瞬間にはそう思わなかったのですが、そのあり方は松本洋さんの『半地球』の写真集で見て思ったことに近いのではと考え始めました。国際文化会館をベースに長年に渡って国際交流に尽くしてきた松本さんのことは著書『地球建築士』のレビューでご紹介しましたが、『半地球』と『地球建築士』で一つのワールドが見えるようになっています。

『半地球』は世界の隅々でと言う表現が不当であるー隅々には中心がありますが、世界は全てが中心で成立しているーことを証明するように、あらゆる地域で生活する人の顔があります。一方、『地球建築士』はそれぞれの顔が輝くためのアプローチとその経験を綴ったものです。ぼくはこの日、桜はそれ自身が主人公でありながら、それは常に何かのために貢献するためにもあると思いついたのです。そこで国際交流あるいは異文化交流における人の強さと哀しさの比喩に想念が動いたともいえます。その晩、松本さんとホテルのバーで酒を飲みながら、人を圧する文化と人に圧せられる文化について伺い、ここにしか現実はないし、この現実を少しでもマシにする態度が重要なのだろうと心の底で思いました。

観桜会のテーブルでたまたま席が隣で話題が弾んだお相手が、田北さんと佐藤さんでした(写真の左から)。田北さんはホテルニューオータニ内で歯科医をやっていて佐藤さんは秘書です。このお二人が非常にストレートに色々なことがらに意見する姿を見ていて好感がもてました。イタリアやクルマあるいはビジネス観など次々と話のネタになっていくのですが、こういう話題のなかでも何かは他の何かに貢献するためにある、という考え方が向こう側に見えてきます。自己完結型の思考に嵌っていない、必ず何か別のことに連携するために準備する気持ちが見え隠れするのです。このあたりの距離感に感心しました。ですから、その翌日、ホテルニューオータニの近くで所用を終えてiPhoneでメール受領をチェックしたとき、そのままホテル内のサロンー待合室というよりサロンという表現があいますーに足が向かったのでした。

桜は幻想的な風景を作りながら現実を直視せざるを得ないのですが、義務的な「せざるを得ない」ではなく、現実にしか宝がない究極の選択肢であるとの強調としての「せざるを得ない」です。ニューオータニで田北さん、田北さんの父上、佐藤さんと雑談を交わした後、今回の日本滞在で何度か通った麹町のバーに寄りました。その時、棚にあったある酒のボトルに初めて気がつきました。どっかで見たようなラベルだなと思い確かめてみると、日英通商修好条約150周年記念として販売されたウィスキーです。「ああ、そうか、このラベルは山下さんがデザインした紋章だ!」と分かり嬉しくなりました。下記、このボトルと紋章について書いたOpenersの記事です。

http://openers.jp/fashion/news/011.html

彼のことはぼくも紹介したことがありますが、たまたまその二日前に彼が遠い地で人生を送っていることを彼のメールで知ったばかりでした。そして偶然にしてバーで彼の紋章(下の写真の真ん中の棚の左から3番目)を見つけたものですから、現実の奇怪さに驚きながら、ロックでこの酒を飲みました。酒を舌で転がせながら、桜は現実を忘れるために見るのではなく、現実をよりよく認識する動機を得るためなのか・・・・と無粋にも思ったのですが、現実から逃避するほうが無粋かもしれないとも考えました。最後に結論がヒョイと飛んですみませんが、ぼくは「文化理解をビジネスに貢献するものとする」とのテーマの現実性に賭けてみることを新たに決意するに至ったわけで、それが桜にまつわる経験から生じていることは、ぼくもまんざら桜と無縁に生きているわけでもあるまいということでしょう。

Date:10/3/29

視点をたくさんもつことが重要、最低三つということをぼくは言っていますが、この視点というのはやっかいなもので、「視点をもてばいいんだよね」とわりと軽く言われると、「おい、おい、そんなに簡単にもてるもんじゃないよ」と言いたくなります。単純にいえば、三人の意見を聞く。たとえば、ある紛争事項に対して、二人ではなく三人の弁護士の意見を聞く。これは三つの視点というルールに準拠しています。これはこれでいいでしょう。もちろん、その三人の意見をよく理解できるということが、三つの視点をもつ意味であり、ただ違ったことを言っている程度にしか耳に入ってこないようなら、それは三つの意見を聞いたことになりません。

