さまざまなデザイン の記事

Date:11/5/27

先日、「朝日と夕日は違うのか?同じなのか?」というタイトルで、今見える風景は、多分に過去の経験に依存していることを書きました。「世界は同じになったね」という台詞自身は同じでも、それまでに歩んできた道によって意味が違う。「軽いデザインが求められる」という傾向は、重厚なデザインが尊重されたヨーロッパで軽くなることと、もともと軽さが基調であった日本において軽いことが尊重されることと意味が違うし、実際、求める軽さの絶対値に差異があります。上の写真はパリのデパート、La Grande Epicerie ですが、日本的感覚からすれば重いでしょう。

日本とイタリアの食文化の融合実験」で、トスカーナのエキストラヴァージンオイルと七味唐辛子ー長野善光寺の八幡屋礒五郎ーとのコラボ商品が、日本国内の店舗でどう陳列されているかを紹介しました。七味唐辛子からスタートするか、エキストラヴァージンオイルから見るか。2番目の写真は、La Grande Epicerie の店内です。ヨーロッパでは軽めの空間ではありますが、柱や梁の太さとの対比が、軽さのポジションをよく物語っています。ミニマリズムでもないし、オリエンタルの軽さでもない。空間の余裕と棚の曲線が軽さの要因になっています。

ここに、エキストラヴァージンオイル(下から4番目のケース入り)と七味オイル(下から3番目の赤いケース入り)があります。イタリアやフランスのオイルに囲まれ、日本の味が入っているオイル。日本大好きの純日本を探してやまぬフランス人は、もしかしたら、正統派を語りはじめることでしょう。「こういう組み合わせは日本にない!」とーいや、日本でも、この商品が唯一で売っているんですが(笑)-、日本人が中国人の寿司を批評するような口ぶりになるかもしれません。そこまで日本に入れ込んでいるわけではないフランス人は、「なるほど、こういうアイデアがあったのか。面白い!」と買ってくれるのではないかと思います。入り口の違いが、態度を決めますしかも、それは結構、あとをひく

日経ビジネスオンラインの連載でキッコーマンの醤油についての記事を書きました。今、欧州は毎年10%以上の伸びを示していますが、アジア市場は3%程度。それはキッコーマンの醤油は所得があがらないと購買層が出来てこないからなのですが、アジアには醤油ーあるいは似たものーが沢山あります。どうして値段が高い日本の醤油を買うのか?という消費者の動機付けが必要です。似たものが多いから売れるのか?似たものがないから売れるのか?皆が同じなかでちょっと違うから売れるのか?とにかく、コンテクストの生成は、それまでの経験の量と質により異なることだけは間違えがありません。

 

 

Category: さまざまなデザイン | Author 安西 洋之  | 
Date:11/1/2

あけましておめでとうございます。

昨年は夏から秋にかけてエントリー数ががくんと減ってしまいましたが、先月よりまた以前のペースに戻しつつあります。ブログは「これ、ブログに書くほどではないか」と思いはじめると急に書けなくなります。「これ、どうかなと思うけど、メモだと思って書いておこう」程度に気楽に構えるのがコンスタントに書くコツのようです。まあ、そういうわけで若干のスランプ(?)を脱しつつあります。あまりテーマも絞らず、より自由に書いていきましょう。テーマを・・・なんて考えると、どうも自分の周りに囲いができたような気になるから。

昨日知ったのですが、今年のミラノのアートフェアは4月8日から11日です。これって、サローネとぶつける気?と思ってサローネの日程を確認すると12日からなんですね。ミラノのアートフェアはボローニャやトリノと比べて存在感がないと言われてきましたが、この日程、かなり意味深です。サローネと同じ時期にぶつけずに直前でやるというのは、サローネのためにミラノに早めに入る人たちを呼び込もうというのでしょうか。アート業界はデザイン業界とは別のサイクルと次元で動いてきましたが、サローネ動員の恩恵を蒙ろうかと思うのも自然でしょう。さて、それがどれほどにインパクトを与えるのかは、4月のお楽しみとしておきましょう。

元旦の昨日からイタリア人が1900年初めに書いた子供向けの小説を読んでいます。”Le maraviglie del Duemila” という題名なのですが、100年後の世界、つまりは2003年に主人公二人が出会う世界を描いています。未来小説です。体を機能停止にする薬を発見したドクターが、それを自ら使って100年間「休憩」し甦るわけです。財産は全て金に変え100年後に備えるなど、これは1000年後のタイムマシンが今できても使う知恵だろうなと思います。金は既に「最終的価値」ではないですが、不況になってその価格が上昇するように、それこそ「黄金の法則」として金の価値は維持されてきています。「金は1000年後にも価値を失わない」と予言してあたっても誰も感心しないでしょう・・・・。

