『ヨーロッパの目 日本の目』 の記事

Date:09/11/2

昨日、三島の料理屋で社会学者の八幡さんと酒を飲み交わしながら話した内容を、少々かいつまんでメモしておきます。日本に滞在して約1ヶ月になりますが、この1ヶ月で「やはり」と「えっ!」を交互に感じたエピソードや人の言葉を思い出しながら、ぼくの今考えていることを話していき、それに八幡さんが多くのコメントをくれました。

「世の中で一番長期にわたって一定のポジションをとれるのは、思想性のあるものの普及だ」というコメントは、ぼくが強烈に実感していたことです。人の考え方に影響を及ぼすことがブランドの強さであり、よく言われるブランドの作り方や仕掛けはいわば二の次です。「アマゾンもグーグルも成功する前から、そこには強い思想性というか哲学性を感じた」ということです。先週、御嶽山に滝修行に一緒にいったアイルランド人が「自分の名前が売れることより、いつのまにか自分のコンセプトが世の中に普及していることに最大の喜びを感じる」と語っているとぼくがいったら、「それは聖書の考え方だね」と八幡さんは答えました。

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それでぼくは前々から思っていたこと、「松下幸之助や本田宗一郎などが語る哲学は成功しはじめてからの内容が強く、事業をはじめる以前に本当に考えていたことはどれだけあるのか・・・」という疑問を提示し、彼らが事業家として大成功したことと、彼らのブランドが世界で「哲学的に」定着しているか、という二者に乖離があるのではないかということについて、八幡さんも同様の感想をもっていました。ネスレ、P&G、ユニリバースなど大きなシェアをもっている会社は、そこにいやおうなしにあるフィロソフィを感じますが、それと同様のことを日本企業で感じることは稀である、と。

「面白い考え、革新的な思想の多くはケンブリッジやオックスフォードから出ていて、ハーバードじゃないんだな。後になって本人を米国に連れてくることはあるけど・・・」と八幡さんがシンボリックなエピソードを出してくれましたが、有用の学からではなく、今の世の中では無用の学といわれがちなフィールドこそが、世の思想を引っ張っていることを認識すべきでしょう。先週、明治大学の管啓次郎さんも「経営学はその社会で通じる言葉を習えるかもしれないけど、それ以上のものではないよね」と言っていましたが、八幡さんは「経済学のように数学的に把握できる内容が学問の成熟度をあらわすとしたら、哲学は一体どうなるんだ?」と語ります。ぼくはこうした内容を反芻しながら、東海道線の上り電車に乗り込みました。

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ビジネスに関する多くの論議のなかで、この長期的戦略のベースになるもののコアが、実は空虚であることを指摘する人がいても、それはビジネス的ではないと退けられがちです。しかしながら、結局のところ、ブランドの裏づけとなる思想を確固としたものに形作らないと、それは効率の悪いビジネスの再生産を繰り返すことになります。聖書は毎年億の数で出版されているのです。これをブランドビジネスの面から考えてみてください。

そして、これはデザインについてもまったく同じです。英国人の若いデザイナーが「教養のないデザイナーってナンボのもの?」と語ったとき、ぼくは「これでは、日本のデザイナーは負けるな」と思いました。日本の製造業が海外に拠点をどんどんと移し、日本のデザイナーがデザインをする舞台を失った時、日本のデザイナーに何が求められるのでしょうか? 頭と心の両方に痕跡を残す試みがどうしても必要です。何を見て、何を見ないか・・・の選択を前にした判断が大事です。そして、それは人を頼ることなく、一人の領域を意図的に広げてやることです。

Date:09/10/31

今週も都内を駆け回り、いろいろな人と話し合いました。話題は、ヨーロッパ、文化、デザイン、ビジネス、食、現代、政治・・・とさまざなのですが、ここである共通する空気を感じます。それは、いずれにせよ社会を変えていかざるを得ないという意思が固まりつつあるという空気です。ただ嘆くだけでなく、とにかく、自ら一歩を進めるしかないじゃない、と。もちろん、そういう気持ちを強くもつ人と会うのが、ぼくがアポをとる動機となっている以上、当然といえば当然ですが、それでも覚悟のほどが強くなってきている人が増えてきていると思います。

でも、じゅあ何をすればいいかというより、誰がどう動けばいいのかという考え方をする人もいます。しかし、基本的には自分が動くしかないのだとの思いがあります。首相が何かを決め、何かを言ったからといってすべてが動くわけではないという世の中の仕組みを知った人たちは、結局は自分なのだということを悟ります。だが、残念ながら、自分が行動の主体と考えるわりには、自分がすべての解釈の主体になるとの意欲にはいまいち欠ける。それが2009年10月にみる日本の風景ではないかと感じます。