なかなか複数の視点をもつのが難しいというのは、どこに立てばどんな風景が展開されるかを、朝も昼も晩も、雨の日も風の強い日も含めて年間通して見る、あるいはそうなるであろうとかなりの確度で想像できていないと視点を確保したことにならないからです。世界をバックパッカーとして放浪したら世界的な視点をもてるかといえば、その保証はなく、100カ国を数年かけて獲得するのは、「バックパッカーとしての視点」であることが往々にしてあります。バックパッカーは社会に生きる人々の日常のなかには入り込まないから、その社会の全体像は見えてこないというわけです。しかし、旅人としての視点は深まっていくでしょう。よく世界中を旅して、週刊誌にも連載の多い某コラムニストの書く視点が相変わらず「純国産」なのは、ぜんぜん不思議なことではありません。が、旅は人にとって必要な行為です。

人によっても違います。これは経験の絶対量がモノをいうところもありながら、経験の絶対量の問題だけであるとは言い切れません。一つの経験からあるパターンなり構造をどれほどに推し量れるか?という能力の問題にも関わってきます。そして、ある時にはたくさんの人に会って行動するだけでなく、本をじっくり読んだり一人で物思いに耽ることをしないと、「視点の構造」を作りえないことになります。要するに、深みのない応用の効かない視点は視点とは呼びようがなく、それは天気の良い風のない日に軽装で展望台に立ったに過ぎないようなものです。

丁寧に生きていくしかないのです。一つ一つの時と人との出会い、経験に対する敬意と反省、そうしたもろもろの蓄積で視点とは形作られていくのだと思います。インプットしたものを垂れ流しにしていっての残滓で形作るものではないでしょう。視点をたくさんもつことができるか? それに対する答えは、誰にでもできることでありながら、誰にでもできると言い切るには人を見ないといけないということになります。「結局、人かよ」と思うかもしれません。が、そうです。結局、人です。

Date:10/3/21

昨日、六本木AXISビルにあるJIDA(日本インダストリアルデザイナー協会)のデザインプロセス委員会の4月からの活動の一環として、ローカリゼーションマップ・プロジェクトのキックオフが行われました。ぼくにとってローカリゼーションの歴史のはじまりは、自動車メーカーに入りたての頃に「クルマの開発に地域性を考慮すべきではないか?」と考え始めた頃ですから、25年以上前となります。その後、色々な分野の様々なプロジェクトに関わるなかで、「どこまで文化性を重視すべきなのか?」は、いつも悩みの種でした。建築空間での文化性から脱出する試みとして電子デバイスにいけば、そこにも文化性の問いはついて回ったということになりました。そして、カーナビのユーザーインターフェースの欧州向けローカリゼーションの仕事をはじめ、それは決定的なテーマとなったといえます。(←この経緯は、「僕自身の歴史を話します」のなかで書きました

そこで文化とは何を指すか?を考え始めたとき、政治学者の平野健一郎さんの『国際文化論』の「文化とは生きる工夫のすべて」という定義に出会い、それに基づいて『ヨーロッパの目 日本の目 -文化のリアリティを読み解く』を書きました。これが「ヨーロッパ文化部」プロジェクトのスタートとなり、講演会やセミナーあるいは勉強会で「ヨーロッパ文化を理解することが、ヨーロッパでビジネスをするに際して必須である」と語り始め、そのプロセスを本ブログやヨーロッパ文化部ノートで記してきました。ぼく自身、ヨーロッパの経験が長いがゆえにヨーロッパを題材に文化理解の事例を紹介してきたのですが、この切り口では多くの人の関心を引き寄せるには不十分であると感じてきました。特にリーマンショック以降、中国やインドなどの新興国がビジネスの焦点になっているところで、ヨーロッパへの関心が低下していることを認めざるをえませんでした。

