さまざまなデザイン の記事

Date:08/11/17

およそ1年間、イデーで仕事しました。常連のお客さんからオファーをもらい、イデーを退職したのです。婦人服デザイナーで自分のお店で販売を手がけている女性が、旦那さんと一緒にアンティーク家具の店をはじめるので、そこで働いてくれないかというのです。旦那さんは商社の駐在員として米国西海岸で生活したことがあり、その頃に見ていたインテリアデザインに興味があったようです。

こうして西海岸や英国に毎年2回ほど出張する生活がはじまります。最初の2年は、オーナーと一緒でしたが、その後は一人です。アールデコや1930年代の家具がメインでした。クロームや黒のモノトーン、高級感のあるマホガニー系の赤茶色が、時代のムードとあっていたのでしょう。こうしたデザインあるいはいわゆる猫足の椅子などが扱い商品の主流でした。ただ、下坪さん自身の趣味ではありません。1950-60年代のデザインに興味がある彼にとって、これらのラインは重過ぎます。

アンティークの買い付けは気力勝負でもあります。約1か月、トラベラーズチェックをもって、各地を巡ります。小型トラックやワゴンタイプのレンタカーでショップカタログと地図を片手に、一軒一軒掘り出し物を探していきます。店だけでなく倉庫にも入り込み、埃だらけになりながら、棚の上や下に目をやります。「いいものは、店主も忘れかけたような棚のてっぺんか下に隠れてある」というのが学んだことです。

購入するとクルマに積み込み、宿泊先のホテルや契約先倉庫に運びいれます。丁寧に家具や照明器具を写真で撮影しながら分解していくのです。そして、それらを運送中の破損がないよう梱包していきます。そのため下坪さんは、今も名品の数々の構造を熟知しています。ピエール・ポランと話している時、下坪さんはザヌーゾのチェアの構造をすぐさま説明し、ポランに「あなたは、なんでも知っているんだね!」と大いに驚かれたこともあります。

Date:08/11/14

下坪さんは、中学と高校ではバスケット部で活躍します。シューターでした。本人の表現によれば「まあ、まあ、上手かったほうでは」とのことです。高校の頃の趣味に、今の仕事に通じる芽がみられます。お父さんのもっていたロンジンなどの古い腕時計に興味をもち、「使い込んだ古いものの味にしびれた」と言います。彼が社会人になって今の基盤を作る最初の仕事が、アンティーク家具ですから、この古い腕時計に対する目覚めは重要なポイントだったと思えます。

彼の実家は札幌から2時間ほど離れた街です。高校生になると、電車に乗って札幌に洋服を買いに行くのが楽しみの一つになります。雑誌では『ポパイ』『ホットドッグプレス』『メンズクラブ』『ブルータス』などを読みます。特に本を読むタイプではなく、小説などほとんど手にしないといいます。漫画も読みません。しかし、現在、その彼のオフィスに膨大な各国言語のデザイン書籍があります。そのあたりの変化は20代になってからです。彼は本に頼ることなく、自分の頭でよく考える人だったのです。

高校を卒業し、デサイン専門学校でインテリアデザインを勉強しました。雑誌でみた空間デザイナーをカッコいいと惹かれたのです。この学校に通うようになり、あらためて幼少の頃に日常にみていた原色系、黄色、オレンジ、グリーンといったカラーが好きだったことを再認識したようです。

デザイナーにはなろうと思わなかったといいます。デザイナーをやるには、もっと才能が必要だと自覚していました。ぼくは、この言葉を聞いたとき、下坪さんがその頃に狙っていたデザインのレベルが分かるような気がしました。最上レベルのデザインが自分の手から実現できないなら、自分は裏に回ろうと思ったのではないかと思います。その通り、彼は卒業後、イデーの札幌店に入ります。当時デザイン家具を扱う会社としてはイデーが一番新鮮でした。札幌店は4-5人の店員規模だったようで、彼も一店員からスタートします。

Date:08/11/12

小さな頃、下坪さんの趣味はコレクションでした。ミニカーです。トミカ(現タカラトミー)から出ていたミニカーをショーケースに埋めていくことが最上の喜びでした。セメント施工の会社をやっていたお父さんがお客さんに集金に行く際、彼はお父さんのお供。そして、その帰りにいつもプレゼントがあったのです。

いわゆるスーパーカー世代です。でもミニカーはスーパーカーより普通のクーペなどが中心でした。クルマそのものへの関心もさることながら、「ショーケースのなかに何かが欠けている」ということが気になって仕方がなかったのです。このあたりに、下坪さんの「完全」に対する情熱がみえます。

しかしながら、家にこもりっきりの子ではありません。小学校3-4年生の頃、そろばん塾の帰りがてら、町内にあった街灯を片端から石を投げて壊したことがあります。木の電柱で電球も低かったのでしょう。それにしてもたいした命中率です。しかし、下坪さんは翌日、お母さんに電柱に縄でしばられ、2時間ほど泣きっぱなしだったそうです。通り行く人やクルマが皆、足をとめていくわけですから、かなり厳しいお仕置きです。

下坪さんのお姉さんは1歳年上です。背も高く運動も勉強もでき、いつも弟として悔しい思いをしていました。そのお姉さんが中学1年のとき、下坪さんが小学校6年生のとき、二人で喧嘩して弟は彼女を投げ飛ばした。このときの解放感と爽快感は忘れがたいといいます。街灯を壊したことといい、その頃の腕白ぶりがほほえましいです。とにかく、学校では工作が好きで、モノ作りが大好き。でも少年野球では投手。バランスの良さが窺えます。