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あいかわらず、現状という世界を仰ぎ見ています。現状は自分をも含む世界の全体とは思わず、現状をどこか次元の違う空間にあるものとして考えがちです。だから、解釈の主体を「他の誰か」に求めようとします。が、それを続けている限り、いつまでも自分の世界観を作ることができません。人は他人の世界観で自分の人生を生きるのは難しく、自分の世界観にのってこそ、難しくても前へ進むエネルギーをより多くもてることができます。

そうした個々の世界観がある方向をおなじように示し始めたとき、ある空気が醸成し、それが社会の合意を作っていくのでしょう。それまでに時間はかかりますが、できない話ではないという感覚をどこまで自分で信じられるか、これがひとつの壁になります。だからこそ、どこかにいる同じベクトルを探し続ける。やや大袈裟かもしれませんが、これが人生だも言えます。旅はなかなか終わらない・・・それでいいんです。

Date:09/10/19

先週のことを週末に書こうと思っていたのですが、叶えず。まずはヨーロッパ文化部ノートに「駐日ドイツ大使の講演会」「JETROでの勉強会」で書いたように、自分より若い世代にヨーロッパ文化について語りかけていくことが大事なのだと痛感しています。もちろん同世代も、その上も大事なのですが、ある会話でピンときました。

上記の集まりとは別のところで、夕食を何人かでとっていたのですが、そのときに新聞記者の方が「我々の世代が日本の社会を変えていくしかない。上の世代にはお引取り願い、我々に任せて欲しい。我々は団塊ジュニアで数が圧倒的に多く、ここで日本を変えていかないといけないと、後にチャンスがない!」と強い意志を示しました。すると、同じ30代後半の国会議員の方が「そうだ、同じ気持ちだ」と言いました。

30代の人たちの焦燥感をひしひしと感じました。今までもここで何回かネット上でみる「世代間ギャップ」「世代間論争」には触れてきましたが、自分たちが今やらないと後がないという状況認識は正しいと思います。全員が全員、このような気概をもっているわけではありませんが、この世代がもつ危機感に対応することが重要なのではないかと遅まきながら気づいたのです。そして、やはり圧倒的にフットワークが軽い。JETRO内の勉強会をオーガナイズしてくれたのも30代の方です。

閉塞状況への打破と新しい社会のあり方を考えている人たちはどの世代にもいますし、それは個々人の問題であることは確かです。が、ぼくが話しているビジネスにおける文化理解の重要性は、ヴァーチャルのリアリティをどれだけ肌身で知っているかがベースになります。とすると、それなりの電子機器デバイスやネットの経験を人と日常で語り合うことがないと、テーマへの親近感に欠けるのだと思います。もちろん、そういう側面からだけでなく、時代の住みにくくさを体のなかで感じているのでしょう。だから、社会変革への切望度と必要度も高いのです。

話は変わります。ぼくはオリーブオイルのビジネスにも関わっているのですが、そのために先週は、トスカーナに住むドイツ人のメーカーオーナー(上のハイパーリンクにあるYouTubeのビデオの主人公)と一緒にスーパー、デパート、ワインバーなど新しい市場の開拓のために足を棒にして歩き回りました。そこで感じたのは、東京ではエスニック食材が割とプレスティージが高いということです。ヨーロッパで南米や中東などエスニック食材店は街の中心ではなく、移民の多い街のはずれにあり、ある特定の階層を除いて、あまり積極的に足を運ぶことがありません。それにたいして都内では「外国人の客が多い」ことは、トレンディのしるしになっており、日本人のフォロアーがつくという構造が「いまだ」にあります。

「地産地消」という言葉のもとに生産者の顔がみえる国産の食材がかなりの価格で取引され、一見、輸入食材は劣勢のような風景があるようにも見えますが、一橋大学大学院教授の石倉洋子さんがいうように「ORからAND」の今、どちらの食材にもマーケットがあることが、上の例でもよく分かります。実際、国産品を売りにしているレストランでも、メニューをよく見ると、輸入品が少なくありません。「売り」と「実際」のギャップをよく把握しないと、表面的な空気で判断が左右されます。これは危険です。

銀座から西麻布に移ったレストラン・NARUKAMIはミシュランの星つきです。創作料理が中心ですが、ぼくは、ここで夕食をとって新しい経験をしました。それは何かというと、食事をして頭の中が開放されたことが感じられたのです。どの皿も嗅覚を心地よく刺激してくれるのですが、目と口あるいは鼻だけでなく、頭のなかが自然に楽しめるというのは面白い経験です。自由な関係性が、現実に迫ってくる。多くの創作料理が「こういう方向できたのね」という感想を抱かせますが、ここではそういう頭の働きを促すのではなく、結果として頭が開放されたことが後で分かるというプロセスをとりました。話は冒頭の内容に戻りますが、ヨーロッパ文化に関する話も、こういう快感が味わえるような経験を提供できればいいのだが・・・・と思いました。

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