『ヨーロッパの目 日本の目』 の記事

Date:10/3/14

今の日本の閉塞感の原因がどこにあるかということをあまり突きつめても仕方がないだろうとは思っていますが、今週、なんとなく気になることがありました。木曜日、国際文化会館で英国のシンク・タンクDEMOSアソシエイトであるジョン・ホールデンが「国境を越える文化の価値ーひとりひとりが造る『文化外交』」というタイトルの講演会を行いました。「政治が文化を造るのではなく、文化が政治を造る」という表現はぼくの頭にもフィットします。エリートのハイカルチャーの時代ではない、文化に全体的な合意は難しいということはぼくも同感です。キャリア上仕方がないことでしょうが、コマーシャルカルチャーに対する切り口と深さが不足していて、これが文化を相変わらず経済活動から孤立させる遠因になっているのではないかという印象をもちました。

ここで気になったのは、「文化活動の評価はいかなるものか?」という会場からの質問です。どうも「評価」という言葉がどこへいってもキーになっています。しかし、ある対象を孤立化させての「評価」ということ自身が自らを袋小路に追いやっていることをあまり気づいていないのではないか?とふと思いました。そして、それと同じことを翌日も感じたのです。国際フォーラムでのアイルランドのグリーンテクノロジーに関するセミナー(冒頭の写真)でも、スマートグリッドの「評価」とプロモーションする場合の経済的モチベーションが会場からの質問にありました。あるテーマが前にあれば、個人的動機と評価がついてまわるのは当然のことですが、その質問に答えられないと先に進めないという余裕のなさがあります。そこで一方では、「文化の評価なんかできるわけがない。長期的に後で気づくもの」という突っぱねたコメントが出てくることになります。これは、全体の姿の見方に不十分があるからではないか・・・そんなことを二日連続で思いました。

国際フォーラムでのセミナーを終え、次のアイルランド大使公邸でのレセプションまで時間があったので、ダブリンからきたフレーザー・マッキム(昨年、彼と一緒に御嶽山に滝修行に出かけた話を書きました。冒頭の写真のパネラーの右端)と一緒に浅草に行きました。彼の奥さんが、以前、浅草の店で和風のケータイカバーをみて、買おうか買うまいかたいそう迷ったあげく買わなかった・・・・が、ダブリンに戻る機上の人になって「ああ、あれは買うべきだった!」とつぶやいたから、是非ともそこの店に行きたいと言うのでつきあいました。フレーザーの日本文化への傾倒を見ていて考えるのは、観光地あるいは観光向けとわりあい否定的にとらえられる側面は、もっと積極的に見るべきではないかということです。彼は「日本の文化はゴシックである」と語るほどに教養ある人間ですが、その彼が褒め称える「日本らしさ」は、日本人の目からすると「観光向け」と思えるものが多々あるのです。それを「趣味が分からない」と言うのではなく、多くの人は観光向けの所から入り込む事実を重要視するほうが大事ではないかと思ったのです。敷居の低さは誰にとっても求められる要件だろう、と。そういえばジョン・ホールデンもツーリズムが文化外交にとって注視すべき活動であることを強調していました。

アイルランド大使館公邸におけるレセプションは、相変わらずギネスビールが主役です。イタリアのパーティと比較するとやや地味な印象ーそれは人であったりファッションから判断するのですがー、パーティの終わり近くになってケルトの歌を歌い始める青年がいました。青年というよりは年齢が上かもしれませんが、ケルトの与えるムードが青年のもつ清清しさをかもし出しているという意味で、「アイルランドの青年らしさ」を感じないわけにはいかないのです。その青年らしさは、その翌日である昨日、土曜日のパーティでも思いました。ウエェスティンホテルでの晩餐会「エメラルドボール」に参加している人たちの表情からもうかがえます。しかし、アイルランド人だけでなく、ここにいる日本人でも青年のような人はいて、水産会社をやっている橘泰正さんという方は、「現在、海外で生魚が多く食べられるようになったが、生魚はすべて氷を入れて冷やせばよいというものではなく、種類によって保存の仕方が違う。こういうことを海外の人に教えていきたい」と熱く語っていました。彼は800種類もの魚のデータをもっているとのことで、ぼくは魚の世界の話に思わず引き込まれてしまいました。

