さまざまなデザイン の記事

Date:08/12/3

モダニカ札幌を運営しながら、下坪さんが好きなヨーロッパのデザインを扱いたいと強く思っていた‘90年代半ば、パリの蚤の市で一つのデスクと出会います。もともと下坪さんはデスクに惹かれるようで、オリベッティのデスクとは’90年代前半の米国買い付け時代に出会っていました。今もイタリアのアンティークショップでデスクを見つけると、目がキラリと輝くのが下坪さんです。

このパリで買ったデスクは1956年、米国のネルソンの影響もうけたピエール・ポランがデザインしたものでした。‘60年代以降、非常に有機的なデザインを始める前の直線ラインが印象的な作品です。2002年、メトロクスはこの作品を日本で生産することを検討し始めます。これまでの輸入ビジネスから一歩進んだ、ロイヤリティ生産する初めての経験です。

ぼくはポランの連絡先を探し出し、ポランが指定したパリの弁護士との契約協議のために、下坪さんと二人でパリに向かいました。そこで我々が特別に依頼したポランのサインをデスクの一部に入れたいという要望が、引き出しの中ならOKという形で受けいれられたのは、嬉しい思い出です。ポランはとても控えめな人柄で、目立つことをあまり好まないのです。

2003年は一つの重要なイベントがありました。それは東京店のオープンです。これまで札幌を拠点としていることで良いことがありました。東京の多くの同業者と直接対峙することがなかったのです。常に協力関係でした。また、タイムリーなことばかりにエネルギーを費やさず、東京人と違うリズムで生き、違うモノをみることにより、違う考え方を維持することができるというメリットがありました。しかし、更なる成長を見込むには東京への出店は不可避な時期にきていました。

Date:08/12/1

”L’UTOPIE DU TOUT PLASTIQUE 1960-1973”に掲載されている商品で、メーカーに再生産の交渉をしたけれど、数量やコストがあわず、適わなかったものもあります。このように1960-70年代のイタリアデザインを、メトロクスが日本に紹介してきたのです。メトロクスという名称を使いましたが、もともとのメトロポリタンギャラリーという言葉が「ギャラリー」として誤解を生む、あるいはやや名前として長いということもあり、モダニカ札幌も統合してメトロクスという店名に変更しました。2002年のことです。

メトロクスで直接メーカーから仕入れる商材が多くなり、当然、デパートを含め、全国のデザインショップに卸をしていくケースが増えます。現在、卸売りの取引先は250以上に及びますが、そのきっかけになったのが、ジョエ・コロンボのボビーです。2001年春からスタートしました。この前は事務機器メーカーが輸入し、設計事務所などに販売していましたが、この会社がボビーの独占輸入権を手放すと2000年12月初めに聞き、我々は急遽動きました。クリスマスから大晦日ぎりぎりにかけて目処をつけ、年明けすぐにメーカーに駆けつけ交渉したのです。

メトロクスのアイデアは、このボビーをもっと一般家庭のインテリア商品として普及させることでした。そのため、白や黒だけでなく、他の色を追加しました。この狙いはあたりました。今までの事務用品イメージからインテリアグッズにも領域が広がったのです。そして、この月間数百台出荷するボビーを中心に、他の製品を紹介することができるようになりました。

この1-2年前から、メトロクスでは独自に開発した「セルシステム」というユニット家具を国内で作り始めており、主力製品に育ってきていました。ありそうで案外ない良いデザインのもの。こういう空白を埋める製品です。ボビーは、この製品と両輪をなす位置づけになったわけです。

Date:08/11/28

文化が何を指すかは色々と言われますが、政治学の平野健一郎さんが『国際文化論』(東京大学出版会)で定義されている文化に、ぼくはもっともしっくりときます。このなかに「文化要素は本来複数の機能や意味を備えているのである。システムを構成する各部分は、一見、一つの機能しか果たしていないように見えるが、微細に観察してみると、いろいろな意味がこめられている。文化要素には多機能性、多義性があると考えておくことが、文化をシステムとして捉えるためにも必要なのである」とあります。

コンテンポラリーアート作家の廣瀬智央さんが、11月29日、今週土曜日から東京の小山登美夫ギャラリーで展覧会を開催しますが、題名が「官能の庭」です。ぼくが本のなかで紹介した大理石のテーブルや豆とロウの絵画も展示される予定です。

http://www.tomiokoyamagallery.com/

ぼくは、彼の書いた豆の話が気に入りました。もともと豆は貧しい食材としてみられがちなところを、彼はトスカーナで出会ったスープ、それはレンズ豆などを鶏がらのだし汁で煮込んだもので、そこに香り高いオリーブオイルを少々たらすのですが、これがなんともいえなく「貧しいのに豊か」と表現します。豆のポエジーさえ感じると書きます。

彼は説明します。フラットな空間に10数種類の豆が何千個とロウによってフィックスされているのですが、近くでみると単なる豆が遠くからみると大きな広がりをもった空間にみえ、作品を横から見ると無数の小石が広がった庭や大地に見える、と。見方次第でどうにでも自分が空間のなかに入り込めるような気になれる、と。

この豆とこれらが作る世界こそが、平野さんの言う、文化の両義性と多機能性なのだと思います。そこに文化理解の難しさやコンテクストの重要性という課題が出てくるのですが、これを悲観的に捉えるのではなく、果てしなき可能性が前面に広がっていると考える楽観性こそが肝だと考えます。即ち、「豆とは、〇〇である」と〇〇に入る言葉を決めるのは、あなた自身なのです。どこかに正解があると思ってはいけません。