さまざまなデザイン の記事

Date:09/4/7

前回書いたように、この10年くらいでミラノサローネを巡る風景は大きく変わりました。分野、規模、それぞれに大きくなり、デザインウィークとしては圧倒的な力を持つに至りました。パリやケルンあるいはロンドンにはない集客力を誇っています。しかし、それと同時に、独特のテイストとでも呼ぶべきものが喪失していく過程でもあったかもしれません。伊藤節さんは、「それこそ文字通り、サロン的なよさみたいなのが消え、サローネはただひたすらに忙しい日々という感じになってしまいましたね」と話します。このイベントをミラノという場所でやる意味がどこにあるのか?NYでもいいのではないか? ということを自問せざるをえない気持ちになるようです。

巨匠も含め久しぶりに会う人達との年1回の大切なひと時ではなくなり、デザイナーはそれぞれ自分の発信に大忙しで、友人や仲間の作品を見るために各所に足を運ぶということが至難の業になったといいます。伊藤さんも、去年は最後の日に駆け足で見学したとのこと。アルキミア、マンジャロッティと経験して独立した伊藤さんからすると、20年前のキラ星のごとくいた巨匠たち、それこそ若いとき胸がわくわくしてたまらないデザイナー達がこの世からいなくなってきた最近は、「どうしても見ておきたい」というモチベーションが下がっているのかもしれません。

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世界中のデザイナーから熱心なアプローチをうけ、スタジオに呼んで会って話してみると、ソットサスを知らなかったりする。すると伊藤さんはがっかりしてしまいます。「ソットサスより、ぼくが有名だなんて・・・」「ネットで沢山名前が出てくれば、それで評価の高いデザイナーと思ってしまう風潮があるようで・・・」 と。確かにそういう傾向はあるでしょう。しかし、どの時代に共通の「時代の変遷」としかいいようがない現象の一つでもあります。

こういうなかで、サローネ時期に数多出品されるプロトタイプの作品をどう思うか聞いてみました。新作出品の8割がたはプロトとも言われます。サローネでの評判をみて、量産するかどうか決めることが多いのです。

「ぼくの経験では、モノになるのはかなり低い確率です。つまり量産に繋がらないってことです。今、ぼくは量産になると決まった作品しかやりません。プロトにはヘキヘキです。先行投資にしては効率が悪すぎるのです」「量産になる作品というのは、世の中に以前見せたデザインではだめで、かつメーカーの商品戦略に沿っていないといけないわけですね」

そういう意味でいうと、見本市会場の横で実施されるサテリテはデザイナー自身の戦略を含めた「感性」のプレゼンテーションの場であり、それに対するフィードバックから何かが生まれることを期待する場所だ、と伊藤さんは説明します。そこに発表した作品にメーカーの人が来て、そこで本当にビジネスが生まれるか?といえば、それは期待薄と言うべきだ、と。ビジネスは、そこで生まれるかもしれない人間関係の「次」にくるものだからです。

<写真はEURO3PLUSTのGOEN+ENTAです>

Date:09/4/7

先週の金曜日、イタリアのある会社のマーケティング担当と雑談しているとき、突如、「MADE IN ITALYって、何だと思う?」と聞かれました。その会社はMADE IN ITALY のブランドをキープすべく、全ての製品に品質検査の人間のサインを入れるなど徹底したプロセス管理をしています。

ぼくはすぐさま「イタリアの全てで使ったもの。たとえ、イタリア人の職人を連れて、イタリアの機械と素材をもって中国で作ったとしても、MADE IN ITALY とは言わない。そこにはイタリアの文化全てが揃っていない」と答えました。ぼくは、イタリア文化の全てを肯定的に捉えているわけではありません。マイナス要素もプラス要素を成立させる要件である。そのことを言いたいのです。どの部分が良くて、どの部分が悪いとは分類できない、その総体がブランドを作っている限りにおいて、スケッチがよく、プロトが駄目とか分析していてもあまり意味がありません。

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その前日の木曜日、ミラノで約20年、建築家と工業デザイナーとして活躍してこられた伊藤節さんと、ミラノサローネを中心テーマにして色々と雑談をしました。いわば放談です。「結局のところ、ミラノサローネのために実質的に動いているのは3ヶ月くらいなんですよね」と彼は語ります。4月にサローネが終わり、うかうかしていると6月末で、すぐ夏休みの季節。9月になって「さぁ!」と言っているうちに11月。クリスマス休暇をはさみ、11月から4月の初めの期間の、実質3ヶ月が勝負時で、全てが決まるというのです。

「それでいいのか?」というわけですが、伊藤さんもそれを駄目と言っているわけでもなさそうで、ぼくも「何かをやる集中力って、そのくらいでちょうどいいんじゃないですか」と半ば茶化しながら肯定します。1年間、ずっと目を吊り上げていれば何かできるわけでもなく、緩急ある時間の進み具合に身を委ねたときの身体感覚が、アウトプットにある深さと意味を込めるに必要なのだと思います。

その時間感覚ですすむミラノにいて、伊藤さんは現在のミラノサローネを積極的に肯定しているわけではなく、かといって否定的にあからさまに攻撃するわけでもありません。アルキミアにいた彼はメンディーニのエピソードを出しながら、こう語ります。「メンディーにくらいの巨匠でも、サローネは嫌なんです。できれば、その間、海外出張でもあれば願ったりみたいですよ。要するに、自分が祭りあげられるのも含め、もろもろのデザイナー達と競争させられているのが眼前に繰り広げられるのが苦痛なんです」

