昨年の「ミラノサローネ 2008」第1回目で以下のように書きました。
ただインテリアデザイン外に広がった一つの理由は、工業デザインのトレンドがファッション産業と密接にリンクするようになったことがあげられます。コンテ ンポラリーアート→テキスタイル →アパレル→雑貨→家具→家電→自動車というようなデザインの流れが特に意識されだしたのも、この10年ちょっとです。90年後半にヒットしたスケルトン のアップルPCのアイデアは、90年前半のテキスタイルのトレンドを汲んだ雑貨デザインに源流があると言われます。もちろん、いまやこんな悠長な流れよ り、もっとパラレルな動きですけどね。
90年代後半は、まだネットの普及途上でした。世界中の人々が同時に同じ感覚を獲得するにはまだもう少し時間が必要で、自動車の4年の開発もさほど違和感のない「距離感」であったと思います。たしか2000年には至らぬ、多分1998-1999年頃、CNNの広告で、「ピーピー、ザァー」という音で現代を表現していたことがあります。この「ピーピー、ザァー」というのは、ネットを電話回線で繋げたときの音です。今、この音は懐かしい音と思われると思いますが、これを現代と思わなくなったのは、あの広告から3-4年もたたぬ頃であったと想像します。データを調べれば分かるでしょうが、詳細は割愛します。「あの広告から3-4年もたたぬ頃だったろう」とぼく自身が想像する感覚自身も指標として大切なのです。

2001年9月11日の米国での事件を境に、ある感覚が世界に一斉に広がることを人々は知りました。全てがボーダレスになるとことを諸手をあげて歓迎していた時代が、突如変化するのだと気づきました。「怒り」「心配」・・・これらが、まるで個人的に投げかけられるように、あるいは個人的にキャッチしなくてはいけないように、情報と感情が個人に突入をはじめたのです。それでも、今、まだ、この個人的レベルの集合体が個々人にははっきり見えていません。それを今年のはじめに書きました。
http://milano.metrocs.jp/archives/810
テレビとネットのアクセス数比較からみた場合、前者が常に圧倒的多数ではなくなってきたにもかかわらず、アクセスしている本人は、あいかわらず後者のネッ トアクセスを非常に個人的体験の領域とみなしている、というのです。ここに今という時代の特質があります。個人的レベルと思っている力の集積したものは、 ユーザーが考えるよりずっと大きい姿であるのですが、それが実感として見えていないのです。それは時により、「無意識の共感のうねり」を作ります。
もしかしたら、これが、何かを表現するとき、「個人的なこと」であることにさほど負い目を感じずに、素をそのまま外に出してしまうという流れとリンクしているかもしれません。「俺は、そんな大きな時代のトレンドなんか分かんないよ。俺自身の内から聞こえてくるものを発信しているだけ」という発言は、まさしく、あなた自身がトレンドセッターであることを物語っているのかもしれないのです。
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さて、ミラノサローネです。去年と同じく、「デザインの祭典」というタイトルでスタートします。

昨年、「ミラノサローネ2008」を50回近く書いたのですが、その第一回目が下記3月6日でした。今年は1ヶ月早いです。昨年の経験から、サローネのもっと前から事前情報を流すことで、このブログが皆さんにもっと役に立ったはずというシーンに何度かぶつかったのです。それから、今年は経費削減から行動を控えめにしている人達も多く、そうした人たちへのインプットも視野に入れるには、今から書いていこうと思ったわけです。
http://milano.metrocs.jp/archives/108
今日、日経デザインのメルマガ「日経デザイン・エクスプレス 2009/2/4 Vol.338」を読んでいたら、メルマガ編集長 丸尾弘志氏が以下のような文章を書いていました。
2009年1月23日から開催されたフランスの家具雑貨見本市、メゾン&オブジェの取材に行きました。過去類を見ないほど多くの日本メーカーが出展し、その多くが海外展開に向けた手応えをつかんだようです。
メゾン&オブジェはほかの国内外のデザイン関連見本市の中でも、各メーカーがブースの見せ方が特に力を入れているようです。大手がブースをしっかりと作り込むのは当然ですが、特に中小企業がこの点に力を入れているのが印象的でした。小さい空間の中でもブランドの世界観をしっかりと伝える努力をしています。ブースの作り込みを怠っては、欧州市場にはブランドの魅力を伝えるのが難しいだろうという印象を受けました。
昨年、ぼくは大手の見せ方も問題視しましたが、パリと同じようにミラノで上記のような傾向が見られるとすると、これは嬉しいです。ここは一つのポイントになります。どのような内容を、どのような言語や手段を使って相手に伝えるか? これはコミュニケーションの基本ですが、完璧でなくても、目指す方向が正しければ、いずれ成功するでしょう。
冒頭の写真ですが、マックス・ビルの息子であるヤコブ・ビルさんのスイスにある別邸です。昨年1月に書いた「マックス・ビルのポスターを作ろう」(下記)でご紹介した御宅です。2006年のサローネ時に王宮で開催されたマックス・ビルの展覧会を見学した結果、スタートさせたプロジェクトでした。サローネの見方の一つのヒントとして、この第一回「ミラノサローネ2009」でメモしておきます。
http://milano.metrocs.jp/archives/5
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ぼくが日本へ行ったとき、ほとんど必ずといってよいくらいに会うのが水谷修さんです。今や「夜回り先生」といったほうが通りが良いですが、もう30年近い付き合いになります。知り合ったきっかけは大学の体育の授業です。本来体育は1年生と2年生で単位取得するのですが、ぼくの場合、あまり学校に通っていなかった(いや、行っていたけれど、教室には行かなかった)ので、体育も単位を落としていたのです。それで3年ー4年で挽回しました。その3年生のとき、確か水谷さんは6年生として参加していたと思います。彼はヨーロッパで2年ほど放浪の旅をしていたので、在学年数が長くなっていました。
土曜日の朝の体育なんてもう面倒でしたが、体育は必須ですから仕方がありません。その渋々やっていた体育で水谷さんと知り合うことになりましたが、あたりまえながら、こんなに長い付き合いになるとは思っていませんでした。
学生時代だけでなく卒業してからも頻繁に彼の家や外で酒を飲み歩き、たいてい朝方に寝につくというパターンでした。一緒に山を登ったり、旅行もしました。ぼくがイタリアに来るのを応援してくれたのも彼だし、90年の夏、ベルリンの壁が崩れた翌年、ミュンヘンでレンタカーを借り、ウィーンを通り、ハンガリー、旧チェコ・スロヴァキア、旧東ドイツ、旧西ドイツ、フランスと3000キロ以上の旅も一緒にしました。彼のクルマの運転は抜群で、ブラチスラヴァでドル稼ぎの警官の嫌がらせをうけたとき、彼は一瞬ハンドブレーキを引きクルマを急転回させ、逆の方向に逃げ切るという技も披露してくれました(?)。

先日、渋谷に近い小さな料理屋で彼と会いました。彼の話はとても面白く刺激的です。これからの社会の方向が実に的確に示され、且つそれに深さがあります。いくら深さに拘っても、方向があっていないと話にならないことが多いのが普通だと思いますが、水谷さんは昔から同じことを語り続け、その方向は同じところを指し続けています。彼は今、迷える多くの子供たちを救う活動をしていますが、これも実に自然です。彼の生き方を見ていて無理がありません。それは通常の人では想像できないくらいの我慢を強いられることが沢山あると思いますが、それでも水谷さんは、ひょっこりと笑顔で出てきてくれます。ぼくの日本滞在中の大切な楽しみです。
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