この小説で2003年に「60年前にヨーロッパとアメリカの大戦争があって数百万人の犠牲者が出て以来、戦争はこの世になくなった」というくだりがあります。あるいは農業や食事の崩壊ー宇宙食的な状況ーが説明されています。2011年現在、ここまではダメージを受けていないけど、警告を込めた予測としてはあたっているなあと思います。しかし、100年後の予想が方向としてあたっているのは、それほどに驚くべきことなのか?という思いにも駆られます。我々は願望も含めてですが、100年後に関して「こうだろうなあ」と思うことは、その現実化の仕方に狂いがあっても、案外、見通せることが多いのではないかとも夢想するのです。

2050年に人類は危機に瀕するという予想に色々と賛否両論がありますが、(その予想の正しさを覆す事実や状況はたくさん出てきたとしても)人口の増加や自然環境の悪化がストップすることはあまりなさそうです。地球が温暖化しているのかどうかはよく分かりませんが、地球の自然がより良くなっているとは言えそうにないし、今後40年、現状維持(が、できたとして)に苦労するのは明らかでしょう。つまりは、「2050年に地球環境は悪化している」と大きな声で叫ぶことより、もっと小さな声で短期の予測と検証を積み重ねたほうが現実的であるというより意味があるのじゃないかと思います。

但し、ここで書いていることは、目標の設定を軽んじているわけではないので誤解なきよう。

Category: さまざまなデザイン | Author 安西 洋之  | 
Date:11/1/1

古い雑誌を整理していると、随分と読み残している記事が多いのに気がつきます。そうすると、捨てる前にちょっとは読んでしまおうと思ってしまう。そして読んだ、少し前の週刊文春です。林真理子が既に自分のことを知らない若い人が多いことに気づいたとのエッセーがありました。「かつての有名人」はそこで複雑な思いに駆られるわけですが、今や「かつての有名人」のように全ての人が知っていることが少なくなっています。佐藤栄作の時代は皆が5-6代前の総理大臣も言えて外務大臣や大蔵大臣の名前がすぐ出てこないことは、社会人として失格だったでしょう。しかし、菅首相と小泉首相の間の何人かの首相の名前と在任期間を言えなくても、あるいは、その時々の外務大臣や財務大臣の名前が言えなくても全然恥ずかしくないでしょう。

これは政治の世界がコロコロと変わっているからだけではありません。どんなにイチローが有名であろうと、長嶋茂雄が国民的スターであったほどには多くの人の脳裏に焼きついた名前となっていないのです。スターが小粒になったとは言われます。しかし、それは小粒のタレントもあるかもしれないけど、小粒であるしかないようなシステムで社会が成立するようになったからだと思います。昔は一部のジャーナリストしか知らなかった俳優の私生活の一部を、FACEBOOKでは多くの人が当然のように知ってしまっています。情報がガラス張りになればなるほど、大粒である成立条件をどんどんと壊していきます。なにせ未知が小を大にする重要な要素であったのですから。

逆にちょっとした有名人は出来やすい。Twitterで何十万人というフォローワーを抱えている人の名前をみて、一般のTwitter以外の世界の多くの人がどれだけ知っているでしょうか。つまり、「有名人の局地化」が加速しています。Twitterの有名人は必ずしも他のSNSで有名ではないかもしれないし、いわんやマスメディアのなかでは「市井の人」か「ポッと出」としか形容されません。ちょっとした有名人になるシステムは、マスメディア全盛の時代よりは明らかに揃っているのです。

そこで課題は、かつてのような有名人であることに今もメリットがあるか?「局地的有名人」であることが充分であるか?という問いにどう答えるかです。衆議院の小選挙区制で立候補するより、所属党の意向次第の比例代表制の方が「局地的有名人」であることは有効に作用するかもしれません。もちろんTwitterのセミナー講師で稼ぎまくるならTwitter有名人で充分でしょう。しかし、それでは比例代表区の推薦は得にくいでしょう。それには、マスメディアでの「局地有名人」であるほうが有利です。そして、マスメディアの「局地的有名人」はTwitterの有名人にはなりやすいけれど、その逆が同様にはなりにくいのが現実でしょう。

しかし、いずれにせよ、現代における有名人は長続きしません。ホリエモンが有名になったのは彼の日ごろの活動ではなく、TV局の買収劇や逮捕という事件での瞬間風速的な側面が強く、荒川静香という名前はトリノ冬季オリンピックで金メダルをとった数ヶ月が旬だったわけです。なにも不祥事も事件もなにもなく、またイベントで名前を挙げるということもなくーW杯でゴールを入れるー、恒常的に有名であることがあまりないのが現代であり、それがより強まっていると言えると思います。吉永小百合のような名前が再び出ることは至難です。

即ち、ブランドを考えるとき、局地的ブランドこそが優位性をもつのかどうか、をより真剣に考えるべきシーンに直面している。このことを更に意識しないといけない時代に突入しています。突き詰めれば、どのような「局地ブランド」を組み合わせるかに傾注すべきということでしょう。

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