交渉を有利に進めるために、他人の土俵には上がらないという鉄則があります。相手の事務所に出かけるのではなく、自分のところに来てもらう、あるいは自分の馴染みのレストランに招待する。こちらの世界に相手を嵌め込むための一手法です。よって逆に言うなら、あえて相手の場所に足を運ぶことは、それだけで意味があります。「このお願いをするために、あなたにご足労かけるわけにはいかない(だから、そのところを読み取って、願いを受け入れてほしい)」ということもあるでしょう。こうした駆け引きは、個人ベースだけでなく外交においてもあり、そのひとつの例として、フランス政府によるフランス語政策が挙げられるかもしれません。

フランス語が外交の公式言語として覇権的位置にあったのは、18世紀はじめーラテン語以降ーから20世紀はじめー英語以前ーのおよそ200年間です。その後、英語が力を増しフランス語は相対的な位置を低下させていきます。しかし、フランスは世界に広がるフランス語圏への影響力をあらゆる面で行使しており、国際フランス語機構もそうです。正確にいえば、この国際フランス語機構は、1962年、セネガルの大統領サンゴールが「フラン語版コモンウェルズ」(p151)構想を発表したことにはじまり、その後フランス一国ではなく、フランス語を共有する国々の力を結集する働きをしています。本書にある以下の部分(p154)は、フランスの考え方がよく出ています。
こうした連帯の輪を固め、広げていくことが、結局はフランスの勢力圏を確保し、強化していくことにつながる。すなわち、フランスにとっては、文化や言葉を通じて影響力を広げようとする外交と、援助を通じて連帯の絆を強化しようとする外交とは、相互に補完的で切り離せない関係にあると認識されるのである。このため、フランス外務省では、文化交流・協力を担当する部局と途上援助を担当する部局が一体化され、両者を統一的・機動的に推進する体制が採られている。
こうした政策をとる一方、フランス文化の地位低下を食い止める動きが「文化的多様性」への働きかけです。現在、EU内でかなり定着した「文化的多様性」という概念ですが、これをフランスサイドから本書では解説しています(p155)。1989年から1994年にかけて開かれたGATTウルグアイ・ラウンドにおいて、基本的文化価値を、サービス貿易の自由化対象からはずすべきと主張します。これを「文化的例外」と表現したのです。これにはEU諸国や国際フランス語機構諸国の賛同を得ますが、文化を娯楽・メディア産業とするーハリウッド映画に代表ー米国は反対し、平行線に終わります。1995年からのOECDの多国間貿易交渉においても、このテーマが議題になりますが、望んだような結果を生み出すことができませんでした。

フランスが上手いのは、ここからです。経済論議のなかで「文化的例外」は保護主義とみられ、それをグローバリゼーションの大潮流のなかで認められるのは難しかったのに対し、このテーマを各国の文化主権の保護という文脈に移転させたことです。もちろんフランス一国の力でないにせよ、こういった土俵の移し変えに貢献したことは明らかでしょう。つまり、議論の場が経済主体のWTOなどから文化を擁護するユネスコとなったのです。「文化的例外」から「文化的多様性」と言葉が変換したのです。主舞台にたってこそ、勝負に勝てた好例です。2001年、第31回ユネスコ総会は、全会一致で「文化的多様性に関する世界宣言」を採択しました。
この戦略の変換による成功は、ヨーロッパ文化部プロジェクトを進めるぼくにとっても、非常に示唆してくれるものが多いです。結局のところ、経済的な活動に反映されないと文化活動は浮上しにくいのですが、それだからといって経済活動の前面にたって文化を語るだけでは、劣勢になりやすいのは考えるまでもないでしょう。「これに対してNOと言えるのですか?」と問い詰められる場に立ってこそ、ことは有利に運べるわけです。「あったほうがいいけど、他との折り合いが・・・」と言われそうなところで勝負には勝てないということです。しかし、だからといって、片面作戦でよいわけではなく、フランスの外務省にみるような両面作戦を図ることが必須です。
<以下、参考エントリー>
平林博『フランスに学ぶ国家ブランド』を読む
J=P/ジュヴェヌマン/樋口陽一/三浦信考『<共和国>はグローバル化を超えられるか』を読む
あけましておめでとうございます。