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プロである限り仕方のない運命ですが、その辛さがぼくにも想像できないわけでもありません。特に、全てがカタログ的にみせられ、しかもサローネが企業ブランド戦略としての性格が強くなれば、巨匠たちの声はかつてより相対的に小さく聞こえがちです。そう、昨今のサローネです。彼は1998年の思い出を話してくれます。イタリアのメルセデスベンツが、自分のショールームで伊藤さんの個展を開いてくれたときのこと。

メルセデスベンツミラノの社長が、伊藤さんを伴って雑誌インテルニまで出かけ、フオーリ・ディ・サローネのカタログに、この個展を掲載してくれと頭を下げに行ってくれたのです。インテルニがフオーリ・ディ・サローネを年々規模拡大していったのですが、1998年、掲載の選択権は当然ながらインテルニにありました。そのお目にかなうかどうかが問題だったのです。掲載料を払って掲載する現在と比較し、カタログの厚さは薄っぺらいものでした。

ぼくも覚えていますが、あの頃は、カタログ掲載イベントの80%制覇はさほど難しいことではありませんでした。去年、約500のイベントと言われましたが、10年前はその5分1くらいだったのでは・・・というのがぼくの記憶です。

<ガラスのテーブルはFIAMから出品するSHINTO。エクステンションダイニングテーブルです>

Date:09/3/30

先週と今週の二回に渡り、日経ビジネスオンラインで川口盛之助さんが、乳幼児玩具メーカーのピープルを取り上げています。今日の記事では、赤ん坊がパパの新聞をグシャグシャにして遊ぶ様子をヒントにした「赤ちゃん新聞」が紹介されています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090325/190023/?P=4&ST=spc_fl

ごく普通の新聞のようなデザインの布切れで、記載されている内容は同社の商品ラインアップの紹介やユーザーの投稿記事などです。表裏の布地が縫い合わされた袋構造になっていますが、ミソはその間にサンドイッチされたセロファン状の薄いプラスチックフィルムです。

このフィルムのおかげで、触ると派手にグシャグシャ音が出て、手放すと元の形に戻ります。赤ちゃんは新聞やチラシのグシャグシャが大好きです。本能的な握り締めたいという衝動に加えて、お父さんが難しそうな表情で開いてはめくっている姿を見て真似してみたいと思う興味津々の日用品なのです。「まず手に取る→くしゃくしゃにする→口に入れて味わう→口の周り真っ黒」という事件はどこの家庭でも経験があるでしょう。

そして、記事はこの商品を生み出したピープルが社員に求める質と傾向を列挙しています。

(1)人間に興味がある人 → 道具感の根幹意識が人間理解
(2)センス頼みよりとことん考え尽くせる人 → 本質思考
(3)手足が先に動く人よりナゼナゼ?の穴に入り込む人 → 帰納的思考より演繹的思考
(4)観察力と嗅覚に価値を求める人 → 常時持っている仮説アンテナが高い
(5)商品ハードだけでなく広告や店頭販売まで総合的に仕様を捉える人 → 演出家の視点

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ぼくは、これを読んでいて「そうだろうな」と思いながら、最近、読んだユーザビリティの黒須正明さんが書いた「文理融合」に関するコラムを思い出しました。特にインターフェース研究のおける「文理融合」は「人工協調(人間科学と工学の協調)」ということになりますが、工学系開発者が人間について人間科学系専門家に聞かざるを得ないことに何か無理を感じ、そもそも工学系の人間のタイプ、言ってみれば人間への関心度という面(上記の1)が大きな鍵なのだろうと考えます。

http://www.usability.gr.jp/lecture/20090305.html

文理融合という表現は、正確には「人工融合」というべきだ、と考えられる。工学で何かを作ろうとする場合、それが人間に関係している場合には、人間に関係した科学的知見が求められる、ということだ。

まずプロジェクトの目標としている開発に関連した知見を、人間科学系の研究者が既存の知識のなかから持ち出してきて、それを解説する。ああ、人間はそういうことがあるのか、それならばこういう風に作らなければならないだろう。工学系の研究者はそう考えて、アイデアをひねる。

黒須さんは、結局、文系の人間は工学系の人間の「使用人」という立場であることが多いと、実に示唆的なことを指摘しています。幼児向玩具とインターフェース研究という違う分野ですが、川口さんは、今週の記事の冒頭に、玩具の世界について以下のように書いています。

大人界で注目の「みんなで鍛える全脳トレーニング(脳トレ)」や「∞(無限)プチプチ」などの設計思想が何年も前から開拓されてきたこの業界。「Wii」や「iPod」などで話題の直感操作も、当たり前のようにずっと以前からこなしてきており、ある意味ユーザー・インターフェースの最先端を開拓する業界でした。

一人の人間の総合力ということを考えさせてくれる事例です。ぼくは比喩の一つとして、「女の子とつきあったことのない男の子に、インターフェースの開発なんてできるのか?」ということがあるのですが、どうも女の子より赤ん坊のほうが手ごわそうです・・・。

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