さまざまなデザイン の記事

Date:09/2/10

子供の時の1週間はものすごく長かったという覚えが貴方にもあるでしょう。いわんや1年先なんて、とてもじゃないけど計算に入らないくらい遠い将来に思えたはずです。年齢が増すにしたがって、時の流れが早く感じられるといいます(第三者的表現ですが、ぼく自身も同意します)。1年なんてアッという間です。

一方で、ネット社会の到来と共に変化のスピードも猛烈に増しました。前回、イエス・キリストを例に、5年間で一つの全体像が見えてくると書きましたが、現代のイエス・キリストはもっと短い時間で十分かもしれません。そういうなかで、「明日が今日より良いか?」と問うた時、「いや、明日も今日と同じかもしれない」と答え、それこそが新しい現代のあり方かもしれないという考え方がじょじょに出つつあります。特に経済状況が悪化した昨秋から、そのような記事を目にします。中世的な「昨日と同じ今日、今日と同じ明日」の連続である世界を認めようという動きとも言えます。

ぼくは、アーサー・D・リトルの川口盛之助さんが、日経BPオンラインで年産500台の光岡自動車を「クルマを愛せないのは誰のせい?」というタイトルで紹介しているのをみて、これも時間感覚への問いかけかもしれないと思いました。読者コメントには「コピー版のクルマではないか」「ビジネス規模が大メーカーと違うから参考にならない」等の批判もありますが、ぼくは別の文脈で読んでみました。

記事は現在のクルマ市場を「嫁の実家から届いた見合い話」と比喩して語っています。

そんな恋愛破局劇を4年おきに繰り返すうちに、旦那が女性不審に陥るのは必然的な結末でしょう。「もう二度と車(女)なんか愛すまい!」となり、そんな身勝手な自分を慰める論理的な説明とは「車(女)なんて所詮は機能に過ぎない、楽に心地よく効率よく移動してくれる単なる手段として解釈しよう」となります。そうなると、価値判断の基準は「ニューモード」と「新技術」になるのは必然でしょう。

モードとはコスメティックなデザインの流行のことで、去年はルーズソックス、来年はネールアートというふうに理論では予測不能の「揺らぎ」のような現象です。一方の新技術は、知恵の積み上げでできてきますから、ファッション的なものとは一見対極にあるように映りますが、売り手側にとって両者に共通する点は、毎年目先を変えるための理由に過ぎないという点です。

<中略>

結局は、短い商品サイクル設定で売り上げを立てるというやり方とは、「この商品を愛さないでください」というメッセージを出し続けているということなのでしょう。売ろうとしているモノは長く愛すべきモノではなくて必要な機能を提供する手段に過ぎませんというメッセージです。

<中略>

どこかで狂ってしまったこのメカニズムを正し、ドライバーの愛を取り戻すためには、市場側に「いじってもらってなんぼ」という冗長な車づくりをする必要があると考えています。走行制御系の中身はさておき、ハンドリングから表層までの部分は完成車メーカー側がユーザーサイドに対して積極的にその体制を敷きつめる覚悟をしなくてはなりません。ソフト産業や衣料品、軽工業分野ですでに起きているプロシューマー化の潮流を先取りして反映する必要があるのです。

短いサイクルの時間感覚と長いサイクルの時間感覚の綱引きは、今に限ったことではなく、常にどの時代にもあったことです。しかし、この記事が語っているのは、この綱引きがビジネスの現場(それも同じ業界のなかで)で、より鮮明な形で出てきていると理解するのが良いのではないかとぼくは考えたのです。「少量特殊車両を得意としてきたイタリアのカロッツェリアと同じじゃない」、と言い切ってはいけないもう一つの潮流があるのではないか、と。

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Date:09/2/7

昨日、時代の動きと題して、今という時代のあり方について触れました。4-5年という時間は短いのか、長いのか、最近、それについて書いてある文章をみつけ、「なるほどね」と感心しました。

松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』(春秋社)という本を先月東京で買いました。たまたま本屋で目に入ってきたのですが、実はぼくの本『ヨーロッパの目 日本の目ー文化のリアリティを読み解く』をアマゾンで買った人が、この本を買っていたので、何となく気になっていたのです。ここでは文化を見るときに、如何に関係性に注目すべきかがテーマになっています。その中に、こういう内容があります。

イエスがイエス・キリストとして活動していた期間はたいへん短くて、31歳のときに「荒野のヨハネ」という預言者から神の世界を教えられて、35歳のときにゴルゴダの丘で十字架に磔になってますから、せいぜいその5年くらいの活動です。ジーザス・クライスト・スーパースターといったって、その活動期はほんの短い期間だったわけです。たったの5年間です。