今日は新春記念ということで(?)、ミラノサローネとブックレビューを一緒にしましょう。
年末から年始のネットを眺めていて、思うことがありました。日本でこれだけ大掃除や御節や年始の挨拶など、かつての「決まりごと」が崩れてきているにも係わらず、完全崩壊には至っていないことをあらためて思いました。その例としての「時間感覚」です。今やTwitter的ネット感覚では分が「新鮮度」の分岐点であるのに、かなり多くのブログで大晦日の夜10時頃に「今年もお世話になりました」という年末の挨拶をアップロードし、その数時間後の元旦には「謹賀新年」と書いています。RSSリーダーを、大晦日の夜から元旦の朝にかけて数回にわたってチェックする人たちがメイン読者であるとは思えないブログの場合でもあっても、です。
Twitterがモバイルのリアル感覚を表現できるに対して、ブログは日単位の感覚があるメディアであると思いますが、そのブログにも数時間差で「年末の挨拶」と「年始の挨拶」を形式通りにアップさせておきたいという拘りが出ています。年が変わることの「神聖さ」がまだ重要な位置を占め、「今年こそよい年になるかもしれない」という希望を抱ける。「過去を水に流す」ーあるいは「流せる」ーという文化があるから、忘年会があるわけです。この性格の良い点は、いつどんな場でも希望がもてることで、悪い点は、悲観的になるのも早いことです。つまり、過去を水に流すから、過去に作った構築物が生きないのです。よって「あれだけ、やったけど、何にもなっていない・・・」と思い勝ちになり、曖昧な悲観論がより多くなります。

前書きはこの程度にします。
この正月、ぼくはジェフリー・アーチャー『誇りと復讐』を読みました。ご存知のように、この作家は1970年代、英国下院議員時代に架空の油田会社に投資し全財産を失いますが、その経験をバネにして書いた『百万ドルを返せ』のデビュー作で借金を返済します。その後も、スキャンダルで再度政界を退くはめになったり、60代になって偽証罪で刑務所に入ったりしますが、そのつど、復活します。この『誇りと復讐』も、彼の刑務所で過ごした経験がふんだんに生かされています。この種の彼の作品では、主人公が時間とともに精神的能力的に発達するのが特徴で、過去を戦略的に水に流すことはあっても、心性としては過去を「構造的」ーあるいは立体的ーに扱います。そして、これが精神的タフさだけではない説明がつかない復活劇を作る要因になっています。
およそ、彼の小説はハッピーエンドであり、複数の登場人物を同時並行して追い、各場面に逆転の展開の罠が入っています。あるパターンが分かると、もしかしたら飽きがくるかもしれません。しかし、イアン・フレミングの007シリーズが何故あれほどヒットしたかといえば、そのパターンが作る世界であり、ジェフリー・アーチャーの場合も、彼のワールドに刺激ある心地よさを感じるから、彼の小説はどれもベストセラーになります。このパターン化を非難するのは簡単ですが、実は、そのパターンにこそブランドの威力の真髄があることも理解すべきです。ジェフリー・アーチャーの話しのリズムや展開に嵌る、その「嵌る」先に魅力のエッセンスがあります。

ところで、ある作家の作品で5冊以上の代表作をもつ人はあまりいないでしょう。トルストイであれ、スタンダールであれ。シェイクスピアは非常に例外的な存在です。普通、どこかに類似作品があり、それらが結果的に代表作の「隠れた味」を表現していたりします。これは文学に限らず音楽家においても同じで、ベートーベンであってもショパンであっても、誰でもその作曲家と音楽の題名がリンクできるレベルにある代表作は、五本の指で数えられるでしょう。村上春樹の作品をそれなりの数を挙げられるとすれば、それは単純に「同時代作家」であるという理由によります。夏目漱石の小説を朝日新聞の連載で読んでいた人は、今、漱石の作品を読むより、もっと多くのことが読み込めたでしょう。しかし、同時代であったからこそ、読み込めなかった部分も同時にあります。これが遠近法のよさです。ある現代作家をリアルに追うことで、作家の構造を駄作も含めて自分なりのやり方で構築でき、これを過去の作家へのアナロジーとして使えるわけです。
