さまざまなデザイン の記事

Date:09/3/24

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ぼくは『ヨーロッパの目 日本の目』のなかで、ヨーロッパ人が日本製品に関する違和感をどう認識し、それをどう解決するかについて書きました。解決とは、その違和感をセールスポイントとするか、その違和感を解消するようにするか、この二つのどちらかです。この問題をどうにかしないと、日本製品の存在感は低下する一方であると、2008年ミラノサローネも例にとりながら、声を大ににしたつもりです。

カイ・サワベさんの『ヘンな感じの日本人』を読み、これはかなり難しいトライをしたなと思いました。外国人が日本文化の違和感を書くと、日本人は比較的大らかに外国人の感想を聞き納得する傾向があるのではないかと思います。しかし、外国に住む日本人の日本社会批評は、半ば「今の日本のことがわかっていないから、そういうのだろう」と、外国人の場合もそうであるのに、この部分を前面に出して防御することがままあります。そのため、サワベさんは、やや三枚目的な「ヘンな日本人」を演じることによって、この壁をすり抜けるという「知能犯的」な行為をしようとしたのではないかと思います。「ぼくもヘンな日本人になっちゃってるけど、だからかな、日本に行って見える風景ってヘンなんだよね」と。つまり書名の「ヘンな感じの日本人」はダブルミーニングではないかとぼくは睨んだのです。その証拠に帯に「あなたがヘンか?サワベがヘンか?」と書かれています。

いずれにせよ、我田引水的な表現をあえて許していただければ、ぼくがヨーロッパ人が抱く違和感を対象としたのと全く表裏の関係で、サワベさんは自分を外国人(あるいはヘンな日本人)として日本社会の違和感を語ったのが、この本です。

正確にいえば、サワベさんは沢辺さんではなくSAWABEさんです。日本の赤いパスポートからドイツのパスポートに変更しているので、外国人の立場を表明することは、法的(?)に全然問題がありません。大学を卒業してからサッカーのカメラマンとしてドイツに渡り、数々の記憶に残る名試合もネット裏から見つめているうちに30年が経てしまいました。いや、サッカーだけでなく競輪もそうだし、ポートレートも撮ります。以前、フランスのピエール・ポラン自宅でリボンチェアに座るポランを撮ってくれたのもサワベさんです。とても渋い写真をとります。だからこそ、今回のサワベさんの「知能犯ぶり」が、ぼくにはとても新鮮であり、かつ「上手くやったなぁ」という台詞が思わず口からついて出て来たのです。

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もちろん、「ヘンだ、ヘンだ」と言いながら、サワベさんの本心では、かなり強烈な日本社会批判になっているのは、色々なエピソードのなかで垣間見れます。しかし、それで悪い気にならないよう、細心の注意が払われています(ぼくも、日本を離れてかなり時間がたち、ちょっとヘンな立場ですから、この判断に甘さがあるかもしれませんが、それは寛大にみてください)。兎に角、この本は日本社会のあり方に寸鉄を突き刺しながらも、同時にヨーロッパ人との付き合い方を示唆してくれます。ただ、注意!!ヨーロッパに飛んでくる飛行機の中で読もうと思ってこの本を買っては失敗するでしょう。空港で搭乗の前に読み終えてしまうかもしれませんから。

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帯に「カイ・サワベさんって、実はカメラマンなんです」とあるので、参考までに彼の作品が掲載されているサイトをご紹介しておきます。

http://kai.sawabe.free.fr/k/main.html

Date:09/3/22

ヨーロッパ人に地図を描いてもらうと、A4一枚の紙におさまりきれず、紙の端で道路が途中で終わり、「もう、一枚ない?」と言われることが珍しくありません。鳥瞰的に経路を把握しておらず、自分の目の高さで自らが移動していく傾向にあるからであるとされます。このテーマを書いた本が、以前、これを男女差として描き日本でもベストセラーになったことがあります。ぼくは、この問題を日本人と欧州人の差として拙著『ヨーロッパの目 日本の目』で取り上げました

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さて、ミラノの街のあちこちにある落書きもアートであるとする人も一部にいます。確かにアートと思える落書きもなかにはありますが、多くは単なる落書きです。今日、その落書きを公園で眺めていて、ふと思うことがありました。例えば、以下の絵です。

