さまざまなデザイン の記事

Date:10/12/28

F1の開催国が中東へアジアに移行してきたことが、驚きとはならず当たり前の風景として展開されてきています。サッカーの世界のニュースも同様です。ヨーロッパと極東の日本の間にあった空白が、色とりどりのイベントで埋められいく・・・かつて学生時代、パンナムの世界一周便の飛行機で東京→香港→タイ→インド→バーレーン→英国と南回りで飛んできたことを思い出す・・・アジア・中東ベルト地帯が表舞台になってきています、表面上は。くどいようですが、あくまでも表面上です。

ヨーロッパの相対的地位の低下が2010年、特に強まったわけではありませんが、「もう自分たちの場所に潜在力のある大きなマーケットはあまりないよな」ということを、これまた街の隅々の人が口に出していうようになってきたとは言えるでしょう。今まではヨーロッパのなかでしか活動してこなかった人たちが、インドやアフリカに出かけるようになりました。しかし、F1やサッカーの例にあるように利権は自分の懐に入れたままです。表面上、中東やアジアが表舞台に出ることをやや顔を引きつらせながらも、虎視眈々とネタを探ってきた結果であり、ヨーロッパのもつ見えない資産の威力を中東やアジアも求めている結果です。日本が焦っているのは、ここに大きな要因があります。新興国が力を持つにあたって「利幅の大きい役得」をヨーロッパや米国に求めながら、さほど日本には求められていない、その差です。

2000年に入り数年間、ミラノで生まれた息子をみて通りを歩くイタリア人たちが「日本語とイタリア語を喋れていいね」とありきたりの言葉を残していきました。こちらが「いや、中国語のほうがいいかも」と答えると、「いや、いや、中国人はちゃんとディシプリンされていない連中だから、日本語のほうがいいんだよ」と外交辞令を含めて言い返してくるものでした。しかし、2005年頃からは「そうね、中国語のほうが有利かもね」とはっきりと言われるようになりました。要するに、日本の地位低下が、同じように地位の低下を続けているヨーロッパの街角の隅々にいたるまで認識されてきたということです。それは、今までよりはお洒落な中国人の経営する日本食レストランの増加と並行しています。食という「利幅の大きい役得」の源泉をみすみす取られてしまったのです。

日本人の板前さんたちは、「中国人は日本のオーセンティックな味を守らずに安上がりでやっていてずるい」と文句を言ってきましたが、中国人は「あんたたち、ナニ言ってるの?ローカルなお客さんが喜ぶ料理を提供してナニが悪い?」と答えます。2010年の日本の対世界の大きな変化の一つは、ここにあります。中国人の提供する日本料理のビジネスセンスは批判の対象とはならず、学ぶべきことではないかという認識がじょじょに広まりつつあることではないかと思います。そして、遅まきながら、「利幅の大きい役得」とは何かを具体的に探りはじめたのが経済産業省が主導する横断的プロジェクトのクールジャパン事業でしょう。弱体化している民主党の成長戦略の一環であることが危うさを感じさせますが、「利幅の大きい役得」という軌道に入りこむことは必須であることは否定しがたいです。

Date:10/12/27

年は強制的に変わるものです。しかし、今年のことは来年に上手く繋げたいし、来年になれば今年のことが滑らかに押し進んできたことを実感したいと思うものでしょう。ここに何か適当な言葉はないかなと思っていたら、ふと「渡し舟」という表現が思い浮びました。かつての渡し船は橋に変わり、多くは陸続きになっているのが現代社会ですが、年をまたぐには橋ではなく渡し舟の感覚が似合うのではと思ったのです。だいたい橋は往復イメージが強すぎる!

そう、どんなにあがいても往った年は繰り返さない。でもなんせ365日も共に過ごした年をおろそかにするなんて馬鹿なことは考えないほうがいい・・・というわけで、今年を振り返ってみようと思うわけです。まずは、世界全体の動きから。

特に何かのサイトや雑誌で振り返るのではなく、ぼく自身の記憶に残っている「感触」から言います。2008年に突入した世界不況は、2010年において、2008年末のマスメディアを騒がしたような状況には至りませんでしたが、その影響が世界の街角の隅々までいきわたったといえるでしょう。産業間の時差ー例えば自動車や電機と建設業の時差ーは2009年に既になくなっています。2010年は、その時差のないなかでストラクチャーがもろに浮き彫りにされた年です。別の表現にすれば、換えるべきストラクチャーが明確になってきたということです。街の隅々とはこういうことです。アジアの新興国のことがこれだけ語られるのも、このストラクチャー変化の一表現とみるべきでしょう。

