今日は「ヨーロッパ文化の伝え方(4)」を書くつもりでしたが、その前にこの記事を。ミラノのデパート、ラ・リナシェンテは1950年代からデザイン振興に貢献してきて、コンパッソ・ドーロも当初はラ・リナシェンテがスタートさせたことは、以前書きました。しかし、1990年代は比較的普通のデパートで、高級品でも低級品でもないあまり当たり障りのない品揃えをしていました。それでいて、品質は必ずしもよくはありませんでした。それがこの数年、大幅な路線変更で、ブランドショップが連なるようになりました。日本のデパートと同じです。空港のブランド免税店のような風景になってきました。いっぺんにではなく、階ごとにじょじょに改装を重ねてきました。そして、今まで食器や台所商品がメインだった地下一階が、この春、セレクトデザインコーナーになりました。Designsupermarket というフロアーです。

コンランショップやソニーはブース的な空間を作り、多くのブランドは見通しの良い棚が全てです。デザイン書籍があり、カフェ的空間もある。このデパートがミラノデザインをリードした一時代を思い起こすなら、こういうイニシアチブは評価するべきなのだと思います。ミラノはデザインの街だといわれながら、デザインを一覧できる場所がありませんでした。トリエンナーレに昨年初めにオープンしてデザイン博物館は、ミラノやイタリアのデザインを見渡す場所として、遅まきながらできました。ただ、モノを売る場所ではなく、そういう場所は、コルソ・コモ10などの断片を自分で組みあわせていくしかありませんでした。

そういう状況のなかで、このラ・リナシェンテの「デザインスーパーマーケット」は、ちょうどあってはならない穴を埋めるべくして埋めたという位置づけになるのかと思います。しかし、コンランショップがありソニーがあるように、またイッタラがあるように、イタリアデザインで全てを埋め尽くしているわけではありません。カリム・ラシッドはビトッシの商品ですから、イタリアに範疇されてよいですが、そうではない商品も多いわけです。

ぼくはイタリアの商品で全てを飾るべきだとは全然思わないのですが、商品をそろえるのに結構苦労したのではないかと思わせるところが気になります。実際、そんなことはなく、売込みが激しかったかもしれず、今もそうかもしれません。でも、そういう厳しさを感じさせないムードがあるような印象をもってしまうのです。それぞれには良いデザイン商品であっても、それを隅々まで浸透させる場所としてのブランド力に、どうも力がイマイチ達していないのではないかという思いを抱いてしまう。この不足感は何なのでしょう。

結局、他人のふんどしで相撲を取ろうとする今のラ・リナシェンテのあり方が「場所力」自身を低下させているー一連の改装は売り上げの上昇傾向に貢献していることが一定期間あってもーだろうことが、どうもイタリア全体の商品力を物語っているように見えるのでしょう。ただ、世の中の最高級品と低価格品ばかりの二極化は、ブランドではない普通の品質の平均的な価格の商品を駆逐していることを表していますが、ラ・リナシェンテの「デザインスーパーマーケット」は方向としては、その中間層の再生に目が向いているようにも見えなくもなく、判断するためにはもう少し時間が必要かなとも思っています。
ちょっとソワソワしてきます。別に誰を応援するわけでもないのですが、衆議院選挙が近いとなると、なんとなく祝祭的な時間が展開されるように思えるから不思議なものです。どこの国も政治はめちゃくちゃと言えばそうで、何がきちっとしているのか分かりませんが、日本の国政がきちっというイメージとかけ離れていることは確かでしょう。
イタリアも頻繁に政局危機が訪れるし、あっけなく政権が変わる姿をみると、「もっと欲があっても良いのでは」と思うこともあります。最近、ベルルスコーニ首相が18歳の女性と付き合ったとか、ローマの自邸で娼婦に金を払ったとか色々と報道されていますが、真相はよく分かりません。当の18歳の女性が「彼こそは本当の恋人」と若い男性とのキスシーンを見せたかと思えば、「いや、あれは全てでっち上げだった」と彼氏が告白する始末です。九州の某知事の「少女」との関係以上に破廉恥と見られるコンテクストがありながら(ヨーロッパのほうが日本より、こういう問題に関してセンシティブであるという意味)、一方で、「政治家は自分の仕事をちゃんとやっていれば良い」と寛容なとりなしをするのもイタリア国民です。アングロサクソン系の「私生活も含めて全てはクリーンであるべき」という見方と若干差があります。

