『ヨーロッパの目 日本の目』 の記事

Date:10/11/1

数日前から日本に来ています。ローカリゼーションマップ研究会の食の勉強会を皮切りに、動き回っています。29日は六本木でiidaの発表を覗いたり、「リアル中西」で喉をガラガラさせたり・・・と。日経ビジネスオンラインの「異文化市場で売るためのモノづくりガイド」も2回目がアップされ、メキシコでの「マルちゃん」の受容のされ方に多くの方が興味をもっていただいたようです。というわけで、11月18日(木曜日)新宿リビングデザインセンターOZONEでセミナーを行います。タイトルは、「異文化市場をデザインから理解するーローカリゼーションマップへの試み」です。日経の連載を一緒にやっているデザイナーの中林鉄太郎さんとのトークです。

<以下、セミナー案内より>

日常生活をとりまくプロダクトは、それぞれの国にあったデザインで成立するのが理想です。しかし、昨今のグローバルに展開するモノづくりの時代では、国境を越えて文化を想 像することが必要になってきます。しかし想像だけでは、消費者に違和感を強いる無理が生じます。これが刺激となって楽しい場合もありますが、ビジネスの世界ではよりシビアになってきます。

このユーザーの文化にマッチすること(=ローカリゼーション)への期待度をジャンルごとにマッピングしてみようというのが、ローカリゼーションマップの趣 旨です。このローカリゼーションマップは商品企画やデザインあるいは市場戦略策定の一助になるのではないかと考えています。目的は異文化市場を狙うときに 何をおさえればいいのかというキーを手にすることです。

異文化市場というと言葉、歴史、地理…、様々なことをインプットしなくてはいけないというプレッシャーを感じ、これを理解しないと全体が分からないのでは ないかと不 安に襲われます。その解消の鍵の一つが、実はデザインを通じた文化の読み解きです。道案内の地図の書き方一つとっても、そこに文化の差異がみえてきます。 目に見えるあらゆるモノやコトのデザインを通じて、日常生活を理解していく。例えば、ヨーロッパの街と日本のそれを比較して気づくことが、台所にも同じよ うにあるのです。日用品、家具、自動車、食などいくつかの事例から異文化市場の理解を試みます。 ローカリゼーションの視点は、海外市場だけでなく、国内「異文化市場」にも応用できます。デザイナーや建築家あるいは企画関係の方などにとって、新たな発 想やヒントを獲得するにきっかけになるでしょう。

日時:2010年11月18日(木曜日) 18:30-20:30

場所:リビングデザインセンターOZONE 8階セミナールーム
〒163-1062 東京都新宿区西新宿3-7-1 新宿パークタワー

申し込みはこちらから

Date:10/10/25

日本人と欧州人の思考パターンの違いの一例として、拙著『ヨーロッパの目 日本の目』や日経ビジネスオンラインでイタリア人の書いた地図を紹介しました。

ミラノに住むイタリア人の描いた地図だ。スイス国境近くの別荘までの道を教えてくれた。目的地までまっすぐの1本の道。NOと書かれているのは、「高速道 路のここで出るな!」という指示だ。彼は、出口があるたびに「ここは違う」と、クルマを運転しながら独り言を言っているのだろう。

描いた本人はコンピューターエンジニアではない。80代の経営者だ。この種の地図を描く人を日本ではあまり見ない。およそ日本で教育を受けた人は、紙の上を北にし、鳥瞰的な地図を収まりよく描く。

ところが、ヨーロッパでは、1枚の紙で出発点から目的地まで描き切れない人が珍しくない。住所が、町名ではなく、通り名で成立しているのはご存じだろう。

今まで、この80代の男性ってどんな感じの人なのかと何人かに尋ねられたので、ご本人の許可をもらって、ここで公開することにしました。ミラノ工科大学を卒業し、戦争中はアフリカで捕虜になった将校。その後、いくつかの会社の幹部として渡り歩き、現在は大きな病院の会長職にある人です。89歳になった今も週二日は職場に向かいます。歴史にはめっぽう強いし、レシピ集を作るくらいに自分で料理もします。絵画を描くのも好きで、別荘のある村の古い教会に自作を寄贈し、壁にかけられています。「あと300年もすれば、あの絵画の人間は誰だ?と言われないかなと思ってね」とウィンクします。ある聖人の肖像画なのですが、描いた本人にかなり似ているのです。この30年くらいは版画に取り組み、イタリア美術史に残る作品を版画化し、最近、それらをミラノに近い生誕の地の博物館に寄贈しました。下は、それらの作品を眺めているところです。