ここで最後にミラノサローネに話しを移すと、ヨーロッパの人たちは、なるべく文化価値体系であれ、デザインのそれであれ、より構造的に見ようとする傾向にあります。一つに自分たちのヨーロッパ文化の体系が比較的構造的であったことが、このような目を育てていることがあるでしょう。それと似たことは日本でもイタリアはミケランジェロに代表させ、オランダはレンブラントで語るというようにありますが、ヨーロッパ人はより少ない情報と知識で日本を見ていることを肝に銘じないといけません。しかも、それを構造化したいという習慣は捨てきれない。銀閣寺と秋葉原とロリータファッションとプリウスでどんなイメージができるでしょうか? 「グーグルで知る世界の落とし穴」で書いたように、日本をリサーチしてみてください。フランス版、イタリア版、ドイツ版など複数のグーグル画像検索でそれぞれの言語で日本をキーワードに入れて20-30ページくらいみると、どんな日本イメージが普及しているのかがある程度分かります。それぞれの国の人達が、それらをどう構造化ー立体化ーするか、そこに「〇〇ワールド」を見つけてみてください。「日本らしさ」の自己検証にもなります。
食も技術の発展と無縁ではないことは周知のことでしょう。しゃぶしゃぶは冷凍技術の普及によって可能になった料理ですし、何よりも、スーパーに並ぶ数々の加工食品を一瞥すれば、技術と縁がないと思うほうに無理があります。レトルト食品が日本ほど普及していなかったイタリアにおいてさえ、この数年、その数は増加の一方です。消費者が時間を買いたいという欲求を強くもつようになっているだけでなく、「もちろん手作りほどの良さはないが、まあまあ、食べられる」ということがあります。「食べられる」理由は、消費者の味に対するレベルが低下しているーぼくのイタリア人家庭での食事経験によれば、世代が下がるにしたがって味のレベルが落ちている。しかし、それを作っている本人が承知していることもある。「やはり、マンマの料理には適わない・・・」と弁解する!ーだけでなく、技術の進歩の恩恵にあずかっています。
そのイタリアにおいて、特にミラノのような都市においてさえ、トマトと瓶を大量に買い込みトマトソースを作りおきしておくという習慣がまだまだ生き残っています。もともと保存食というのは、環境や季節の制約からきたサバイバルのための技術と知恵の結晶です。例えば、秋のうちに野菜を何らかの形で調理を施し保存しておくことで、冬の間にとることできない野菜を摂取することを可能にします。漬物は、この一種です。レトルト食品は現代における保存食ですが、塩漬けやオイル漬けなど歴史を遡っていける保存食は、今の普通の生活では「視覚化されたもの」と「視覚化されていないもの」に分けられるのではないかと思います。オリーブのオイル漬けなどは視覚化されていますが、料理の隠し味的存在で目に見えにくいものもあります。
技術ー例えば冷蔵技術ーの普及のおかげで、かつては人が生きていくには必須であった保存食が、今や「絶滅種」に近かったりするのですが、そこに見知らぬ人間は大きな発見し、そこに忘却の彼方にあった深く埋まっていた価値を引っ張りだしてきます。レストランを食べ歩いているだけではなかなか見えてこない世界です。地方の農家に泊まり、生活をともにして、何気なく台所の棚にあった瓶をみて「これ、何なの?」という質問から広がる世界です。そういう意味でも、「視覚化されていない」知恵の宝庫ともいえます。つまり保存食を知るには、二つの軸を渡り歩く必要があり、それは地域と時間の二つです。いろいろな地方を歩き、いろいろな人との出会いを重ね、いろいろな話しに耳を傾け、いろいろなディテールに目を凝らし、その世界の輪郭が見えてくる、そういう性格のものだろうと思うのです。
そして現代は、その過去の遺産を失いつつある ・・・しかも、特に日本の食卓がそうである時に、イタリアの保存食を日本で知るのは、レシピを知るだけでなく、その保存食を取り囲む一連のコンテクストに想像を馳せることであります。スパゲッティがアルデンテであるかどうかを語るだけでない、より上級レベルのチャレンジ精神を要しますが、言ってみればライフスタイルの再考を図ることになります。また、日本で普段食べているイタリア料理が大変な航路を辿ってきたーその最中には、蛇行することもあったし、座礁の危機にも瀕するなどの苦労を経てきたー末のものであることが、保存食の世界を覗くことによって一瞬にして会得することもあるでしょう。
本書は、ぼくの友人、アレキサンダーの農園を舞台にして作られたものです。以前、紹介したYouTubeにのせた動画『オリーブ農園の一日』をもう一度貼っておきましょう。