何が両国で違うかというと、イタリアでは知識階層ともいうべき人達も、広場で何時間も雑談を繰り広げている人達も、政治的な見識を放棄していないことでしょう。そのレベルを言っているのではなく、見識をもつべきとの志向性です。最近、イタリア思想史の本を読んでいたら、「イタリアの思想をリードしている哲学者は、美学からはじまる人たちが多く、彼らが、自分の領域を超え、政治、経済、社会に積極的に発言していくのが特徴」という文章がありました。彼らは都市論や建築まであらゆるフィールドを相手にしていきますが、これは逆に、ガエ・アウレンティのところで述べた、建築家の政治への関心という問題とクロスしてきます。
そして、もう一つ言えば、これはイタリアに限ったことではないのですが、「世の中を良くする」と言ったときの世の中の広さの違いです。日本である時期から「国益」という言葉がよく使われるようになりましたが、明らかに世の中とは日本列島だけを指していることが多く、その隣にある国でさえイメージのなかに入っていない。何も常に地球全体のことを頭の中に入れろといっても無理な話しですが、「向こうと隣」くらいはいつも自然な形で世の中に入る考え方をして欲しいものだと思います。あることで主導権をとる、とれない、というのは、ある広さの地域を頭のなかで想定したうえで、どう枠組みを作っていくか?です。その広さが頭のなかにない。これは大きな問題です。少なくても、頭の中は広くなくてはいけない。「〇〇市では地震の被害がすごかったようだが、XX市では無傷でよかった」というのが、XX市の市議会議員ならいざしらず、国会議員であっては困るということです。
フランス人デザイナーのピエール・ポランがチャールズ・イームズに敬意を払っていたことは、「ピエール・ポランに会いに行く」というエントリーで「イームズはテクニック以外のことで人を満足させようとしない、潔癖な人だった」という言葉を紹介しました。また、プリアチェアをデザインしたジャンカルロ・ピレッティのイームズ称賛ぶりも印象的で、「ピレッティと語り合おう」で以下のように書きました。
「チャールズ・イームズが他の誰よりも抜きん出ていることはすぐ分かったけど、本当にそのすごさを理解するには少し時間がかかったかもしれないな。わたしが彼と実際に知り合ったのはね、カステッリがパリでプリアをプレゼンしたときだった。そのとき、ハーマン・ミラーがアルミニウムグループをプレゼンしたんだね。」とピレッティはイームズとの出会いを思い出します。ポランもイームズを絶賛していますが、彼は自分でも内気だというくらいなので、イームズと近くにいる機会があっても話しかけませんでした。ピレッティはその点積極的でした。
「ネルソンはハーマン・ミラーの責任者だったわけだが、 彼はイームズの作品をみて、自分より優れていると思ったんだね。それでイームズにデザインを頼んだ、責任者としてね。ブラボーだと思うだろう。ネルソン自 身もいくつかデザインしたが、イームズのように記憶に残るものは何も・・・・。イームズは歴史をつくったけど、ネルソンは少しだけ。でもネルソンは賢かっ た。だからイームズに『おいで』と言えたのだね。」 この部分、才能を存分に発揮する人間と、存分に才能を発揮させるマネージメントのよい関係を示してい て、興味深いですね。

ぼくはイームズという名前を聞くと、どうしても、これらの言葉を思い出します。実は今朝、明治大学大学院に通う宇野澤昌樹さんからイームズの映像作品『パワーズ・オブ・テン』のYouTubeのリンクを紹介され、この大宇宙から体内の原子核の世界までの旅を映したショートフィルムを見ながら、ぼくが探しているユニバーサルポイントって何処にあるんだろう・・・と考えました。先月、管啓次郎さんと宇野澤さんと一緒に酒を飲みながら、「ユニバーサルとは何でしょうね?」と話していたのですが、宇野澤さんは、ユニバーサルとユニバースの関係性を示唆してくれたのです。

ぼくがユニバーサルに拘っているのは、特に電子デバイスのインターフェースを前にしたときのロジックストラクチャーのユニバーサルとローカルのレイヤーの設定を考えるところからスタートしています。つまり地域や年代ごとに違う文化がユーザーの思考タイプをどのくらい規定するのか?というのが出発点でした。イームズが表現する、シカゴの湖畔で昼寝する男性をズームアップする世界は、いわば動きとしては垂直であり、ぼくは水平に目線を動かしていたというわけです。ポランが言うイームズの合理的思考の徹底振りが、ピレッティの指摘するネルソンとイームズの差異になるポイントであったのだろうとぼくは考えてきましたが、「この垂直の目線の動きが、イームズの家具デザインとどう関連していたと思いますか?」とポランにはもう聞けなくなったんだ・・・と、やはり今朝、ポラン夫人の「あまりに突然の死で、まだ本当とは信じられない」というメールを受け取り、あれやこれや思うのでした。