アイルランド人の青年らしさに話を戻すと、下の写真のフレーザーは少々違った表情をしていますが、スピリットは青年です。

Date:10/3/8

日本のアニメなどで表現される「かわいい」ポップカルチャーが、欧州で公的には隠す領域に属すことを以前、「可愛い女の子が座るスペースと場所」で指摘しました。

AKB48的な「可愛い女の子」を受け入れる社会のなかでのスペースの広さとポジションが常にチェックの対象になります。そこには、往々にして「幼児性」というイメージが想起されるからです。これは社会的に視覚化するのではなく、個人的に隠す方向にいく傾向にあります。

しかし、ぼくは常に未来永劫そうであると言っているのではなく、時間の経過と領域の変貌に注視すべきという意味で言っています。また地域的な差もあります。フランスでロリータファッションの紹介をすることと、イタリアでそれを見せることでは、傾向として似たような反応があったとしても絶対数に違いがでてきます。

ヨーロッパで東洋人と結婚をした男性たちが、割とよく語っていることに、「強すぎない女性がいい」という表現があります。どんなに強いと思われる東洋人で も、ヨーロッパの弱い印象を与える女性よりは「癒される」と言った意味合いが含まれています。AKB48のドキュメンタリーを見ながら、考えたのは、この ことです。AKB48に熱い人達はネットで日本のアニメなどに情報を集めている人達ですが、そういう存在は確かに一定の層を占めています。その彼らが、社会のメインの価値を作る人ではないが、無視できるほど小さくもなく、且つそのレイヤーは増加することはあっても、減少することは当分なさそうです

先週の土曜日午後、東工大の世界文明センター主催のシンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性」2日目、「日本的未成熟をめぐって」を聞いてきました。モデレーターの東浩紀が、趣旨のなかで今の現象をこう書いています。以下、抜粋します。

そもそも日本的なものとはなにか、クールとはなにか、なんの合意もありません。クール・ジャパンへの視線は、単なる日本趣味であったり乱暴な産業振興論であったりすることが多く、当のクリエーターはそれをとても迷惑がっている。そんな光景もしばしば見かけます。

ぼくは、これを読み、乱暴ではない産業振興になりうるべき「日本的なるもの」がシンポジウムの重要なテーマになるだろうと想像していました。日本的なるものの定義に合意は不要であり、それぞれが一人一人で作業していくものだと考えており、そう考えなかった間違えがトヨタのレクサスにはありーしたがって欧州市場で失敗したー、その逆を仕掛けたー自分で日本美術の定義を行ったー村上隆の躍進があったのだと思います。また、日本の工業製品がなぜ欧州でガジェットとして見られるか?というところで、幼児性や未成熟とどう繋がってくるかを考えることは、丁寧な産業振興論になりえます

その観点でシンポジウムをみた時に一番有意義な発言を重ねたのは村上隆であったと思います。黒沢清が自分の映像を「スタイリッシュで静か」と受け止められることを発言の基点においていましたが、学生相手にベーシックな話をしたとすればそれはそれでよいのですが、いずれにせよ、そうした「見られ方」をすること、あるいは自分自身でももう一つの視点にたつと「そう見えること」を当たり前の認識をもつことは基礎的な素養でしょう。

尚、日本的未熟性を西洋論理の超克への積極的手段として意味を見出すことは、自然との共生ででてくるエコロジー思想と似たところがあります。曖昧であること、弱くあること、これらが発想の転換に繋がることは否定しませんが、ある世界観を多くの人たちに理解してもらうためには、「曖昧であること、弱くあること」も説得的である必要があります。村上隆が「早晩、ぼくの作品は欧米でスポイルされていくのでは・・・」と語っていたのは印象的で、ぼくは、まさしく、この説得的であるべき世界観の構築が市場の維持と拡大には重要であると彼が認識しているのではないかと想像しましたー彼は、今までも説得的であろうとしてきたし、それを実行してきたと思うのですが、それを更に発展させないといけない、と考えているという意味で

