さまざまなデザイン の記事

Date:08/5/20

「メインカルチャーへの敬意」です。メインはサブカルチャーに対応するものです。ハイカチャーと言っても良いでしょう。もともと大衆文化に対比して位置づけしますから、かつて大学の教養科目に入ってきたような哲学や純文学などが対象になります。ただ、ポップミュージックや漫画も大学での研究対象となってきている今、 全てがなし崩し的にメインカルチャーになった感もあります。いずれにせよ、こうしたメインカルチャーに対する敬意が残っていて、それがより日常生活に近いところで生きている。それが欧州文化だと思います。

ピエール・ポランはそうしたメインカルチャーは、20世紀に入り凋落の一途であったと語っていますが(会員限定のコンテンツで、ピエール・ポランのインタビューをお読みください)、21世紀の現在、19世紀的貴族文化を求めるわけにもいきません。メインカルチャーに若干の権威主義的な排他性があることは事実で、それに対する反逆的な動きもありましたが、上位にある文化を貶めないメカニズムが一方で強く働いているのが欧州なのです。以前、日本のコンテンポラリーアートとメインカルチャーとの繋がりに関心をもったイタリアの研究者のことを書きましたが、「メインカルチャーはそれをどう見るか?」という観点が参照されることが多いのです。

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サブカルチャーもメインカルチャーも何となく曖昧な線引きになりつつあるのは確かながら、でもメインカルチャーの吸引力が強くある。欧州のその特色を忘れていると、思わぬところからの至極全うな意見に戸惑うでしょう。サブカルチャー特有のちょっとしたお祭り騒ぎに、冷水をかけられた気になるかもしれません。ぼくは、メインカルチャーあってのサブカルチャーであり、サブカルチャーあってのメインカルチャーという二つのバランスはとても重要だと考えており、両方への目配りは大切だと思っています。

Date:08/5/19

欧州文化の特色、二つ目です。「コンテクストの存在」と書きましたが、コンテクストとは、テキストを共有するという意味です。つまり、同じベースをもっているかどうかということです。あくまでも日本との比較ですが、日本では歴史の把握に連続性が欠け、皆が同じように持つべき知識や観念が断片的になっているのに対し、欧州では、「まだ」共通の話題が持てる傾向にあることが、コンテクストの存在を挙げた理由です。

その筆頭は、キリスト教になります。カトリックやプロテスタントなど色々と分かれていても、キリスト教という括りでいけば、 聖書の内容をどんな欧州人も何らかの角度から触れることができます。以前のように日曜に教会に通う人は少なくなりました。クリスマスや復活祭など、何らかのイベントの際にしか教会に出かけない人が多くなりました。かつて洗礼をうけたけどそのままという人が多いなかで、しかしながら、小学校から宗教の授業がある(選択制であっても)など基礎メカニズムは失っていません。

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教養という点でも、共通のテーマがあります。ギリシャやローマ、あるいはルネサンス文化について語り合うことは、日本で飛鳥時代や平安時代の文化を語り合うより易しいでしょう。 それは、教養の範囲が分散していないからです。欧州での教養は、東洋の文化について知っていることを期待されていません。もっと日常生活に関わることで言えば、食生活がそうです。日本では和食にプラスして西洋料理とインド料理と中華料理が家庭料理化しています。しかし、欧州ではよほどの人でなければ、外食で中華や和食を食べても、自宅ではそれらを作りません。

このように、話題や選択肢の範囲が比較的限定されていることが多いことが、一見、新しいことにノリが悪く見えたりすることもありますが、話題になるテーマについては、やや深いところまで突っ込むことができるようになります。ここで少々注釈を加えておきますが、ぼく自身は、日本の多選択主義を悪いとは思っておらず、欧州が逆のタイプだからこそ、日本が多くの国の文化についても詳しいのは優位性をもつのに効果的であろうと考えています。しかし、それにしても、冒頭で述べたように、あまりに断片が浮遊するような姿はいけないでしょう。

Date:08/5/16

3月より続けてきた「2008 ミラノサローネ」ですが、まとめに入ります。このシリーズは欧州でデザインを発表し、欧州の人たちに受容されるために何に配慮すると良いかを書いてきました。「ミラノで発表された」という事実をもって日本市場へPRするという目的の発表は除外しています。それでは、欧州文化とは何をもって特徴づけられるのか、それについてぼくの意見を書いておこうと思います。何かの教科書に書いてあることではなく、ぼくの経験上からの言葉です。「連続性へのこだわり」「コンテクストの存在」「メインカルチャーへの敬意」「多様性の維持」 と昨日列挙しましたので、今日は「連続性へのこだわり」を説明します。

連続性とは、論理的連続性、地理的連続性、 時間的連続性、この三つを指します。まず論理的連続性、これは(3)で書いた「ヨーロッパの人たちは、パワーポイントではなく、まずワードでびっしりと文章を書くことが多いです。もちろん分野にもよります。あくまでも比ゆ的な話とし て読んでください。目の前に陳列されているのがプロトであれなんであれ、この文章に書いてあることを理解することがキーです」が該当します。道を覚えるのも、通りの名前を連続で水平に覚えていきます。日本人の多く、特に男性が鳥瞰的にゾーンで覚えるのとは違います。

地理的連続性、これは地続きであることを指します。 それにより、ある商品開発をするとき、少なくても近隣の数カ国の市場を同時に想定します。想定できるほどの、ある程度の文化的勘が働くのです。すなわち何も経験もないところに勘は働きませんから、近隣の人たちとの接触が何らかの形で経験があるということになります。イタリアであれば、ドイツ、オーストリー、スイス、フランス、これらの国の生活がおよそのところ、商品企画者かデザイナーの頭には入っています。

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時間的連続性、多くの石造りの建築が時代によって様式や意匠を変えるように、常に前の時代との接点があります。1950年代にボローニャという共産主義の強い都市で、「歴史遺産の保存は革新である」と都市計画者が宣言しました。それまで歴史尊重は右派的は考え方であるとみなされてきたのです。そして、これが、欧州の都市計画で先端的な考え方となりました。(27)で「新しいデザインは歴史との対話で生まれてこそ長く生きれるものとなります。過去の名作に勝たないといけないのです。そのためには、十分に考えるある程度の 時間が必要です。静かな空間でじっくりと過去と向き合い、新しいデザインと出会い、そして同時に色々な分野の文化潮流を俯瞰することです」と記しました。

次回は「コンテクストの存在」について書きます。

 

*(27)は実は二つあります。間違ってダブって番号を書いてしまいました。ここでの(27)は「トリエンナーレのデザインミュージアム」のほうです。