<中略>

けれども、本当に何かをやりたければ、この5年間という期間は非常に大きいものです。

ファミコンが広まったのも、ケータイ電話が広まったのも、5年もかからなかったでしょう。逆にいえば、5年もあれば、何だってできる。そういうふうにも考えられる。イエス・キリストが生きた5年間がまさにそうでした。

さらにいえば、イエスの5年間のことをある程度くわしく知っていたのは、ペテロ以下の10数人の弟子だけでした。前回話したブッダの最初の弟子が10人。釈迦十大弟子といいますが、でも結局はこの10人が仏教の誕生に、あるいは12人がキリスト教の誕生に大きくかかわったのです。ですから、何かをおこしたければ、最初の10人をまず作るべきなんです。そしてそのコア・メンバーとともに5年を集中するべきです。それ以上はいらない。幕末の吉田松陰の松下村塾だって、せいぜい2年です。

ミラノサローネなどを見ていても、「これは!」と思ったところは、毎年何らかの進展がみられ、5年間もすれば、それこそスター的な位置に上りつめていたりします。あるいは、その逆に、まったく姿を消してしまったのではないかと思われるようなこともあります。すなわち、5年間を一つの単位として、ある動向をみていけば、かなり全体像に迫ることができるはずだ、ということになります。

米国の大統領の任期は4年ですが、あれだけ優秀なスタッフを数多く揃えている(あるいは、揃える力がある)わけですから、これはなかなか示唆的な時間です。

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Date:09/2/6

昨年の「ミラノサローネ 2008」第1回目で以下のように書きました。

ただインテリアデザイン外に広がった一つの理由は、工業デザインのトレンドがファッション産業と密接にリンクするようになったことがあげられます。コンテ ンポラリーアート→テキスタイル →アパレル→雑貨→家具→家電→自動車というようなデザインの流れが特に意識されだしたのも、この10年ちょっとです。90年後半にヒットしたスケルトン のアップルPCのアイデアは、90年前半のテキスタイルのトレンドを汲んだ雑貨デザインに源流があると言われます。もちろん、いまやこんな悠長な流れよ り、もっとパラレルな動きですけどね。

90年代後半は、まだネットの普及途上でした。世界中の人々が同時に同じ感覚を獲得するにはまだもう少し時間が必要で、自動車の4年の開発もさほど違和感のない「距離感」であったと思います。たしか2000年には至らぬ、多分1998-1999年頃、CNNの広告で、「ピーピー、ザァー」という音で現代を表現していたことがあります。この「ピーピー、ザァー」というのは、ネットを電話回線で繋げたときの音です。今、この音は懐かしい音と思われると思いますが、これを現代と思わなくなったのは、あの広告から3-4年もたたぬ頃であったと想像します。データを調べれば分かるでしょうが、詳細は割愛します。「あの広告から3-4年もたたぬ頃だったろう」とぼく自身が想像する感覚自身も指標として大切なのです。

2001年9月11日の米国での事件を境に、ある感覚が世界に一斉に広がることを人々は知りました。全てがボーダレスになるとことを諸手をあげて歓迎していた時代が、突如変化するのだと気づきました。「怒り」「心配」・・・これらが、まるで個人的に投げかけられるように、あるいは個人的にキャッチしなくてはいけないように、情報と感情が個人に突入をはじめたのです。それでも、今、まだ、この個人的レベルの集合体が個々人にははっきり見えていません。それを今年のはじめに書きました。

http://milano.metrocs.jp/archives/810

テレビとネットのアクセス数比較からみた場合、前者が常に圧倒的多数ではなくなってきたにもかかわらず、アクセスしている本人は、あいかわらず後者のネッ トアクセスを非常に個人的体験の領域とみなしている、というのです。ここに今という時代の特質があります。個人的レベルと思っている力の集積したものは、 ユーザーが考えるよりずっと大きい姿であるのですが、それが実感として見えていないのです。それは時により、「無意識の共感のうねり」を作ります。

もしかしたら、これが、何かを表現するとき、「個人的なこと」であることにさほど負い目を感じずに、素をそのまま外に出してしまうという流れとリンクしているかもしれません。「俺は、そんな大きな時代のトレンドなんか分かんないよ。俺自身の内から聞こえてくるものを発信しているだけ」という発言は、まさしく、あなた自身がトレンドセッターであることを物語っているのかもしれないのです。

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