<上の2番目の写真は、先週の幕張でのFOODEXが終了した後のとある中国ブースの様子です。どこもごみも含めてきれいに片付けているなか、中国ブースには、こういう光景が散見されました。何をユニバーサルな価値の優先順位とするか、何を無視するかを考えるとき、こういう後片付けの差異を検証することも重要です。即ち、ごみを放置をする説得的な論理をもてるか?ということです>

Date:10/3/4

幕張メッセでの食の祭典も3日目。座る時間もなく立ちっ放しの日々は、馴れない身にとっては相当しんどいだろうなと想像していたのですが、思ったよりは椅子を求めないで過ごせるものだと思う今朝でした。立ちっ放しでまったく見知らぬ方に声をかけ、反応をみながら話を色々な方面に振るのは疲れないわけではないですがーいや、正直言うと、ぼくは同じ話を繰り返すより、色々と題材を振るほうがすきなのですがー、その瞬間瞬間に得る膨大な情報量ーそれは素振りであったり、目の色が変わるポイントも含めてーは何事にも変えがたい魅力があります。

上の写真は10時の入場スタート前の準備状況です。必要な商品や試食分を揃えます。この時刻は海浜幕張駅からメッセまで歩道を人が埋め尽くし、会場の外では登録所の前に長い列ができている時間です。しかし10時を過ぎてすぐスタンドの前を人が流れるわけではなく、この頃は会場の端から見ようとする人、目指すゾーンを探し歩く人の時間帯です。そうした人の塊が我々輸入ゾーンに押し寄せるには30分程度の時間が必要なようです。11時過ぎあたりから皆さんの食欲も出始め、午後3-4時頃までがピーク。その時刻以降、終了の午後5時くらいまでは試食でお腹が一杯になった人たちが、試食対象をより厳選しながら歩いている印象をうけます。そういうなかで、今日はTwitter経由で訪問してくださった方が初日と2日目よりも多い日でした。

先週末に神田のギャラリーに與語直子さんの写真展を見に行った記事は日曜日に書きましたが、この企画実行に関わった大西さんと田中さん(写真の左から)。また一橋大学の学生たちと勉強会をしたエントリーを2週間前に書きましたが、彼らもブースに来てくれました。たまたま一緒になったので記念撮影です。ぼくは彼らに商品開発の意図やローカリゼーションの意味を説明し、YouTubeのPRビデオを見てもらいました。そして、イタリアゾーンや国産ゾーンに行って各種の商品をみたうえで、我々の商品コンセプトを理解してくださいとお願いしてみました。

彼らの二人(写真の右二人)は数時間後にブースに戻ってきて、こう語ってくれました。「外国製品の良さは良さですごく理解できた。しかし、その商品が輸入市場である規模のビジネスをするためには、それらの商品を日常生活レベルに上手く落とし込んでいかないといけないと思った。そこでローカリゼーションのノウハウが重要だと考えた」と。それで、ぼくは食品や日用品の世界とクルマの世界の違いなどについて話したのですが、彼らは腑に落ちた表情をしてくれました。

今回、試食をしていただいている幅広い世代の何百人かの方から「美味しい!」「面白い!」「このコンセプトは初めて!」という言葉を聞きました。特にシェフや若い世代の人たちから、圧倒的な支持を得たのがとても嬉しいのですが、そういうなかで、若い世代が上述したような理解を示してくれたのはもう一方でさらに深い喜びがあります。それは彼らが、輸入品への要望事項としてだけではなく、世界戦略への基礎として把握してくれたからです。我々日本人だけがローカリゼーションに煩いのではなく、どこの国の人も一様に同じような要求をもっています。それをどう当たり前のこととして思うか。やはり、これを抽象的な言葉と具体的なモノやコトの両方で示していかないといけないと再認識したTwitter日和の一日でした。

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