ギリシャの破綻あるいはスペインやアイルランドの苦境の話し、あるいはドイツの回復基調は、それぞれ一緒のレベルで語ることができないかもしれませんが、言ってみれば輝かしい未来がある地域だけに自律的にあるのではなく、新しいストラクチャーとの組み合わせにしかありえないことを認識させる現象の数々といえるでしょう。新興国の輸出先としての先進国という捉え方は既に古い地図であり、およそ先進国という表現自身、相当に色あせたものになっています。G8からG20が象徴的です。もちろん現実としては大きなギャップが地域ごとにあるのですが、経済先進国は結局のところ「先行きが行き詰った国」です。しかし、開発途上国や新興国も「今後に将来があるように見えるが、その先に行けば行き詰るだろう国」でしかない、今のところ。

即ち、考え方や見方の見直しが非常に重要になっています。あれだけの厳しい労働に日々の糧を見出していた中国人移民の子供が、「もう、お金じゃないですよね」と語るのを聞き、世の中の価値観の変貌のスピードに驚きました。伝統は生きるが、伝統に生じる綻びを見逃せない・・・とことさら実感する年でした。

Date:10/10/3

フォルクスワーゲンがアルファロメオを欲しがっているとか、それは冗談だとか色々と噂がありますが、アルファロメオのブランドイメージがフォルクスワーゲンにとってプラスになると考えるのはかなり妥当な考え方ではないかと思います。フォルクスワーゲンでは絶対感じられない柔らかをアルファロメオはもっている。ラテン的テイストが必要と思うなら、それはアルファロメオをおいて考えられない・・・というほどにアルファロメオには神話が盛りだくさんにあり、抜きがたいほどに歴史にはまり込んでいます。自動車の歴史だけでなく、いわば社会史にも。よって100周年にあたり、ミラノのトリエンナーレで時代変遷を大枠で表現することがとても自然に見えます。無理がない。

クルマを取り囲んで、その時代の新聞、アート、工業デザイン、アルファロメオが登場する映画の数々。これらを読み眺めながら、一度じっと見つめたクルマを再度チラチラ見るような仕掛けになっています。見学者の動きを観察していると新聞の記事をかなり熱心に読んでいる人が多い。日曜日の午前中とあって、わりと年配の人が多く、だから古い新聞に惹きつけられるのかもしれません。

それにしても、古い新聞の威力は凄いなと思います。どんなに有名な陶器やプロダクトデザインよりも、其の時代への共感度がいっぺんに伝わっているようです。ムッソリーニが戦争をはじめたとき、新しいローマ教皇が選出されたとき、ベルリンの川をほぼ泳ぎきったときに東独から銃弾が体をつき抜けたとき、フォンターナ広場で爆弾が爆発したとき、モーロ首相が誘拐され殺害されたとき、政治汚職の一掃がはじまったとき・・・・あまりに暗い話題のほうが多いような気がしますが、シリアスなテーマほど人の心に残っている。そういう事実に向き合ったのだろうかと考えました。しかし、およそ一面を沢山割く話題は衝撃的事件のほうが多いということなのでしょう。

この展覧会を見終えてトリエンナーレの庭に出ると、あの望遠鏡のような筒がまだ残っていました。ミラノサローネ2010で書きましたが、これがありました

天体望遠鏡のようなカタチをしたチューブが10本あります。しかし、これを覗いても空が見えるわけではなく、その中に書かれている10種類のメッセージを 一本一本覗きながら読んでいくのです。一度読み始めた人は、かなりの確率で次のメッセージを読み続けていきます。これは空から降ってきたメッセージではな いかと思わせる仕掛けがあることにだんだんと気づきます。

息子が気に入って、やはり全部読んでいました。それも、この筒の中で声が反響するように、大声で。この様子を眺めながら、もう一度、それにしも・・と書きます。あのアルファロメオが、それぞれに暗雲が垂れ込める時代を生き抜いてきた。その強靭さを表現するために、あの新聞の記事がもつ暗さを生かしたのだろうかとやや穿ったことを考え始めました。そう思ってもおかしくないし、だいだい、トラブルが続く時代が長く続き、平和な時代は短い。だからこそ、その一瞬の輝きに目が奪われる。アルファロメオはその比ゆを担っているんだろうか・・・と思いながらセンピオーネ公園を散策しました。

Category: さまざまなデザイン | Author 安西 洋之  | 
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