さすがにこの1-2年は市内の決まった場所にしか行きませんが、いまだFIAT500のハンドルを握ります。其の前までは、つまり86-7歳までは、上に引用したスイス国境近くの別荘までの2時間の道を奥さんと二人で出かけました。首がよく動かないので、高速道路の進入路から本線に入る時は、奥さんが助手席で後ろを振り返り「さあ、今よ!」と合図をしていました。相当に危険なドライブですが、二人三脚でいけば何とかなってしまうのです。かくいう70代の奥さんも実にエネルギッシュで、今年、子供のための本を出版しました。凄いのは、自家出版でもないのに、出版社との直接取引きで自分で販売を手がけることにしたことです。

政界の大物や大手スーパー会長に直筆の手紙を添えて本を贈りチャンスを狙い、青空市場に小さな台を出して終日立ちっぱなしで販促に努めたりと驚きの連続です。一日外に出ればどこか道や店で知り合った人に一冊売ってくる。郵便局に何かの振込みにいけば、そこで窓口の人と雑談をしながら一冊売るのですーイタリアの郵便局の窓口が混むのも当然だ!-。「どうせ、売れないだろう」と先走りして考えない。前に進めば必ず何かが変わるという信念のもとは何なのだろう・・・といつも思います。

Date:10/10/23

最近の中国との衝突でも色々な歴史観がでてきていますが、ドイツとユダヤの記憶のあり方など、このテーマについて大いなる議論が繰り返しなされています。もちろん、より悲劇を背負った側がある一時期を切り取って長く記憶におき、そこまでの悲劇を伴わなかった側は比較的忘却症に陥りやすいということがあります。よくエピソードにでる朝鮮半島における秀吉に対する思い方、あるいは南太平洋における日本軍の争いに関する思い出。これは歴史教育だけでなく、ある一定の時間への感覚の異なりによるのではないかと考えることがあります。

太平洋のある地域においての50年は日本での1年であったりする。これは全く不思議なことではなく、子供にとっての1年は大人にとっての2-3年にも相当したりすることを思い起こせば、なるほどと思うはずです。子供には「このあいだ・・・」は2-3日前であり、大人にとって数ヶ月前ということもあります。また以前、イタリア人はなぜ遅刻するかでも書いたように、5分や10分の捉え方も違います。ある人にとって「ちょっと待ってね」は2-3分であり、ある人にとっては30分であるわけです。ある会社では「近いうちに実施に移しましょう」は2-3ヶ月を指し、ある会社にとっては1-2年であったりもします。これだけ時間への感覚が違うということが明らかなわりに、この差異が政治や経済活動でどれだけ事前確認がとれているのだろう・・・というのがぼくの疑問です。

物理的距離の違いについては、エドガー・T・ホールを引用して日経ビジネスオンラインの今週のコラムにも以下書きましたが、ホールは時間についても言及しています。

そのホール氏は、「違った言語には違った感覚の世界がある」とも書いている。違った感覚とは、人と人が面と向かって話す時に不快に思わない距離感も指す。30cmを親密性の象徴として喜ぶ人と、同じ距離を煩く思う人がいる。

個人差もあるが、およそ国や民族によって、その感じ方の傾向がある。アングロサクソン系よりラテン系のほうが距離を縮めたがる、とか。そうすると、身を寄せてきたラテン系に、アングロサクソン系はじりじりと後ずさりする。

これと同じようなことが時間にある。当然、6-70年前の事実への感覚が違う。したがって「まだ、そんなこと言ってるのかよ。うんざりだ!」と悪態をつくか、「なんで、あいつらはまだ十分に過去になっていないのに、知らんぷりをするんだ!」と怒鳴るかの間に、時間意識の差という要因があってもちっともおかしくないのです。だから話し合っても無駄というのではなく、このギャップを認識したうえで話し合わないといけません。

男女間にもあることで、男性の方は女性と喧嘩した時に、絵巻物のように過去の非が昨日のごとく目の前に繰り広げられて唖然としたことがあるはずです。それを「女性はああいう考え方をするものだから、そのまま受けるしかない」とか「男は忘れっぽいけど、まあ、それがいいのよ」と解釈して片付けるのが普通です。こういう身の施し方が、例えば異文化のビジネスでどれほどに使われているかというと、案外、井戸端会議の話題枠を出ていないことが多いのではないか・・・ということがとても気になるのです。

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