ぼくが語る趣旨は同じなのですが、アングルの調整が必要であると感じたのです。話を個人的レベルに落としこめると受け手が自然に思える切り口でないといけないのではと思いました。「ああ、ヨーロッパのことか。観光としてはいいけどね」「日本の外のことには関係ないなぁ」という反応ではなく、「これはぼくの今の生活のダイレクトに使える発想だ」という風に。そうなってはじめてテーマが広がることを実感できるようになるに違いない、と。しかし、その突破口は、どこか近くにあるようで何と表現するのが良いのかはっきりと分かりませんでした。「ミラノサローネ2010」を出展者を想定対象に書きながら、自分で書いて「これかな?」と思ったのが、「ミラノサローネ2010(10) サランラップのカッター」です。

花王の日用品市場は電機業界でいえば白物家電の世界です。携帯電話のローカリゼーションはユーザーの地域文化より世代文化が優先されることがありますが、白物家電はユーザーの地域文化が尊重されるフィールドです。日本の全般的企業文化をグローバルなそれにしていくには、日用品と食品分野の海外市場の実績が有効に働きます。味の素やキッコーマンなどのローカリゼーションの苦労話が他の分野に生きるのです。ニンテンドーDSやソニーのPSの市場は、どこの国でも「イチ、ニー、サン」と声を出す空手や柔道の論理だといってよくーまたまたアイドル文化を中心とするコンテンツ業界もー、ここに線をひかないといけません。何度も書いているように、クルマもハイブリッドやEVと高級車では、受けいられる表現言語が違います。後者が地域文化重視です。花王の海外戦略が楽しみです。

ミラノサローネに出展するあなたは、あなたの発表する作品が、いわばローカリゼーションマップージャンルや製品の種類によってローカリゼーションの必要度が異なるーのどこに位置するジャンルなのか? それを明確にすることが大事です。

上記の内容をマッピングしていくプロジェクトを作ることが、文化に親近感をもつファーストステップになると思い、それをどう進めていくかを1月31日、ヨーロッパ文化部ノートに書きました

必ずしも、各エキスパートが正確な知識や情報に基づいて描く必要はなく、「こういう考え方ができるのではないか」というイメージ提案ができればよいと思 う。そのために、「ローカリゼーションマップ研究会」とでもいうべきチームをボランティアベースで立ち上げ、意見交換をしながらカタチにできないかと思う のだ。

製品ごとにもつ世界観の違いを基点に文化の全体像がみえてくる・・・そういう構想だ。製品企画の人たちの参考資料になることもある かもしれないが、それは該当業界からすれば「ちょっと違うかな」という違和感があってもいいレベルを良しとするから、ポイントは各業界を超えた全体像に迫 ることを目指す。

このことで滞在中、いろいろな人に話してみようと思う。

日本に着いて2-3日後の文章です。そして2月、Twitterやその他でコンタクトをとれた人に片っ端から会いました。なるべく知っている人には会わず、初めて会う人を増やしていきました。そのため事前にスケジュールはあまり決めず、常に自由に行動できるようにしておき、何かイベントがあれば顔を出す、人と話す、ブログにそのことを書く、という繰り返しを行いました。そういう動きの中で、ローカリゼーションマップは個人ベースへの落とし込みができそうだという感触を得ました。そして、それについて確信をもったのが、3月第一週に幕張で行ったFOODEXです。ぼく個人でも、何百という人と七味オイルとオリーブについて実際に試食してもらいながらコンセプトを説明しました。結果、「七味オイルはラー油みたいだね」「オリーブは漬物ですね」という文脈の読み替えをお客さんが自分自身で試みたケースが商品を理解されるベストパターンであることが確認できました。

そこで、昨日の話は、冒頭に七味オイルPRのYouTube動画をもってきて、ローカリゼーションは食品や日用品の世界から見えていくとセンシティブに分かってくると話したわけです。何人かの参加者から「ローカリゼーションの理解は海外向けの話だけでなく、国内のビジネスでも使えますね」とコメントを頂き、個人ベースに置き換えるという汎用性が肯定されたのではないかと思いました。Twitterにおけるコメント(#lmap)にもありますから、「題材は海外でも適用範囲は無限」という公式をセットできるのではと思います。このプロジェクトをカタチにすべく努力することは大いに意味があるであろうと思った暴風の夜でした。

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