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これはマンガの影響でしょう。かなりアップです。ぼくが、ここで気づいたのは、頭の一部が欠けていることです。どうしてこの塀の高さにおさまるように顔と頭の比率を考えなかったのだろう、と。これは冒頭で書いた問題とかかわりがあるのかな、と。そう考えました。それでこの塀を眺めながら、友人のアーティストに電話してみました。「こういうの、どう思う?」と。すると、こういう答えが返ってきました。「例えば、象を小さい子供に描かせると、像の足だけを描くことがあるんですね。象は大きすぎて、こんな小さい紙に入りきれないって。その点、大人は紙のなかにおさまるような描き方をしますよね。落書きの場合、スプレーを使うと、描きたいところからはじめるということも多いかもしれないけど・・・・」

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子供の目にとって、象は足だけでもう十分なほどに巨大である、その印象を紙に描くというのは実に素直です。なるほど、わざわざ無理して全体像を一つのスペースに収めきろうとする必要は何もないか、と改めて思いました。逆に、描ききれなかった頭の一部に作者の思いが残ることもあるかもしれません。最近、「一人で分かるヨーロッパ文化」を考えていると書きましたが、今日のエピソードに喩えれば、頭の一部が欠けることを恐れてはいけないということなのかもしれません。

Date:09/3/20

茅根健さんは語ります。「ドイツでは、イタリアの古い名品のコピーバイオリンを作ったほうがビジネスになるんです。そして、化学処理をしたり色々と工夫して古くみせるわけですよ。もう数十年続いている傾向のようです。イタリアでは、そういうの嫌うんですけどね。だからぼくが新作をドイツ人に見せると『君の作品はイタリアンだけど、古いイタリアのバイオリンはこうじゃないよね』と指摘してくるんですよね。これはフランスでもそうです。それこそ17世紀のストラディバリ以降、あらゆるデザインが出尽くした感のあるバイオリンですが、イタリアでは新作に挑戦するのがいいとされるんです」

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弦楽器修理は英国のレベルが一番との評判のようですが、茅根健さんは、マイスターでなくても工房が開ける時代になっても職人としての信用力をもつマイスター文化のあるドイツで腕を磨きたいといいます。19世紀後半から20世紀前半にかけ、ドイツも含め各地で板を厚くしたり音を力強く出す工夫などをしてきたのですが、第二次世界大戦以降、「あの時の試みは間違いだった」といわれ、古いタイプのバイオリンに戻ってしまったのです。そういえば、マウロ・ロレンツィ氏が、同じように戦後のある時期から古いナイフをベースにした商品が米国に出てくるようになったと話していたエピソードを語っていました。

ぼくは茅根さんの話を聞きながら、この古いバイオリンのコピーが好まれる傾向は、バイオリンという楽器そのもののがもつ背景とリンクしているのではないかと考え始めました。その背景とはバイオリンが使われる音楽の市場のことです。バイオリンが対象とするビジネス市場で圧倒的な力をもつ西洋クラシック音楽です。近代文学の場合、ある作品を一生のうちに5-6回も読めば「私の座右の書」です。しかし、クラシック音楽は、ある作品を一生のうちに100回近く聞くことも珍しくないでしょう。多くの現代音楽が生まれてきたにも関わらず、このような市場性を獲得していません。

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カーテン越しに新作とコピーの二つのバイオリンの音色を聞いて、新作の音のほうが良いと言う人も多くいるようです。このテストは、プリアチェアをデザインしたピレッティが語った、目隠しテストでプリアチェアは座り心地ではなく視覚で評価を受けたという話を想起させてくれます。人の感覚はあてにならない、いや総合的である。どちらも言えますが、「古いデザインのバイオリンは良い」とする価値をクラシック音楽市場とともに維持する、その仕掛けと戦略性にぼくは大いに感心します。

茅根さんに良い音とは?と聞くと、「力があり、バランスがあり、そして深みがあること」と定義してくれました。新しい境地が開かれることを期待しています。

以下、ドイツニュースダイジェストというオンライン情報での彼のインタビュー記事です。

http://www.newsdigest.de/newsde/content/blogcategory/137/98/

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